ねじりまんぽ・車場川橋梁(1)
ねじりまんぽ・車場川橋梁(2)のつづき。 ねじりまんぽにおける「けた」とはどこぞ? 「けた」というからには、橋梁であって隧道ではない。 なのに、ねじりまんぽ。 胎生爬虫類のような存在か。 アーチ橋における「けた」の定義に迫るこの注意表示だが、 実はコンクリ製覆工のことかもしれぬ。 PR
ねじりまんぽ・車場川橋梁(1)の続き。
東側である。 ごらんの通り、コンクリート製ポータルである。 オリジナルの煉瓦部分と、コンクリ製の線増部分(←推測)である。 鉄道の線路用地を考えるとき、単線と複線でその用地幅の差は倍となるわけではない。 うろ覚えだが2:3とか3:4くらいの差しかない。 オリジナル部分と線増部分の比率は、隧道(あれ? 橋梁?)の延長説を裏付ける。 さて、内部の補修の跡である。 このように覆工がなされていて、ねじりまんぽたる煉瓦のラインが見えない。 これは残念なことである。 こうして見ると、いかにクルマが車体を擦りつけていくか。 これだけの傷を見ると、覆工せずにはいられなかろう(笑 いずれ再訪して採寸してこようと思う。 最後に現地を訪れる方へ。 ここは非常にクルマの往来が多いのでご注意されたい。 隧道内で三脚を立てるのは、かなりタイミングを選ぶ。 また、西側の南から右折で入るクルマがあると、 西から東へ、東から西へのクルマと三つ巴となり、凍り付く場合もある。 さらに。 現地の一本北の踏切の南東に見える「清野組」のさらに南東に見えるクランク、に通じる道、 ここも一見の価値あり。 まず、踏切道からここに入るのに、おそろしく車体が斜めになる。 そして、このクランクは、5ナンバー枠最大のクルマは曲がれない。たぶん。 私は泣きながらバックした。 ねじりまんぽ・車場川橋梁(3) ここである。 地図でみても、ねじれてる。 どう読んでいいか判断に悩む名称であるが、「しゃじょうくるまばがわ」と読む。 <追記> 付近の地名は「くるまば」である。こんな読みづらい地名なので私はなにかしらに拠って「しゃじょうがわ」と書いたはずだが、出典を覚えていない。 </追記> 西側(下り線側)が煉瓦の坑門、東側(上り線側)はコンクリート坑門。 長さ=複線の幅。なのに東側だけコンクリートで覆工してる。 これを「修復のため」としている文献があり、 『日本の近代土木遺産』(土木学会)でもそのように記述しているが、 これは、複線化の際に継ぎ足した部分なのではないかと推測する。 一般の目には修復されたように見えても仕方がなかろう。 <追記> コンクリートで巻き立てられた部分を指しているのではないかと思い始めた。 というか、そう解釈したほうが自然だろう。 西側=ねじりまんぽ+コンクリートで巻き立て直し 東側=コンクリートで継ぎ足し </追記> 『日本の近代土木遺産』によれば、この橋梁の完成は1897(明治30)年。 同年11月20日に一ノ木戸(現東三条)から沼垂まで開通している。 開業時には、単線だったはずである。 wikipediaによれば、この区間の複線化は1960(昭和35)年3月10日である。 もともとの単線に対して東西どちらに線増したのかは未詳ではあるが、 改築前の亀田駅の正面は西側であり、東側は田圃のみであったことから、 線増は東側に敷設されていったのだと推測している。 国土変遷アーカイブには1956年撮影の現地航空写真があるが、 不鮮明なため判断はできない。 現地西側である。 4列のレンガアーチがあり、途中からアーチの内側が覆工されているのがわかる。 サドルタンク機関車の逆、という印象。 長さ4.97m、斜角左75度。 坑門のレンガは下駄歯のように見える(下駄歯は凹凸が並ぶ)。 なぜ4列合わせて平面にしあげなかったのだろう? もしかして、将来の線増の際に、こちら側を想定していた?(←妄想) 内部である。 この鋸歯状の迫受石に対して『日本の~』は 「改修でほとんど確認できない」となっているが、はて? このことではないのか? 煉瓦は長手積み。 ではあるが、どうも整合性に欠ける。 目地が一直線になっていないのだ。 ここにあけられている穴はなんであろう? 悪戯だろうか? ねじりまんぽ・車場川橋梁(2) ねじりまんぽ・車場川橋梁(3) |
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