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津和野に野広橋というポイントがある。岩見交通のバス「津和野町内線」が、津和野市街からここまでは来る、その終点だ。そのまま益田に抜けるバスもあるが、ここがひとつの境になっている。バス転回場もある。ここは、合併前の津和野町と日原町の境だ。

その野広橋のバス停前に、新しい国道9号が開通していた。左が、まだ舗装も匂い立つ新道。右が旧道である。道路標識等もそのままのようだ。

少し入って振り返る。冒頭の写真で少し見えているものがこれ。画像中央はバスの待合室。待合室の右には津和野川がある。旧道は川に沿って西を走っていたが、新道は川を渡り、その先で再度、河を渡る。

もう少し進むと青看がある。ここにある「津和野 6km」は合併後に旧日原に役場が移転したが、それ以前の数字のようだ。

(カシミール3Dを使用)

この地図の赤は私の走行ルート。つまり、画像中央、道路からずれて走っているかのおうだ。旧道は川に沿っていた。新道は一度は川を渡るが、再度渡って戻ってくるのもよくおわかりだろうと思う。
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長崎市内をクルマで走っていたら、突然、オレンジ色が現れた。三菱石油だ。だが、給油所は当然ENEOS。なぜ、日石三菱の時代、新日石の時代を超えてENEOSになってなお三菱が生きのこっているのか? 

これは早朝に散歩していたらまだ開店前だったのでこんな状態だが、ここは現役の給油所である。

Googleのストリートビューで見ると、これは見つけられない。というのも、DIAMONDSERVICEの部分には、ここを経営している会社のメンテナンスサービスのメニューがアイコンで描かれているからだ。現役の給油所なのだから、なんらかの事情でそれを取り外しているだけなのだろう。

いずれまたこのオレンジは隠されてしまうはずだ。その前に行ける人はぜひ。



木製扉・木製戸の菱形・バツ形関連。

長崎県の池島にある、石炭積み出し用のコンベアの建屋で見つけたX型。

構内への人車軌道(池島では「電車」という)が出入りする線路のすぐ脇に、菱形の名残がある。

何の建物だろう?
そして、おそらく中央部の板、ここがかつて菱形の木製扉だったのだろうが、左右寸が違う。現在の板は二つの菱形扉をつぶしているのだろうか?




JR山口線の日原駅にある農業倉庫。あまり農協倉庫ぽくはない(※主観)が……

道路側。この角度で見ると、胸壁(というのかはわからないが、その場所)にある縦の柱が、いかにも農協倉庫のようだ。

倉庫名 日原町農業協同組合倉庫
構造 鉄筋コンクリート
面積 本屋285平米 下屋199平米
収容力 標準6+6ton
建築年月日 昭和45年10月
くん蒸可否 可
格付 A


道路に沿って建て増しされているのだろうか。

積み出し用の扉。

とはいえ、この倉庫、いまいち惹かれなった。国鉄建築もそうだし、昭和40年代前半に恐ろしい発展を続けているようだ。
プレートガーダーの水管橋の続き。

ここに見えている橋である。その名を、壮大に「中央橋」という。

幅員は1.5車線程度。きちんと親柱を備える。

左は「昭和四十一年二月」、右は「中央橋」。

対岸から。

左は「程彼川」、右は「ちゅうおうはし」。「程彼」は「ほどがの」と読む。ホドとくれば、よくある地名である。「がの」は「ヶ野」の意だろうか。

この橋が架かる程彼川は、益田に注ぐ高津川の支流である。ずっと遡ると 砥石隧道(津和野)に至る。

昭和41年にこの欄干、前後の未舗装路。それに対して「中央橋」。もっと古いんじゃないかとも思うが、桁裏を見てもいないしなんとも言えない。対岸の道は2万5000図にはないくらいの道。

もう少し下ると高瀬川との合流地点、その北は青原駅。そのあたりから南進したのだが、その北にすてきな給油所跡があると聞かされたのは帰宅した後であった。




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