![]() 7月までは仕事漬けでほとんど休みがとれなかったので、まったく出かけられなかった。それでも刊行を遅らせざるを得ないタイトルがいくつかあったのは残念だが仕方がない。GWはなんとかカレンダーに近い形で休んで、たった二日間のツーリングとはいえ大いに息抜きになった。ブログの更新も前半は飛び飛びになっている。今月(12月)もそうだ。 特記したいのは次のログだ。 ・竹芝-館山の会場ログ(ジェットフォイルの特別就航) ・21年ぶりの利尻、14年ぶりの礼文 * * *
仕事面では、下記の本を担当した。 ・1月『電車の博物館・公園に行こう!』(実業之日本社編) ・3月『東京幻風景』(丸田祥三) ・3月『自衛隊イベント観覧ガイド』(大北浩二) ・3月『パンフレットで読み解く 東京メトロ 建設と開業の歴史』(東京地下鉄株式会社) ・4月『南極日和』(BS朝日取材班) ・5月『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる捜査現場入門』(オフィステイクオー) ・5月『ゼンリン 住宅地図と最新ネット地図の秘密』(内田宗治) ・7月『京都お散歩凸凹地図』(実業之日本社編) ・7月『空から見る戦後の東京 60年のおもかげ』(竹内正浩) ・8月『きっぷのルール ハンドブック』(土屋武之) ・10月『宮城「地理・地名・地図の謎」』(木村浩二監修) 実は12月にできあがっている本が2冊あるが、配本は1月なのでここには計上しない。前半で息切れして、後半の仕込みができていないのがよく見えてしまう。これは自分の来年の課題だ。 どれも、大変におもしろく仕事ができたのは幸いなことだ。来年もこうした形で仕事を続けることができることを願うし、さらに、もっと売れてくれることを願う。 PR ![]() ![]() 上の地図では、濃い茶色は標高が低い部分で、2m以下。設定は左記の表組をご覧いただくとして、要するに、砂丘の手前かつ鵜川の東側に低地があり、おそらくそこは鵜川の氾濫原を抱えていたようだ。柏崎駅もその中にある。 鵜川はたびたび氾濫しており、1978年6月25日から28日の水害は大規模なものだった。とはいえ私の記憶にはない。 ・ 過去の被害と鵜川ダムのあゆみ(写真あり) その低地帯、鵜川の河口付近をよく見ると川跡のようなものが目に付く。そこを拡大してみよう。 (鵜川が砂丘を突っ切って日本海に注ぐのは人工的な開削の跡のように見えるが、古い地形図等も参照していないのでまだ調べていない。) ![]() 黄色い部分が元河道だ。では、いつまでそこが川だったのだろうかといえば、比較的近年で、前述した1978年の水害を機に河川激甚災害対策特別緊急整備事業の対象とされ、改修が進められたもので、1984年3月には現在の流路に改修された。移転戸数は162戸。 私は1985年頃まではよく柏崎の親戚宅に行っていたので、古い川も新しい川も見ているはずだが、小中学生のころゆえまったく記憶がない。 * * * その変遷を国土地理院の航空写真で見よう。 ![]() ![]() (Kashmir3D+地理院地図空中写真現在) * * * 現在、旧河道は道路として活用されている。 ![]() ![]() ![]() しかし、ここは旧河道であり、要するに埋立地だ。そのため、2007年の中越沖地震では被害が大きかったようだ。 ・2007新潟県中越沖地震被害調査(長岡技術科学大学) * * * この水道橋公園周辺に「大久保公園」とある。もちろん地名も「大久保(一丁目)である。信越本線大久保隧道(新潟県柏崎市)に引っ張られて、「隧道があるような丘なのに、なぜ窪地の地名?」と、周囲の地名も見ずに疑問に思っていたのだが、然るべき場所が「大久保」だった。信越本線の大久保トンネルに名前が採用されたのは、近くの地名に引っ張られたか。古くは大久保隧道のあたりは中浜村、追って大洲村である。「番神トンネル」とでもしておけば、美しい番神岬の広報にもなるのだが。現在の行政地名では「番神一丁目」である。
「かしわざきまちあるき」と題した、柏崎の街歩きに参加してきた。主催は柏崎市、主たるガイドは市民のNさん、そこに東京スリバチ学会・皆川典久さんと、路地連新潟の野内隆裕さんが加わり、みんなでいろいろな発見をしながら柏崎の街を歩こうというものだ。スタート地点は喬柏園、かつての柏崎公会堂だ。
参加者は、市民40人近く、東京スリバチ学会と路地連新潟から十数人といった大所帯になった。 当日の様子は参加者各位に任せるとして、柏崎の地形を。(以下すべてカシミール3Dを使用) ![]() 柏崎は、駅から海に向かう駅通り、それと直行する形で旧北国街道だる本町通があり、駅通りを境に東本町(ひがしほんちょう)、西本町に分かれる。本町通は砂丘の尾根を少しはずれた部分につけられている。かつては東西には分かれていなかったとのこと。そのうち西本町周辺を歩いた。 さて、2時間ばかりの街歩きの途中で、偶然にも一級スリバチをみつけた。四方を高台に囲まれた完全な窪地だ。それをカシミール3Dを使って表示しよう。 ![]() ここには、東から西に向かって歩いた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 一級スリバチだ! 喜び勇んで皆川さんに「一級です!」とお声がけしたら、当然ながら気づいておられた。そしてそこでは「砂丘間低地」のお話をされていたが、果たして市民のみなさんにはこのスリバチ地形のすごさが伝わっただろうか…? この場所はGoogleのストリートビューもあるが、ストリートビューは超広角なため、たぶん一級感を感じられない。 * * *
柏崎は母方の実家があったのでよく行っていたのだが、その周辺数十m程度しか出歩いておらず、ここまで徒歩圏内にもかかわらず来たこともなかった。いま、大人になって地形のことも多少知るようになり、急に興味を感じている。 今回のことを母に話すと、なんと、小学校三年生まで喬柏園の近くに住んでいたそうだ。そんなことはいままで聞いたことがなかった。このまちあるきが縁で、母もいろいろと思い出したようで、覚えていることを話してくれた。それをガイドさんたちに伝えると、もちろんそれを肯定してくれた上でさらにいろいろなお話をしてくれた。とても貴重なまちあるきだった。 また機会があれば…というよりも、勝手にまた歩いて見たい。 ●関連項目 与助架道橋(信越本線/新潟県) 番神架道橋・番神トンネル 橋なのかトンネルなのか 屋根が飛んだ話 昭和41年3月20日 柏崎駅 柏崎駅前の鉄道情緒喫茶店 柏崎駅の0番線と跨線橋 ![]() ![]() ![]() さて、その豪快さの秘密。前述の通り、犀潟駅は標高7mほどしかない。対して、その直後にまたぐ北陸道は標高13mほどもある。盛り土の上に建設されている。そして、オーバークロスの南東部、上図でいうと茶色が濃くなっている部分は、標高1~3mしかない。 つまり、ほくほく線にとっては、一段高い高速を跨いだのに、その先の地面ははるか下にあった…というところだ。 youtubeに動画がたくさんある。下記動画の2:10あたりが、北陸道のオーバークロスだ。 とはいえ、本当は、くびき→犀潟方向のほうが、視覚的には「登ってる感」と「サミット感」がある。この区間は高架橋も独特のものであり、前面展望を強くお薦めする。 【関連項目】 越急行の地形的妙味(1)十日町 北越急行の地形的妙味(2)犀潟 北越急行の高架橋 北越急行(下り)十日町駅進入と発車/くびき発車 北越急行 蜘ヶ池(くもがいけ)高架橋の桁 北越急行十日町トンネルから信濃川橋梁へ |
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