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長野県の都市部郊外、道幅が広くなったり行き違いできないほど狭くなったりする県道の一角。

 
そこに、共同石油のGマークが隠れていた。

 
 
向かって右が給油所跡。その防火壁を経ての、もう一つの防火壁に描かれている。

 
給油所だったスペースはあるが、サービスルームはない。

 
肥料店が経営していたのだろうか。







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北海道の牛舎。この形式は、1階で乳牛を飼育し、2階は乾草などを貯蔵するスペースとなっている。2階から直接、飼料箱に乾草などを落とせることもあるようだ。

 
1階部分の外吊り戸、2階部分の(たぶん)内吊り戸ともに、菱形だ。意外にもこの手の木造牛舎ではバツ形や菱形は見ない気がするが、北大の札幌農学校第2農場はいくつもの矢羽根形があるようなので、今度行ってみよう。

 
名寄本線のオホーツク海側、旭丘~豊野間にあった藻興部(もおこっぺ)川に架かるプレートガーダーが残っている。国道を走っていてもすぐ気づく。

 
3径間のプレートガーダー。

 
 
路盤も明確に残っている。

 
 

下路プレートガーダーなのだが、軌道は中心からズレている。複線型ではもちろんなく、点検用の犬走り(というのだろうか)のスペースにも見えるが、桁の外側に点検用通路があるので、

 
レールは剥がされているが、枕木は残されている。


銘板。

藻興部川橋梁
設計 旭川鉄道管理局
施工 株式会社北野組
設計荷重 KS-14
基礎 鋼管くい打 Φ=60CM L=25M8本
基礎根入 けた座面から 6M50
着手 昭和56年1月
?? 昭和56年3月

1981年に架け替えたのか。廃止は1989年。

 
これが現在のGoogleMapsにおける藻興部川橋梁と周辺。残念ながら地理院地図では1978年の空中写真が「最新」だ。

 
こちらは地理院地図の1978年の空中写真。たしかに藻興部川橋梁は短い。河川幅も違う。このころ、道路橋を付け替えている。川幅を拡幅したのは、名寄本線の橋梁の着手が1981年なのだから、その後なのだろう。

中日本建設コンサルタントの資料
によれば、旧橋は単線のプレートガーダーで12.2m×2連。写真に写る道路橋は13.6m×2連で1978年架け替え。

橋梁の架け替え後、数年で鉄道路線が廃止になる例はほかにもいくつかある。しかし、河川の増水は廃止を待ってくれない。桁だけでも再活用できればいいのにと思ってもそんな都合よくいかないので、やむを得ないとしかいいようがない。







 
北海道のオホーツク海側を南下していく。左手にはずっと海、右手には野や山。

国道沿いに、もう営業していない給油所があり、トラクターやダンプが停まっていた。防火壁には共同石油のGマーク。

オホーツク海に向いた給油所で働く毎日はどんなだったのだろう。






 
かつて、歌登町営軌道の終点だった志美宇丹(しびうたん)。周囲は民家が点在し、畑と牧草地が広がる。2008年までは小学校もあった。ちきさんのサイトによれば、2004年までは郵便局があった。もし2009年、2010年まで存在していれば、ストリートビューに記録が残ったのに、と思う。

撮影は2023年。廃止から19年が経つが、建物は会社の事務所として使われているようだ(写真は修正している)。

 
片流れの屋根を持つ、おそらく木骨モルタルの建物。窓は二重、内窓は木枠で外枠は金属。ドアは木枠。ということは、外枠は後付けか。

 
「志美宇丹郵便局」と読める、旧郵政書体の跡。取り外された文字はどこにいったのだろう。保管されているのかな。










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