宗谷本線抜海駅。正面および玄関付近の外板が更新されている。牛山隆信さんのサイト『秘境駅へ行こう!』での2002年のレポートではまだ板張りだ。
しかし、『日本の駅』(鉄道ジャーナル社刊、1972年)ではこのような形で掲載されている。中央部分を凹ませたのか、向かって左を出っ張らせたのか。屋根も外板も更新されているので、羽目板の数を数えても意味がない。遠近感の印象からすると、向かって左を出っ張らせているように見える。
更新された部分の窓。二重窓で、内側は木の桟の三段窓。ということは、ここが当時のままか。
対して、向かって左の出っ張り部分の窓。木枠ではあるが、本来はここも上と同じ木桟の三段窓だったはず。ということは、やはりここを増築したものか。
入口の雪切り室入って右に木の戸がある。ここが便所だ。左の赤い戸は待合室への入口。
ガラガラと戸を開けると、そこには朝顔と個室。もちろん清潔。個室の便器の前には「もっと前」。現代の感覚からすると、便器にまたがるときの前後が狭すぎる…。
待合室への戸はなぜか赤。周辺の壁の腰板は水色。
待合室内部。右が入口で、両開き戸。足ふきの位置…とでもいおうか、そういう雰囲気の床の位置が戸とずれている。左はホームへの戸。
反対向きに。右、ホームへの戸は引き違い戸。
上は駅舎側(下り線)の駅名標、下が対向するホーム(上り線)の駅名標。上は新ゴ、下はゴナ。つまり下のはJR化時に架け替えられたもの、上はその後更新されている。
稚内駅近くの市街地には、南北に平行していくつか道路が走っている。東の際は港。西の際は山裾。その西の際を走っていたら、壁があった。あの、横に二つつながったマルは…!?
日石カルテックスのマークの跡だ。いままで、壁に直接描かれたマークしか見たことはないのだが、ここにはエンブレムのようにはめこまれていたのだろうか。そのエンブレムはどこにいったのだろうか。
JR宗谷本線豊富駅に、オエ61 67が保存されている。非常に貴重な車両だが、状態はよくない。床下機器がまったくないのは、救援車ゆえに水タンクも蓄電池箱も撤去してしまっていたのだろう。写真右、陰になってはいるが、元空気ダメと補助空気ダメはある。
反対側(線路側)。階段がつき、ドアが開いているが、ロックされているのでこれ以上開けることも中に入ることもできない。
線路側の(かつての)荷物用引き戸。木製であること、その構造がよくわかる。板をさまざまに重ね合わせて作っている。
室内は、元が荷物車なので天井がなく、垂木が剥き出し。壁面も木製部分が剥き出し。塗装が剥離している。
JR宗谷本線の雄信内駅。大正14年築の木造駅舎。玄関ポーチというべき駅入り口の上、二重に屋根が三角を描いているのだが、こういう様式となんというのだろうか。
ホーム側。一部、柱が更新されている。
待合室。出入り口は両開き戸。
ホームへの出入り口は引き違い戸。
ホームの光景。跨線橋はなく、構内踏切があるのみ。遮断機はない。いや、踏み板すら申し訳程度にしかない。
橋脚は壁式のような形。跨線橋部分はコンクリート主桁。5主桁の上に張り出し部分を含めて床版がある。まさに「橋」。
階段内部。外観のとおり、踊り場はあるものの、天井は直線。
橋脚にあった銘板。
豊富駅舎。昭和41年築なので、跨線橋とほぼ同時ということだろう。当時の国鉄設計の流行に従い、腰部はタイル貼り、窓および窓上は大きなガラス張り。北海道らしく、煙突が2本抜けている。
内部。無人化から30年近くたっているものの、駅事務室が喫茶店「きっさ ステーション」に改装されて人が常在しているためか、まるで有人駅のようなぬくもりがある。改札口の箱も、おそらく出札・集札を区切っていた人研ぎの仕切りも健在だ。
国道275号に面して、元給油所のサービスルームがぽつんと建っている。その隣には、整備工場の倉庫(?)。
サービスルームが水色で、ピットが白。そして、冠に給油所名。左端のガラスの向こう(室内)に、白い円盤が二つ並んでいる。これは計量器についている日石CALTEXのマークをとりはずしたもの。
独特の書体ではあるが、昭和40年代などにはいろいろなところで使われている気がする。
シチサン。
正面は木製。側面もおそらく木製、その上にトタンが貼ってあるのだろう。正面にはシャッター。