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カプセル駅 古津駅と同じ時期のものが、もうひとつある。越後線妙法寺駅だ。

古津駅と比べるとこじんまりとしているように見えるが、そうではない。天地方向が長いだけだ。この類似性は一目見ておわかりだろう。

  右側面と左側面。左側面、古津駅と同じ位置に換気扇がある。

ホーム側。古津駅と比べると、ドア右の窓がない。その右にドアふたつ、それぞれ事務室、トイレという配置は変わらない。

建物財産標。昭和55年12月28日、とある。ちきページ」妙法寺駅の項目を見ると、昭和45年無人化とあるが…

内部。左に窓口、中央に荷物用窓口。当時、越後線に時々乗っていた記憶としては、荷物車の連結はない(新潟にキユニやキニの配置はない)。越後線の記憶かどうかは定かでないが、キハ35やキハ45の一部を仕切って荷物置き場にしていた憶えはある。

昭和56年に撮った写真を見ると、女性が集札しているし、花が生けてあることから、なんらかの形で切符販売等の業務をしていたことがうかがえる。出入り口左に「キップ受箱」があるので、無人駅ということには変わりないだろう。

なお、この駅名表示板の文字は、他の駅でも見た気がするのだが、手元の写真では見つからない。

ホームへの出入り口。外側から見ると扉にもRがあるが、こうして見るとその框だけで、戸そのものは汎用品だ。

トイレ。古津駅と異なり、洋式だ。こちらも非常に清潔。


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国鉄には「カプセル駅舎」という駅舎建築があった。この名称が国鉄内部発祥なのかは定かではないが、1980年頃には本にそのように載っていたのだから、なんらかのアナウンスがあったものと推測している。意味合いとしては「画一的なデザインの、コンパクトな駅舎」だ。主として無人駅で多く造られたが、有人駅にも適用された。いわゆるプレハブというイメージがあるが、工法には詳しくないので、書かずにおく。

その例の一つが、この古津駅である。この特徴は、窓やドアに「R」、曲線が使われているところにある。

 
向かって右、ドアの左右が待合室。左端の窓は「事務室」だ。

ホーム川から見る。アルミ製のドアの天が半円形になっているのも特徴的である。左のドアは事務室、右はトイレ。トイレは後述する。

角にRがついたサッシ。そもそも無人駅の改築にはコストはかけられないはずだから、量産品だったのだろうか? 

右側面。窓があるのみ。

左側面。左の駒止はトイレ。室外機と換気扇があるということは、事務室には冷房があり、また火気を使用できる設備があるということだろう(電子機器のために冷房が導入されている場合もある)。

幸い、建物財産標があった。昭和54年3月24日付けということは、そのころの完成・供用か。

トイレは改修されている。明かり取りの小さな窓までRが付いているのは「左側面」のとおり。無人駅ながら、非常に清潔だった。

なんとうっかりしたことか、駅舎内部の写真を撮っていない。窓口の痕跡のようなものはあったが、昭和56年の『国鉄駅名全百科』にも無人駅と書いてあるし、サイト「ちきページ」古津駅の項目には昭和45年には無人化とある。はたしてこの窓口のようなものが使われたのかどうかはわからない。

* * *

ついでに跨線橋。プレートガーダータイプ。この窓までRがついていればよかったのに。

駅前。隣の新津駅からは新潟駅方面に1時間に3本の列車があるが、ここ古津は1時間に1本だ。駅前の道路は融雪水に混じる錆で赤くなっている。





静岡県の県道が付け替えられた。新道は旧道と並行して敷かれた。その新道に面して昭和シェル石油があるのだが、その裏手に、かつての店舗がそのまま残されていた。


静岡県の安倍川は「安倍川餅」のおかげもあってかなり名の知られている川だと思うが、その安倍川に沿う道は県道29号梅ヶ島街道であり、一般的な認識としては行き止まりの道だ(林道経由で富士川の谷筋に出ることはできる)。その途中に、この歩行者用の吊橋がある。対岸の相淵集落のための橋、ということだろう。全長264.2m(静岡市のサイトによる)。

主塔が4本ある吊橋だが、左岸側(東側)は写真のように2本が地上に立ち、そこには床版はないので、実質は3主塔2径間、写真の部分はアンカーの設置位置までケーブルを中空で延長するためのものか。これを仮に「第1主塔」と呼ぼう。

第2主塔。上部の補強(X字型に組んである部分)はひとつ。また、主塔の頂部から地面にケーブルが伸び、それで自立していることもわかる。


 メインケーブルは中央の2本)は地中に埋めてあるコンクリート塊をアンカーとしてつながれているのだろう。両端の2本は主塔にテンションをかけるケーブル。

さて、渡り始める。第2主塔には銘板がついている。ということは、やはり冒頭の主塔は構造としては無関係なのだろう。左は「竣功 昭和五十二年六月」、右は「相渕橋」。

渡ると、橋は非常によく揺れる。耐風索もついているというのに。ただ、床版の軸方向の帯板が欠落していたり、耐風索との接続部材が破損していたりと、なかなか厳しい環境にある。床版は全体的に下流側に傾いている。同時に10人以上渡るなとある。

中央の第3主塔。上部の補強(X字型)はひとつだ。

その第3主塔、足で踏む位置には木材が敷き詰められている。

右岸側の第4主塔。こちらは上部の補強(X字型)が二つある。また、他の主塔と設置基準面の高さが異なるのがよくわかるだろう。

こちらも銘板がついているが、左は同じ、右は「あいふちはし」(濁点は見えないようだ)。

こちらのメインケーブルは、上の写真のように農家の敷地内に消えている。



新潟県の山古志で見かけた「取水口」(左)と消火栓(右)。同じ役割だと思っているのだけれど、違うのだろうか。

高さが三段階ある。もちろん積雪に対応するものだろう。

見上げるほどの高さがある。最上部は高さ3m近い。


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