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伊方ダムに向かう道路

道路全般


佐田岬半島の付け根近くにある伊方ダムは「こんなところに?」と思う揚水水路を水源としている。地形図だけをおっかけていると、水管がかなり標高の低い場所にあったりするので、地図ではなかなか推測できないあたりにおもしろさがある。

佐田岬半島は、幅が狭いところでは1kmくらいしかないわりには標高が400m近い場所もあり、かなりダイナミック。そこから降りてくる道路はどれも急勾配、急カーブだ。

 
伊方ダムが見据える先にはすぐ海がある。ゲートのない堤体から、しずかに放流されていた。

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大渡隧道

隧道・廃隧道


大渡ダムの少し下流、国道33号を走っていると、立派な坑門が見えた。

 
長さと不釣り合いに感じるほど立派な坑門。これは北側。コンクリート製ということと、コンクリートによるピラスターが異様なほどのボリュームがあることが、強い違和感を持たせる。

 
反対側(南側)坑門。

 
ピラスターの根元には、石仏が安置されている。花は、すぐ近くにある集落の人の手によるものか。


この不思議な構造物については、マフラー巻きさんのサイトで理由が明かされていた。リンク先をどうぞ。

しかし、それにしても。ピラスターは、坑門が倒れないように抑える役目をするのだから、このように翼壁に抑えられるのであれば、翼壁がその役割をすればよく、ピラスターは必要なさそうに見える。ということは、かつてはこの翼壁がなく、ピラスターは全部露出していたのかもしれない。竣功時の写真があるといいのだが。



 
大渡ダム。

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長浜大橋

橋梁一般



愛媛県の肱川の河口にある跳ね上げ式可動橋。開口部のスパンは18.92m。WEB上には多くの写真やレポートがあるので、ここでは筋肉質だと感じた部分の写真のみを上げる。上の写真右から左へと進む。

 
カウンターウエイト。桁は54トンだが、このカウンターウエイトは82トンある。そのため、動力はわずか15馬力のモーター。

 
真下から振り返って。

 
右(海側)を向いて。

 

 
それぞれ寄って。

 
通り抜けて振り返って。

 

 
たぶんあまり注目されない通常のポニーワーレントラス部分。




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越知橋

ボーストリングトラス


 
大桐川が仁淀川に合流する直前、国道33号が大桐川を渡るのが越知橋。これは旧橋で、すぐ隣に並行して新橋がある。その旧橋の右岸3スパンがボーストリングトラスだ。左岸川はPC桁橋。


かなり高さの低いトラス。ポニートラスということもあり、ボーストリングトラスに分類していいのか、わからない。

 
右岸側。重量制限が1.5t。親柱は立派なものがついている。左は「昭和四年三月架設」、右は「越知橋」。

 
銘板がいくつか残っている。

昭和四年三月
株式会社
野村組工作所架設


 
左岸側。親柱左は「昭和四年三月架設」、右は「をちはし」。





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掩体の中を道路が走る

道路全般


高知市郊外に、掩体がまとまって残っている場所がある。「前浜掩体群」という。きれいに保存されているものもあれば、田圃の中に邪魔そうに残っているものもある。そのうちの一つ、「7号掩体」の中を、道路が通っている。

 
表側はこのように鉄骨で支えられている。


裏側は、とくに補強はない。この掩体は、土饅頭を作り、表面をセメント袋やむしろで覆ってその上にコンクリートを打ち、のちに土饅頭を取り除くという方法で作られたもので、内側にはセメント袋の跡が残っている。

 
 
 
現地に詳しい案内板がある。駐車場はない(公民館に停めよ、という古いサイトがヒットするが、現在、公民館は駐車場ともになくなった)。




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共同石油のサインポール

JOMO/共同石油


平家の落人伝説が語られる、東九州の、かなり山深い村。県境を跨ぐ長大な林道と、周辺の無数の枝道で知られるこの村に、共同石油のサインポールがひっそり残っている。「おっ!」と思う人も多いようで、検索すると、それなりにヒットする。いま、このサインは全国にいくつ残っているのだろうか。


計量器もなく、塗装も剥げかけているが、建物はしっかりしている。窓ガラスもきれいだ。なんとオイルジョッキまである。間違いなく、なにかしら使われている。

写真をクリックして拡大し、防火壁の袖を見て欲しい。うっすらと、「((」という形に、青と赤の輪の一部が見えるはずだ。その痕跡はときどき見かけるが、末期共同石油のこの稲妻のような防火壁の下に透けているのは初めて見た。



共同石油のGマークは本当に美しいデザインだと思う。1980年代前半、Nゲージで関水金属(当時はKATOといわずセキスイと言いならわしていた)がDE10を発売したとき、広告には共同石油のマークをつけたタキ43000を牽かせた写真が載っていた。その刷り込みがある。いま、スマホの裏面に共同石油のステッカーを貼っている。


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韮生川橋

吊り橋


韮生川橋。「にろうがわ」と読む。大栃橋と同じく、永瀬ダムのダム湖にかかる吊橋で、こちらは上韮生川側になる。


左岸側。親柱はないが、それに相当する部分には銘板がはめこまれている。左は「昭和三十年四月竣功」、右は「韮生川橋」。

 
見ての通り、床版はグレーチングで、真下の湖面が透けて見える。


製造銘板。

昭和30年(1955)
建設省建造
活荷重9屯
製作 松尾橋梁株式会社

現在は高知県道217号であるこの道路の来歴を知らないが、ダム建設時に架けられた橋だから「建設省建造」なのだろうか。

 
ケーブルと補剛桁のトラス上弦は、ピンでつながっている。こういう、機械的につながっているという自称が大好きだ。

 

左岸側は藪の中なのでよく見えないのだが、右岸側のケーブルのアンカー…いや、その保護具合がすごい。「高架橋手前にある鉄骨のガード」のような三角錐が壁面から飛び出してケーブルのアンカー部分を守り、その下にはアンカーを堅固なものとするロックボルトを擁するコンクリートの塊。なお、こちらの親柱的な部分にある銘板も、対岸と同じく左が「昭和三十年四月竣功」、右は「韮生川橋」。

 
ここから少し進むと、堤高87mの永瀬ダムを右岸から眺められる場所がある。なかなかの近さであり、下を覗くとかなりの谷感がある。







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大栃橋

連続ワーレントラス


永瀬ダムが形成する大栃湖にかかる国道195号の橋。中央径間が大きい3連のワーレントラスに見えるが、さにあらず。中央径間の端柱が、側径間の斜材を兼ねるという形の連続トラスだ。

 
 
その部分。中央径間は分格トラスになっている。


中央径間の背が高いため、真正面から見ると、カマキリというか、犬が腹ばいになって前足を出しているというか、スフィンクスというか、ホワイトベースというか、そんな印象になる。

 
銘板。

昭和30年(1955)
高知県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所

 
 
親柱。右岸の右に「おおとちはし」、左に「昭和三十年五月架設」


 
親柱。左岸の左は「昭和三十年五月架設」、右に「大栃橋」。


すぐ向かいの売店では、いろいろなお弁当を売っている。高知名物の野菜のおすし、とてもおいしかった。

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日の出橋

ボーストリングトラス


国道195号を走っていたら、突如、ポニーボーストリングトラスに出くわした。なぜか、「出くわす」のはボーストリングトラスが多い。「歴史的鋼橋集覧」から漏れているせいだろうか。とても整った、塗装も美しい橋。物部川にかかる「日の出橋」という。写真は酷道の対岸(南側・左岸)より。

 
路面もきれいに補修されたばかりのよう。トラスがちょこんと鎮座している…という雰囲気。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が「ひのでばし」。左、普通は「竣功(竣工)」と入っているものだが、「架設」。こちらも左岸。向こうに見えているのが国道。

 
もしかしたら「架設」なのは、この橋の出自によるのかもしれない。銘板がある。

昭和30年(1955)
高知営林局
内示(昭和14年)二等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所



 
こちらは北側・右岸側。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が剥がされている。「架設」もユニークだが、両端の親柱にあるのもユニークだ。




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大協石油か、essoか

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般


四国山中にある、知られた廃給油所。ここには大協石油のサインポールが残っている。非常に貴重なものだろう。

 
防火壁にはessoのマークが浮かび上がる。

 
三つ残る計量器にはすべてessoの印。これは有効期限が昭和57年10月。そのころ、既にessoだったのだろう。

大協石油は昭和61年4月に丸善石油と(共同で設立した製油会社としての旧)コスモ石油と合併して(現)コスモ石油になっている。essoはまったく関係がない。給油所がブランドを替えることは時折あることだが、大協石油のサインポールを掲げたこの給油所が、いかにしてessoのロゴを防火壁に描いていたのかはまったくわからない。


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