2016年8月31日に台風で不通になったこの区間。落合駅が夏にはすごいことになっている、というのを知ったのはいつだったか。2021年夏、北海道に行った際に立ち寄った。 落合駅は閉鎖されていた。誰もいないオフシーズンなら(censored)だけれど、いまは、いつ誰が同様に訪ねてくるかわからない。監視カメラもあるかもしれないので、ドローンを飛ばすことにした。 OKな場所から手を伸ばして。 ドローンより。富良野方を望む。 新得方を望む。 駅舎の待合室には入れる。跨線橋は塞がれている。 * * *
2006年6月の落合駅の写真があった。この時は写真を撮りにいったのだけれど、あいにくの天気だったので、「乗る」ということに切り換えた。このとき、根室本線の滝川~新得間や、北海道ちほく高原鉄道に乗った(それぞれ2回目)。乗っておいてよかったと思う。 PR (写真は1981年頃) 新潟県の越後線の東柏崎駅。通称「西線」といわれる閑散区間にあるが、柏崎駅付近へと一続きとなった市街地で、駅正面の道をいくとすぐに雁木のメインストリート、それがそのまま柏崎駅前のメインストリート、かつてはニコニコ通りといった道につながっている。 柏崎港付近にいた祖母は、越後線で新潟に出るときは、いつも最寄りの柏崎駅ではなく、この東柏崎駅を利用していた。「昔は比角(ひすみ)と言ったんだ」と言っていた。かつての柏崎遊郭は、この付近である。戦前に芸妓だったらしい祖母にとっては「最寄り駅」だったのかもしれない。 その東柏崎駅に、とくに理由もなく立ち寄った。 入口の戸が空いていた。真正面に立つ柱は、古レール!? 見えている部分では、4本。 改札口側。見えているのは3本だが、事務室内にもあるだろう。 水平方向には木が突き当てられている。 古レールが使われているのはここだけとも思えないので、見えているのは「見せている」のだと思われる。 ホームの屋根は、古レール支柱ではなく、通常のH形鋼。
新潟県下にある、ファンシーカプセル駅舎シリーズ。
カプセル駅 古津駅 カプセル駅 妙法寺駅 カプセル駅 上下浜駅 古津駅などとは駅の表裏が逆になり、上部が半円形の扉は正面側についている。古津、妙法寺、上下浜は、駅正面から事務室に入るための扉はない。 乗客がいたために、ホーム側に正対した写真は撮れなかったが、このとおり、ホーム側から駅事務室への出入りは、普通の長方形の3枚サッシ…に見えるが、左の1枚は扉、中と右が引き戸である。 本駅は、窓口の跡がある。左がきっぷ販売用、右は荷物用。いまはどちらも塞がれているが、きっぷ販売用はシャッターなので、使用することがあるのかもしれない。(上の画像はは壊れています) 各部ディテール。 建物財産標と防水施工標。画像は壊れている。 建物財産標 鉄 本屋 03-1 昭和55年12月11日 施工者 (株)小野組 構造 R.C-1F 基礎 布 支持力 地耐力 屋根防水 シート防水ア1.0M/M 許容積雪量 120CM 面積 57.5M2 防水施工標 建物名称 本屋1号 防水材料 サンロイドDNシート防水ア1.5 施工月日 平成8年12月13日 保証期限 10年 請負者 (株)加藤●●… 施工業者 北側瀝青●●… 国道からこのように見える中越信号場。もちろん、かつては「駅」だった。手前右側に「第二次中越官設駅逓所跡」の碑が見える。 石北本線の建設時、一時的にはこの中越駅が終着駅となっていた。1929年11月20日に上川から延伸してきたときで、1932年10月1日の白滝延伸までの間だ。2001年、旅客扱いを廃止し、信号場となった。末期は1日1往復しか停車しなかった。 現在、出入り口は塞がれているが、その形がT字型になっている。信号場化は比較的近年のため、現役当時の写真もたくさんネットにアップされているが、とくに庇の部分になにかあったようには見えない。 1972年の姿を下記に転載する。 (『日本の駅』1972年鉄道ジャーナル社刊より) 屋根は吹き替えられている。また、線路の向こう側と思しきところに建物がある。 ホーム側、改札口は塞がれている。もちろんホームも切り崩されてはいるが、かつての雰囲気は十分にわかる。
入口があるべき場所に入口がない、のっぺらぼうともいえる建物。2001年に信号場化された奥白滝駅だ。
『日本の駅』(1972年、鉄道ジャーナル社刊)より、有人駅時代の奥白滝。無人化は1983年。 同書に掲載されていた駅スタンプ。こういう時代があったのだ。 wikipediaより、2009年の姿。PD。入口は閉鎖され、車寄せの屋根は撤去。入口左の窓は小さなものになり、窓枠はサッシに更新されている、というよりも外側にサッシを重ね、二重窓化している。屋根も更新されている。これと比べると、現在はさらに外壁が覆われている。 外板がどれくらいきれいかというと、このように周囲が写り込むほどに、だ。窓のサッシは内側窓が木桟のまま、これは1972年刊の本の写真と同じだろう。なんとなく、うれしい。 ホームは線路側が崩されている。これは信号場化された駅ではよくあることだ。かつての改札口は塞がれているが、改札の柵は残っている。新しい電話ボックスはJR専用の「作業用電話」だ。 現在、この駅で列車交換はなされていないようだ。 国道からちょっと入り込んだ駅前は無人。写っているのは私のバイクだ。このような場所だが、旭川紋別自動車道の奥白滝ICがあり、道の駅でもあるPAが併設されている。 |
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