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房総半島の県道を走っていると、タンクローリーのタンク部分が道路脇に置いてあった。鉄道車両のタンク体を再利用する例は時折見かけるが、クルマのそれは初めて見た。

 
カラーリングからして出光か。

 
見下ろしてみる。

 
汚れが少ない部分からして白い塗料で「火の用心」と書いてあったのだろう。その白がほとんど抜けてしまった。

 
塗り込められた出光のアポロがうっすらと見えていた。

 
こんなシチュエーション。防火用水ということはわかったが、どうやってここに給水するのだろう。給水車で持ってきて補充するのだろうか。


* * *

 
 
さらに行くと、もう一つあった。今回、道中で見かけたのはこの2基だが、もっとあるに違いない。









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鳥取県の地図を眺めていて気がついた。県界がすべて分水界である…? 米子市街地も、すぐ尾根が迫っているため、分水界だ。平野部だけは、さすがに分水界ではないようだが。


(拡大したりして、ずっとなぞって見てください)

小縮尺の地図を見ていると、県界はすべて分水界のように見えたので、2万5000図相当で丹念に見ていくと、しかし、1個所だけ破れていた。米子市に南接する南部町と島根県安来市の界だ。

 
(Kashmir3D+スーパー地形+地理院地図に加筆)

赤い線が分水界。これが県界ならパーフェクトだったが、なぜかここだけが安来市になっている。

しかし、島根は「日本でもっとも県界が分水界である県」であることがわかった。他の都道府県界を見ると、いずれも一目見て河川が界になっているところや河川が貫流しているところがわかる。詳細は見ていないが、次点が石川県のようだ。


HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ)の記事「宮崎県小林市(旧須木村)田代八重」で、熊本県多良木の、太平洋側に注ぐ大淀川水系の集落・槻木が紹介されていた。2017年GWの九州の林道取材時に近くまで行っていたな…と思ってGPSログを見ると、東シナ海側から峠を越え、少しだけ太平洋側に入って折り返していた。アクソー林道とそれにつながる林道群だ。いずれもピストンではっきりしなかったので、『林道ツーリングガイドブック2017~2018』には掲載しなかった。

地図で示すとこうなる。紫が分水嶺。
 
(kasimir3D+スーパー地形+地理院地図)

さらにアップ。
 
(kasimir3D+スーパー地形+地理院地図)

赤いラインは私のGPSログ。一瞬だが、宮崎県側に入って引き返している。

『ツーリングマップル九州2016』に掲載されている「湯前飯盛林道」に槻木峠から入り、道なりに行ったら地図とはまったく違うルートとなり、北側に抜けることができなかった。道路地図の山間部がいい加減なことはよくあるし、ツーリングマップルの情報が相当に古い場合もよくあるが、これはその顕著な例。

 
槻木峠。尾根を北に向かう。

 
槻木峠から北に上がり、送電線付近ではこんな展望が広がる。

 
尾根の西側を走る。南を向いている?

 
GPSログ左上の行き止まりはこんな感じ。

 
GPSログ右上は、舗装路になっているので引き返した。

 
道中、いくつかの表示や通行止めを意味するロープがある。林道は生きている。

* * *

このエリアの西側、熊本県錦町とあさぎり町にも、やはり大淀川水系のエリアがあり、以前「熊本・宮崎県界と分水界」という記事を書いたのでどうぞ。







33年間続いたオフロードバイク雑誌『月刊ガルル』が、突然終わった。発行元のバイクブロスが雑誌事業を閉じるためだという。

この号での珠玉のテキストは、ホッパーちゃん氏だ。そこには「ナンバーワン雑誌が終わるということ」が書かれていた。オフロードバイク専門誌として創刊されたガルルは、発行部数で常にナンバーワンだった。『バックオフ』が学研から創刊され、特に林道ツーリングライダーに好まれたが、最盛期でも部数は2~3割低かったはずだ。広告のページ数も、INDEXを見る限り、ガルルに比べるとはるかに少なかった。1999年、大きく形を変え、事実上撤退した。

ぼくがガルル編集部に所属していたのは、1999年1月から2004年1月末までのちょうど5年。ガルルには、舟橋編集長をはじめ先輩たち、カメラマンやイラストレーター、デザイナーのみなさん、テストライダーやバイクショップ、レース関係の皆さん、もちろんバイクを快く貸してくださるメーカーや読者の皆さんには本当に多くのことを教わった。いまの自分があるのはその5年間のおかげだ。


京橋時代の4階は、『ガルル』『ガルヴィ』『スキー』『スノーボーダー』の編集部があり、不夜城だった。いかにも「雑誌の編集部」という雑然とした感じがすごく好きだった。まだ駐禁も緩く、帰りに印刷所やデザイナーさんのところに行ったり、帰りが深夜になることも多かったので、クルマで会社に行くことも多かった。バイクではあまり行かなかったが、広報車のテスト(1000km走って燃費を計測する等の企画もあったのだ)を兼ねて乗って帰ることはそれなりにあった。


山崎さんと、広告担当のI氏。向こうはスキーの編集部。


写真は、編集部全員でバイクに乗って南会津に行き、乗り比べようという企画の出発時。


最後の月のカレンダー。20日が入稿日、22日がネーム初校出校日、27~29が校了日。25日がデッド。この月は、8~14の九州取材は、いまはなきマリンエキスプレスで行った。

***



ぼくの手元には、会社の倉庫を整理するときにもらってきた創刊号からのほぼすべての号がある。創刊した頃の号には「街中でウイリーで目立とう」とか「富士山頂へ」のような、いまとなっては社会的にありえない記事がある。また、ぼくが関わっていた頃の号には、いまはもう走れない林道の記事があったりする。こういう貴重な誌面は、公式になんらかの形で公開したいのだが…。

今後、仮に『ガルル』という誌名がどこかで復活したとしても、創刊時から脈々と続いてきたそれではないだろう。でもきっと、なにかの思いで復活するのだろうから、それは応援したいと思う。その日が早く来ますことを。

ガルル関係のみなさん、読者のみなさん、本当にありがとうございました。


ラストイベント、ツアラテックでの「ステフェス」にていただいたステッカー3種と、右下は手持ちの昔のステッカー。

 
茨城県のある都市の、駅も市役所も徒歩圏内という場所にあった大きな倉庫。向かって右は下見板張り、左は塗炭の波板が貼られている。

クルマ2台分はあろうかという大きな入口。戸は左右に分かれる2枚引き戸かと思ったが、向かって右は全部を引き込めないし、左も窓に干渉する。

 
近づいてみると、4枚引き戸だった。扉の形に沿って、丁寧にコンクリートの敷居がある。

 
鉄製のレールも見えるので吊り戸と思われるが、上の写真の左の戸の右上角(ややこしい)にはクルマを取り外した跡のようなものがある。開けにくいと思われるが、GoogleMapsのストリートビューではこの扉が開いているし、現役で使われていることがわかる。

 
面白いことに、右横を覗くと、建物が右カーブしているのがわかる(写真はそれがわかりやすいように角度をつけている)。衛星画像を見ると、建物は道路に対して斜めになっており、上の写真向かって右の角は鋭角、左の塗炭部分は鈍角である。左の塗炭部分は、建物の側面を見ても切り貼りしたようになっており、もしかすると増築したのかもしれない。


 







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