忍者ブログ
[10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]
石ノ森章太郎がかつて見たシェルから県道を北へと上がっていく途中、田園地帯に郵便局のような建物があった。でも、どうやら使われていないようす。

各種公共料金取扱いの表示がある。しかし、郵便局にしては入口が妙な作りになっている。

ガソリンスタンドのサービスルームではないよな。

裏側。

ここには安売り自販機が設置してある。写真を撮っていると、近くの農家の女性が自転車で飲料を買いに来たので聞いてみると、ここは農協で、周辺の米はすべてここに運び込まれていたそうだ。それにしては、倉庫がない。



「震災でやられてしまった」とのことだった。GoogleMapsのストリートビューで見ると、撮影は2011年10月だが、立ち入り禁止の処置がされているのがわかった。そして今現在は、上記のように更地になっている。

 






PR
津山駅に隣接する、かつての津山機関区の扇形庫。全17線あり、これは現存するものでは梅小路のものに次いで二番目の規模である。定期的に公開されており、ネット上にも写真はたくさんある。

転車台から見て右手端、一段低くなって2線分ほどの幅の建物がある。ここは元々は談話室や鍛冶職場で、現在は排水処理施設が収まる。

その部分の裏側と側面。下写真の左側が転車台。

また、転車台から見て左手端には、プレハブの建物が収まっている。これは1989年(1969年かもしれない、資料が不鮮明でよく読めない)竣工の作業員詰所である。

詰め所を側面と裏面から見る。建物の中に建物がある、異様な光景。

ガラス窓。大きな窓がフラップのように開閉できる。


隣接して「懐かしの鉄道展示室」がある。これは事務所の建物だったという記事があるが、1974年度の航空写真を見ると、位置や面積が異なる気がする。その後、建て替えられたのかもしれない。





(関連項目)
タブレット閉塞機の内部
津山のターンテーブル
長崎市の南の町外れに小菅修船場跡がある。そのすぐ南に、かつて遊郭街だったという一角を、オープロジェクトの黒沢さんに案内していただいた。

遊郭には床屋がつきもの。その中でもこの一件だけ、古い建物のまま残っている。すでに営業はしていないものの、以前は「くるくる」だけは動いていたそう。正面には「九一調髪館」。理容室ではない、「調髪館」である。腰板はタイル張り、窓は縦長の木桟に青灰の塗り。2階は以前はもう少しくすんでいたようだが…。

向かいの家から、おばあさんがずっとこの建物を見ていた。声をかけて、この建物についていろいろとうかがった。「どうぞどうぞ、撮っていってください。撮っていく人、多いんですよ。以前はここも、その向こうも、うちの地所でした…」。戦時中、そしてその後のお話もうかがった。お話の内容からして、少なくとも80代後半、おそらく90を超えた方だ。「壁も、前にきれいに塗り替えたんですよ」。

その並びに遊郭跡の家、駐車場を挟んでもう1件、遊郭跡の家がある。まるで、非常に横長だった建物から駐車場部分だけをすっぱりカットしたかに見えるが、元々別の建物だったそう。こういうことは、見た目からの推測だけではわからない。

「戦争までは、その造船所のところまでしか道がなくて。三菱のバスが国道のトンネルのところまで来ていて、そこが終点だった」。トンネルとは、国道499号の戸町トンネルである。このトンネル、戦時中には半分仕切って軍需工場となっていた旨が「アトリエ隼」さんのブログにあった。

戦時中、軍需工場として使われた戸町トンネルと日見トンネル

戦時のこととて、さまざまな理不尽も経験されたようだ。おそらく、私などとは住む世界が違う「お嬢様」だったおばあさん。もっといろいろ話を聞きたかったが、立ち話が長くなるのも申し訳なく、お暇した。






江与味橋(国道429号/岡山県美咲町)の続き。

東北側の角に、こういう建物があった。
中央、縦書きの文字は…

浜尻待合所。バスの待合所だ。

近くにいらした方に聞くと、かつてはここでけっこう人が待つくらいに利用する人がおり、またバスの便もあったそうだ。

商店の建築だ。中は明るかったんだろうなと思う。

近くにあった看板。ここが江与味橋のたもとなので、かつてはここにこれだけの店が…と思ってしまうが、江与味とは対岸、南西側をさらに行ったところの広域地名で、かつては江与味村と言ったが、分割・合併で今に至る。ここ浜尻より人口がある。

13年前に作られておそらくそのままの、でも完成度の高いサイトがある。
旭町江与味のホームページ


待合所の向かいには、いまもバス停があるが、町営のバスだ。福渡駅から美作落合駅を経て久世駅に至るルートのようだ。


20121001_000.JPG昔から、そこらじゅうにあった5連のイス(「ベンチ」は、狭義では横長の連続した座面を持つものなので、ここでは椅子とする)。2010年初頭に愛知県の愛知県の武豊駅岐阜県の中津川駅で見かけたものだ。見どころはふたつ。椅子と、看板だ。

20121001_002.JPGますはイス。冒頭写真のとおり、長手方向に3本の脚が出ている。片側の5連につき「王」の字のようなのフレームとなり…と思いきや。

20121001_003.JPG座面の下には2本、長手方向のフレームがある。

20121001_004.JPGたいてい、脚は地面にのめり込んでいる。ナットが見えるが、ボルトを地面に埋め込んでいるのか。

20121001_005.JPGこの座面は、あまり褪色が見られない。座面により褪色にはかなりの差がある。全国的に撤去されつつあるこのタイプのイス、その理由は存外こんな褪色にあるのかもしれない。

さて。

20121001_000.JPG再掲。もうひとつの魅力は、この看板である。長円形の看板もいいし、そこに手書きのペンキ文字があるのもいい。文字は、看板太丸ゴシックとでも名付けたい、国鉄時代の駅名表示板などでもよく使われていた「看板らしい」書体だ。

20121001_006.JPG褪色しやすい赤い文字に見る、筆運び。美しい。イスの劣化(のしてなさ)具合から考えても、この看板も相当古いものだろう。

20121001_001.JPG看板部分。板を貼り合わせてある。まるで、かつての小中学校の机の天板のようだ。ここに、看板をビス留めしている。


たぶん、30年後くらいには、こういうイスがあること自体が観光要素になるだろうな。

 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 6 7 8 9
10 12 13 14 15 16
17 18 19 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア