JR宗谷本線の雄信内駅。大正14年築の木造駅舎。玄関ポーチというべき駅入り口の上、二重に屋根が三角を描いているのだが、こういう様式となんというのだろうか。
ホーム側。一部、柱が更新されている。
待合室。出入り口は両開き戸。
ホームへの出入り口は引き違い戸。
ホームの光景。跨線橋はなく、構内踏切があるのみ。遮断機はない。いや、踏み板すら申し訳程度にしかない。
新潟県内にあるカプセル駅舎として、
外壁が緑色に塗られているので、古津や妙法寺と印象がまったく違う。なんとも言い難い印象。
ホーム側。上部が半円形をしたドアが二つあり、左は半透明でトイレ、右は事務室の出入り口。向かって左側の妻部(というのだろうか)に屋根に登るハシゴがあるが、下記の許容積雪量140cmに対応しているように見える。
建物財産標
ホーム側から。
内部。奥の窓は、窓口を設ける場合のための窓だろうか。窓の向こうに一部屋ある。
ホームと駅舎の位置関係。改札をするようにはできていない、つまり無人駅の駅舎として建てられている。『国鉄駅名全百科』(昭和55年刊)でも無人駅のマーク。『国鉄全線各駅停車 中央・上信越440駅』では、改築前の木造駅舎の写真が小さく掲載されている。『日本の駅』(鉄道ジャーナル社)には「被管理駅・委託駅・無人駅」に分類されているので、昭和47年の時点で無人駅だったのかもしれない。
ホーム側に張り出している部分は待合室。向かって左側は事務室だが、事務室からホームに直接出る扉がない。また、駅舎妻面(といえるのだろうか)にあるドアは物置だろうか。事務室内部に階段が会ったら興味深い。
建物財産標がある。
待合室内。最初から無人駅として建てられたはずなのに。臨時窓口を設けたときのためだろうか。
ホームはかなり嵩上げしてある。現在は棒線だが、かつては写真左側にも線路があった。
現在の駅名標。
JR越後線の小島谷駅舎。粟生津駅舎と兄弟といえる。
粟生津駅については粟生津駅舎の記事参照。
左上が財産標、右上が銘板。ただし、経年でつぶれて読めない部分がある。
駅をいくつか巡って飽きたのか、駅舎は正面からしか撮ってないし、内部も全貌がわからないようなカットしかない…。内部も粟生津駅に似ている。ただし、委託化・無人化はこちらのほうが遅く、昭和55年発行の『国鉄駅名全百科』(小学館/コロタン文庫)では有人駅、昭和58年発行の『国鉄全線各駅停車』では委託駅と表示されている。
配線は2面2線+貨物用の側線。貨物ホームは煉瓦積で一段低い…いや、旅客ホームが嵩上げされている。側線が遺されているということは、保線の車輌などが入ることがあるのだろう。
駅名標。
1982年頃の撮影。AŌZU。よく見れば、「あおう」は母音のみだ。それに対して、いまの駅名標の味気なさよ。このローマ字表記の妙味を、まったくわかってない。小さいうえに、小文字だ。
壁面に書かれていた「あおうづ」が消されているのはどういうことか。向かって左手はトイレ、右は事務室。ホームを階段で降り、内側一番線を横切って集札口に向かう。
ご覧の通り、すでに駅舎との間には線路はない。向こうに見えているのは粟生津の農協(JA新潟中央粟生津支店)である。
駅舎内部には、窓口や荷物窓口の跡があるのは意外だった。
古津駅と比べるとこじんまりとしているように見えるが、そうではない。天地方向が長いだけだ。この類似性は一目見ておわかりだろう。
右側面と左側面。左側面、古津駅と同じ位置に換気扇がある。
ホーム側。古津駅と比べると、ドア右の窓がない。その右にドアふたつ、それぞれ事務室、トイレという配置は変わらない。
建物財産標。昭和55年12月28日、とある。「ちきページ」妙法寺駅の項目を見ると、昭和45年無人化とあるが…
内部。左に窓口、中央に荷物用窓口。当時、越後線に時々乗っていた記憶としては、荷物車の連結はない(新潟にキユニやキニの配置はない)。越後線の記憶かどうかは定かでないが、キハ35やキハ45の一部を仕切って荷物置き場にしていた憶えはある。
昭和56年に撮った写真を見ると、女性が集札しているし、花が生けてあることから、なんらかの形で切符販売等の業務をしていたことがうかがえる。出入り口左に「キップ受箱」があるので、無人駅ということには変わりないだろう。
ホームへの出入り口。外側から見ると扉にもRがあるが、こうして見るとその框だけで、戸そのものは汎用品だ。
トイレ。古津駅と異なり、洋式だ。こちらも非常に清潔。
ホーム川から見る。アルミ製のドアの天が半円形になっているのも特徴的である。左のドアは事務室、右はトイレ。トイレは後述する。
角にRがついたサッシ。そもそも無人駅の改築にはコストはかけられないはずだから、量産品だったのだろうか?
右側面。窓があるのみ。
左側面。左の駒止はトイレ。室外機と換気扇があるということは、事務室には冷房があり、また火気を使用できる設備があるということだろう(電子機器のために冷房が導入されている場合もある)。
幸い、建物財産標があった。昭和54年3月24日付けということは、そのころの完成・供用か。
トイレは改修されている。明かり取りの小さな窓までRが付いているのは「左側面」のとおり。無人駅ながら、非常に清潔だった。
ついでに跨線橋。プレートガーダータイプ。この窓までRがついていればよかったのに。
駅前。隣の新津駅からは新潟駅方面に1時間に3本の列車があるが、ここ古津は1時間に1本だ。駅前の道路は融雪水に混じる錆で赤くなっている。