KS荷重だのクーパー荷重だの書くくせに、その根本を問うたことがなかった。それらの活荷重は、車軸配置1D+4軸テンダの蒸気機関車が重連で使用される ことを前提としているが、そもそもなぜその車軸配置を基準にしているのか。日本では、「1D+4軸テンダ」は、絶対にメジャーな車軸配置ではないのに。
テンダーの4軸を無視して書けば、車軸配置1Dのアメリカ式呼称は「コンソリデーション」といい、日本では9600形機関車が代表的である。代表的というのは適当に言っているわけではな く、大正時代に、国鉄の機関車として初めて、同一形式として大量生産がなされた車種のひとつであり、784両もが造られ、しかも日本における最後の蒸気機関車になった(=当時の使用状況において、使い勝手が よかった)というものだからである。他の車軸配置1Dの機関車は、テンダーの車軸配置を問わず、10形式計154両である。 ここでテンダーの4軸を無視した報いが来る。その9600形のテンダーは3軸である(初期にはあえて2軸の小型テンダーを連結した車両もあった)。4軸テンダーを備えるのは、 9200形(47両、ボールドウィン製)、9300形(12両、ボールドウィン製)、9400形(12両、アルコ製)の計71両のみである。この少数派の 車軸配置が、1946年に最大となる6000両弱もあった蒸気機関車使用線区における橋梁の活荷重の基準なのである。これは、あきらかにおかしい。もっとも、おかしいと いっても、これら3形式71両のそれぞれの軸距は、これまたクーパー荷重と合致しない。9600形はほぼ一致するが、炭水車の輪軸が1本少ない。 (この図における、エンジンとテンダー間の距離は、元となる形式図から読み取れなかったため、クーパー荷重以外は誤っている可能性があります) さて、ではアメリカでクーパー荷重が考案された1894年という時代を考えよう。wikipedia英語版によれば、車軸配置1D(AAR=アメリカ鉄道 協会の呼称では2-8-0。以下、アメリカでのことは2-8-0と書く)の蒸気機関車はなんと3万3000両も製造され、うち1万2000両が輸出された という。前駆たる2-6-0は1860年代に登場し、この2-8-0はペンシルベニア鉄道(PRR。「アメリカの鉄道の標準」たることを自称していた大鉄 道)にまず登場した。一説に依れば、1866年にリーハイ・アンド・マハノイ鉄道(のちのリーハイ・バレー鉄道、PRRの北東に位置する)が登場させたと いう主張もある(Swengel, F.M., The American Steam Locomotive: Vol.1 , the Evolution of the Steam Locomotive, Midwest Rail Publishing, Davenport, 1967.グーグル・ブックスでも検索できず)。ボールドウィンが提案したこの車軸配置は、当初は導入する鉄道が少なかったが、1875年にPRRが採用 して一気に普及した。従来、4-4-0が引いていた貨物列車の倍の重量の列車が牽引できたためである。 4-4-0はそれまでのアメリカでもっとも成功した車軸配置であり、1872年の時点でボールドウィンが製造する蒸気機関車の60%(年間製造両数は不明 ではあるが、数千のオーダーだろう)であり、かつアメリカ全土で使用されている蒸気機関車の85%を占めていた。一大勢力ではなく圧倒的勢力を誇った車軸 配置であった。この4-4-0にとって変わったのが、2-8-0なのである。 アメリカの機関車は日本と比較することが無意味なほどにバカでかいが、アメリカにおける、車軸配置別の製造両数を簡単に記す。すべてwikipedia英 語版による。 ・4-4-0(2B) 相当な両数があったはず ・4-6-2(2C1) 7000両(北米) ・2-8-0(1D) 3万3000両(うち輸出1万2000両) ・2-8-2(1D1) 1万4000両(うち輸出4500両) ・2-8-4(1D2) 700両 ・4-8-2(2D1) 2200両 ・4-8-4(2D2) 2500両 冒頭の疑問に戻ろう。なぜ1Dを基準にしているのか、という問いに対する答えは、制定当時のアメリカで相当多数の貨物用蒸気機関車がこの車軸配置だったか ら、ということになろう。アメリカの鉄道は基本的に貨物主体であり、それは今でも変わらない。 日本でクーパー荷重が公式に制定されたのは1909年。1Dの機関車はあるにはあったが、まだお試し期間である。過熱式はまだまだ製造できず、飽和式だった頃で、ちょっとこの時期の蒸気機関車の運用事情には疎いのだが、車軸配置C1の2120形(268両、ダブス他)が同一形式としては最多両数だった時代である。 1928年に制定されたKS荷重は、単にクーパー荷重をメトリックに修正しただけだが、その時点で貨物用機関車の主力は1Dの9600形から1D1の D50形に以降しているため、なぜ1Dのまま活荷重を再設定したのか、意味を計りかねる。とはいえ、こういうものは経験則でなされることも多いだろうし (イギリス式橋梁の活荷重の考え方がそうだ)、あるいはこの活荷重を解析する術もなかったのかもしれない。国鉄技術陣の彷徨は大正時代に始まっているが、 こうしたメトリックへの変換時に「前例を踏襲する」ことも含めて、国鉄解体まで尾を引いた技術陣の非常に硬直した、後ろ向きの雰囲気というものを嗅ぎ取ってしまうのは、あながち穿った見方でもあるまいと思っている。 クーパー荷重の解決に続く。 PR |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|