『DREAM TRAIN』(中井精也著/インプレス)の写真展が、4月29日まで新宿で開催されている。
<詳細> http://www.yodobashi.com/ec/support/news/1213373439033/index.html 会場で、困った。作品を見て、添えられた文を見ていると、けっこうこみ上げてくるのだ。飯山線の虹の作品など、正視できないくらいだった。 何度見ても、どこで見ても、たぶん私の受け取り方は変わらない。これは、「DREAM TRAIN」の旅を、それができる過程をリアルタイムでネットを通じて応援していたために、周辺の思い出とともに定着したからだ。いつどこで見ても、その作品の背景を思い出すことができる。とくに飯山線は、私の中に一生残るだろう作品。 会場内は撮影自由。トークも拝見しているので、双子のオーストラリア人の作品など、中井さんがした口まねが耳元で聞こえてくるような気がした。もちろん、会場に中井さんはいらっしゃるのだけれど。 こういう形の展示もある。初めて拝見する作品もあれば、トークショーでお話とともに拝見していたものもある。とってもポップで、上の展示方法とはまた受ける印象が全然違い、もしかしたら『ゆる鉄』しか知らない方は、こちらのほうが馴染むのかもしれない。私は『DREAM TRAIN』本冊の見せ方が大好きだけれど。 会場入口には取材ノートがある。これだけは、会場に行かないとどういうものかわかってもらえないと思うが、細かなメモ…たとえば、原稿の下書きとかそういうものではなく、心情をそのまま書き記したような、そんな取材ノートだった。
* * *
写真作品は鑑賞者のものなので、鑑賞方法に決まりなどない。それでもお節介をするならば、事前に『DREAM TRAIN』を読み、「一日一鉄」の11月のくだりをすべて読み、それから写真展を訪れたら、きっと、のめり込み方が変わるはずだ。取材ノートも「他人がとったメモ」みたいな距離感ではなく「絶対に見たいもの」になるはずだ。 東京での会期は金曜と土曜のみだが、ぜひ、訪ねてほしい。 <参考> Photographer's File #12:中井精也
アルピコ交通上高地線…と書くとなんだか落ち着かないので松本電鉄の新村駅は、車両基地がある。保存された青ガエルも見える。
でも、手前の保線車両が気になるよな。 台車に軽トラが乗っている。しかもホイールをはずしている。もしかして、なにかの動力として使っているのか? しかし、固定はされていないようだし、荷台のシートは台車に結ばれている…。 道路に回り込んで正面。ハイゼットは、ヘッドライトを眼球に見立てると、ウインカーが眉毛に見える。 【参考画像】 このように使うのかな。これは山田線で早朝見かけたモーターカーで、撮影は2004年。RHP3を+2増感したフィルムが入っててよかった1枚。 しかし、横に回り込んだら… 台車の下はスカスカだった。ということは、ハイゼットのプロペラシャフトからなにかしらの動力を得る…というものではなさそうだ。いや、元はそのように使っていたものを撤去したのかもしれないけれど。ホームに車両基地の方らしき方がいらしたので、実際に車庫の方に聞いてみればよかったなあ。
2012年3月31日、友人のフォトライター、栗原景さんが、水郡線常陸太田駅で国鉄・JR線完乗になるというので、お祝いというか立ち会いというかでご一緒しようと思い、出かけた。予定では929D、11時50分着の列車だったのだけれど、私は1本前と勘違いして2時間も早く水戸についてしまった。完乗については栗原さんのサイトをご覧いただくとして、その前後の出来事を書く。
当日はものすごい強風が予想されていて、私の列車も強風のための徐行で10分遅れで8時55分頃、水戸に着いた。結果的に、それが吉となった。
***
下菅谷で駅便と撮り直し、瓜連から静まで歩いたりして時間を過ごす。砂が顔にバチバチ当たり、髪はゴワゴワに、そして耳の中まで砂で黒くなる始末。 10時34分、上菅谷に戻って栗原さんと合流。その列車は、時々飛んで来た枝を踏んづけているらしく、床下からそんな感触が難度かあった。 この時点で常磐線は強風で止まっており、水戸に向かっていた方々が内原や羽鳥、土浦で足止めを食っていた。 様子を見ながら、栗原さんは完乗列車を1本遅らせることを決めたが、その間常磐線は動かず、機転を利かせてバス移動した方々だけと合流し、完乗列車に。乗車したのは上菅谷発12時33分の931D。風はさらに強く、車内から前方を見ても砂煙でよく見えない。列車は断続的に警笛を鳴らしながら走っていた。ところが、額田と河合の間で… ガコガコガコガコ。 衝撃と共に、車窓になにかが飛び散る。さっきの経験からしで枝だろうと思ったら、なんと枝を押しながら走っている! これが12時41分頃。 急ブレーキがかかるよりも衝撃のほうが早かったので、おそらく発見できなかったのだろう、倒木と衝撃してから非常ブレーキをかけたようだ。停止してから窓を開けてみると、こんな状態だった。 動画。 幸い、単に停車しただけ、のような状態で、ケガ人などはなし。国鉄時代ならば運転士が撤去して点検後再開、なのかもしれないけれど、いまの時代だ。点検後、手歯止めをかけて指令に連絡し、保線の方(?)の到着を待つ。 右前部のドアから。ここに見えるということは、台車の2軸の間にあるということだ。左側には、あまり飛び出していなかった。 いつのまにか保線の方(?)が来て、作業中。鋸で切断し、撤去する。 撤去後の枝を見ると、これは枯れ枝を踏んだのではなく「倒木と衝撃した」のだとわかる。 動画。 左側。 偶然、真横に鉄道電話が! こうして撤去し、車両点検の後、現場停止から約45分後の13時26分頃、運転を再開した。 そして。 おめでとー! 小倉沙耶さんからのお祝いの品を掲げつつ、とんぼ返りする方々をお見送りする。この後、バスで大甕まで出て…と思っていたが、急遽、同じ列車で折り返すことにした。 先の現場は少し慎重に通過し、それよりも上菅谷寄りでは、このように実際に倒木があった箇所の片付けをしていた。白く見えるのは警察官2名。 そうして水戸へ戻ると、本来ならば駆けつけるはずだった、ライターの土屋武之さんが乗ったスーパーひたち13号が4時間以上の遅れをもって到着した。その後、居酒屋で打ち上げ。18時頃にいったん締めたあと、まだ運転再開していないので2次会に。
***
20時。そろそろ帰るかと改札に入ったら、すぐに出発するとのこと。急いで乗り込む。建前としては水戸発17時35分の1442Mが2時間以上の遅れで運転する形となった。2次会の参加者のうち、この列車で帰ることにした5人はグリーン車へ。 神立までは比較的順調だったけれど、そこから断続的に抑止がかかる。強風による抑止なのか、上野駅が詰まっているためなのかはわからない。 GPS端末で取得したログを置く。 (拡大版) 佐貫で1時間以上停車した。いささかうんざりしたが、どうしようもない。我々はこういうときの事情も推測できるので、静かなグリーン車で静かにしていると、1駅ずつだが動き出した。 なぜか、藤代を出たところで、車内灯が消えた。 E531系は、デッドセクションでも車内灯は消えないはずだが、検索すると、そういうこともあるらしい。どういうときに消灯するのかは未詳。 そうして0時頃に日暮里に着いた。約4時間かかった。その後、私帰宅した。他の方は、ホテルに泊まった方もいた。 常磐線の特急車内では殺伐とした状態になったらしい。ほかにもあちことでそういうことがあっただろう。乗客および関係者の方々、お疲れさまでした。
『高架鉄道と東京駅』を読み、いま整理をしているのだが、改めて興味を持った東京駅。会社の窓から、南北のドームが見える。以前の姿も記録しておくべきだった。まだ大丸があり、南北のタワーなどなかった頃の記録を。
会社からの眺望はすっかり変わった。こちら側(西側)は、イトシアができて東京タワーが見えなくなり、東京駅側はグラントウキョウ・ノース/サウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスが建った。反対側(東側)は、確か「京橋三丁目1地区」という名前で24階建ての巨大なビルを建設中で、すっかり眺望を塞がれてしまった。 とはいえ、会社は4月1日に移転するので、もはや眺望云々言っても詮ないことだ。 東京駅について、下記の記事の続きで使うべく、図版を作っている。けっこう時間がかかるので、いましばしお待ちを、 『高架鉄道と東京駅』(小野田滋)その1 東京駅の復元について |
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