岡山県の美咲町にある、旭川にかかる栃原橋。カンチレバープレートガーダーだ。中央径間が吊桁となっている。写真は左岸(北西)から見ている。
旭川に架かる…と書いたが、またぐのは実際は旭川湖の湖面であり、敷いて言えば支流の大瀬毘川が旭川に合流する河口部分である。 北側の親柱、左は「昭和二十八年十月竣工」、右は「栃原橋」。 南側、左は「旭川」、右は「とちはらばし」。読みがなは濁る。 周囲にはすてきなものがたくさんある。 垪和簡易郵便局 江与味橋(国道429号/岡山県美咲町) かつてのバス待合所 PR
京橋水管橋(岡山市の水管橋)の続き。
手前が水管橋。奥の、水色の橋脚が「京橋」。その上には岡山電気軌道も通る。北・西側から。 南・西側から。 鋼管を5本並列し、その上にコンクリートのビームを渡している。橋桁はといえば、背の低いガーダーを多く渡している。歴史的鋼橋集覧によれば、桁の高さは46cm。 何主桁…?(歴史的鋼橋集覧によれば、18本) 鋼管橋脚。スキューしているので、このような印象になる。 鋼管は、無垢の円柱ではなく、鋼板を貼り合わせたものだ。開通は1917年。6年後に岡電を通すために拡幅し、橋脚も5本建てになったと歴史的鋼橋集覧にあるが、見たところ、5本並列の橋脚のうち、どれがそうなのかはわからなかった。 まもなく完成から100年だ。
ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)の続き。
唐突に橋になっている。 右側奥右だけレールが残っている。横桁にレール締結金具が残っており、その真下に縦桁がある。さらにその下に太い横桁がある。 裏側。このように、太い横桁と円筒形の橋脚が構造を司っているように見える。そして川の氾濫ゆえか、橋脚は土台ごと移動し、恐ろしいことになっている。左の橋脚の足下に転がっているのは木材。コンクリートの土台を地面に突き刺しているのも木材だったりする。 真横から。橋脚の様子がわかるだろうか。上の写真にも写っているが、川の中には補助的につけられたとおぼしきI型鋼の橋脚が所在なく立っている。円筒の補強としてついている型鋼とともに、なぜか片側にしかない。 * * * 中部軌道は軌間610mmのエンドレスなので、レールの間にはトロッコ用のケーブルのガイドが残っている。 どうやって使っていたのだろうか。そのあたりは知見がない。 線路脇にあったもの。これはなんだろう? (関連事項) ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道) 国見山鉱山のベルトコンベアと、そこに残る中部軌道の線路 国見山鉱山D-507の解体 国見山鉱山の光景
ハーコート探訪:小石川橋通架道橋(3))(写真右に見えるトラス橋)に関連して。そのすぐ横にある道路橋である。
道路橋において、下路プレートガーダー(鈑桁)というのはあまり多くない。桁幅を広くしづらいからだろうか(上路ならば、道路の下に桁を増やせばいい)。視界にうるさいトラス橋が避けられるのと同じように、欄干のように見える桁が圧迫感を持つためだろうか。この三崎橋は、おそらく桁下高さの確保の観点から、下路桁になったものと思う。桁は、親柱があること、両脇に歩道橋が別途架設されていることから、あまり目立たなくなっている。 西側・右の親柱。「三崎橋」。化粧の具合からして、かなり最近の設置に見える。 その足下には銘板。 三崎橋改修 1987年3月 千代田区 床版打替工 橋面舗装工 沓座拡巾工 鋼橋製作(2基) 塗装工 鋼橋架設(2基) 鉄建建設株式会社 1987年に三崎橋を改修し、両脇に歩道桁を架設した、ということをまとめた銘板だ。親柱もそのときだろうか。 西側・左は「みさきはし」。 右の親柱の向こう、桁の橋。このR、そしてリベットがいかめしい。 歩道の桁はこんなだ。 東側。親柱の銘板は、西側と同じで右が「三崎橋」、右が「みさきはし」。本来の製造銘板はなかった。 道路橋の下路桁はないわけではないが、みつけると「おっ!」と思ってしまう。そのほとんど、というか私が見たものはすべて古い。近年作られた下路鈑桁というものはあるのだろうか? |
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