鬼峠・ニニウ・占冠のこと(1)の続き。

2013年、久しぶりに現地に行ってみた。「鬼峠林道」はいままで入ったことがなかった。今回は230ccのバイクだったので気負いなく訪ねることができた。

現在の「峠」はこのあたり。右、ゲートの向こうは送電線。また、ここからすぐにゲートがあり、この先の南側で「初代鬼峠」と交差する部分には行けなかったが、雰囲気は十分に味わうことができた。いまのこの付近は比較的開けていて、印象としては明るい。それは、谷筋を上り下りするという峠道ではなく、トラバースするように登っていくからであろう。
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さて、ここで3時代の地図を見比べよう。まずは大正8年測図のものに、3時代分のルートを重ねてみる。

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当時、鵡川沿いの赤岩青巌峡付近に道はない。中央から尾根に取りつき、そのまま峠を越えてニニウ側の尾根をつづら折りに降りてくる。ニニウには30戸近くの家屋が描かれている。
次いで昭和33年測量のもの。

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中央側の入口は北にずれ、かつての道を重ねると、谷筋を登るように地形が描き直された(かつての道はこの地図には載っていない)。送電線の点検に適するかのような位置に道がつけられている。ニニウ側は少し遠回り、ペンケニニウ川の上流に下っている。興味深いのは、その位置に家屋が描かれていることだ。また、学校も描かれている(別稿)。また、中央から赤岩までの道も開削されている。
この、二代目の道がペンケニニウ川のところに降りる部分は、現在このようになっている。

ちゃんと分岐はわかる。しかし、入るとすぐに、こうだ。

おそらく道の形はずっとあるだろうが、背丈ほどもある藪を漕いでいく気力もないので、まったく入らずに退散した。
なお、ペンケニニウ川に沿う道は、この少し先(北)でゲートで塞がれている。
以前はこれより先に行くこともできた。
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1999年 道道夕張新得線(道道136号)
そして現在(平成3年修正)。

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昭和33年測量のものと中央側の描き方が違うが、おそらく地形図にありがちな「いまのほうがより正確に描き直されただけ」だと推測する。抜本的改良がされるとは思えないこのような道が、全面的に、旧道のすぐ近くで微妙に線形を変えながら作られるとは思えないからだ。よって、実際は、鬼峠までの道は昭和33年測量のものと変わりがなかったものと考える。
ただし、道は鬼峠からニニウに向かうのではなく、いきなり南下して、赤岩青巌峡の北に降りてきてしまっている。この途中で、大正8年の図にある初代鬼峠と交差するはずだ。この頃になると、赤岩からニニウ、そして穂別への道が開通しているので、もはや鬼峠越えは本来の用途…中央とニニウを結ぶ道としての役割は終えていただろう。いまバイクやクルマで走れるのは、この道の、峠付近より東側である。峠より南は、冒頭の通りゲートがある。
(続く)
鬼峠・ニニウ・占冠のこと(1)
鬼峠・ニニウ・占冠のこと(3) 新入小学校と『シリーズ北海道の女』(宮内令子著)
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