廃墟を、あるいは廃墟を写真に撮ることを好きな人は多い。でも、「なぜ好きなの?」という答えに、答えられる人は少ないのではな かろう か。例えば「美しさを感じる」では答えにならない。その場合、「なぜ美しいと思うのか」に対する答えが必要だからである。
本書には、その答えに至る、重大な示唆が散りばめられている。丸田さんが何に対してレンズを向けてきたのか、その理由が、作家・重松清さんとの対話で浮かび上がってくる。その流れは、そのまま読者自身が体験できる、壮大な時代感覚の共有でもある。それも、「名もない者たちの時代の感覚」、つまり他社をあざける強者の立場ではない者たちの感覚。「名もない者たち」というのは、『廃道 棄てられし道』や『棄景』シリーズでも一貫しているテーマである。 章立ては、 第一章 六〇年代から七〇年代前半 世界はとうに終わっていた 第二章 七〇年代中盤 新品時代の終焉 第三章 七〇年代後半から80年代 ゴミの上の夢の国の時代 第四章 八〇年代から九〇年代 個人攻撃の時代 第五章 九〇年代から〇〇年代 記憶を上書きする時代 未来章 二〇一一年三月一一日以降 懐かしい未来、見知らぬ過去 となっている。
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章立てを見ると、1970年代の話題が多い。これは、1964年9月生まれの丸田さんと、1963年3月の重松さん(面識はないけれど、さんづけとさせていただく)が、もっとも多感な時を過ごしたのが1970年代だということなのだろう。私は丸田さんと7学年違いの1972年1月生まれなので、この時代のことは「記憶」として知っている(この観念は、本書を通底している)。そして、私にとっては、1980年代こそが多感な時代だった。 しかし、小学3年~高校3年という私の1980年代は、あらゆる刺激を受けはしたが、あくまでも生徒の身分であり、時代を言葉にできていない。それが、1980年代に十代後半~二十代後半という時代を過ごした丸田さんと重松さんは、確実に当時から言葉にしている。その言葉が、散りばめられており、ひとつひとつに「そうそう!」と頷きっぱなしとなる。 おそらく、読む人の青春時代が1980年代であろうと1990年代であろうと、あるいは2000年代であろうと、かならず、自分の記憶を的確な言葉で言い表しているところがあることに、そして、風景として描いた写真作品があることに気づくだろう。それが、この『問いかける風景』のすごさだ。
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私の時代、1980年代で考えてみると、第三章がそれにあたる。「仮面時代の序章」「仮面の系譜」「『根暗』の時代」の三つの小見出しが立っている。ここで述べられているのは「笑いをとれるヤツがリーダーになる時代が来たのだ」という記憶である。 私が小学生の頃は、確実にスポーツができるヤツが集団の中心にいた。田舎の、ガラの悪い地域だったからか、頭がいいヤツは中心になれなかった。一方で、笑いをとれるヤツが台頭してきていた。それに気づいたのは小学校3年のとき。1980年だった。スポーツ音痴だった私には、それは福音であった。かなりの割合で調子に乗りすぎて失敗しながらなんとか十代を過ごして、たまにこじらせたりしながらも、「別に球技ができなくても、体力と筋力があればいいや」と登山で達観できるようになったのは、1990年頃である。 丸田さんと重松さんのおふたりの対話は、こうした、私が経験してきた精神の動きの過程が実は時代によるものでもあったということに、気づかせてくれる。おふたりが時代を見る目はとても鋭いものだが、その時代を生きてきた人たちを見る目は、とても優しい。
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本の造り。大きさは菊判、ハードカバー。スピン(しおり紐)もついている。全体の構成については前述の通りだが、写真のページと対話のページは、紙を変えている。構成は、丸田祥三さんの作品が7点くらい、次いで重松清さんの書き下ろしコラムが1ページ、そして重松さんと丸田さんとの対話が掲載されている。これが実に効果的というか、これ以外ない、という構成だと感じる。 写真作品の印刷は、最高の品質であると信じて疑わない『廃道 棄てられし道』を…凌駕しているかもしれない。とくに後半の章で展開される、最近の作品群は、雑誌『東京人』に掲載されたものもあるが、どれもが手を触れると切れそうなほどにシャープでハード。インクが指につきそうなくらいにこってりとした色が出ており、丸田さんの作品を存分に実現している。 作品が掲載されている大きさは『廃道 棄てられし道』と同じくらいか(縦位置)、かなり大きい(見開き)のに、ハードカバーになると、なぜかコンパクトに感じる。これは、おもしろい発見だった。2冊を並べてみよう。 . ブックデザインおよび全体の指揮は祖父江慎さんと福島よし恵さん。『廃道 棄てられし道』と同じだ。そのため、並べて売られてもソレとわかるように、帯は同じイメージで作られている。 当初から、4月刊行予定の『眠る鉄道 SLEEPING BEAUTY』(小学館)とともに三冊をお願いすることは決まっていたから、もしかすると、最初は判型も似せて…などと祖父江さんはお考えだったかもしれない。しかし、結果として、三冊とも、判型や紙はまったく異なるものとなった。 …そう書いて、今、気がついた。 『眠る鉄道 SLEEPING BEAUTY』のカバーが、「あの作品」(ご想像にお任せします)になったら? それを、上の二冊の右に並べてみたら……? あとはご想像にお任せする。
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冒頭に置いた問い。その答えを自分で持っているという自信がある人も、まだ持っていない人も、絶対に「買い」の一冊だ。あわせて『日本風景論』(丸田祥三・切通理作共著)もおすすめする。
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