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茨城県のある都市の、駅も市役所も徒歩圏内という場所にあった大きな倉庫。向かって右は下見板張り、左は塗炭の波板が貼られている。

クルマ2台分はあろうかという大きな入口。戸は左右に分かれる2枚引き戸かと思ったが、向かって右は全部を引き込めないし、左も窓に干渉する。

 
近づいてみると、4枚引き戸だった。扉の形に沿って、丁寧にコンクリートの敷居がある。

 
鉄製のレールも見えるので吊り戸と思われるが、上の写真の左の戸の右上角(ややこしい)にはクルマを取り外した跡のようなものがある。開けにくいと思われるが、GoogleMapsのストリートビューではこの扉が開いているし、現役で使われていることがわかる。

 
面白いことに、右横を覗くと、建物が右カーブしているのがわかる(写真はそれがわかりやすいように角度をつけている)。衛星画像を見ると、建物は道路に対して斜めになっており、上の写真向かって右の角は鋭角、左の塗炭部分は鈍角である。左の塗炭部分は、建物の側面を見ても切り貼りしたようになっており、もしかすると増築したのかもしれない。


 





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日立セメントの索道が停止するというので行ってきた。

 
大平田鉱山の石灰石を、索道で山を越え谷を渡って平地まで運び、そこからベルトコンベヤで工場に運ぶ。上の写真の左から4分の1くらいのところにセメント工場がある。焼成炉のプレヒーターが見えている。

 
仕組みはスキーのリフトと同じだ。複線自動循環式普通索道と思われ、鉄道でいえばレールに相当する部分は、「駅間」は固定された支索に、両端部はそこから切り離された場内レールに従って移動する。

索道そのものは数多の紹介記事があると思うので、ここでは場内レールでの動きと、搬器(ゴンドラ)の機械部分を見る。

 
搬器の上にあるケーブルが、固定されている支索。その支索を四つの車輪で伝う搬器を引っ張るのが、腕の中央で噛んでいる曳索。

 
 
上のケーブルは無視してほしい。上から2本目が支索、3本面が曳索。曳索を「掴んで」いる。

 
 
反対側。両端部では、おそらくこのアームを機械的に回転して、曳索を掴んだり(握索)離したり(放索)する。


これは、積み込み部の写真。すでに曳索から解放され、車輪は鉄の場内レールの上にある。曳索部分のハンドルは回転して斜めの位置にある。

この場内レールの上に、

\ /

という形で1組になったツメが循環している。そのツメが、搬器を引っかけたり解放したりしながら移動させる。スキー場のリフトが、停留場でいったん停止になったりするのは、これと同じ原理だ。

 
といっても、写真では動きがわからないだろうから、動画で。



搬器のバケットは最大1.25tの石灰石を積める。この原理でいったん停止した搬器に、ホッパーから石灰石が投入される。

卸すところは見学できないが、バケット中ほど下に軸が通してあり、上部のフックがあるので、自動でフックを機械的にはずし、積み荷の重さで回転するものと思われる。


再掲する。バケットを支える軸は、バケットの断面から少しズレている。バケット上部に飛び出すハンドルをおそらく上に上げると、積み荷の重さでバケットがロール方向に回転して積み荷が卸されるものと思う。

 
その部分の拡大。ハンドルの反対側にローラーがある。おそらく、取り卸し場で機械的にこのローラーに何かが当たって押し下げられ(ハンドルは上に動き)、バケットが(写真でいえば)時計回りに回転するものと思われる。

 
バケット裏面には円筒がついているが、これがなにか、わからない。荷役の際に、機械的に何かと接触してバケット回転に関係するのかもしれない。

なお、裏面にはいくつか孔が空いている。水抜きと思われる。

【同日追記】
level_7gさんより「搬器の下に付いてるローラーは、鉱石積込み時に搬器の左右位置を固定するためのもの」とご教示いただきました。




2019年2月7日(木)から10(日)まで、慶應SFC・石川初研究室の展示会「庭仕事」が、渋谷のギャラリールデコで開催されている。SFCの加藤研、早稲田の佐藤研との合同展示だ。


入口ではGPSログが出迎えてくれる。GPSログは、『ランドスケール・ブック』(石川初著/LIXIL出版)の表紙になっているほど石川さんと密な関係のものだが、今回の展示はGPSログは使われてはいるものの、行動や地形にべったりというものはない。おもしろい。

もっとも大きなスペースでの展示は、3年目の神山プロジェクト。徳島県の神山町でのフィールドワークの積み重ねの結果のいろいろな発見。実際に研究室の学生たちから解説を受ける。よどみなく、解釈しきって自分の言葉として話す学生たちは、本当にすごいと思う。

ここに神山の地図をおいておく。青が神山町の範囲、赤が国道。国道といっても、神山町に出入りする道はすべて「酷道」である。(カシミール3D+スーパー地形セット+地理院地図で作成、加工)
 


「道の集落『名(みょう)』の空間構造と景観」。傾斜地の集落には、車道と歩経路がある。それらと敷地・建物の関係を分析している。いくつもの集落を歩き、「名」に出会った。


こちらは神山の市街地で、住人が夕方になるといろいろな目的で歩き始める。そのルートを集めたところ、外部からは道だとは認識できないところが道となっていたり、そういうところを歩くとアップダウンがなくて非常に歩きやすかったりということがあった。それを可視化すると、既存の地図に記載された道とはまったく異なるものができあがった。地域の人にしかわからない小径は無数にある。それらを丹念に拾って気づいたときの喜びというか外部への伝わらなさというか、そういうことまで感じられる。


FAB-Gについては前年の展示に詳しかったし、過去の石川さんのトークや後述する『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』にも詳しいので割愛する。

学生個々の展示は、人の生活・思考を別のスケールで捉えたものが多かった。ありふれた言い方では「再定義」「言語化」とも言えるのかもしれないが、「スケール」という概念をベースに解説することで、展示の統一性も出るし、より思考も整理されていくようだ。
 
この展示が10年、20年と続けば、各年で発表されるテーマの傾向と変遷を社会や個人と結びつけて俯瞰して見る人が現れるだろうし、そのころに集積された神山における視点を見たい。


石川さんの活動のごく一部、主として地図・地形・スケールの面を10年くらい拝見しているけれど、昨夏に刊行された『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』を見て、個々の活動のすべてをスケールで説明しているということに圧倒された。そして、その「スケール」という道具についての説明は、同じ文脈を共有しない人にも、すごくわかりやすく書かれている。

本書には、膨大な、視点を見いだした例とそこからの考察が詰まっていて、その対象は個人の手仕事からドボクにまで及んでいる。一冊の中で整然と並んだそれらを読み終えるとき、読者は自然に副題にある「歩くこと、見つけること、育てること」という行為を、今回の展示のようなものを見るときに対象から読み取ることができるようになるだろう。

本書を読んでおくと、この展示がすべて一つの思考の元に存在していることがよくわかる。自分が学生のときに『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』や石川研があったとしても、自分にはとてもそれらを理解する能力などなかった。優秀な学生たちと一緒に歩いたらさぞ楽しいだろうと思う。そんな機会があったらぜひ参加してみたい。

* * *

まったく関係ないが、神山町の東の外れ、佐那河内村との界には「府能トンネル」の旧道「府能隧道」がある。平成29年の推奨土木遺産に認定されている。以前、ブログに書いていたので再掲する。

・府能隧道(国道438号)




 
新真谷トンネルを抜けると新鬼ヶ城トンネルにつながるが、ここでも谷側に旧道がある。上記の地図は2009年のうおっ地図で、赤い線を載せたところが旧道だ。その一つ目が索道平隧道。

 
このシンプルな西口坑口の向こうには、驚くべき光景が広がっていた。

 
索道平隧道には覆道がつながっているが、とりあえず振り替える。こちらが東口坑口。

 
 
 
片側交互通行用の信号機がうち捨てられていた。2灯式が一つ、3灯式が二つ。

 
信号待ち約5分。

 
平成6年(1994年)小糸工業製造のA形プログラム「多段」式交通信号制御器。


平成3年(1991年)足立電材製造の交通信号機用接続端子函。新鬼ヶ島トンネルの完成は平成12年(2000年)3月なので、10年も使われずに放棄されたということだ。高価なものだろうが、再利用できない理由があるに違いない。知りたい。

 
先走って信号機の写真を挙げたが、トンネルを出るとこう見える。

 
覆道を出たところ(西口)。覆道に「索道平隧道」と掲げられている。

この「索道平」というのは有峰第一発電所工事にちなんだものと思われる。和田川左岸の工事のために、右岸の有峰林道から合計4個所にケーブルクレーンやロープウェイが架設された。その索道のなにかしらの施設があったのだろう。



●関連項目
・埋められた大萩隧道(有峰林道)
・イタドリ隧道(有峰林道)
・信号があった真谷トンネル(有峰林道)と和田川第一発電所
・ニンニク隧道









有峰林道の半四郎トンネルと新真谷(まだに)トンネルに沿って旧道があり(赤く塗った部分)、いくつかの隧道が残されている。イタドリ隧道に続いて真谷隧道。

 
西口坑口。右が谷側、和田川第一発電所に至る道。行っても施設は見えない。

 
真谷隧道に入ると、天井で蛍光灯が赤く明滅していた。かつては常時点灯していたのだろうか。内部はかなりの急勾配で、真正面は開口部。

 



開口部。発電所方向からこの隧道に乗り入れる向きに、信号が取り付けられている。いまはこれと対になる信号機はないが、この真谷隧道の前後にも信号があったのかもしれない。

冒頭に貼った2009年当時の「ウォッちず」からキャプチャした地図では、このあたりでトンネルがいったん途切れ、橋で川を渡ってまたトンネルに入るように描かれているが、実際はそんなものはない。現在(2019年)の地理院地図では、連続したトンネルとして描かれている。

 
もう1個所の開口部。「あぶない!」と書かれている。和田川第二発電所へのルートだろうか。

 
真谷隧道東側坑口。信号機をつけていたと思われるステーや電線がある。坑門は、起拱線より上に、アーチを表す意匠がある。左に見えるのが和田川第二発電所。

 
標識。


さらに行くと、ゲートが降りており、新真谷トンネルの東側坑口に出た。ゲート前にはクルマが泊まっていた。北陸電力の関係者だろうか。


●関連項目
・埋められた大萩隧道(有峰林道)
・イタドリ隧道(有峰林道)
・ニンニク隧道




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