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新三国大橋(国道17号 群馬県)

新三国大橋(国道17号 群馬県)

ランガートラス橋



国道17号の三国峠越えは、群馬県側からはこの新三国大橋から始まる。この橋を渡ったところからカーブに番号が付され、「1/55」となっている。55個のカーブを通過すれば、三国トンネルだ。

その新三国大橋は、ランガートラス。トラスはプラット形式。
20110908_000.JPGここから、急に山深さを感じる風景となる。国道121号旧道の大峠ほどではないが、なかなかの山懐の深さを見せてくれる。

20110908_001.JPG新潟側。

写真のとおり、普通に走っていると、普通の人はアーチ橋にしか見えないだろう。しかし、先のように、月夜野から上がってくると、この桁がランガートラスだということがわかる。逆に、三国峠から下ってくると、この橋がランガートラスであることに気づかない可能性がある。

三国峠については書きたいことが山ほどあるが、今日は簡単にここまで。
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富士川橋梁(クーパートラス)の撤去映像

富士川橋梁(クーパートラス)の撤去映像

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

@level_7gさんから教えていただいたこの動画。ひたすらすごい。



東海道本線富士川橋梁として架かっていた、クーパートラス。1908年アメリカン・ブリッジ製で、9連が下り線として使用されていたものだ。それが、使用停止され、2連が転用され、残りはそのまま放置されていた。その撤去の模様である。トラス桁が、橋脚に置いてあるだけ…というのがよくわかろうというものだ。

1975年の航空写真を示す。
20110908map.jpg国土画像情報より転載・トリミング)

3本の橋梁が並んでいる。上から、現在の上り線、現在の下り線、上記動画の廃橋だ。この時点では、まだ全9連が残っている。



富士川橋梁の経緯はこうだ。

・初代桁(単線→上り線)…200フィートダブルワーレントラス、9連
 (1888年9月完成・1889年2月1日開業~1915年)
・2代目桁(下り線)…上記動画の橋梁。200フィートプラットトラス、9連
 (1908年製作、1910年3月6日下り線として開通<=複線化完成>、1956年使用停止。
  1982年8月2日に2連が流失)
・3代目桁(上り線→下り線)…初代桁の架け替え。200フィートプラットトラス、9連、現在の下り線
 (1915年開通。架け替え時、単線運転していたのかどうかは不明)
・4代目桁(上り線)…現在の上り線、200フィート中路鈑桁(3径間連続が3連?)
 (1955年供用開始)

富士川の氾濫の被害にはたびたび遭っており、3台目桁は、1917年の洪水で第8連と第9連の間の橋脚が損傷したため、橋脚を別の場所に作り直し、そのために第8連が150フィート、第9連が250フィートの曲弦トラスになっている。さらに、第4連と第5連は1982年に2台目桁とともに流失している。そのときの写真がある。
20110908-1.jpg富士市のサイトより転載)

この部分は、その後、平行弦ワーレントラスが架けられている。


●参考文献
・『歴史的橋梁を訪ねて 富士川橋梁』(塚本雅啓、鉄道ジャーナル2009年8月号)
・『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として』(小西純一、西野保行、淵上龍雄)
・『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁その2』(小西純一、西野保行、淵上龍雄)

『鉄道公安官と呼ばれた男たち』(濱田研吾/交通新聞社)

『鉄道公安官と呼ばれた男たち』(濱田研吾/交通新聞社)

鉄道の本

20110907_001.JPG久しぶりに、ほんとうにいい本に出会った。感動的にいい本だ(内容に感動するのではなく、本の存在として)。その理由はふたつ。

一つは、いままでにこうしたテーマの書物がなかったジャンルに、いきなりアラのない、極めて完成度の高い本が出たこと。もうひとつは、それが、本来の意味の新書であること。ただし、本来の意味の新書であるならば、書店の鉄道書コーナーにしか置かれない交通新聞社新書ではなくて、ちくまや文春、新潮あたりの新書に入ったほうがよかったんじゃないかな、とも思う(しかしあとがきによれば企画は交通新聞社によるものとのことなので、それは無理)。


本書を書くに当たって著者が渉猟した膨大な資料と、関係者への取材で得た見聞に思いを馳せる。しかも著者は三十代後半、鉄道公安制度が消滅した時点では中学生だ。同時代に生き、当時から関心を寄せていたわけではない。あとがきによれば、どうやら、関心をもったのは、本書刊行の、ほんの1年ほど前だったようだ。それでいてこの内容には舌を巻く。

鉄道公安官と聞いて誰もがイメージするのは、「警察みたいな存在」というものだろう。子供の頃、鉄道公安し職員と接点のあった私もそうだった。また一般的に、こうした本は、刑事ドラマみたいなエピソード集になりがちだ。本書にも、「刑事とスリ常習者の間の情」みたいな話は散りばめられている。そういう場合、職業や職制についての解説は一切なく、たとえば刑事ドラマではなんの解説もなしに警察における階級が使われていて、視聴者はそんなことは気にも留めない。

しかし、本書はそうではない。その誕生のエピソードから鉄道公安制度というものを説き起こし、存在意義と、その狭間で揺れ動く職員たちを考察する。犯人と絡むエピソードで読者サービスをしつつ、職制や職業を解説していく。ここが、すばらしい。個人的にはエピソードは不要だし、やや過剰な気もするけれど、なじみやすくするためにはある程度は必要だろうから、マイナス評価にはつなげない。

おそらく、本書は関係者への深い取材をベースに、そこから資料にたどりつき、取材内容を補強し、客観性を持たせていったのではないかと思う。そして改めて記事内容が重複・前後しないように注意しながら時系列で構成しなおしたのではないか。構成も見事で、第1章は、ツカミ。第2章は、誕生。そこから時系列で、最終章は昭和62年3月31日、すなわち鉄道公安制度の終焉の日と後日談である。この構成が著者主導なのか、編集主導なのかはわからない。

著者の立ち位置を示す部分がある。関心のない人は読み流してしまうだろうが、私はここで止まった。182ページ。鉄道公安職員と労働運動に関する記述なのだが、そこに、こうある。
鉄道公安史における労組対策には、当局と組合側、それぞれに言い分があるはずだ。元労働組合員や動労運動経験者のなかには、鉄道公安職員を今なお批判する人がいるかもしれない。今後、国鉄史を調べる人がいれば、国鉄当局、鉄道公安制度、労働組合、その背後にある政治的組織、それぞれの功と罪への中立的視点が必要だと思う。(下線は磯部)
あらゆる人に聞かせたい。よく、「現代の感覚」で過去を語ることがある。労働運動は、その時代背景と空気を知らない限り理解できない。昭和50年代の、国鉄のシステム、職員などあらゆるものが置かれた状況を理解せずに物言う人がなんと多いことか。鉄道の記事を書く人にすら、こうした視点を持った人がどれほどいるだろうか。この一文で、本書への信頼感は確固たるものになった。

一点だけ、「?」と感じる部分があった。198ページ、成田空港へのタンカー列車の警備を行っていたヘリが墜落した記述である。これは「エンジントラブル」であるから、鉄道公安職員が、過激派に殺されたわけではない。いや、もちろん、この著者のことであるからそんなふうにも書いていないのだが、文章の流れは、成田空港開設に伴う過激派の活動にまつわる話につながっている。誤読を招く恐れがある。



本書の帯には、「軽~く読んで、長~く本棚へ」「鉄道犯罪を阻止するプロ対プロのドラマがあった!」とあるが、そんな安っぽいキャッチはまるで本書の内容を言い表していない。ひとつの取材を引き延ばして引き延ばして1冊にしてしまったようなもの(交通新聞社新書にある)と一緒にするな、と言いたい。「しっかり読めて、長く本棚へ」「国鉄は国家であるとともに、国民でもあった。両者の面を持つがゆえに時代に翻弄された鉄道公安制度のすべて」くらいでいい。「軽すぎる」交通新聞社新書の中の、珠玉。パーフェクト。

ひさびさにすばらしい本に出会って、気分がいい。著者の濱田研吾氏と交通新聞社に最大の賛辞をお贈りする。

 

天竜川橋梁(天竜浜名湖鉄道)

天竜川橋梁(天竜浜名湖鉄道)

ワーレントラス



20110904_004.JPG天竜浜名湖鉄道が、天竜川を渡る橋梁。上の写真は下流側・左岸から撮影。

溢流部(西鹿島寄り)は7連のプレートガーダー、本流部(掛川寄り)は3連のワーレントラス。冒頭の地図を「写真」に切り替えればわかるとおり、現在もその関係は変わっていない。架設時と現在とで、溢流部と本流部が逆転したり、流量が変化してまったく流路が変わることも珍しくないのだが、この天竜川橋梁は架設当時と同じ状況にある。

歴史的鋼橋集覧はこちら


第1連。
20110904_002.JPG民家すれすれというか、おそらく流路だったところにトラスが架けられ、その下に堤防が築かれ、その内側(堤防では「外」になる)は陸地化されてそこに道路や住宅が…という流れかな、と推測する。それにしても、この「頭上注意」の下の低さはどうだ。民家の近さはどうだ。列車が通ると、とてもうるさいに違いない。

20110904_001.JPG第1連~第3連は同型のトラス桁。写真は第3連。斜材は45度か。径間62.4vmなので、200フィート級だ。

20110904_000.JPG第3連(トラス)と第4連(プレートガーダー)の架け違い部。こういうものを見ると、枕木高さ等の調整がシビアなんだろうなあ…という思いがする。それと、自分の水平感のおかしさが…orz

20110904_006.JPG第1連を裏側から。

橋脚を見ると、トラス桁部分はπ型、その向こうのプレートガーダー部分は円形だ。

20110904_003.JPGこの角度のほうがわかりやすいかもしれない。

橋脚が華奢に見えるかもしれない。この天竜川橋梁の設計活荷重はKS12。上の写真の第2連のトラスの右側端柱右側に銘板があり、そこにも書かれている(銘板のアップはブレていたので割愛)。


この天竜川の上流側には、カンチレバートラスの鹿島橋が架かっている。私はその鹿島橋も記載したつもりだったが、まだ記事を書いていなかったようだ。後日、書く。
20110904_005.JPG



太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2

鈑桁(プレートガーダー)

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1の続き。第2連から第12連について。

20110902_007.JPGおそらく第3連。第2連と共に短い(第2連の支間は12.9m、第4連以降は19.2m)。

20110902_008.JPG第3連と第4連は長さが異なるので高さも異なるので、このようになっている(右が第3連)。気になるのは、第3連左端、ウエブの上に三つ、下に四つ、それぞれ縦に開いた孔だ。かつてここにリベットで何かの部材が取り付けられていたのだろうか?

20110902_009.jpgこちらは下流側。赤く囲った部分に、謎の物体やプーリーが存置されている。かつて電信線が通されていたものか。といっても、蒸気機関車の時代に撮影された写真にも、撤去されていたように見える。

20110902_012.jpgこれが謎の物体。碍子…ではないような。4枚の水平方向の板は放熱フィンにも見える。どういう用途の何だろう? 気長に気に留めておくことにする。

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1

鈑桁(プレートガーダー)



20110902_011.JPG(左岸南側より。画像右手=戸綿、左手=遠州森)

天竜浜名湖鉄道の、遠州森~戸綿間にかかる…というよりも、戸綿駅の、遠州森寄りにある橋梁である。橋梁192m、全12連。今年(2011年)1月に登録有形文化財(建造物)となっている。今回は戸綿から見ているので、そちらを基準に書く。

この太田川橋梁は12連で、戸綿駅側から1、2、…と番号が振られている。第1連のみ下路プレートガーダーで、下を県道58号が通り、第2連から第12連までは上路プレートガーダーである。径間はそれぞれ異なる。

戸綿駅のホームから見ると、こうだ。
20110902_006.JPG左下にガソリンスタンドが写っている。実は、そのスタンドを見に行ったので、この太田川橋梁は行きがけの駄賃だったりする。スタンドについてはいずれ書く。

まずは、第1連。
20110902_000.JPG桁下高さを稼ぐために下路となっている。しかし、橋梁ガードはない。もしここにハイキューブコンテナを積んだトレーラーが突っ込んできたら…。

(9/3追記:ここはガード下4.45m。ハイキューブコンテナ積んだトレーラーは約4.1mなので、大丈夫でした)

20110902_004.JPG橋台に乗る端部。塗装標記はこう。

橋りょう名 太田川橋りょう
位置 戸綿~遠州森間12K266M87
支間 12M90
塗装年月 2000年3月
塗装回数 3回塗
塗装種別 下塗 塩基性クロム酸鉛系サビ止ペイント
及塗料名 中塗 長油性フタル酸樹脂塗料
       上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料会社 大日本塗料株式会社
施工者 加藤塗装株式会社

20110902_005.JPG下路桁なので、横桁がかましてある。腹材との接合部は、上に赤く囲ったとおりの場所にある。リブひとつおきに配置され、リベット留めされている。

20110902_002.jpg銘板。

鉄道省
活荷重KS12 図すは212
川崎車輌株式会社製作
昭和八年(○○○○○○)
-----------
材料
I.○○○鉄○
C. 仝上
L. 仝上
  日本鋼管株式会社
鈑 川崎製鉄所
鋲 浅野○○製○所

隣接する第2連の桁から、上路になる。
20110902_003.JPGその架け違い部分。右が第1連、左が第2連。こちらも支間は12.9m。左下に見えている屋根は公衆トイレ。

第2連を下から。
20110902_001.JPG奥(画面下)が第1連だ。

この部分の橋脚は、下路鈑桁を受けるために幅広になっている。上路鈑桁の部分は、いささか持てあまし気味だ。

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2へ続く


 

『Fの時代』と『Cの時代』

『Fの時代』と『Cの時代』

独言・日記

20110901_000.JPG一昨日、『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違いを書いたので、その続きとして、広田氏の2冊の写真集をもとに、もう少し書いてみたい。

広田尚敬氏の「鉄道写真60周年」企画として、6社から7冊(インプレスからは出たのかしら…)刊行するというものがあった。そのうち、所持しているのは表題の『Fの時代』(小学館)と『Cの時代』(JTBパブリッシング)だけである。そのほかの4冊(インプレスは見てない)は、手には取ったけれど、買ってはいない。本当は、あと1冊、『昭和三十四年二月北海道』(ネコパブリッシング)は欲しいのだけれど、いちまんえんにおののいて未入手である…。

『昭和三十四年二月北海道』は置いておいて、なぜ『Fの時代』と『Cの時代』を持っているのかというと、この2冊が突出して「写真集」として、優れているからだ。私の「写真集観」にあうのだ。広田氏の作品といえど、編集がダメなら写真集として鑑賞できなくなる。『Bの時代 鉄橋コレクション』(講談社)はその悪い例で、「過去に撮ったものから、鉄橋を撮影地にしたポジだけ集めました」というようにしか見えない。編集者は、広田氏が「なぜそこで鉄橋を構図に入れたか」などは考えていないのではないか。『Cの時代』の中にも、鉄橋(この言い方は好きではないが)を渡る作品はいくつもある。効果的に組み合わせてある「流れ」もある。それができていないのは、編集が悪い、のだ。

20110901_001.JPG

さて、『Fの時代』と『Cの時代』。この2冊は、判型も違うし、制作の方法論も違う。推測だが、『Fの時代』は、贅を尽くして「思う存分、作り上げた」もの。4935円という定価がそれを物語る。紙、印刷、装丁、すべてに手を抜いていない。横長の本を、書店の棚に並べやすくするために箱入りにするなど、それだけで単価で数百円はかかるはずである。でも、できた。思う存分できるのは、編集者としてこれ以上羨ましいことはない。一方、『Cの時代』は「キャンブックス」といA5判のシリーズに組み込まれている。装丁(いわゆるデザイン)も価格もシリーズの統一感や制約がある。なのに、この2冊の写真集の展開は、そっくりなのだ。

具体的に同じという意味ではない。読者が、「次の展開はこうかな…」と予測できるのだ。言い方を変えれば、読者が自然に「流れ」を感じることができ、引き込まれていく。どちらかといえば『Cの時代』よりも『Fの時代』のほうが、より強く「流れ」を意識できる。例えば、44ページから。

隧道から飛び出す、右向きのC59

右向きC62の後追い

右向きD52の真横

右向きD51と左向きC59のすれ違い(ここで向きが入れ替わる)

左向きC59

左向きC59

画面左端にC62正面がち

それが引く客車内からC62のテンダ
(この流れ終了)


任意のページで、こういう見方を試して欲しい。まず、任意のページで機関車の大きさと進行方向を見る。ページをめくり、次の「それ」を見る。どう違うか、その「差」を憶える。さらに次のページの「それ」を見る。きっと、「差」は同じか、等比数列のように、大きく上書きされて繰り返されていくはずだ。

膨大な数の作品を前に、それをどう並べればベストか…を考えることは、とても大変なことだ。1週間悩んでも答えがでないかもしれない。ただ、コツ はあって、鍵となる作品を軸に考えていく。上記の例でいえば、すれ違う作品が鍵である。また、最初と最後に位置する作品は、最初から「これ」と決まってい るだろう。その間をつなぐように、作品を構成していく。その作業は、「流れ」が見えてこないうちは辛くて辛くてしょうがないけれど、一度「流れ」が見えれ ば時間の経つのを忘れてしまうほど、楽しい。



最近の『レイルマガジン』のフォトギャラリーのページは、この「流れ」が見えないものばかりだ。『鉄道ファン』や『鉄道ピクトリアル』は、もともと見えなかった。要するに、拙い。『レイルマガジン』は、以前は、特集における読者投稿作品のギャラリーにしても、一人の作品によるRMギャラリーにしても、見せてくれたものだったが…。あまりにもダメ続きなので、買うのを止めてしまった。鉄道写真の「見せ方」ということについては、私の好みにとっては、あまりよくない方向に進んでいると思っている。
 

上遠別へ 

上遠別へ 

廃道




20110831_008.JPG上遠別。北海道の日本海側、遠別町から南東方向に天塩山地に30km以上分け入ったところにある。道路は道道688号遠別名寄線。

20110831_006.JPG37kmほどさかのぼったところで通行止めである。ここは正修地区。

ここまで、すれ違うクルマはゼロ。路面にはバッタが大量に発生しており、バイクで行ったのだが、靴やズボンにバチバチ当たる。バイクやズボンに、バッタの死骸がついてしまったのはかなり辛かった。現地に到着したときには、もちろん誰もいない。私ひとりだけの空間だった。(撮影の時系列が前後しているので、上の画像には他人のクルマが写っている)。

このまま直進方向が、道道741号上遠別霧立線。ここ正修から南下し、R239霧立国道の霧立とを結ぶ予定だったが、ここからちょっと行ったところで工事は中止されている。分岐を左折すると、道道688号遠別名寄線。こちらは現在も工事中だ。

20110831_005.JPG前身して、振り返る。遠別側に架かる、「遠名橋」。なんという切ない名称なのだろう。

向き直ると、こんなゲートがある。
20110831_004.JPG簡易なものだが、ずいぶんと年月が経っているようだ。少し、先まで歩いてみた。

20110831_000.JPGなかなかいい感じだが、行き止まりなのはわかっているので引き返す。

20110831_001.JPG「一の沢橋」。渡る川は、アイヤムナイ川だ。なお、かつての5万分の1地形図にはイヤムナイ川と記載されていた。

遠別名寄線のゲート。
20110831_002.JPGこちらはとても立派。

と、突然、乗用車とタンクローリーが現れた。
20110831_003.JPG乗用車の方に「ここの工事は凍結されたのではないですか」と聞いたら「復活した」との返事。この向こうでは工事をしているということだろう。

ちょっとすると、初老の夫婦がクルマでやってきた。ご主人がここで釣りをするそうで、アイヤムナイ川に降りていった。

20110831_007.JPG小一時間もここにいたろうか。帰り道、バス転回所とバス停を見つけた。1日3本バスが走る? こんな無人の地に?


帰宅後、沿岸バスのサイトを見たら、たしかに走っている。ここ「32号」が終端なのは、転回場所がほかにないからか、それともここまで乗客が乗って来るという需要があるのか。


行き止まりだとわかっていて突っ込んできた道。片道37km。「なにもない」ことを、たしかに見た。

『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違い

『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違い

独言・日記

20110830_000.jpg20110830_004.jpg
EIZOガレリア銀座で本日から開催されている、『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』に行ってきた。

写真展…なのだが、一風変わっていて、17人の作品は会場には1枚ずつパネルで展示されてそこにコメントがあるだけで、メインの作品はそれぞれ写真集になっている。その写真集は「マイブック」というサイトを通じて作成したもののようで、体裁はさまざま。多かったのは、25cm四方くらいの正方形に近いハードカバーのものだ。


ところが、率直な感想として、その写真集を「作品」と呼べるのかどうか…。そう感じたものが多かった。掲載されている一点一点は、それは美しいものだ。しかし、それが写真集という形にひとまとめになると、とたんに褪せてきて、「作品」とは呼べないしろものになってしまう。

これは定義の問題かもしれないので、反論はあるだろう。だから、ここで私の「写真集(以下、写真展も含む)という作品」の定義をしておく。

明確なテーマのもと、読者が「読む」体験ができるように編集されたもの。
有無を言わせぬ写真が文脈を持って展開し、
自然に読者がテーマを自分と絡めて考えはじめてしまうようなもの。



会場にあった多くの写真集は、「編集」がなされていなかった。テーマを設定しても、編集されていないから、文脈がすごく弱い。写真集や写真展というのは、「美しくうまく撮れた写真」をただ並べればいいというものではない。どんなに素晴らしい写真でも、どんなに思い入れがある写真でも、文脈からはずれるものは、落とす。逆に、通常なら没にするような写真、例えばブレてたりピントが甘かったり、フィルムの時代なら誤って半分感光してしまったようなポジだったりしても、文脈に沿うなら使う。それが「編集」というものだ。こんなことは写真集や写真展に限らない。音楽のアルバム収録曲の選曲でも、短編小説をまとめた本でも同じ作業がなされているはずだ。

また、その(弱い)文脈の作り方にも、疑問を感じるものが多かった。「過去に撮影したもの」から適当にピックアップしただけ、としか見えないものもあった。ひとつのテーマを決めて、たとえば「人」なら「人が写っているもの」を集めるのではなく、「どんな人を集めるのか」を決め、「そんな人」をテーマに撮り下ろせ。そういうものだろう。なにも、全部を撮り下ろせと言っているのではない。欠けているピースだけでいい。

先にテーマを設定し、そこから撮影するという「組み写真」の正統な作り方をしたものは、中井精也さんの作品集が唯一だった。中井さんは「DREAM TRAIN」のように、ふだんからこうした作品作りをしておられるが、そういうことをしている鉄道写真家は、どれだけいるのだろう?

また、梅木隆秀さんの「屋久島 安房林用軌道」は、林用軌道の姿をひたすらに記録するという視点で作られており、すばらしいものだった。


20110830_002.JPG広田尚敬氏が、いまでも超一流なのは、その作品が「昭和30年代にこんなことをやっていたのか!」と思うような圧倒的な力量の作品ばかり、ということだけでなく、その著書が「編集」されているから、という点も非常に大きいのではないかと思う。いや、著書に限らず、RailMagazineに掲載される場合も、かならず素晴らしい編集がなされていた。

いま、「60周年記念出版」のうち、『Fの時代』と『永遠の蒸気機関車 Cの時代』が手元にある。どちらも同じセンスで編集されている。撮影された時期、地点は北海道から九州までバラバラなのに、それを編集することで、ここまで流れのある作品集に仕上がるのか! と感じる、すばらしいものだ。

もし、『Fの時代』に掲載されている作品が、ブレてたりボケてたり色がおかしくなっていたとしても、作品集の価値はいささかも減じることはない。それほど「編集」がきいている。

『Fの時代』については、広田氏と、編集担当の江上英樹氏、装丁家の祖父江慎氏でその流れを考えたと聞く。写真集というのは、この作業がいちばん大切なのだが、そこを、超一流の編集の目が作り上げた。そして、ページをめくるのに、読者が真剣勝負を挑まれているような、「次のページをめくるのが怖い」と感じるような、ものすごい写真集が完成した。


残念ながら、今回展示されていた半分以上は、そこには遠く及ばない。作るべきは図鑑じゃない。写真集だ。ふだんから私が「鉄道写真」全般に感じている「練れてなさ」がそのまま具現化してしまったような展示会だった。
 

あるプレートガーダーの末期

あるプレートガーダーの末期

鈑桁(プレートガーダー)

20110829-01.JPG道道94号を西へ走っていた。とある場所で、橋梁の架け替え工事のため、仮橋を通らされた。その少し先の右側に、プレートガーダーの残骸が置いてあったのでバイクを止めた。

場所はここ。



橋の名称は不明。どこの工事をしていたかも不明。戻れば、先の工事中の橋があるのだが、それをしなかったので、わからないままだ。

このプレートガーダーの厚みは10mm以上は余裕であるが、体重70kg代前半の私が乗るだけで「曲がっている」という感触を得る。

20110829-04.JPG解体は無造作だ。とにかくバーナーで切る! おそらく上路プレートガーダーだが、路床も引っぱがす! そして、それらの断面は(おそらく架設時を最後に)防錆塗装をしていないため、既に錆が浮いてきている。

20110829-02.JPG3枚(?)のうち、上と下の2枚が床版が据え付けられていた面。

20110829-06.JPG木材の上に載せてあるが、プレートガーダーの重みには耐えきれなかったようだ。

20110829-05.JPG裏側をのぞき込んだら、銘板があった!

1973年12月
北海道建造
○○○○○○○○
製作 東京鉄骨橋梁製作所
○○○○○○○○

この銘板、本体と同じくスクラップにされてしまうのだろうか。ちょっとっほしい…。

20110829-07.JPG継ぎ目板。これも大量にあった。

20110829-03.JPGふと目を上げると、標識。どうしてこんなに傷がついているのだろう? 再利用などは考えないのだろうか。また、標識の左に見える黒い「棒」はレールのようにも見える。


図らずも見ることができた、鈑桁の末期。大きさからして、このままトラックに積まれ、搬出されるのだろう。

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