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(『日本の駅』1972年鉄道ジャーナル社刊より)
入口があるべき場所に入口がない、のっぺらぼうともいえる建物。2001年に信号場化された奥白滝駅だ。
同書に掲載されていた駅スタンプ。こういう時代があったのだ。
外板がどれくらいきれいかというと、このように周囲が写り込むほどに、だ。窓のサッシは内側窓が木桟のまま、これは1972年刊の本の写真と同じだろう。なんとなく、うれしい。

国道から見える、旧白滝駅。この夏はとくに訪れる人が多いようで、私が訪ねたときにいた男性は「この1時間で6、7人が立ち寄っていった」とのこと。私もそんな中の一人だ。
駅の横に或踏切は「墓地踏切」。名称がすごいが、この「旧白滝」という地名からしても、周囲にもともと細かな地名がなかったためだろう。国道からこの踏切を渡っても墓地はなく、逆に、国道から踏みきりと逆方向、上の写真で言えば画面左手の丘の上が墓地だ。つまり、この道は「墓地通り」とでもいうべきものだ。
1972年刊『日本の駅』(鉄道ジャーナル社)に掲載されている、当時の駅舎。かつてはこんな立派な車寄せがあった。窓は木の桟の二重窓。もちろん当時は有人駅である。駅舎左に小屋のようなものが見えるが、いまはない。
駅舎内部は、窓口や荷物用窓口の跡が明確にわかる。無人化は1983年1月。
ホーム側。ホームは千鳥配列。これはタブレット交換を容易にするための配置だ。


中は資料館となっている。待合室側には窓口も美しく残っている。
周辺はそこそこ人も住んでいるが、かつてはもっともっと人がたくさんいた集落だったことがわかる。ここには上興部石灰砿業所の専用線も描かれている。
ホーム側にはキハ27と、DD14のロータリー前頭部が保存されている。キハ27は連結器とスノープラウが失われているために、人間でいえば頭蓋骨の下顎骨がないような、おかしな印象を受ける。また、DD14の前頭部は、逆に下顎骨しかないような印象。
名寄本線の中名寄駅の駅舎が残っている。かつてはバスの待合所に使われていたが、国道239号から微妙に引っ込んでいてバスから見えづらいためか、いつしか使われなくなり、国道沿いに新たにバス待合所が建てられた。いまは施錠されている。この建物は名寄市の所有だが、周辺は農地として払い下げられている。
建物としてはまだまだしっかりしているし、きれいだ。
近くには「国有鉄道」の用地杭があったが、もちろん無効である。