@level_7gさんから教えていただいたこの動画。ひたすらすごい。
東海道本線富士川橋梁として架かっていた、クーパートラス。1908年アメリカン・ブリッジ製で、9連が下り線として使用されていたものだ。それが、使用停止され、2連が転用され、残りはそのまま放置されていた。その撤去の模様である。トラス桁が、橋脚に置いてあるだけ…というのがよくわかろうというものだ。 1975年の航空写真を示す。 (国土画像情報より転載・トリミング) 3本の橋梁が並んでいる。上から、現在の上り線、現在の下り線、上記動画の廃橋だ。この時点では、まだ全9連が残っている。 富士川橋梁の経緯はこうだ。 ・初代桁(単線→上り線)…200フィートダブルワーレントラス、9連 (1888年9月完成・1889年2月1日開業~1915年) ・2代目桁(下り線)…上記動画の橋梁。200フィートプラットトラス、9連 (1908年製作、1910年3月6日下り線として開通<=複線化完成>、1956年使用停止。 1982年8月2日に2連が流失) ・3代目桁(上り線→下り線)…初代桁の架け替え。200フィートプラットトラス、9連、現在の下り線 (1915年開通。架け替え時、単線運転していたのかどうかは不明) ・4代目桁(上り線)…現在の上り線、200フィート中路鈑桁(3径間連続が3連?) (1955年供用開始) 富士川の氾濫の被害にはたびたび遭っており、3台目桁は、1917年の洪水で第8連と第9連の間の橋脚が損傷したため、橋脚を別の場所に作り直し、そのために第8連が150フィート、第9連が250フィートの曲弦トラスになっている。さらに、第4連と第5連は1982年に2台目桁とともに流失している。そのときの写真がある。 (富士市のサイトより転載) この部分は、その後、平行弦ワーレントラスが架けられている。 ●参考文献 ・『歴史的橋梁を訪ねて 富士川橋梁』(塚本雅啓、鉄道ジャーナル2009年8月号) ・『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として』(小西純一、西野保行、淵上龍雄) ・『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁その2』(小西純一、西野保行、淵上龍雄) PR |
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