粟生津の農業倉庫
粟生津の農協の続き。 JR越後線の粟生津駅。 この飾り気のない駅舎、何年頃の建築だろうか? でも正面右手、トイレ前の目隠しはいささかしゃれているし。昭和50年代だろうか? ![]() 「あおうづ」と読む。小学生の頃、駅名標を見て心が躍った。ローマ字表記が、予想外だったのだ。 ![]() ![]() さて、駅舎に戻る。ホームから見ると、こうだ。 ![]() ![]() ![]() 記憶の中では粟生津駅は委託駅だった。昭和55年発行の『国鉄駅名全百科』(小学館/コロタン文庫)にはそうなっている。しかし、昭和58年発行の『国鉄全線各駅停車』では無人駅と表示され、駅舎側の側線も撤去済みとある。 さて、冒頭の建築年。駅舎内に財産標は見えなかったが、『日本の駅』(鉄道ジャーナル社)によれば、昭和45年11月改築である。なお、翌年に改築された小島谷駅も同様の構造だ。
カプセル駅 古津駅と同じ時期のものが、もうひとつある。越後線妙法寺駅だ。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() なお、この駅名表示板の文字は、他の駅でも見た気がするのだが、手元の写真では見つからない。 ![]() ![]() ![]() 国鉄には「カプセル駅舎」という駅舎建築があった。この名称が国鉄内部発祥なのかは定かではないが、1980年頃には本にそのように載っていたのだから、なんらかのアナウンスがあったものと推測している。意味合いとしては「画一的なデザインの、コンパクトな駅舎」だ。主として無人駅で多く造られたが、有人駅にも適用された。いわゆるプレハブというイメージがあるが、工法には詳しくないので、書かずにおく。 その例の一つが、この古津駅である。この特徴は、窓やドアに「R」、曲線が使われているところにある。 ![]() 向かって右、ドアの左右が待合室。左端の窓は「事務室」だ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() なんとうっかりしたことか、駅舎内部の写真を撮っていない。窓口の痕跡のようなものはあったが、昭和56年の『国鉄駅名全百科』にも無人駅と書いてあるし、サイト「ちきページ」の古津駅の項目には昭和45年には無人化とある。はたしてこの窓口のようなものが使われたのかどうかはわからない。 * * * ![]() ![]() |
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