縁あって、大木茂さんにお目にかかれる、ある会合があった。その会合にて、なんと「なんちゃってオリジナルプリント」(大木さんの命名)による「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」のデジタルプリント(A3ノビサイズ)をいただいた。(作品名は、プリントに記載されていたものによる)
下記は大木茂写真展『汽罐車』ギャラリートークの写真だが、川端新二さん(右。大木さんは左のひとの向こうに左腕だけ写っている…)の後ろに隠れているのが、「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」だ。 いただいたのは、これとほぼ同じトリミングのものだ。 そのプリントをここに掲載するのは控えるが、作品は『汽罐車』に収録されているもの(P78)と、ずいぶん印象が違う。掲載されているものは、9600+D51から下りた乗務員の後ろ姿が、強く、大きく感じられる。一方、写真展およびいただいたプリントは、9600+D51と、信号所詰所向こうの林(写真左上)の存在感が強まっている。 そして、そういえば『汽罐車』のサイトに『北辺の機関車たち』の作品として、この作品があったな…と思って見たら、また別のトリミングだ(リンク先を参照)。そちらは、写真展およびいただいたプリントから、さらに左側をトリミングしており、機関車と乗務員どちらも強調されている。 ここで、三種類のトリミングの「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」が現れたわけだ。縦横比がスクエアに近い『汽罐車』版、天地をトリミングした写真展版・いただいたプリント版、左と天地をトリミングした『北辺の機関車たち』版。オリジナルは『汽罐車』版だろうか。天地方向がもっとも広い。となると原版は6×6だろうか。 私の感想としては、少しだけ天地をカットした『汽罐車』版が、現地、山間の信号場の広がりを感じ、かつ乗務員も9600+D51も存在感もものすごく強く感じる。『北辺の機関車たち』版は機関車をメインに仕上げたのだろうか。いただいたプリントはその中間といったところか。このことから、画面左下の雪の白色の面積が、作品の印象を大きく左右していることに気づく。そして、トリミングという行為が作品づくりの一部であることに認識を新たにする。私がもっとも好むのは『汽罐車』版だ。 仕事で写真を扱うときは、無意識にそれをやっている。撮影者の意図を自分なりに汲んで、あるいは自分勝手に拡大し、あるいは大胆にトリミングしている。しかし、自分の写真に対してはそれをしたことがない。それは「作品づくりとしてのプリントをしたことがない」からかもしれない。撮った時点で完成されているかどうか、などという話ではない、念のため。 * * * 大木さんに「なぜ『なんちゃって』オリジナルプリントなのですか?」とお尋ねした。これはデジタル出力したものなので、それも「オリジナルプリント」と言ってもいいのではないか。また、それこそ写真集と同じく、ファンは同一品質のものを入手できるのだから、ばらつきがなくていいではないか…というようなことをお聞きした。 ところがお返事は「アナログでプリントするときには自分の気分や考え方が反映される。だから、プリントする日によって仕上がりがかわってしまう。これこそがオリジナルプリントなのだ」(要約)とのことだった。自分でアナログ現像・プリントしたことがない私には、そこまでの想像力がなかった。「オリジナルプリント」に作家性が出る。「なんちゃって」である理由は、それだった。言われてみれば当たり前のことを知らなかったことを恥じる。 『汽罐車』をまたうろうろと眺めていたら、こういう時刻になった。まだ買ってないひとはすぐ買った方がいいです。 PR |
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