大きな地図で見る 今日、明治通りを歩いていて、目白通りとの立体交差である千登世橋を通ったとき、ねじれていることに気がついた。煉瓦積みなら間違いなくねじりまんぽである。ねじりまんぽは煉瓦積みでなきゃだめだと誰が言った。鋼材 nagajis氏にとっての「ねじりまんぽの日」は2月14日だが、私にとってはこれに気づいた今日、4月10日を「ねじりまんぽの日」としよう。私の定 義に根本的な誤りがある場合は取り消します(:-p ねじりまんぽは隧道に対する名称だが、そもそもねじりまんぽは「支間1m以上(国鉄基準)」なので橋梁である。逆説的だが、本当の隧道の場合は、坑口上部を欠き取るなりして坑道と坑口とを垂直にすることが容易であるため、ねじりまんぽ(隧道)にする必要がないのだ。だから、ねじりまんぽは橋梁にしか現れない。その上路に水道・鉄道・道路といった、どうしても斜めにそこを横断しなければならない場合にのみ使われる。 ということは、ねじりまんぽはヴォールト(アーチ構造の連続)の内側(通路)を守るためのものではなく、上路を確保するためのもの、ということができる。上路アーチの構造物を考えるとき、アーチはアーチの内側を守るものなのか、それともアーチの上を支えるものなのか、いや別に、内側を守りきれずに上を支えているなんてことはありえないのでアーチの役割は「両方」なのだが、主たる目的をどちらにとるかで、見方は変わってくる。支間長(隧道の場合は幅員)の内側を守るものが隧道ならば、外側を守るのが橋だと私は定義したい。 みごとにねじれている。写真は携帯レベルなのでレンズの歪曲も相当あるとは思うが、桁がねじれながら向こうからこちらに渡されている。アンカーは橋台に対して垂直ではなく、もちろん斜めになっている。 確か、関東大震災後の帝都復興の一環で両通りが○○され(記憶曖昧)ここに千登世橋がかけられたということをどこかで読んだ記憶があるのだが、それならば設計は そんなことを思いながら、帰宅後、歴史的鋼橋集覧を見たらちゃんと乗っていた。製作は桜田機械(現・サクラダ)、開通は1932年(昭和7年)である。しかし、ここでは図面は真横と断面しかなく、真俯瞰がない。検索すると、サクラダのサイト内にあった。 図面 そして、設計者は来島良亮だった。検索すれば、千登世橋の「上」、つまり目白通り側に記念碑があり、その下にレリーフがはめ込まれているらしい。この橋の上は、自転車通勤で随分通ったが、気がつかなかった。グーグルのストリートビューでもどこにあるかわからない。そしてまた、検索結果にドメインthe-orj.orgがひっかかる。素晴らしい。 検索していたら、こんなものがでてきた。東京都、というか公文書館はここまで公開しているのね。ひととおり閲覧して、考察してみたい気もするが、その前に鉄道組織の考察が先決だ。待ってろ、中川正左。 来島良亮は、秋田県の雄物川の改修も行っている。 (2010.4.11一部修正)
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