大分県の国道442号として架かる明磧橋(あけがわらばし)。西行きのほうが、大分市街側からプレートガーダー1連+支間36.6mのボーストリングトラス2連+プレートガーダー4連となっている。ボーストリングトラス部分の下に大分川の流路がある。東行きは連続ワーレントラスで、橋脚は一つにまで減らされているように見える。 残念ながら、お目当てのボーストリングトラス部分は、下流側に歩行者用の桁があることもあって、きれいに撮れない。歩行者用通路と、高水敷から撮った。 東側で車が途切れたときに、真正面を。 銘板には 昭和四年●月 日本橋梁株式会社 とある。 ボーストリングトラスの桁裏。 「歴史的鋼橋集覧」には、東側のPG1連+ボーストリングトラス2連しか載っていない。1948年の空中写真を見ると、どうやら西側の4連は河川拡幅とともに増設されたもののようだ。同書には「1959年伸長及び打上 支間長19.5+2×36.6+4×22.5m 側径間は単純活荷重合成プレートガーダー、 主径間のトラスは約2.6m打上」とある。「打上」は「扛上」の誤記か。扛上工事の間はやはり長期間の通行止めになったのだろうか。 PR 国道195号を走っていたら、突如、ポニーボーストリングトラスに出くわした。なぜか、「出くわす」のはボーストリングトラスが多い。「歴史的鋼橋集覧」から漏れているせいだろうか。とても整った、塗装も美しい橋。物部川にかかる「日の出橋」という。写真は酷道の対岸(南側・左岸)より。 路面もきれいに補修されたばかりのよう。トラスがちょこんと鎮座している…という雰囲気。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が「ひのでばし」。左、普通は「竣功(竣工)」と入っているものだが、「架設」。こちらも左岸。向こうに見えているのが国道。 もしかしたら「架設」なのは、この橋の出自によるのかもしれない。銘板がある。 昭和30年(1955) 高知営林局 内示(昭和14年)二等橋 製作 株式会社横河橋梁製作所 こちらは北側・右岸側。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が剥がされている。「架設」もユニークだが、両端の親柱にあるのもユニークだ。 徳島県上勝町の役場のすぐ近くに、2連のポニーボーストリングトラスがあった。「歴史的鋼橋集覧」には載っておらず、突如こういう橋に出会うと本当に嬉しい。あとで検索すると、さすがサイト「橋の散歩道」には掲載されており、そこそこの知名度はあるようだ。 上の写真のように、川の中洲に橋脚…ではなく、岩場をベースにした橋台があり、2連とはいえ、1連が二つ、という形になっている。 東側。上流側にプレートガーダーの歩道橋が併設されている。ここはもはや旧道であり、8トンの重量制限がかかる。 美しい折れ線、美しい「低さ」。上弦の内側に銘板がある。 昭和八年製作 大阪 日本橋梁株式会社 さて、この橋は、上述のように「1連+1連」になっていて、その中間はこんなふうに途切れている。 これは歩道橋側=上流側。見たとおり、像がある。 剣を持った不動明王の石仏と思われる。四国は弘法大師の関係で不動明王像がある場所が多い。 こんな形で像の横を通って河原に降りることができる。 反対側は、バルコニーになっている。 この橋には橋梁名が書かれた銘板が見当たらないのだが、落合橋というようだ。
仙田橋 国道403号のボーストリングトラス2題(1)との兄弟橋、それも兄のほうが、この室島橋だ。渡る川は渋海川。
北側。左の親柱のプレートは欠けているが、「三月(竣)功」のみ読める。下記の銘板から、1959年3月竣功だろう。右は「室島橋」。うっかり「宝島橋」かと思ってしまった。 銘板。 1958年12月 新潟県建造 建示(1955)二等橋 製作 名古屋石原工業株式会社 材質 ss41 「兄弟橋」と書かれながらも、仙田橋(弟)には銘板がなかったので、同じ名古屋石原工業製かどうかはここではわからない。 南側の親柱。左は摩滅しているが「昭和三十四年三月竣功」のようだ。右は「室島橋」。コンクリート製で、内側に石が貼ってある。色が異なるのは、補修(再貼り付け)した跡か。 東側には旧橋の跡がある。仙田橋のPDFには、こちら室島橋は、旧橋の隣に新橋を架設してから旧橋を撤去した、とある。ここにはどんな橋が架かっていたのだろうか。 spl.thnx @watanabejin |
カレンダー
最新記事
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|