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(国土地理院の空中写真CB811-C7-2をトリミング・加筆)

新潟の日和山浜海水浴場の砂浜には、なぜか、場違いに大きなヤドカリが砂浜で干からびていた。オカヤドカリではない、海性のヤドカリだ。突堤から見ると、砂の海底を這っているヤドカリもいた。しかし、このへんは砂浜で、そんな巻き貝はまったくいない。だから、そんなヤドカリがたくさんいるわけがない。

突堤にはガザミもいた。そんなものがいる海域ではない。突堤には、せいぜい、甲羅の左右が数cm程度の蟹がいる程度だ。巻き貝だった1cmくらいのものだ。

あるとき、その謎が解けた。漁船だ。時々、砂浜の掘立小屋に(たぶん)網ごと揚げ、はずした魚をその場で売っていた。そのとき、ひっかかったヤドカリを捨てるのだ。ヤドカリは運がよければ海に戻る。運が悪いやつは、砂浜で干からびる。

その小屋は、たぶん上の空中写真で、砂浜の矢印部分にあった。漁船は、沖合のテトラ(いまはほぼ撤去され、砂浜が拡大したせいで、砂浜から10mくらいのところの海底にある)の切れ目から矢印のように入ってきて停泊し、網を掘立小屋まで持ってきていたのだろう。

一度、覗いたことがあるが、エイとかカレイなんかが、わりとざっくりと売られていた気がする。市場に出すのではなく、近所の人にうりさばくスタイルだったのだろうか。

「栄小学校」の裏の松林に、漁具を入れておく小屋があった。海風で錆だらけの2ストのジムニーも駐まっていた。いまは小屋はなくなってしまった。なんらかの既得権益ゆえの存在だったのかもしれない。

* * *

海岸線と並行にある、細長い建物は浜茶屋。東京の言葉でいうと「海の家」だ。「三八亭(さんぱちてい)」ほかいくつかが並んでいた。ぼくは自宅から水着で直接海にいく環境だったので、まったく利用したことがない。

いま、その位置には道路が走っている。砂浜は拡大され、突堤ももっと長いものがいくつか建設されている。
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自動車運搬船・ARIES LEADERの公開の日を1日間違え、前日に行ってしまったのだけれど、そこで運よく国土交通省の油回収兼清掃船「べいくりん」の見学ができた。

 
正面には回れない…。

 
双胴船で、こちらは船尾。前方に操舵室があり、中央・後部に浮遊物回収用のスキッパー(可動式のバケット)などがある。


これがスキッパー。

 
双胴船であるのがわかる角度。後ろから前を見る。


前方からのシチサン写真などは撮れず。

べいくりんにはいろいろな能力があるのだけれど、わかりやすいのはこれ。


こうして浮遊物のうち、軽いものを回収する。
 
木っ端みたいなのが多い。回収物は、このコンテナごと陸上に揚げる。


いろんなものが浮遊しているものだ…。国交省のサイトでは、家庭用冷蔵庫がプカプカ浮いている写真がある。あと、タイヤ。持つとかなりの重さがあるんだけれど、たとえばバイクで川を渡ろうとすると、中の空気で浮いてしまうほど。

 
東京湾と港は、管理者がそれぞれ清掃船を持っている。国交省は「一般海域」を中心に広大な範囲を回る。横浜港を基地として、1日で、北側または南側に行って帰ってくる…くらいの作業範囲・スピードとのこと。出動地域はあらかじめ決まっているわけではなく、レーダーと、潮流を表示する装置とで毎日判断し、毎日出動場所を決めていく。

 
これは台風による漂流物の発生とその回収を示したもの。

 
 
東日本大震災の際には長期間に渡る支援に行っている。

 
なんだろう、うっすらフィンのようなものが見える。なぜこうして固めてあるんだろう…。





 
峠に向かう道。左は溜め池、右は田んぼ。正面を右に曲がり、左に曲がったら、そこは地蔵峠トンネル。夏の暑さの中のどん詰まり。


魵穴(えび穴)の水路の立体交差群(1)の続き。


(カシミール3D+地理院地図+スーパー地形)

③の新程ヶ崎橋付近。
 
この新程ヶ崎橋そのものはどうということはないが、その東に立体交差がある。この新程ヶ崎橋は「昭和53年11月」と銘板にあるので、魵穴大橋と同時に改良されたのだろう。

 
渡るのは御新田川。写真は西側(②側)。地図とは違う形になっている。暗渠化されているのか、埋め立てられたのか。

 
東側。写真に見える黄色い水管の位置で、竹野町用水路(水管ではない)が上を横切っている。

 
 
このように。下が御新田川、上が竹野町用水路。

 
竹野町用水路に設けられた水門。その向こうに見える赤いハンドルのところにも水門があり、竹野町用水路から、「下」の御新田川に水を流す流路がある。

 
 
こうした、非常に細かな用水路・排水路の整備やそれぞれの連結は、「必要以上に水が来てしまうと、田は水没してしまう」ということに対しての、それをどこにどう流すかの歴史である。とにかく、平野部の用水の「量」を調整するのが非常に大変だということが感じられる。






(カシミール3D+地理院地図+スーパー地形)

新潟県弥彦村に「魵穴(えびあな)」という大字がある。明治になったころは独立した村だった。のちに合併して矢作村、さらに弥彦村となって今に至る。

その魵穴を西川がかすめるが、ここにたくさんの水路が合わさり、ここで分かれる。まずは①②を。


①魵穴大橋のすぐ北。

 
これが魵穴大橋、渡っているのは御新田川(排水路)と、矢作排水路から御新田川に落とす水路。写真は北詰から。左(東)に小さな旧橋が見える。昭和53年3月竣工(←親柱の標記に合わせる)なので、旧橋はそれ以前のものだろうが、1974~1978の空中写真を見ると、この魵穴大橋はなく、旧橋から続く土手に道がついている。

 
(国土地理院の空中写真に加筆。紫が現在の県道223号)

 
南詰右側の親柱には「広域農業幹線九号道路」とある。供用当初は「県道223号」ではなかったということか。

現地に建つと、地形図やGoogleMapsの衛星画像、ストリートビューと合わない。
 
このように、御新田川の、御新田橋より北側が埋め立てられているのだ。写真の左上に見えるのは、御新田排水機場。写真下から上に流れていたので、そのまま旧橋が渡る水路に流しているのかもしれない。

こちらは2014年8月のGoogleストリートビュー。


続いて②の、水路の立体交差。

②の南側から北側を見る。「下」を水路が通る部分、「下」の水路がカルバートのようになっているのがわかる。

 
別の角度。

 
下の川から上の川を見る。立体交差部分、下の川の「天井」はこんな形をしている。








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