![]() 山間の道を走っていると、切り開かれた斜面の上に、ワンボックスの廃車体が見えた。角張ってるけれどもやたら立体的なスタイル、ライトエースだ。 ![]() リヤのアクスルが失われ、ホイールごと土台になっている。しかし、法面が崩れたのか、素人目に危うい位置にある。なにかあったら車体が道路に落ちてくるのではないか。また、残念ながら、あの特徴的なフロントは拝めない。民家は長らく無人のようにも見えるが、ここは控える。 ![]() リヤウインドウには「やさしく走ろうTOKYO」。東京で配布されていたのだろうか。現地は長野県だが、東京周辺で登録されていたことがある個体なのだろうか。なお、このステッカーは、いま、ヤフオク等で新品が入手できる。 初代ライトエースは70年代のクルマなので、最短でも40年以上前の車体だが、エンブレム、ランプ類はきれいに保たれている。 PR ![]() 新豊根ダムに向かう途中、村道の標識が目に入った。こういうロケーション。県道428号沿いにある。 ![]() よく見ると、後ろのダム放流注意の看板は「頭首工から…」云々と書いてあり、一般的に通じるのかな…。これは大入頭首工(おおにゅう)のことで、天竜川水系大入川のここで取水して大千瀬川(やはり天竜川水系)に流し、さらに振草頭首工で鳳来湖(宇連川水系)にダイレクトに注ぐ。遠く豊川用水にも流れてゆく。 ああ、そんなことを知っていたら、これらもきちんと見るべきだった。いまGoogleMapsで衛星写真を見ると、豊根中学校に渡るための吊り橋もあるし、県道沿いには豊根中学の寮もある。全校生徒28名、その大半が寮住まい。豊根村が、新豊根ダムを観光地として大歓迎していることはうすうす知ってはいたが、これをふまえると、それは大歓迎するだろうなあ、また行かなくては、という気持ちに。 ![]() なお、新豊根ダムへは行けなかった。だから、「また行かなくては」。 ![]() ローカル線の駅前に延びる道をまっすぐいくと、突き当たりにこの「元店舗である倉庫」がある。傍らの電柱前には、昭和35年の様式による「徐行」。 ![]() 後ろの電柱が建植し直されても、この標識は維持されたのだろうが、現在は電柱に寄りかかっており、錆が電柱を汚している。 ![]() 後ろの建物の正面は全面引き戸、その上に「旅館・食堂 野田屋」とある。中央に縦書きで「名勝刊行案内 鳳来湖 乳岩」。右には「お酒を召すなら 酔翁」。この「酔翁」は、現在は高山の酒としての販売があるようだが、ここには「豊橋 仲六商店 醸」とある。かつて豊橋駅の南側に仲六という酒造家があったが、いまはどうなのかこれもわからない。 この、あまり奥行きもない建物が旅館だったとも考えづらく、向かって左の空き地に伸びていたのかもしれない。 この看板の「旅館」「食堂」の文字が、とても好もしい。 ![]() 国道152号については後日、項を改めるが、20年ぶりくらいに大鹿村を走った。かつては隔週で走りに行っていた地域だが、そのころは特に土木構造物の知識もなく、このコンクリートローゼ・小渋橋を通ってもなにも「見ていなかった」。 2006年に、少し下流に新小渋橋が架けられ、国道の線形改良も含めて移設された。いまこの橋は、国登録有形文化財として、実用ではあるが、余生となった。 ![]() 小ぶりで、実にスマートなランガー。支間34.4m、高さ7.05m。 ![]() 幅員5.5(幅6.5m)。 ![]() ![]() 右岸の親柱、左は「小渋橋」、右は「昭和三十一年三月しゅん工」。ただし、説明板によれば、大鹿村の橋梁台帳には昭和32年4月1日竣工とあり、5月13・14日に渡り初めをしたというので、架設されてから供用まで1年強かかったことになる。 ![]() コンクリートローゼは、左右のアーチを結ぶ天井のブレースのハンチが、すごくコンクリートの構造物ぽくて好き。 ![]() コンクリートローゼは、内側にくぼみを造り(というよりも「リブを出っ張らせ」かもしれない)、アクセント(かつ構造上の強度確保)しているものが多い。 ![]() 左岸側。 ![]() ![]() 親柱左には「小渋橋」、右には「こしぶばし」。 ![]() 左岸・下流側より。 |
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