忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


No Image

千石船展示館の巨大な木造扉と木のアーチ(佐渡・小木)

建築?

佐渡の宿根木の「上」に、千石船展示館がある。北前船を復元し、「白山丸」と名づけ、収蔵している。その保管庫が、この木造建築だ。この扉の大きさに驚き、立ち寄った。

扉を内側から撮りたい、と思って入ったのだが、それよりも千石船の大きさと、建物にも圧倒された。船の大きさは、鉄道車両を地面から見上げるようなもので、普通は吃水面より上から、いやさらに上の、岸壁の高さからしか見ないため、相当大きく見える。もちろん千石船が浮かんでるところなど見たことはないが。

建物の内部は木材が曲げられてアーチになっている。一見、構造とは無関係かと思ったが、これだけの大屋根を垂木の突き合わせだけで支えられることもないだろうし、母屋と接しているから、アーチなのだろう。

白山丸はこの大きさだ。中にも入ることができる。イベントの際は引き出され、帆が上がる。下にはレールの役割をする鉄骨があるが、レールではなかったのはちょっと残念。

2 三浦綾子の『海嶺』での描写を思い出しながら、見学した。


PR

No Image

野崎トンネル旧旧道の片洞門

廃道

小木に近い「野崎鼻」にある野崎トンネルの海側には旧道の廃隧道がある。写真のように塞がれているのだが、その右に道形がある。ここからだとよくわからないが、正面に立つと…

片洞門! しかも、いまにも表面がごそっと落ちてきそうなひび割れだらけ。恐ろしい。道幅は1車線、果たして「道路」だったのかどうかはわからないが、わざわざ片洞門にしているくらいだから車両交通はあったのだろうと思う。

そこを抜けると、石垣の内側が全部なくなったような光景に出くわした。2m以上の深さがある。写真右には石垣があるので、ここは人為的に手が入っている場所だ。路床がすべて洗い流されてしまったのか? ここは海面から数m上だが、海面近くには釣り人がいた。

ここは切り通しだったのだろうか。その向こうには路面のようなものが。ここで引き返す。

片洞門を逆から。新道の護岸の素晴らしさよ。2段階で波を跳ね返すようになっている。左には高さ10mを超えるワッフル壁面。





No Image

赤玉トンネル(佐渡)

隧道・廃隧道

  佐渡の外周をぐるりと一周する新潟県道45号佐渡一周線を時計回りに回った。いくつもの新しいトンネルがあり、その影には廃道が見えた。この赤玉トンネルは1998年3月竣工、その海側に廃道がある。


その脇道はガードレールで閉じられているので、そこからちょと歩くともうこれだ。

藪をかき分けていくと、廃隧道となった赤玉トンネルがある。坑口は土砂で埋められている。


振り返れば、海と、海沿いの道が見える。そこを走るクルマはほとんどない。
 








カシミール3Dで見る アップダウンの激しい道路(地形編)

カシミール3Dで見る アップダウンの激しい道路(地形編)

地図・航空写真・分水嶺

アップダウンの激しい道路を、地形で見てみよう。

(Kasimir3D+地理院地図Lv16+基盤地図5mメッシュ標高に道路加筆)

ほぼ中央、/の形で黒い線に挟まれた部分がこの県道だ。そのすぐ左には信越本線が1本線×2(複線分)として表示されている。画面左の黄色は国道403号の地図的着色部分(実際にすこし盛り上がっている)、その左にあって左上に90度曲がっているのは小須戸幹線排水路。

水色は標高4m未満、それ以外の色は4m以上として表示しているので、信越本線とこの県道がいかにそのヘリを走っているかが分かろう。信越本線も県道同様に適宜アップダウンしているように見えるが、実際には盛り土や切り欠きで対応しており、ここまでアップダウンしていない。おそらく、レーザー測量後の補正の問題だろう。

カシミール3D+基盤地図5mメッシュ標高で描いた、上の地図の道(上端から下端まで)。平野部のヘリゆえに、これだけのアップダウンが続く。

この地域、圃場整備する前はどうなっていたのだろうか。旧版地形図を見てみたい。

No Image

アップダウンの激しい道路(写真編)

道路全般

新潟県の信越本線古津~矢代田間に並行する新潟県道320号新津小須戸線。写真でいうと右手の家屋の向こうに信越本線が走り、その向こうは水田が広がる。

路面には「冠水時進入禁止」とある。写真のとおり、アップダウンがあるのでその鞍部が冠水するのだろう。しかし、クルマを運転している人はえてして過信する。写真を撮ったここと鞍部の標高差がどれくらいあるかなど、気にしまい。そしてそのまま突っ込めば、エンジンが水を吸って動かなくなる。最悪の場合、浸水して、ドアも開けることができず、死亡事故につながる。

もう少し近寄ると「水深50cm」「水深30cm」と出てくる。水深50cmとは膝丈だ。ロシアでいやになるほど川渡りをした経験からすると、まあ、ここでは流れはないからマシだろうが、バイクですら厳しい。

鞍部には「冠水危険」。もしものときは沿道の家屋も床上浸水になってしまう。

鞍部を挟んで反対側(西側)から。ふだんは広角ズームしか持ち歩かないのだが、このときは望遠を持ってくればよかったと思った。このうねり、おわかりいただけるだろうか。

地形については明日。




No Image

カシミール3Dで見る新潟県(旧)上越市と旧頸城村の境、保倉川の氾濫原と蛇行跡

地図・航空写真・分水嶺

森本橋・森本側道橋(新潟県)の続き。

県道30号が保倉川を横切る地点にかかる森本橋がなぜ目立たないプレートガーダーではなく、ドライバーの視界に緊張を強いるトラス橋なのか…ということを、市村界としての意味合いを持たせてあるのではないかと書いた。それはよくあることで、例えば高速道路にはほとんど下路トラスはないのだが、東北道が利根川を渡るところ、あそこには意図的にトラス橋を配している。

それはそれとして、(旧)上越市と頸城村が合併して市村界はなくなってしまったが、頸城村だった地域は「頸城区」という冠をいだいているのでその区別ははっきりわかる。

さて、前掲森本橋・森本側道橋(新潟県)では「河川改修の結果、市村界と流路がかなりの部分で一致しない」と書いた。これはもちろん地図にも三日月湖となって残っている。

カシミール3Dと解説本付属の数値地図25000、それに基盤地図5mメッシュ標高データを組み合わせて表示すると浮かび上がってきた。見やすいように標高は33cm刻みで色分けしている部分がある。

(画像をクリックするとFlickrで拡大できます)

この部分、衛星画像で見ると、別の観点が得られる。氾濫原は緑が豊かで、宅地化されていて、田んぼがない。


* * *

保倉川は現在、このあたりから西に向かっているが、かつてはこのあたりからまっすぐ北西を突き進み、海に注いでいた。これも、衛星画像で見るとよくわかる。



西に向かう緑のがいまの保倉川、北西に向かう緑が古保倉川の氾濫原だ。これもカシミール3Dで見てみると…

  地形図の緑色が干渉するので、地図なしと、薄く地図を重ねたものを作った。前掲の森本橋付近とは色の設定を変えてある。見事に流路が残っている。

それでいまこの流路跡がどうなっているのかというと、そのままの形で田んぼになっている。


大きな地図で見る

Googleのストリートビューが、流路跡を横切る部分があるのでぜひご覧いただきたい。しかし、地上2mくらいのスケールで見ると、この田んぼが流路跡を形作っているようにはとても見えない。現地を歩いたとしても、まったく「川」の感じはしないだろう。


No Image

森本橋・森本側道橋(新潟県)

ポニーワーレントラス

新潟県上越市の保倉川かかる、県道30号のポニーワーレントラス。平野部なのに、2車線道路の両脇に屹立するトラスは、ドライバーには「狭い」と感じさせることだろう。

橋梁史年表
によれば、橋長76.8m、ポニーワーレントラスのスパンは48.2m。少し取り付け道路を持ち上げてプレートガーダーにするのが普通な気がするが、ランドマーク的な意味合いがあるのかもしれない。この保倉川は、かつては上越市と頸城村の境界であった(河川改修の結果、市村界と流路がかなりの部分で一致しない)。

東側。トラスはこれだけの高さがある。道路が幅員6mなので3mちょっとというところか。親柱、左は「もりもとばし」、右は「竣功昭和39年12月」。右に歩道の橋が見える。

 西側。親柱は、左「森本橋」、右「主要地方道 新井柿崎線」。「崎」は「立」の下に「可」の異体字のほう。

  おもしろいのは、西側、下流側の下弦に凹んでる部分があることだ。下流側だから洪水時に流木が…などではなさそうだ。

東側の支承。

 側径間。13.4mのが両側についている。


 こちらは下流側にかかる森本側道橋。きちんと親柱がある。東側は「森本側道橋」、右は「主要地方道 新井柿崎線」。西側は、向かって左が「平成9年3月竣工」、右が「もりもとそくどうきょう」。道路橋と東西の組み合わせが逆である上に「竣功」「竣工」混ざっている。





No Image

ゼネラルを纏った日石カルテックス

ENEOS/日本石油

国道17号の三国峠を越え、新潟県に入る。苗場スキー場の手前、湯沢町三国の集落。なんとも不思議な、突如登場する山間の寂れたリゾート。そこにゼネラルの給油所跡があるのはかつて書いたが、なんと、その外側の壁に日石カルテックスが描かれていた。

位置としては、こうだ。

外側だけ、塗りつぶされ損ねたといったところか。

ここな何十回と通っているのに、まったく気がつかなかった。もしかしてここに建物などがあって見えていなかったんじゃないか…などとも思ったが、ストリートビューを見ても、確かにかつてはここにスキー用品レンタル店があり、立て看板が多少は隠していたとしても、よく見れば見えたはずである。


とまれ、これで、17号を往復する楽しみがひとつ増えた。




No Image

妙高山

山あるき

ポール工房さんから「工房通信」が届いた。そこには妙高山の切手が貼ってあった。全国的に名が知られている山だ。その東南東、妙高高原駅の南側あたりから見た妙高山の姿が印刷されている。

GW後半、バイクで上越に行っていた。ふと思えば、あのあたりを昼間に走るのは初めてだった。通ったことは何度となくあるが、いつも夜だった。「移動」だった。新潟県下なので、それでいいと思っていたのだ。なんという迂闊さ。

それはともかく、ツーリング中、圧倒されたのは妙高の大きさだ。高い。遠い。まだ雪が深い。でも、周辺の人は毎日これを見て暮らしているのだろう、と感じた。ぼくが毎日佐渡を見て暮らしたのと同じように。













* * *

さて、その妙高山には登ったことがある。高校1年のとき、昭和62年の夏だ。記録によれば(当時の登山ではすべて「手帳」に行動を記録している)8月17日(月)から19日(水)の日程で、笹ヶ峰から入っている。

高校の山岳部の初めての夏合宿で北アルプス、白馬周辺に行き、台風に直撃されて這々の体で帰ってきた後の「二次合宿」として、1年生だけで行くものだ。ぼくは2泊を提唱したが、1泊を主張する人が多くて二手に分かれることになった。12人の1年生部員のうち、2泊組は4人だった。荷物の分担を考えると最適の人数だ。4人でひとつのテント、ダンロップの7人用を使ったと記録にある。「計画書」が出てこないが、ぼくはテントを持ったはずだ。

初日は新潟駅から、たぶん急行とがくし2号で妙高高原駅へ。そこから笹ヶ峰までバス、歩き始めて高谷池ヒュッテに幕営。天気は怪しい。

翌日は雨になった。0330起床のつもりが雨なのでみんなダラダラし、結局出発したのは0845だった。そこから曇ったり晴れたりで、小休止もダラダラと30分も休んだりして、山頂に着いたのは1245。相当のスローペースだ。霧雨。どこかで(忘れた)もう1泊するつもりだったが、ぼくが翌日に高校の軽音楽部のコンサートがあったことを思い出し、帰ることを提案した。そこからが大変だった。

だらだらと、力なく下った。行動が遅いのでもう日が暮れかけてしまった夕方、池ノ平に降りるつもりが、どこでどうなったのかスキー場のロープウェイ沿いの踏み跡を降りていった。登山道ではない、細い踏み分け道。泥。滑る。手帳には「めちゃくちゃな道」と書いてある。そんなところでも手帳をとっている。

途中でスキー場内の砂利道に出た。これで足場はokとなったが、一人2リットル持っていた水ももうない。ただただつらく、重い足を引きずって歩いた。霧の中なので、地図を見ても自分がどこにいるのかもわからない。というよりも把握するつもりもない。スキー場なんだからすぐに人家のあるところにいくだろう、というように思ったが、行けども行けども道は続く。

1900頃には真っ暗になったので、ついにヘッドランプを出す。霧雨の中に走る光線を、手帳には陳腐ながら「幻想的」と書いている。

2000頃、灯りが見えた。見えてからしばらく歩かないと、その正体がつかめなかった。街灯だった。スキー場の下のほうまで来たのだ。霧の中に浮かぶ街灯が、これほど心強いとは。「ものすごい感動。頂上に行ったときよりも感動」と書いている。そして、ついに自販機があった。心躍った…のだが、なんとオフシーズンで電源が切られていた。なんということだ。

そこからさらに30分。2030に舗装路に出た。すれ違った人に駅までの道を聞き、ひたすら歩いた。途中に自動販売機があったので、喉を潤す。そして2130、妙高高原駅に着いた。小さな缶ビールで乾杯。もう時効だ。そして電車で直江津駅に移動し、0130頃、駅前にシュラフを出して寝た。翌朝、「きたぐに」で新潟に向かい、0900頃解散した。これが、ぼくの妙高だ。

当時は、100グラムでも軽くというのが至上命題だったので、カメラを持っていくことは許されなかったのだが、同行したYが持ってきていて、妙高山頂で撮ってくれた。大変貴重な写真であり、大切にとってある。着ているのはモンベルのハイパロン雨具(安い)、履いているのはナイキのジャージ。登山靴は、もちろん重登山靴だがICIのオリジナルだったような。

* * *

GWに妙高を見ていろいろ思い出していたところに、ポール工房の切手が妙高山だったことがとても嬉しかったので、その記念にしたためておく。

No Image

取り込まれたワムハチ

鉄道車両廃車体

国道を走っていて驚いた。ワムハチが倉庫に使われているのはよく見るのだが、なんか見え方がおかしい。

首だけ出しているように見えるのだが、

このとおり、塗り込められていて開かない。建物の内側からのみ出入りするのか? それにしても2坪分くらいか?

裏側は一体どうなっているのだろうか。
なんと、こちら側は生きている! ワムハチ車体の片側、それも5分の4くらいを覆って建物を作ってしまったと言うことか。しかし、耐久性を考えると、ワムハチを撤去して建物のみとしたほうがいいのではなかろうか。

(許可を得て撮影)


[PR]