昭和56年(1981年)、友人のH君から借りたコロタン文庫の『国鉄駅名全<オール>百科』(小学館)に載っていた飛行場前駅が、小学4年生を打ちのめした。これが北海道か。
広い空、だけど暖かくもなさそう。草いきれを十分に感じるけれども、海風も吹いていそう。とにかく、この駅があこがれとなった。 本文でも2ヶ所で写真が使われている。鳥居型駅名標が大好きで、よく真似して絵を描いたり、駅名標の写真がたくさん載っている本を日夜探していたような私にとって、この駅名標も衝撃的だった。 ひこうじょまえ。やすべつ。あさじの。 なんともいえない手書き文字。標準的なものよりもかなり小振りの駅名標。ローマ字がないということは、定型ではない…。あまりにもこの写真を見過ぎて、安別と浅茅野もあこがれの地名となった。 天北線が廃止になった頃には鉄道趣味から離れていたので(廃止になることは知っていた)、結局は現役時代には行っていない。後年、大学を卒業後にバイクツーリングをするようになって、このあたりはよく通った。浅茅野あたりの地名を見るたびにこの駅のことは思い出すが、どうせ駅などないものだと思い込み、訪ねたことはなかった。 さらに年月が経った。 どうやら、2011年になっても、ホームや駅名標の一部が残っているようだと知った。 その夏、いろいろ無理をして10年ぶりのソロツーリングを実現した。現地3日。ぜひ行こうと思った。 夏の匂いがする。 線路だったところは舗装され、自転車道路になっている。両脇の草は刈られている。ここを自転車が通ることがあるのだろうか? 板張りのホームがあった。板の上に乗るのがためらわれるほど乾ききり、踏み抜けば踏み抜けそうだった。 右に見える標識は、まるでメインの標識が落ちて補助標識だけが残っているように見えるが、そうではなく、「国道0.1km」のような字が書いてあったと思う。 この場所に、何時間でもいたい。この場所で夕暮れを迎え、夜を迎え、朝を迎えたい。そう思った。
* * *
こんな青空も、興部に着く頃には曇天となり、雨となった。紋別あたりでまた晴れた。この後、三国峠を越えて苫小牧まで走った。
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コロタン文庫は罪深い。こんな本である。 小学生の時、H君に借りた本をあまりに読み込みすぎて折り目をつけてしまい、申し訳なかったので新しいのを買ってH君に返した。私の手元に残った本は、その後しばらく持っていたものの、やがて鉄道から離れたころ、近所の子どもにほかにもたくさんあった同類の本とともにあげてしまった。いま思えば、思い入れのある本を手放すというのは、悔やんでも悔やみきれない。上記の写真は、2000年代に入ってからオークションで購入したもの。 本文での取り上げ方はこう。ひとつの駅が、本の巻頭、エリアの最初、本文と3ヶ所に掲載されている。いまなら事情もわかってしまうが、そんなことはどうでもいい。この駅を巻頭に掲載してくれたからこそ、思いが募ったのだ。ありがとう、コロタン文庫。 PR |
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