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三河との境にほど近い遠江の山間の町に、下向きの矢羽根があった。両サイドに蝶番が見え、向かって右の2枚は手前に膨らんでいるので、観音開きだろう。このような木製扉は一般的に吊り引き戸が多いが(筆者調べ)、観音開きは初めて見るケースかもしれない。

この倉庫は、屋根が建屋のセンターからずれているのもおもしろい。そして、その軒下に入り込むように増築されており、しかもそちらは引き違い戸のようだ。いや、向かって左が戸袋で、全開にできるのかもしれないが。
 
立地もすごい。斜面を掘り込んである。隣接する坂の具合よ。そして、この坂を利用する人にとって、カーブミラーがなんと邪魔なことか。


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二瀬ダムの堤体上は、埼玉県道278号である。最近、三峯神社が毎月1日に頒布する『白い氣守』目当ての大渋滞が起きている、まさにそのルートである。


堤体上は、見ての通り、信号による片側交互通行の1車線だ。といっても、ここがボトルネックなわけではなく、この先、三峯神社までの道も狭い。そもそも大渋滞の原因は、駐車場待ちや放置駐車だ。

トップの写真下に移っている道は、新道である。ここには2013年まで、名物の「隧道内分岐」があった。ストリートビューにもあるし、詳細は『山さ行がねが』をご覧いただきたい。




『山さ行がねが』 隧道レポート 国道140号 駒ヶ滝隧道  前編


いまはその隧道内分岐は廃止されたが、GoogleMapsには旧道も描かれている。

旧道についてはこれで十分なので、ここではその「新道」の迫力をお伝えしたい。

 
ストリートビューでは、トンネル(現在は廃止)の左に見えている直進方向、それがいま、この形である。高い桟橋構造による2車線道路。

 
バスの車長が12mとすると、高い脚で25mくらいだろうか。隧道内分岐を作った当時は、こういう構造を実現するよりも、隧道内分岐を選択する方が合理的だったのだろう。

 
床版の下にある通路は、建設のためのものだろうか。点検用にしては大がかりすぎる。


こうした桟橋上の橋としては、山形県の肘折希望大橋が有名だ。
 
 
こうした、鋼管を橋脚として利用した橋というのは、これから増えていくような気がする。


最後にもう一度、堤体上の道を。
 

こうした堤体上の道については、『ダム大百科』で、『山さ行がねが』の平沼義之さんが書いておられるので、ぜひご一読いただきた。

 










 
秩父鉄道の撮影地として有名な安谷川橋梁(あんや)のすぐ横に、国道140号の旧道の「安谷橋」がある。ご覧のとおり、いささか複雑な見た目を擁するプラットトラスだ。開通は1923年(大正12年)。

見た目が複雑なのは、当初のシンプルなプラットトラスから、2回にわたって補強がなされているためだ。そもそも、トラスが2組ある。そして、下弦の下に台形の補強がある。

 
「歴史的鋼橋集覧」によれば、当初、床版は杉板だった。後年、床版は鉄筋コンクリート製になるが、交通量の増大への対処だろう、1958年には、さらなる補強のためにトラスの内側にトラスを追加した。上の写真で見ると、当初からのトラスはC型のチャンネル材をレーシングで柱状にしているが、追加されたトラスは溶接で柱状にしている。


1958年のトラスは基本はリベットで組み立てられているが、一部にはボルト留めのところもある。これは、1974年にフィンク補強(下部に設置する、引っ張りに対する補強)を施す際にガセットごと交換されたものだろう。

 
そのフィンク補強。木立に隠れて全貌は見えないのだが、トラス下弦の両端に◥___◤という形で三角形の脚を出し、その頂点を鋼棒(だと思う)で結んでいる。トラス下弦は引っ張りの力がかかる(両端を支点に、中央部を押し下げるイメージ)のだが、それに抗するものがよくぞこんな細い棒で…と思う。鉄が引っ張りに強いということが視覚化されている。

4面のトラスがそれぞれ補強されている…はずなのだが、内側の向こう側、つまり手前から数えて3面目の補強の鋼棒がない。よく見ると、写真右に、下部に垂れ下がっている鋼棒が見える。破損したままになっているのだ。

* * *

戦前の鉄道車両では、台枠下部にこういうトラス補強がなされていて、トラス棒(と鉄道用語では呼ぶ)にはターンバックルがついていて、台枠が垂下してくるとそれを締めて戻した。この車両(クエ9112)の製造は1923年、安谷橋と同じである。
 
(写真はパブリックドメインだが、出典はこちら
















 
新潟県の大形駅から新潟島まで歩いたときのこと。大形駅を北に向かってすぐのところに、線路があった。はて、なんでこんなところに。この線路はJR線とはつながっていない。

その場でGoogleの衛星画像を見ると、敷地を長方形とすると、その2辺に線路が敷かれている。カーブはかなりきつそうである。



この施設を擁するのは東日本電気エンジニアリングという会社だ。East-iに乗車して検測するのもこの会社の主要な業務の一つだ。

上の衛星画像では、線路上に軌陸車がいる。ここに車両を運び込んでなにかするということがあるのかどうかはわからないが、軌陸車に関連する技術開発や電気設備に関することも業務とのことなので、そうしたことに使うのだろう。

それにしても、「なんで唐突に大形?」という感がある。2004年の空中写真にはなく、2011年のストリートビューにはあるので、その間にここに立地したのだとは思うが、土地の利用条件や給電の条件などによるのだろうか。






県境(「県」と限定して楽しんでおられるわけではないと思うのだけれど、書名が県境なので、とりあえず県境と書きます)が好きでどこへでも行ってしまう西村まさゆきさんの新刊が、中公新書カラー版として出た。帯の写真のとおり、県境に行き、またぎ、考察する。西村さんは各種メディアでこうしたところの探訪レポートを発表している(し、たぶん発表していないのもたくさんあるだろう)。

2016年4月、東京カルチャーカルチャーで「境界集会~県境 区界 暗渠界 大集会」が開催された。ここで、西村さんのプレゼンを聞き、「県境テープ」を買った。



こういうテープを作らずにはいられないところが、すごく好き。
そのときのまとめはこちら。



さて、本書。一般に、境界の話というと地形図を持ち出してきてその比較…となる。目に見える形では存在しない「県境」という概念を説明するために、概念の塊である地図を見せても、「ふーん…」となる。ところが本書は県境の風景を写真で見せ、県境を挟んでそれぞれに色を塗り、視覚で「右がA県、左がB県」のように見せる。これはモノクロではできない。カラー版新書は製造原価が跳ね上がるのだが、カラーにした理由はこれだろう。

各章がおもしろいのはいうまでもないのだが、本書にはところどころに西村さんによる「現代の感覚」が埋め込まれている。DPZにも通底する、大好きな感覚。「集めてこそわかる」みたいな感覚。

「冗談も真面目に取り組んで三〇年近く続ければ、賞がもらえるのである」(「峠の国盗り綱引き合戦」で浜松と飯田が仲良すぎて萌え死にそう)
「ふざけの力を侮ってはならない」(東京都を東西に一秒で横断できる場所)
「実際にそこに行って見てみるのも楽しいぞ」(あとがき)

この感覚にリアルさを伴わない「一般の人」がこの語句を読んでも気にもとめないかもしれないが、それでも「言われてみれば、テレビもそういうのが多くなった」と気づく「一般の人」も少なくないのではないか。

最初は机上で(地図上で)見つけた場所。そこになにがあるわけでもないが、とにかく見る。知識を得ても「役に立つのか立たないのか、よくわからない」(カーナビに県境案内を何度もさせたかった)。それが、一冊の本になる。すばらしい。行ってみて「ふーん」でいい。3分しかその場にいなくてもいい。でも、行って、見ること、それが大切。「VRってこういうものだよね」とWEB記事で知っていても、実際にVRゴーグルを装着しなければだめなのだ。本書は、そういう感覚を、静かに、強く、「県境」をテーマとして訴えてくる。繰り返すが、地図を掲載して「ここはこうなっている」というだけだったら、この強さは出ない。現地に行って動いている写真があるからこその強さだ。

* * *

冒頭写真、バックに敷いてあるのは『山と高原地図 飯豊山 2015年版』(昭文社)。1988年と1992年の2回、飯豊山縦走の際に、あの県境を歩いている。2回とも、徳沢から祓川に入って前泊、翌日に疣岩から三国岳を通って切合(きりあわせ)で幕営している。翌日は本山、御西、北股を通って門内で幕営。細い県境は飯豊山から西、御西岳まで延びているので、そこも歩いている。三県境付近の分岐で荷物をデポして大日岳へも往復しているので、付近の新潟県側にも足を踏み入れている(その北のほうでは、登山道は山形・新潟県界をうろうろする)。当時もそういう県境であることは知ってはいたものの、目に見えるわけでなし…高校生、大学生のころなので知識もなく、「へー、そう」くらいで通過していた。

なお、登山経験がないけれども飯豊に行きたい方のご参考までに。

西村さんの行程は、川入から(のほうがメジャーなルートではある)、もしかして林道飯豊檜枝岐線を上り詰めて直登するコース(『山と高原地図』では破線となる上級者向けバリエーションルート)かもしれない。そこから飯豊の本山小屋まで歩いてしまうのは、コースタイムで9時間。一般的な長坂のコースなら10時間である。もし聞かれたら、経験者に対しても「やめておくべき、切合の小屋に泊まるべき」とアドバイスする。本山小屋までいきなりいくのは、相当慣れた人でも厳しいと思う。

2015年版の地図を買い直しているくらいなので、飯豊は…というより当時は北の朳差岳に行きたかったのだけれど、行きたいなあ。

* * *

最後、奥付を確認して驚いた。「けんきょう」だと思っていたら「けんざかい」とルビが振られていた。よって、本書の読み方は「ふしぎなけんざかい」。どっちが正しいということでもないけれど、いままで西村さんも口頭では「けんきょう」とおっしゃっていたような…? なお、地図用語としては「県界(けんかい)」となる。





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