オレ鉄ナイト2でご好評いただいた「5年ごとに見る鉄道路線延伸図(国鉄に準ずる路線のみ)」をある程度詳細に見ていく。
年代別 鉄道路線延伸の過程(1)最初の10年(1872年~1882年) 年代別 鉄道路線延伸の過程(2)東海道全通時点(1883年~1897年) 年代別 鉄道路線延伸の過程(3)明治後期(1898年~1912年) の続き。下記の路線名称は、わかりやすさを優先するために現在のものを適宜使用する。 大正期は、技術の大発展期である。鋼鉄がようやく日本の技術となり、煉瓦がコンクリートに取って代わられつつあった。土木工事の一部には機械力が使われ始めた。 【1913年(明治45年)~1917年(大正6年)】 全国的に、少しずつ広がっている。 大径間の橋梁技術が日本のものになるのがこの時期である。この時期に建設された各路線で架けられた200フィート(約63m)トラス橋は、この時点ではアメリカン・ブリッジ製のものがほとんどだ。しかし、1910年代を最後に、国産の桁となっていく。ただし、アメリカン・ブリッジのようなピン結合のプラットトラスではなく、剛結のプラットトラスである。この時期、徐々にピン結合からガセット結合に移行しつつあった。どちらもプラットトラスである。しかし、プラットトラスとピントラスは相性がいいものの、ガセット結合だとそうでもない。むしろ、さらに部材が少ないワーレントラスへの移行が始まる。 少し時代が下った時の話になるが、アメリカ製ピン結合トラスを見てきた樺島正義が、このガセット結合時代になってもプラットトラスを作り続けたのは興味深い。たしか、すでにその弟子・太田圓三、そして来るべき次代を担う田中豊はその樺島の考えとは一線を画していた。 ●北海道 根室本線が釧路に達し、かつ滝川から富良野に向けてのルートも一部が開通している。石北本線は、北見から留辺蘂経由で常紋を越えて遠軽、そしてその先湧別に出るルートが開通。 ●東北 東北本線・奥羽本線を縦軸とすると、横軸たるルートがいくつか開通している。陸羽東線が羽前向町(現・最上)まで開通している。これは1922年版を見るときに話がつながるのでご記憶いただきたい。 南端の磐越西線・磐越東線も開通。これで、関東~新潟のルートが信越線にプラスしてもう1系統できた。新潟とを結ぶルートが、他の北陸の都市より優先されているように見えるのはその通りで、地理的に日本海に抜けるには新潟が一番ということと、港湾整備と同時に物流ルートも確保するということである。道路も、東京と新潟を結ぶ「清水国道」は、明治初期(1878年=明治11年)の伊藤博文による七大プロジェクトに端を発するものである。 ●中国 芸備線(当時は芸備鉄道)が東進している。当時の三次の位置づけがわかろう。山陰側はいまだに完全ではない。 ●九州 大分・宮崎エリアへ、北と南から延び進んでいる。 【1918年(大正7年)~1922年(大正11年)】 全国各地で、ニョキニョキと枝が伸びるように延伸している。幹線筋は、北海道では稚内、根室に達し、九州では日豊本線があと少しというところまで来ている。 ●北海道 前述のように稚内と根室に達したが、稚内へのルートは、のちの天北線である。また、名寄本線が湧別から北上する形で全通している。 ●東北 北上線、田沢湖線が、奥羽山脈を挟んだところまで工事が進んでいる。 ●中国 山口線、美祢線が南から延びている。山口には、防府からの防石鉄道が1920年に開通し、山口の南側、堀に達している。 ●四国 遅々として… 【1918年(大正7年)~1922年(大正11年)】 羽越線の開通で、その後長らく「裏縦貫」「日本海縦貫線」と通称される、青森から日本海回りで関西とをつなぐルートが完成する。また、日豊本線、鹿児島本線も全通現在の路線図と見比べると、山岳地帯のルートがまだまだ少ない。 ●北海道 宗谷本線と地と戦線が開通。士幌線も北上している。 ●東北・関東 上越線の建設が本格化する。この時期にはすでに清水トンネルに着工している。それまでの最長トンネルだった中央本線笹子トンネル(4670m、1903年開通)を、一気にダブルスコアで抜き去る延長(9702m)となるのだが、その間、約25年。 ●中国 山口線の全通で、京都から山陰回りで山口県に至るルートが形成された。中国地方内陸部と沿岸部を結ぶルートも徐々に延びてきている。 (続く) PR |
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