国道から見える、旧白滝駅。この夏はとくに訪れる人が多いようで、私が訪ねたときにいた男性は「この1時間で6、7人が立ち寄っていった」とのこと。私もそんな中の一人だ。
元々は仮乗降場であり、ホームと待合室があるだけだ。 待合室内は清潔に保たれている。こういうところに来ると、一晩過ごせるかどうかなどということばかり考えてしまう。 駅の横に或踏切は「墓地踏切」。名称がすごいが、この「旧白滝」という地名からしても、周囲にもともと細かな地名がなかったためだろう。国道からこの踏切を渡っても墓地はなく、逆に、国道から踏みきりと逆方向、上の写真で言えば画面左手の丘の上が墓地だ。つまり、この道は「墓地通り」とでもいうべきものだ。 おそらくいまの国道はバイパスであり、googlemapsで見て、国道から石北本線を挟んで右側に見えるのが旧道。鳥居もあるこちらがもとの集落で、そこから墓地に向かう道だから「墓地踏切」なのだろう。もともとは、いまの国道も、もちろん旭川紋別道もなかったのだ。道は、見る人によって、入口と出口/正面と裏口が異なるものだ。 その、もとの集落「旧白滝」は、由来として「最初にここに入植したが、土地がよくないために移転した」ということだが、いまの旧白滝には畑が広がっている。 PR 廃止が取りざたされている下白滝駅。外壁の腰部や屋根は金属に吹き替えられ、サイボーグのような外見になっている。一部はベニヤ板張り。駅出入り口の車寄せにあった屋根などは欠き取られ、悲しくも屋根と、出入り口上の、スパンドレルとでもいうべきか、その部分に名残がある。 1972年刊『日本の駅』(鉄道ジャーナル社)に掲載されている、当時の駅舎。かつてはこんな立派な車寄せがあった。窓は木の桟の二重窓。もちろん当時は有人駅である。駅舎左に小屋のようなものが見えるが、いまはない。 駅舎内部は、窓口や荷物用窓口の跡が明確にわかる。無人化は1983年1月。 ホーム側。ホームは千鳥配列。これはタブレット交換を容易にするための配置だ。 駅前には畜産農家が1軒。牛が1頭ずつ、犬小屋のようなケージに入れられているさまは、かなりのインパクトがある。幼いうちは1頭ずつ飼うことも多いため、そのための施設かもしれない。 国鉄末期に廃止になった渚滑線(しょこつせん)は、名寄本線とほぼ同時期の1923年に開業している。北見山地の森林資源をはじめ、沿線開発をも目的としていた。いま、上渚滑駅跡は紋別市役所の支所となり、駅構内だったところには上渚滑11丁目団地が10棟建っている。市役所支所の周りはいまふうの町並みになっている。 市役所支所を真正面にして右を見ると、駅跡を模した施設がある。しかし、ホームと線路は、かつて渚滑線が通っていたルートからほぼ90度回転している。 ホームはやたら高い土盛り。そこに東屋があり、おそらく本物の「上渚滑駅」の看板が掲げられている。駅名標はレプリカ。 * 渚滑線の列車ダイヤとしては、おもしろいことに、ノンストップの渚滑発上渚滑行きという下り列車があった。741Dである。 (コンパス時刻表 1980年4月号 弘済出版社刊) 「休日運休」ということは通学生用の列車である。通常であれば、上渚滑に高校があって、その通学の便で…と思うが、上渚滑にはそういう施設はない。これは、紋別への通学生が多数乗る上り724Dに増結するための送り込み回送だろう。 …などと、往時のことを想像するとき、北海道の鉄道に憧れていた子供のころの気持ちがよみがえってくる。 ●関連記事 数値地図に残る鉄道の亡霊と誤記…数値地図50000に、いまも残る渚滑線。 名寄本線の上興部駅の駅舎が保存されている。 中は資料館となっている。待合室側には窓口も美しく残っている。 周辺はそこそこ人も住んでいるが、かつてはもっともっと人がたくさんいた集落だったことがわかる。ここには上興部石灰砿業所の専用線も描かれている。 展示資料の中でも興味深いのがこれ。気動車とDE10の操作シミュレーションパネルだ。正しい順番でスイッチを操作していくと、パネル上で動輪が回ったりメーターが動いたりするのだろう。 ホーム側にはキハ27と、DD14のロータリー前頭部が保存されている。キハ27は連結器とスノープラウが失われているために、人間でいえば頭蓋骨の下顎骨がないような、おかしな印象を受ける。また、DD14の前頭部は、逆に下顎骨しかないような印象。 wikipediaにアップされている現役当時の駅舎の写真と見比べると、信号テコ小屋がなくなり、テコ類は移設されているように見える。
名寄本線の中名寄駅の駅舎が残っている。かつてはバスの待合所に使われていたが、国道239号から微妙に引っ込んでいてバスから見えづらいためか、いつしか使われなくなり、国道沿いに新たにバス待合所が建てられた。いまは施錠されている。この建物は名寄市の所有だが、周辺は農地として払い下げられている。
ガラス越しに中を見ると、国鉄時代のポスターが貼ってあったり、名寄本線関係のものが保管されている。 建物としてはまだまだしっかりしているし、きれいだ。 近くには「国有鉄道」の用地杭があったが、もちろん無効である。 * すぐ近くで草刈りをしていた男性にお話をいろいろとうかがった。気候が厳しいこと。かつて旅人を家に泊めてあげたことがあること。その人とはいまも交流があること。農業は三代目の自分で終わりになるということ。私の目から見たら、なぜそこの草刈りをしなければならないのかわからないようなところの草刈りをしていたが、その理由はなんとなく聞けなかった。 |
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