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小島谷駅舎

小島谷駅舎

駅舎

JR越後線の小島谷駅舎。粟生津駅舎と兄弟といえる。

粟生津駅については粟生津駅舎の記事参照。

この小島谷駅には財産標がある。

 左上が財産標、右上が銘板。ただし、経年でつぶれて読めない部分がある。

(左上)
建物財産標
…不明…
昭和46年10月5日

(右上)
施行 (株)植木組
面積 114m^2(に見える)
しゅん功 昭和46年10月

(下)
防水施工標
建物名称 本屋1号 屋根
防水材料 アスファルト防水、トーチ工法
施工月日 平成3年11月28日
保証期限 平成13年11月27日
請負者 東北工業(株)
施工業者 シマヅ防水(株)

植木組は柏崎に本社を置く東証一部上場のゼネコン。柏崎市に本社を置く唯一の一部上場企業だったと記憶する。

 駅をいくつか巡って飽きたのか、駅舎は正面からしか撮ってないし、内部も全貌がわからないようなカットしかない…。内部も粟生津駅に似ている。ただし、委託化・無人化はこちらのほうが遅く、昭和55年発行の『国鉄駅名全百科』(小学館/コロタン文庫)では有人駅、昭和58年発行の『国鉄全線各駅停車』では委託駅と表示されている。

wikipediaによれば、貨物扱い廃止が昭和46年11月1日。それとほぼ時を同じくしている。つまり、その要員が不要になってからの駅舎ということであり、実際はそれより前にすでに取扱いをしていなかったのかもしれない。(これは憶測、まったく根拠はない)


駅舎の事務室部分には運転関係の機器が置かれ、つながっているのかはわからないが黒電話がある。チラ見すると「17.8.9」という日付が黒板に書かれていた。wikipediaによれば、無人化は前年の平成16年(2004年)11月30日である。流しもあり、隣接して壁に換気扇があるが、その下にガスコンロがあったとするとちょっと不自然な位置。

配線は2面2線+貨物用の側線。貨物ホームは煉瓦積で一段低い…いや、旅客ホームが嵩上げされている。側線が遺されているということは、保線の車輌などが入ることがあるのだろう。

駅名標。

b8b86c82.jpg1982年頃の駅名標。貨物ホームはいまと変わらない。向こう側の建物の横にプロパンガスのボンベが見えるが、屋根の形や換気扇の位置からしていまは撤去されてしまった建物だろう。



跨線橋については別記する。
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No Image

粟生津駅舎

駅舎

粟生津の農業倉庫
粟生津の農協の続き。

JR越後線の粟生津駅。
この飾り気のない駅舎、何年頃の建築だろうか? でも正面右手、トイレ前の目隠しはいささかしゃれているし。昭和50年代だろうか?

 

「あおうづ」と読む。小学生の頃、駅名標を見て心が躍った。ローマ字表記が、予想外だったのだ。
1982年頃の撮影。AŌZU。よく見れば、「あおう」は母音のみだ。それに対して、いまの駅名標の味気なさよ。このローマ字表記の妙味を、まったくわかってない。小さいうえに、小文字だ。

 

さて、駅舎に戻る。ホームから見ると、こうだ。

壁面に書かれていた「あおうづ」が消されているのはどういうことか。向かって左手はトイレ、右は事務室。ホームを階段で降り、内側一番線を横切って集札口に向かう。
ご覧の通り、すでに駅舎との間には線路はない。向こうに見えているのは粟生津の農協(JA新潟中央粟生津支店)である。

駅舎内部には、窓口や荷物窓口の跡があるのは意外だった。

記憶の中では粟生津駅は委託駅だった。昭和55年発行の『国鉄駅名全百科』(小学館/コロタン文庫)にはそうなっている。しかし、昭和58年発行の『国鉄全線各駅停車』では無人駅と表示され、駅舎側の側線も撤去済みとある。

さて、冒頭の建築年。駅舎内に財産標は見えなかったが、『日本の駅』(鉄道ジャーナル社)によれば、昭和45年11月改築である。なお、翌年に改築された小島谷駅も同様の構造だ。

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粟生津の農協

農業倉庫・日通倉庫

粟生津の農業倉庫に関連して。

 

典型的な「お役所建築」(といっても年代を特定できるほどの見聞はない)。柱も梁もそこにあるのが見え、梁の端部が神社の構造物が外側にある。貫(ぬき)は貫通した鳥居のように梁が交差する。屋上周囲はモアイの帽子のようだ。その柱の間の壁いっぱいにサッシの窓が並ぶ。

30年後くらいには、こうした建築が「珍しいもの」「レトロなもの」と認識されるようになるだろうか?


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粟生津の農業倉庫

農業倉庫・日通倉庫

JR越後線粟生津駅前にある農業倉庫。左の空間に向けて「ダンメン」が見えている。かつてはここに別の建物があった(1975年の空中写真による)。また、右奥にはORIROのテスト塔がある。

1枚目の写真では「ダンメン」側だけが切り妻なのかと思いきや、反対側も切り妻である。

さらに回り込むと、そこには「粟生津農業倉庫」とある。そして妻面もよく見ると同じ文字が躍っている。この文字はどこを向いているかというと、JR越後線だ。写真の右側に戸があるが、かつてはここに貨物用の線路が敷かれていた。この戸は鉄道輸送用の搬出口であり、「粟生津農業倉庫」の文字は鉄道の乗客に向けたものだったのである。



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羽生田のΛ

木製扉の菱形・バツ形等

いまは新潟市となった小須戸の羽生田。ローマ字では「HANYŪDA」となるのが子供心に珍しかったその駅の近くに大きな蔵があった。その扉はというと、鋭角のΛ。バツ型でも菱形でもない。

小屋組の三角形の底辺となる小屋梁は、きれいな柱かと思いきや真っ直ぐの天然木を加工したもので、天地方向の太さが実は微妙に揺れている。その上の短い水平の二重梁(というのだと思う、鉛直方向に小屋束が貫通している)は一目でわかる天然木。(たぶん)面白いのは、小屋梁の上に桁が載っていること。

古い、もしかしたら近隣住民の力だけで建てたのではないかと思えるような木造倉庫。




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まるで自転車専用道のような旧道

廃道

コスモ石油だけの一角に出会う直前、旧道が目に入った。でも、すぐコスモ石油のあまりのすてきなロケーションに、ほかのクルマが入ってくる前に写真を撮らせてもらいたかったのでそちらを先にした。そして、引き返した。

国道350号の旧道である。いまも地理院地図に掲載されている。2車線道路のそれぞれ半分は土が積もり、草が侵蝕している。そのため、あたかも自転車専用道のように見える。

写真では、海は右にちょっとだけしか見えていないが、実際には視界は海野方がはるかに大きい。海に向かって落ちていく斜面に切り開かれた道なのだから。

少し上まで行って振り返って。一通り走ったが、このあたりがいちばん、旧道らしさを感じた。

4月末の、まるで夏のような正午過ぎだった。


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北越急行十日町トンネルから信濃川橋梁へ

地図・航空写真・分水嶺

(Kashmir3D+5mメッシュ標高データ+数値地図25000にて描いた十日町駅の西)

北越急行の直江津方面行きが、高架の十日町駅を出るとすぐに下り急勾配で地面に突っ込み、トンネルを抜けると橋で信濃川を渡る…というのは過去にも書いたが、その現地に行ってきた。

北越急行の地形的妙味(1)十日町
越急行(下り)十日町駅進入と発車/くびき発車

上の地図、右上にうっすら十日町駅が見える。高架橋のかなり高い位置にあるが、こうした地形データは橋はプロットしないので、地面と同じに描いてある。そしてまた、地面に潜る(十日町トンネルという)部分の堀割も描いていない。しかし、信濃川に飛び出すところの築堤は描いてある。

それはともかく、地面に潜った北越急行の列車は、赤い矢印をしたところで顔を出す。河岸段丘のひとつの「段」の断面で顔を出し、その高さで信濃川を渡るのだ。十日町駅付近は標高約147m(だから北越急行の駅はたぶん160mくらい)、対して信濃川の河川敷は125mくらい。実に35mほども高度差があるので、こうして高度を下げないと、信濃川橋梁の橋脚高さが40mを超えてしまう。

これが十日町トンネルの直江津方坑口。きちんと坑門はあるが、その手前をスノーシェッド(おそらく、兼緩衝工)が覆っている。その上に道路橋がある。画面右奥は十日町駅側。列車は、右奥から左下に向かってくる。

振り返ると、右下がさっきのスノーシェッドの出口、左上が直江津方になる。冒頭に「信濃川に飛び出すところの築堤は描いてある」と書いたが、その築堤が見える。

スノーシェッドをまたいで。別角度から。ここに保守用車両の横取り線と変電所があった。

十日町変電所。さらに一段上の、築堤果つるところに立っている雰囲気がある。







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新潟で見た「<<<」

木製扉の菱形・バツ形等

新潟市内、古信濃川が信濃川にぶつかる地点、古信濃川排水機場の近くで見た木製扉。菱形でもバツ型でもない。「<<<」型である。材木店の敷地の奥にあるため、近寄れなかったのが残念。

こちらは個人の住宅に付設されていた扉。「部分」のみとした。上からの吊り戸であるが、開口部は戸2枚分ある。ここに2枚、重なっているのかもしれないが、よく見なかった。撮影地点(であるはずの場所)のストリートビューを見てもこの家が見つからないので検証ができない。


北越急行 蜘ヶ池(くもがいけ)高架橋の桁

北越急行 蜘ヶ池(くもがいけ)高架橋の桁

高架橋

北越急行の高架橋 というエントリを書いたことがある。 20100826.jpg
北越急行の直江津方の蜘ヶ池高架橋(第一から第三?まであるようだ)は、まるでスラブ軌道のみ、といった印象の、とてもシンプルな形をしている。かつて、車内からその動画を撮ったことがある。



この50秒付近の高架橋を、下から見学してきた。

  線路幅くらいのPC桁の上にスラブ軌道が載り、架線柱や歩み板の支えはそこから飛び出す形になっている。

左が高架橋。橋脚と接する部分にはハンチがついている。右の「載っている」ものは、道路をまたぐPC桁だ。歩み板の支えを見ていると、ここまで頑丈な張り出しが必要なのかなあ、と思わないでもないが、必要ないものを大げさに作るわけがないのでこれでいいのだろう。もしかしたら積雪対策かもしれない。

上写真右の橋脚にかすかに見えているのは空頭標。

空頭標
架道橋名 Ct(G)-3
空頭 4m
施工道路面標 道路面状1m00
協定番号 東支経契 第259号の2
協定年月 昭和63年7月
協定者 上越農地事務所

高架橋部分を下から。冒頭の動画で見ると、スラブの間の隙間(金網)は面積としては小さいように感じるが、こうして下から見るとむしろ「これだけ肉抜きしているのか!」と大きく感じる。この隙間は重量減とともに積雪対策にもなっていると思われる。

高架橋は3スパン4脚を1組として作られている。その接合部はこのように壁式橋脚が並んでいる。

そこを下から。

* * *

北越急行は、乗って楽しく、施設を見ても面白い。

●関連項目
北越急行の地形的妙味(1)十日町
北越急行の地形的妙味(2)犀潟
北越急行(下り)十日町駅進入と発車/くびき発車



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宵の昭和シェル

昭和シェル石油/昭和石油/シェル石油

夕方、国道17号で三国峠を越え、新潟県の湯沢に入った。西へ一つ山を越えて信濃川の谷へ。さらにいくつかの南北に横たわる峰を越えて、以前は大島村といった集落に入る。時刻はすでに18時を回っている。日は長い。

峠越えの道は好きなようにかっ飛ばせるが、集落の中は意識してスピードを落とす。安全のため、見落とさないため。融雪水で赤く錆びた路面をゆっくり走っていると、防火壁があった。残念ながら計量機はないので、とうに閉鎖してしまった給油所だった。しかし、配電盤は比較的新しい。

画像左の小屋を見よ。ここは名だたる豪雪地である。そんな場所にもかかわらず、キャノピーのない給油所。雪のシーズンはどうしていたのだろうか。







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