忍者ブログ
[4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
20121126_000.JPG筑波山神社への上り口の交差点に、閉鎖された給油所が向かい合っているところがある。そのひとつが、この三井石油だ。

20121126_002.JPG向かって左の防火壁には落書きがあるとはいえ、クッキリと三井石油のロゴ。その左、褪色はしているが、菱形に「三」のロゴも見える。これは東面。

20121126_003.JPGその裏、民家の畑越しになるが、西面は青文字もきれいに残っている。

20121126_004.JPGしかし、赤は褪色が激しい。



20121126_001.JPGサービスルーム。閉められてずいぶんとたつようだ。とはいえ、駐車場としては利用されているようだ。


20121126_005.JPG向かって右の面の防火壁は、ほぼ見えないくらいに青文字も褪色していた。道路を挟んだ斜向かいには、古い日石カラーの給油所がある。

20121126_006.JPG計量器こそ使っていないようだが、敷地内にはローリーが停まり、サービスルーム内には電灯がついていた(無人)。GoogleMapには石油店と表示されるので、現役の商店である。

このすぐ近くには、筑波鉄道のターミナルがあり、自転車道路となった廃線跡もある。県道が廃線跡をオーバークロスする部分をはじめ、県道42号は「40高中」の路面標示がたくさん残っている。クルマでは観察しづらいので、そのあたりは徒歩か原付でぜひ。

<関連記事>
筑波山麓に消えた川と橋と道




 
PR
20121126_007.JPGつくば市内の、地元のスーパーの駐車場の脇に、この丸善石油のサインポールが立っている。県道同士の交差点だから、街中といえば街中だ。商店の行灯は別建ての街灯に掛けられており、このサインポールがここに残されている必然性はない。それでも、北側を向いたこの面は、褪色しやすい赤があまり薄れずにこうして残っている。

20121126_008.JPG反対側、即ち商店の行灯が夜な夜な照りつける側は、かなり褪色している。南面ということもあるかもしれない。


改めて2万5000分の1地形図を見ると、この角には高塔のマークがある。Googleマップを見ると、この商店の筋と直交する筋に、火の見櫓があったようだ。


 
20121105_001.JPG丸善石油のツバメマーク。かなりきれいに保存されている。しかし、これがあるのはれっきとした現役のENEOSの給油所。丸善は、今のコスモ石油につながるブランドである。

20121105_000.JPGまったく別のものを画像検索していたら、偶然、2012年に撮影された写真で日野市内にこのツバメマークがあることを知った。「日野市のはずれ」というヒントが書かれていたのでGoogleのストリートビューで探してみると、上の写真にある価格看板を備えたENEOSがあるにはあったが、ここには建物があった。このように。

20121105_005.JPGどうやら産廃会社のブロック塀があったため、防火壁の裏側は塗装されることがないまま20年以上がたち、産廃会社の施設が取り壊されてそれが露わになったようだ。ストリートビューの撮影は2010年だから、露わになってまだ2年以内だ。

ckt-74-16_c30_20.jpg国土画像情報より転載・トリミング)
1974年の空中写真を見る。中央道に架かる左端の橋の南西にあるのが給油所。その左は黒い土、すなわち畑で産廃会社はまだない。

話はずれるが、こうして見ると、中央道と、この日野駅前から石川工業団地に行く道が、畑の中に突如割り込んで建設されたのがわかる。畑の中にあった小道がそれぞれ分断されている。

さらに、空中写真の中央下、ロータリーの存在。これは帰宅後にきづいたので行っていない。ログを残しておきたい場所だ。

20121105_004.JPG話を戻して、防火壁。このようになっている。小口というか妻面というか断面というか、そこまでは通常のENEOSカラーになっている。

20121105_002.JPG真正面。秋晴れのもと、ゆったりした給油所周辺はとてものんびりした空気が流れていた。


20120819_015.JPG前回の昭和シェル跡から10分ほど走ると、今度は大協石油のマークが見えた。バイクを止め、雨の中、少しだけお邪魔する。

20120819_005.JPGイエローラインのR105、周辺には普通に民家がある。サービスルームの真正面に、壊された計量器がひとつ。その横に土台だけがひとつ。サービスルーム横にひとつ。奥にひとつ。

20120819_006.JPG上桧木内給油所。残念ながら、サービスルームは荒廃している。

20120819_010.JPGもっとも、計量器の検査期限が昭和53年8月であったりするのだ。閉めてから30年以上が経過している。美しくある方が難しい。この計量器、真ん前に照明灯が立っているのだけれど、なんでこんな位置に…。

20120819_008.JPG左手の防火壁。

20120819_014.JPG大協石油のマスコットと「Hello!」の文字。

20120819_013.JPG地下タンクへの注油口。フタには大協石油の五稜星の陽刻。

20120819_011.JPGすぐ右に大協ホーム灯油の計量器。

20120819_012.JPGそして「丸銀商事」の文字。

ここで直角になり、
20120819_016.JPGこの防火壁の(かつての)扉からは、秋田内陸線が見える。ちょうど、列車が通過していった。

20120819_007.JPG右手の防火壁には、欠けた五稜星とDAIKYO OILの文字。その手前の、切断された支柱状のものともども、高さが嫌われて除去されてしまったか。

20120819_018.JPGアイランドに残された給油機。これは人為的に破壊されたものだろう。おかげで内部のポンプが前後対照になっているのがわかる。

20120819_019.JPGその外側らしきものは、サービスルーム内にあった。「ダイナミック」の文字も、大協のマークも残っていた。

 
20120622-999.jpg埼玉県の越生駅前。JRと東武の接続駅とは思えないような、地元のための駅。だから、駅前も商店街みたいなものはなく、民家や商店が少しずつ並び、路地もある。その商店も、なかなかに古びたものばかり…と思っていたら、明るい黄色が目に飛び込んできた。キグナス石油。

煉瓦タイルをまぶしく黄色と白でぬりつぶし、印象としては私はまったく好きではない。目が向いたのは、サービスルームの左側の壁に、円形を見たからだ。

20120622-998.jpgここだけ小さなタイルを使い、円形に仕上げている。おそらく、ここにはモービル石油のペガサスマークがあったのではなかろうか。大きさも、それくらいである。いまキグナスは三愛石油(理研系)の経営だが、三愛はモービルやESSOのブランドでも販売している。ここも、もしかしたら、かつてはモービルだったのだろうか。

そう思って@g_standさんにお聞きしたら、「仕入れ先の関係で、近年モービルからキグナスになった例は埼玉にとくに多い」とのこと。いつもありがとうございます。

gogo.gsに挙がっている写真を見ると、2007年の時点ではノーブランドだったようだ。ブランド店→ノーブランド店になる例はよくみかけるが、モービルからノーブランドになり、またキグナスというブランドに戻ったのはおもしろい例かもしれない。

なお、私はノーブランド店では給油しない。

 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア