忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


No Image

石鎚山北側の片洞門区間

道路全般

●河口一号隧道

愛媛県の西条市街から石鎚山方面へ県道12号を登っていく。千野々橋を左手に見てそのまま道なりに進むと、鋼製のシェッドがあり、岩を穿った短いトンネルがある。河口一号隧道(こうぐち)という。これは北側。

 
愛媛県の資料によれば、1924年架設、延長11m。シェッド部分はかなり後になってからの追加だろう。片洞門に繋がるので、出口の光景が妙な形になる。

 
抜けて南側。山側に新しめの吹き付けコンクリートがある。2012年のストリートビューではこれはなく、アンカーボルトのみ。

 
「坑門」がないので隧道部分と片洞門部分が連続しているような感じ。雨で法面が濡れていること、岩剥き出しの部分との対比などから立体感を得づらく、90年代のポリゴン背景のテクスチャのように見える。


●河口二号隧道
 
すぐ南にある河口2号隧道。


鋼製洞門との接続部分。

 
抜けて南側から振り返る。この隧道は前後に洞門を備える。


●片洞門
 
そのすぐ先の片洞門。この左側は、以前はもっと張り出していたようだ。


2012年のスト医リートビュー。また、奥に見えるコンクリートの塊のようなものも、やはりない。これは2023年に造成されたもののようだ。

 
落石対策?

 
南から。

 
この先が大きくオーバーハングする片洞門。

 
アンカーを打ち込んで左右をつなげたほうが安定しない…?

 
南側から。一つ前の片洞門の撤去を考えると、いずれこちらも上部が除去されかねない。


●関連項目
千野々橋 片洞門に向かう途中で見つけたボーストリングトラス



PR

No Image

道道118号と小車峠・道道964号

道路全般

 
北海道の美深町北部・恩根内と中川町佐久を結ぶ道道118号がある。小車峠付近が長年、災害による通行止めとなっている。2000年のツーリングマップルには通行止めの表示はない。道道資料北海道さんの記事によれば、2001年に大規模な崩落があって以来の通行止めのようだ。その西側に、行き止まりなのだが、行ってみた。

 
北側、佐久地内にすぐ、通行止めの標識がある。「20km先 通行止」「118美深中川線/美深町・恩根内方面には/通り抜けできません。」

 
そこから南下、地図でいうと「中川町」と書いてあるあたりにある青看。道道118号は左折だが「通行止め」、直進すると道道964号だがそれも「通行止め」。左に行ってみる。

 
すぐにこの表示。「2km先通行止」「118美深中川線/美深町・恩根内方面には/通り抜けできません。」

 
そのまま進むと①の地点にゲートがあった。ここまでの間、何もなし。なんらかの理由でここまで開通させているのだろう。分岐まで折り返す。

 
分岐から南下するとすぐに「14km先 通行止」「964板谷蕗ノ台線 未開通のため/幌加内町・蕗ノ台方面には/通行できません。」

 
地図②のあたりで未舗装となる。

 
地図③のあたりでゲート。道はこの先にも続いている。

 
「この先通行できません」「この先は、開発道道中止区間につき道路ではありませんので、車両等の通行はできません。」

こうした盲腸線は、いろいろな感慨を引き起こしてくれる。



No Image

「危険」旧標識

道路全般

 
瀬戸内海に面した岡山市の一画に残る「危險 DANGER」標識。1950年3月制定209、廃止は1960年12月(参考:dark的道部屋)。

 
この標識の場所は事前にメモしてあり、そのために海沿いの県道232号を走っていたのだけれど、この場所にさしかかったとき、「すてきな場所だ…」と思ってクルマを停め、写真奥に見える海と、中央に見える宝伝港を見に行った。そして「そろそろ『危險』の場所だよな」とメモを見たらまさにこの場所で、冒頭の写真を撮り直した。眼が節穴なので、「危險」には気づかずにいてしまったのだが、偶然に救われた。

 
 
宝伝港。ここから犬島に向けて船が出ている。「あけぼの丸」とのことだが、左が第七あけぼの丸、右が第五あけぼの丸。どちらも使うのかな?






No Image

現代のドボク 国道416号

道路全般


国道417号の不通区間を冠山林道で越え、福井県池田町に入った。青看には、「林道冠山線」とR416のオニギリが同居している。ここからR476を東へ行って大野を抜け、R416を目指す。

 
勝山市野向町に掲げられてあった、「悲願50年 国道416号開通」。開通から既に4年。また、野向町にとっては、峠を越えて石川県小松市と結ばれるメリットは…素人目にはない気がする。なにしろ、福井市のほうがずっと近い。

 
それはともかく、進む。「最新の」酷道、という『酷道大百科』で鹿取茂雄さんが述べたことと違わず、いまの道路建設の基準でもって酷道レベルの道を作ったらどうなるかというような、他では見たことがないような光景だった。上の写真は、これから行く先があちこちに見え隠れしている。

 
つづら折れもよく見える。開通当初はきっと木立ももう少し低く、もっとよく見えたことだろう。

 
県境の新俣峠。

 
逆向きに。勝山の平野部が見下ろせる。

 
小松市側。眼下にこれから行く道が延びている。旧来からの道も拡幅されているわけではなく、なかなか厳しい。

 
この道幅である。








No Image

乙次郎林道とその周辺

道路全般


福島県のいわき市北部、楢葉町、川内村周辺にはダート(未舗装路)がけっこう残っている。そのなかで、乙次郎林道(おっとじろう)は、かつては「ダートでしかいけない集落がある」「一軒家の庭に飛び込むような場所がある」ということで知られていた。1997年8月下旬に日帰りで行っているけれど、25年振りに行ってみた。

 
かつては17.3kmあった(ツーリングマップル東北2001年版による)ダートは、9.5kmになっている(ツーリングマップル関東甲信越2019年版による)。それは、乙次郎から西側が福島県道250号となり、舗装されたからだ。

 
そのせいか、東側のダートも少し荒れ気味。かつては超フラットで幅広く、舗装目前という印象だったのだが。

 
ほぼ林間。要所要所にカーブミラーがある。97年の訪問時は何台も乗用車とすれ違った。

 
一ヶ所だけ、展望が開けるところがある。

 
乙次郎の集落に出ると道は立派になる。記憶によれば、集落はけっこうな戸数があったのだけれど、谷間に数軒が点在にするのみ。とすると、その記憶は小田代か。

 

『広報ならは』2022年5月号によれば、乙次郎は2世帯3人が暮らす。

 
消防ポンプ車庫。ここに「乙次郎地区集会所」の立て看板があったので、その向こうの建物には注意を払わなかったのだけれど、帰宅後に調べると、楢葉北小学校乙次郎小学校の跡のようだ。昭和55年に校舎建て替え(出典)。

 
カシミール3D附属地図の5万図。2002年修正の5万分の1地形図「川前」を元にした数値地図50000と同じものだ。「文」マークがある。


『林道コース大全』(安西錬太郎著、1988年初版・1993年8刷)には自転車に乗る小学生の写真が掲載されているので、それを裏付けるというか。

『記憶に残る廃村旅』の浅原昭生さんから、下記のご教示をいただいた。
『全国学校総覧』を調べたところ、乙次郎と山所布はともに楢葉北小学校の分校があって、児童数は乙次郎分校が37名、山所布(所布分校)が25名、へき地等級はともに3級でした。所布分校は昭和47年に閉校になりましたが、乙次郎分校は平成17年まで存続したようです。

乙次郎分校の児童数、『全国学校総覧』で調べました。 閉校年(2005年)の3年前までの版まで調べましたが、3年とも休校でゼロでした。 「閉校年=児童がいなくなった年」ではないので、注意しているところです。

平成17年は2005年。であれば、2002年刊行の地形図に載っていて当然だ。

さらに後日、国会図書館で『全国学校総覧』で乙次郎分校の児童数の推移を調べてくださり
昭和58年=6名
昭和59年=4名
昭和60年=4名
昭和61年=2名
昭和62年=1名
昭和63年=1名
平成元年=0名
ということから「平成元年(1989年)が休校年ではないか」との推測をいただいた。浅原さんのコメントとして「乙次郎分校の閉校年=平成17年(2005年)と比べると、違う印象を受けるのではないでしょうか」とのこと。休校年数は、このように十数年の場合もあれば、40年以上という実例もあると、浅原さんから教えていただいた。

 
乙次郎集落から西は、どうやら舗装されてしまったようだ。ここはまだマシで、普通は「酷道「険道」などといっても1.5車線くらいはるものだが、この先は完全に1車線の、とても狭い印象の道。曲線の勾配やそのアップダウンなど、林道そのもの。

 
さて、冒頭に書いた「一軒家の庭に飛び込むような場所がある」というのが、ここ川内村大字下川内字篠平。Yahoo!などほとんどのデータベースでは「しのだいら」、マピオンでは「ひのたたいら」とフリガナが振ってある。大字下川内字篠平、ということのようだ。字名は読み方がわからなかったが、浅原さんが『角川地名大辞典 福島県』で調べてくださり、「しのだいら」だと教えてくださった。

25年前、「ここ通るの!?」と思いながら通り、一眼レフを持っていたくせに写真を撮っていない。ここがダートだったころの写真は、こちらのサイトにある。2006年走破とのことなので、舗装されたのはそれ以降か。

また、このお宅を取材した、毎日新聞の2017年の記事はこちらのサイトにある。



Wikipediaによれば、冒頭の地図のように、県道250号は、かつて北側に分断された形で設定されており、それが2007年に木戸ダムが竣工したころにこちらに切り替えられ、旧県道250号の部分は、村道になったようだ。そこにはヘキサの村道標識があるようだ。

なお、冒頭の地図の左上の県道部分は、福島第一原発の事故により居住制限区域から避難指示解除準備区域となったが、すでに解除されている。

No Image

ダム穴みたいな道路の穴

道路全般

 
牡鹿半島の付け根、女川町内を走っていると、道路脇にダム穴みたいな穴が空いていた。なんだかとても恐ろしく感じた。

 
バスの転回場のようにスペースがとられていて、ここに車が出入りしている様子がある。穴を覗き込むと、冒頭の写真のように階段があり、道路の下に潜っている。

 
道路の下の通路。カルバートではない。

 
その先は、墓地の上部だった。ということは、この穴は墓地の出入口か。

 
振り返る。













No Image

白看板と古レール

道路全般

 
旧・下原田郵便局のすぐ近くにあった白看。恵那32km、稲武9km。

 
見えている郵便マークは新しい郵便局。古い局舎はその向こう、右側。

 
もっと引いて見る。右にはヨコハマタイヤのロッカー。建物は、かつて店舗だったものを物置にしてあるようだった。

左建物手前は空地。でも、道路との境界をよく見てみると…?

 
古レールが2本、埋まっていた。





No Image

昭和35年12月標識令の「止まれ」

道路全般




twitterで上記の情報をいただいたので、行った折に見てきた。

 

国道からの位置関係は、こう。国道からは見えない、というか警戒標識206(昭和25年3月制定)しか見えない。

 
 
二つの標識は支持柱が別になっている。

この「止まれ」は、昭和35年12月に制定された336で、3年後の昭和39年8月には現在も大多数が残る逆三角形の330の2になる。それ以前は昭和25年3月に制定された黄色い八角形だった。当時でも、海外では「止まれ」は赤い八角形が多かったはずだが、色を海外に合わせたのだろうか。

海外の「STOP」については、『まちモジ』(小林章著)に詳しい。

●参考:dark的道部屋:標識部屋






No Image

国道425号と十津川村営バスの迫西川車庫

道路全般


国道425号は「酷道」として知られる。工事のため全区間走行は叶わなかったが、十津川~龍神温泉間は通行できた。紀伊半島中部の、東西でもほぼ中央に位置する奈良県十津川村の西側、和歌山県に接するあたりの迫西川(せいにしがわ)集落。

 
道幅はこんなだが、数十の家屋がある。ちゃんと「おにぎり」が立っているのがすばらしい。向こうを見ると、バスがいる。
 
バスの転換場も家屋も谷に迫り出している。

 
停留所の時刻表を見ると、朝の1便は、予約しないとここまでの往復がない。ここに着いたのは13時10分頃。すごいタイミングだ、まもなく発車だ。

 
来ました! 邪魔にならないように、ガードレールの外に除ける。

 
 
バスがいた場所に行ってみる。乗用車1台分くらいの奥行きしかない。

このバス車庫については、始終車庫さんの「バス車庫めぐり」に詳しい。

* * *

そのまま県境に向かう。

 
「龍神温泉16km」。国道371号は道路がよく整備されているが、生活のための施設が大きいわけではない。住民が向くのはそちらではなく、十津川の街中なのだろう。

 
逆側。このあたりは開放感がある。

* * *

ついでに、国道425号の、三重県・奈良県の県界部分。
 
 




 







No Image

最初期の道路標識「屈曲多シ」

道路全般

 
存在を知って十数年、ようやく訪問することができた、高松の「屈曲多シ」。おそらく日本に唯一残る標識。この様式は、大正11年に、内務省により初めて道路標識が制定されたときのもの。もうこれは、国交省が保存すべきくらいの存在。でもこのままここに在り続けてほしいとも思う。どうか、いたずらされたり盗難されたりしませんように。

たしか第2回だったかの『廃道ナイト』で、マフラー巻きさんが「こんなの見つけた」と報告をしてくださったのをヨッキさんが紹介した。そのイベントではヨッキさんは対抗で柳沢峠で古い標識をみつけてきたけれど、私はすぐにSVで見たけれずわからず、そっちはそのままになっている。

この標識が世に出たのは、2009年、マフラー巻きさんのBBSにてメタルほら吹きさんが報告をしたものが最初とのこと。発見した方は「10年来」気になっていたとのことなので、90年代からその方はご存知だったけれど、世の道路・標識等の愛好家たちとつながることになったネット万歳。

なお、この標識がある道路は、GoogleMapsのストリートビューはない。


●参考
道端の宝物ブログ 戦前の道路標識(道路警戒標)が高松市で発見された!  いしぐろさん
白看採集帳 白看前史(3) zaicchanさん








[PR]