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釜口橋(静岡県)

ランガートラス橋


かつての静岡県芝川町、いまは静岡市に含まれてしまったが、富士川が一番狭まる「釜口」があるそこにかかるランガートラス。実際には富士川の真ん中に「瀬戸島」という台地がそびえ、その両側を富士川が流れるので、二分した片方の流れをひとまたぎする橋だ(その後、すぐ合流する)。残念ながらトラス部分をきれいに見通せる場所はないので、内側から鑑賞するしかない。

 
左岸側(東側)。写真のように、下流側に歩道が後付されている。親柱には、「釜口橋」(左)、「昭和二十六年三月竣功」(右)とある。左の親柱の向こうには銘板がある。


昭和26年(1951)
静岡県建造
内示(昭和14年)二等橋
製作 東日本重工業株式会社 横浜造船所

東日本重工業とは、三分割された三菱だ。

 歩道はなぜか少し高くなっており、トラスの真ん中くらいに床がある。そのため、釜口橋を見下ろす形になる。

右岸側(西側)。親柱の銘板は同じ。ただし、左の親柱はガードレールに半分隠されている。


長さは60m(約200フィート)。近くには教育委員会の碑もあり、「富士川で初めてかけられた橋がここにあった」と誇らしげに書いてある。



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全管連会館

ビル

 大塚駅付近の裏通りを歩いていたら、円筒の建物が家並みの向こうに見えた。このビルの裏側から見ていたのだ。

真正面、ガン研通りに回ると「全管連会館」の文字。「全管連」とは「全国管工事業協同組合連合会」という。この円筒部分はもちろん「管」をイメージしたものだろう。なんというイメージ先行。屋上、垂直方向に切り取られている姿は「管」というよりもむしろ「竹」だ。

この円筒形部分はおそらく階段室。面白いのはその窓で、テトリスのブロックを連想するがあちらは四つの正方形の組み合わせ、こちらは三つないし一つである。写真で見るとやたらに縦に長く見えるだろう。この写真、デパースはしているが、1階のドアの縦横比などはほぼ実物通りだ。

本体ビルはいたって普通…に見えるのが惜しい。






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『時空旅人 日本を支えた鉄道の歴史』(『男の隠れ家』別冊)

鉄道の本


一見、同じテーマの書籍はいくつもあるし、ムックやパートワークもある、と思う人も多いだろう。でも、この本がおもしろいのは、貴重な写真を大きく見せることを意識していることと、雑誌的な作りになっている点だ。

ぼくの場合は、ライターさんには大変失礼なのだが、この種の本に書いてあることはたいて読むまでもない既知のことだ。だから、写真を中心に読んでいく。写真は、鉄道博物館をはじめ、米屋こうじさんや金盛正樹さんのモノクロ写真、吉永陽一さんのクワイ川橋梁の写真などが、時に見開き、時に1ページ大で迫ってくる。写真って大きくプリントしたものを見てなんぼ、と思っているのだけれど、それを「743円+税」で鑑賞できるのは、安い。

おもしろいのは、ムックなのに中綴じだということ。文字ばかりの書籍とも、コート紙の鉄道誌とも、よくある平綴じのムックとも違う、とても不思議な印象になっている。こうした本のほうが「鉄道好きが作った一般向けの本」よりも、鉄道好き含めて万人に親しみやすいだろうなと思う。

「編集人」はかつての同僚(といっても同じ部署ではなく、姉妹誌)、栗原紀行さん。当時もそうだったけれど、その仕事っぷりはFBで拝見してても、いかにも雑誌編集者ぽくて、わくわくする。『時空旅人』はいろいろなテーマで刊行されているが、鉄道においても、もっといろいろなアプローチもできると思う。というか、大変なのは承知で、自分がやりたい。もしアレがアレしたら申し出よう。



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南極に行った(とおぼしき)給油計量機

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

東京都立川市の国立極地研究所に付設する北極・南極科学館に行った。中にはコマツ製の雪上車が展示してある。このクルマについてはすでに多数のレポートがあるので省略するが、その脇、写真で言えば説明看板の裏にドラム缶がある。そこに、燃料を補給するための計量機が置いてある。

  手回し式の「ハイスピーダー給油機」だ。本体外部にプラスネジが使われており、実際に南極で使われた実物かどうかは不明だが、仮にそうではないとしても同型ではあろう。これで、南極でも使える粘度の経由を雪上車に注いでいたわけだ。

  アップすると「MK」マークがある。エムケー精工だ。同社のサイトを見ると、似たような形の「ハイスピーダー」がラインナップされている。ハンドル1回転で1リットルを汲み出す。自宅のファンヒーターの給油にほしい。



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駐輪避けの柵

道路全般

江古田にある一角。「残余地」というには少し大きい。歩道のない車線でよく路側帯を区切るために使われている柵で囲われていて、その奥には自販機が3台ある。

  ところが、その柵は、外側だけではない。その内側に、まるで資材置き場であるかのように柵が設置されている。足下をみるときちんと埋めてあるので、わざとこうしてあるのだ。

Googleのストリートビューを見てみよう。
(クリックでストリートビューに)
やはりといおうか、かつては自転車置き場というか無断駐輪というか、そういうふうになっていたようだ。それを防ぐために、自転車を停めることができなくしたのだろう。なんだかとても残念だ。

こんな狭い一角が、今後きちんと活用されるとも思えず、もしかしたら未来永劫、この角地はこのままなのかもしれない。




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左右非対称のバランス

建築?

西武有楽町線新桜台駅近くにあるこの店。「百貨販売」という昭和40年代くらいまでの言葉、そして「ィ」がないと別の意味になりそうな「デスカウント」という業態。ショーウインドウは一昔前のカメラや時計を扱う店、あるいは質屋といった風情だ。

この手の建物は、ショーウインドウの高さが特徴的だ。採光のために窓を大きくする例としてはガソリンスタンドのサービスルームを思いつくが、この建物はあくまでもショーウインドウに徹している。

面白いのは向かって左半分と右半分で表情が違うのに、非常に整った顔立ちをしていること。バランスがいいのだ。1階部分、左は引き違い戸、右はドア。2階部分、左と右で窓の幅が違う。建物の屋根部分、右は北側斜線で屋根を欠いている。これだけ左右で表情が変わっていても、きちんとまとまっているのはすごい。






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からぱた写真集『LOVE WILL GUIDE YOU』



写真集には流れがある。でも途中から読み始めてもいい。なんだか、レコードのようだよね。

* * *

からぱたさんの『LOVE WILL GUIDE YOU』を知って注文した。個人による上製本の写真集だ。とにかくすごいから!!!!というオーラが、ブログから溢れ出てモニタの前にしみ出ていた。ならば買うしかあるまい。写真もすごそうだが、とにかくプリントしようぜ、それを楽しもうぜ、というスタンスに深く賛同した。

いま、写真を「撮ることだけ」が手軽になりすぎてしまった。みんな、プリントしなくなった。私自身も例外ではない。しかし、(他人が)プリントした写真を鑑賞することはまた別だ。写真展、あるいは自分が手がけた写真集の刷りを鑑賞するとき、本当にそう感じる。この『LOVE WILL GUIDE YOU』で感じたのは、その楽しさだ。鑑賞する楽しさがある。眺めるたびに、楽しくなる。

* * *

写真集や写真展は、流れをつけておき、最初から読むともっとも引き込まれるようにするものだ。これは、冒頭に書いたとおり、レコードと同じ作りなのだ。レコードならばA面1曲目から最後の曲、B面1曲目から最後の曲、という流れを意図する。CDだって、流れがある。ただ、鑑賞者に強制まではしていない。それに、CDだったら何度目かからはシャッフルして聴くものだ。写真集だって、何度目かには、適当に見開いてパラパラ眺めるだろう?

そして、強く言いたいのは、自分の撮った写真で、自分で流れを考えることの難しさだ。他人の写真なら大胆にいろいろとできる。圧倒的な写真が100点あっても、流れのためにはいくらでもカットできる。それが自分の写真だと、思い入れと思い出が混ざってしまい、カットできなくなる。組み写真としての発想も、ものすっごく狭くなる。しかし、この『LOVE WILL GUIDE YOU』は、それがなされている! しかも、だれもが「いい!」と思うに違いない写真を、あえてここには収録していなかったりする。そのスタンスに惚れる。

* * *

掲載されている写真については「いい」としか言いようがない。タイポさんぽ(藤本健太郎著/誠文堂新光社)でも書いたように、優れた本は、自分がそれをしたくなる。つまり、写真を撮りたくなる。そしてプリントして、鑑賞したくなる。

毎日、いつも「あ、いまカメラ持ってたら」という瞬間がある。そのときにカメラを持っていない時点で、私は失格なのだが、そのために毎日カメラを持ち歩くべきだ、とこの写真集を見た人は思うに違いない。いい本だ。



●購入先
からぱた写真集『LOVE WILL GUIDE YOU』 | からぱた



●関連事項
『Fの時代』と『Cの時代』
『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違い
大木茂『汽罐車』

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平本京橋ビル

建築?



勤務先の目の前に、ずっと気になっているペンシルビルがある。「平本親巧」というバッジやカップの会社のショールームのようだ。2012年4月頃はまだ右側のビルが建設中だったのでかなりの空間があり、この平本京橋ビルはもっといきいきとしていた。右側のビルは東洋熱工業の新社屋。


平本親巧の社名はまるで鏝絵のようにぼってりとしていて、しかも右が木なのだが、その上にある「登録商標 いつもにこにこ」の「平」マークはそれとは対照的にくだけすぎている。

このビルの前は、のべ6年歩いており、この2年は対岸の道を毎日歩いているが、そんなふうに目の前にある「ショールーム」ながら一度も入ったことがない。買うわけでもないので入りづらい。そのまま別れてしまうなんて、学校で同じクラスで気になりながらもついに1年間会話をすることもなかった人みたいだ。




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ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室)

鉄道

ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)
ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編)
ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話)
ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編)
ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話)
の続き。

100系G編成の11号車に車販準備室があることは書いたが、通路を挟んだ向かい側は多目的室だった。車椅子の方が利用したり、授乳室として使われたりする。この部屋についての話だ。

どういう部屋かというと、こちらのサイトに写真があるのでご覧いただきたい。

車内販売員が休憩するとしたら、たいていは9号車にある業務用室だ。しかし、「B車」(別項参照)のときにはいちいち9号車に戻らず、適当に休憩を挟んでいた。もちろん、カフェテリアのクルーからの「おかしなサボりはしない」という信頼の元での動きだ。そういうときは、11号車の車販準備室の狭いスペースに「うんこずわり」のように腰を落とし、ドアに背を持たせて休んでいた。「着乗」などで疲労がたまっているときは、あとで捨てる飲料の段ボールを床に敷き、尻をついて体育座りをして休んだ。

しかし、よく考えれば、通路を挟んだところに広い個室がある。そこを休憩室にあてることを考える輩も当然、出てくる。誰も使っていなければ、迷惑はかからないのだ。鍵そのものは車販準備室と同じものなので、鍵を開けることはできた。乗客が使っているかどうかは、その目の前で車販の準備をしているのだから、わかる。また、車掌が使っていることもあるが、それはノックをすればわかるし、そういうときは「(サービスの)コーヒーいかがですか」とごまかすこともできる。そして、夜間であれば、内部の電気が消えていれば、確実に無人である。そうして見極めながら、うまく使うのである。

いちばんよく使ったのは、下りなら京都を過ぎ、上りなら新横浜を過ぎ、どちらも車販の片付けが終わった後。このタイミングでは車掌がここにいることもないので、安心して休憩に使うことができた。夜間の場合、電気がついていると車掌に気づかれてしまうので、電気は消しておく。むしろそのほうが外の景色がよく見えるから好都合。時にはベッドにして横になったりもしたが、さすがにそれは落ち着かなかった。もし車掌に見つかったときに、言い訳できるくらいの余地は必要だった。

* * *

この部屋は、力士が利用することもあった。大関時代だったかの貴乃花が乗ったときに乗務したことがある(直接見たわけではない)。力士は体の大きさから普通のグリーン車には座れない。だからこの部屋を利用する。その場合、鬢漬け油の臭いがデッキに充満する。

もし力士が普通のグリーン車に乗ったらどうなるだろう? 一度、東関親方が0系のグリーン車に乗っているのを見たことがある。悲しいことに、その車両は座席間の肘掛けを跳ね上げることができないタイプだった。もちろん親方のお尻は入らない。やむなく、すこしだけ尻をのせ、つまり座面の大半は空の状態で座っていた。親方は大変座りにくそうにしていた。そんなとき、車掌は気を利かせて多目的室を使わせてあげればいいのにと思った。

また、盆暮れ正月など、デッキだけでなく指定席社内にまで立ち客がいるような大変な混雑時には、ここを開放して乗客を入れていたのを見たことがある。座れた人はラッキーだったろう。

* * *

私は小心者ゆえにこのくらいの使い方しかしていなかったが、おそらく猛者はもっといろいろなことをしていただろう。ベッドにして居眠りをしたくらいはいるはずだ。だれか、そういう思い出を語ってくれないだろうか。






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上越線の不通と雪

独言・日記

1991年2月末だったと思う(前年かもしれない)。大学受験のために新潟と東京とを何度か往復していた。きっぷは東京ミニ周遊券で、試験の前日に新幹線で行ってゆうぼうとに1泊し、試験後は節約のために各駅停車の乗り継ぎで新潟に帰っていた。当時は17時28分頃に上野駅を出れば、23時過ぎに新潟駅に着くことができた。

その日(日付は忘れてしまった)、雪が降っていた。上野から高崎までは順調に来たが、なんと高崎以北が雪のため運転見合わせ中だという。やむを得ず、高崎から新幹線に乗った。もちろん、ふつうに新幹線特急券を買って、である。いま思えば、目的地が新潟であることを申し出れば、タダで乗れたのではないだろうか。その次の受験日が何日後だったのかは覚えていないが、新幹線で帰ったのはその一度きりで、以後、また各停で帰っていた。親には「疲れるから新幹線で帰ってこい」と言われた

そんなみみっちい話まで思い出してしまったが、やはり、どんなに雪が降っていても新幹線だけは動いている。その安心感は、上越新幹線沿線の人以外にはわからないのではなかろうか。一度、宿が取れずに受験当日に新幹線で往復したことがあるが、それくらい、信頼していた。幸い、受験に関した移動時に、上越新幹線が遅れたことは一度もなかった。



単なる思い出話である。



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