5月に友人たちと、瀬戸内の岩黒島に行った。瀬戸中央道の出入口があり、本来は島民以外は利用できないのdけれど、島に泊まれば入れる。そんな目的だった。その岩黒島の民宿の近くにあった小屋。基礎からクルマのマフラーが飛び出している。 SUZUKI AA41-1 SANKEI と陽刻がある。検索すると、スズキのカルタス用のマフラーだ。SANKEIとは三恵技研工業のことで、純正エキパイやマフラーを製造するメーカーだ。中にガソリンエンジンがあるに違いない。 小屋を窓越しに覗いてみると、船舶を引き上げるウインチの動力たるエンジンが見え、そこから排気管が外に出ていた。 ヤンマーのエンジン。左奥にはでかいバッテリー、それもJF製。そんなものがあるのか。 、船舶用に特化したもので、130F51、155G51、210H52の4タイプがある。記号がクルマと同じだとすると、中・大型ディーゼル車用、といったところだろうか。 エンジンの出力軸からはベルトでウインチのドラムとつながっている。左の棒はクラッチだろうか。 ウインチからのワイヤーは、こんなふうに、2線ある船舶用レールの頂部でプーリーで方向が変えられる。 台車。 PR 別海町の指定文化財として保存されているJR標津線の奥行臼駅には、いくつかの、駅施設に付属する建物も保存されている。駅舎や歴史は多くの人が書いていると思うので、ここではそれらをアップする。 なお、駅舎については、詳細な報告書が2023年6月に公開されている。 ● 旧開拓使別海缶詰所、および旧奥行臼駅本屋 実測調査報告書 風呂小屋。中に入れないのが残念だが、浴槽が見えた。公衆浴場のように煙抜きがある。基礎が新しいが、この建物は春別駅に残されていたものを移設したもの。罐はよくわからなかったが、石炭だろうか。 石炭小屋。遠目では、貨車の廃車体のようなサイズ。柱は古レールで、壁は古枕木。ここにバラ積みというか、ストックされていたのだろうか。蒸機への給炭ではなく、駅舎や風呂場、職員宿舎の燃料用だろう。冒頭の報告書では「諸舎4号」、1933年築。 これは、報告書で「詰所1号」としてあるもの。1933年築で保線員のための詰所らしい。 保線倉庫。報告書では「倉庫1号」、1940年築で1959年に増築。かなり傾いている。向かって右手は保線用の車両が納められていたのだろう。 冒頭写真、駅舎左にあるのはおそらく「井戸屋●(判読不能)」、つまりは井戸のための小屋か。 駅舎の事務室内には入れないけれど、覗くことはできる。また、待合室部分は見学できる。待合室に掲げられている運賃表は、ローカル仕様か。というのは、国鉄では、どんなに小さな駅でも、東京都区内や大阪など、全国の主要駅が記載されるのが常だったからだ。そのあたりの規程はあるはずなので、見てみたい。 新潟県の、河岸段丘で知られる場所。段丘面はそれぞれ田や畑になっている。その一角に、集中して、三角形の小屋がある。 一つ目。比較的大きい。ここまで大きいと、棟を組むのも本格的になりそう。礎石にコンクリートブロックなどが使われている。外面はすべてトタンで覆われている。入口は妻面、扉はよく見ると蝶番があるので開き戸。扉の高さは低い。 一つ目の小屋のすぐ近くにある。道路に妻面を向けている。ここまで小さいと、小屋というよりは、仮に屋根をかけただけ、のように見える。上下二段になっている。外面はトタン。 ちょっと遠くなので、よく見えない。左の屋根はスレート? 右は板? トンネルの観音掘りのような形の、五角形断面の小屋。いや、普通の建物の断面は五角形なんだけれど、この小屋は側面が末広がりになっており、屋根が側面にそのままつながっているので、より五角形が強調される。こちらはけっこうな大きさがあるが、三角形のものと同様、断面は縦長で、視覚的に不安定さがある。このような形が、当地ではオーソドックスなのだろうか。 これらの形は、積雪対策と思われる。当地は、全国でも屈指の豪雪地帯だから。 |
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