小坂橋 連続するボーストリングトラス(1)の続き。
親柱、南北の記載事項は左は小坂橋の逆で、左は「昭和33年6月竣功」、右は「鷺之島橋」。
銘板。
対岸に渡り、シチサン気味に。対岸の橋台の一部、大きな丸い石を骨材としたコンクリート製の、旧橋の橋台にも見えるが、果たして?
東側に架設中の新しい桁。路盤は嵩上げされ、プレートガーダーになる。
長岡市から渋海川を遡るかたちで走る国道404号は、塚山を過ぎると南下し、小国を目指す。その途中、渋海川がヘアピン状に屈曲する部分を串刺しするように連続して渡るところがあり、そこに兄弟のようにボーストリングトラスがふたつ、架かっている。その北側が、この小坂橋だ。
プラットトラスのボーストリングトラス。真下には旧橋の橋脚跡がふたつ。
親柱、左は珍しくスペックが書いてある。「橋長42.70m 巾員6.00m」。右は「こさかばし」。
銘板。
南側は真正面気味のシチサンで。真横から撮れる場所はない。
丹後半島を流れる由良川には九つの沈下橋がある。そうだと知らずにこの橋を渡ろうとして、かなり水面近くまで降りた上に道幅がこうなので、流された橋を復旧した仮橋かと思ってしまった。
橋台部分からして仮設感が漂う。しかし、橋脚だけはまったく本気である。
これは沈下橋だろうかと思ったが、欄干もほとんどない四国のものに比べ、角張った欄干…ではないな、なんというのだろう、駒止でもないし、とにかく道路の両側に出っ張りがある。それが沈下橋には見えないが、帰宅して検索したら、沈下橋であった。
柏崎市 鵜川の改修跡と元・氾濫原で書いた鵜川にかかる橋。写真は右岸。対岸左(上流)のこんもりしたところがかつての「大久保陣屋」跡で、そこに柏の木があり、海上から見えたところから「柏崎」の地名が生まれたという説がある。また、対岸右には、柏崎ぎおんまつりの八坂神社がある。もちろん京都の八坂神社を勧請したものだが、この名称になったのは1872年(明治5年)とのこと。その名がつけられた橋だ。かつては最下流の橋だったが、いまはさらに河口側にひとつ、橋が架かっている。
イメージとしては、柏崎の西本町の商店街がここ鵜川で途切れ、渡って西側に行くと、いかにも「海辺の住宅地」という風情になる。
おもしろいのは親柱内側につけられた銘板で、ローマ字表記だ。それも日本式の。「YASAKABASI」と「SHI」ではなく「SI」になっている。
もうひとつの銘板は道路名が入っているのだが、「市道拍崎1の2号線 昭和五十九年七月竣功」とある。「柏崎」の文字が誤っている。どうしたらこんな間違いが起こるのだろうか。県外の人が製作したのだろうか。また、埋め込む前に気づいた人がいないわけはないだろうが、なぜ作り直させなかったのだろうか。
(Kashmir3D+DEM5m+数値地図25000)
柏崎の一級スリバチ地形で柏崎市中心部の地形について書いたが、今回は駅前から鵜川(左側の川)のあたりについて。
(Kashmir3D+DEM5m+数値地図25000)
(Kashmir3D+地理院地図空中写真1974~1978)
道路の向こうに広がる緑色の部分も含めて河道だ。赤い柵には「水道橋」という銘板があるが、かつてこのあたりいは2連の下路トラスの道路橋、「水道橋」が架かっていた。一部、その遺構かと思えるものがある。
周辺はその「水道橋」の名を取って「水道橋公園」として整備されている。
非常にしっかりとした説明板がある。
聖蹟桜ヶ丘のロータリーに行ってきた。永山から多摩市役所を経て丘を登り、尾根線のようなところにぶつかったら右に折れるとここにあたる。ここが尾根上にあると思っていた、歩いていたときは。
ロータリーはバスが余裕で回転でき、バスベイもある。中央部は植え込みになっている。ロータリーに沿ってはいくつかの商店があるが、商店街と言えるまではない。周辺にも商店はなさそうで、みな、永山か聖蹟桜ヶ丘まで行かねばならぬようだ。
カシミール3Dと5mメッシュ標高データ、数値地図25000で描いた。中央部が緑なのは、ロータリーの位置が最高地点か否かをわかりやすくするためで、ここだけ突出しているわけではない。ロータリーの中心部はすこし標高が高くデータが作られている。
さらに北にヘアピンカーブが続くところがあるか、ここは『耳をすませば』のモデルとなった坂のようだ。下り始める寸前、南東をのぞくとこのように一直線に階段で下っていて、その先の道路では「止まれ」がたくさん見えた。