忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


鹿島橋(静岡県)

鹿島橋(静岡県)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)



天竜浜名湖鉄道の車窓から見つけたカンチレバートラス。渡っているのは天竜川。国道152号と362号の重複区間だ。歴史的鋼橋集覧の記事はこちら

20110915-01.JPGこちらは上流側。

20110915-02.JPG下流側には歩道橋が併設されている。まず先に歩道橋を。

20110915-03.JPG柵の外に、さらに柵あり。

20110915-04.JPG主塔からリンクでスチールの望が前後に延びている斜張橋。吊橋ではない。

20110915-14.JPG銘板。

1968年3月
静岡県建造
歩道橋指針(1965)
製作 株式会社横河橋梁製作所
材質 SS41

塗装標記。

塗装年月 1998年2月
塗料名 下塗 鉛系錆止ペイントJIS-K-5625 1種
 中塗 本体 フタル酸樹脂中塗 R40-837(淡)
 高欄 JIS-K-5516-2種 R29-335(淡)
上塗 本体 フタル酸樹脂上塗 R40-837
 高欄 JIS-K-5516-2種 R29-335
塗料会社 関西ペイント(株)
塗装会社 磯部塗装(株)静岡支店
塗装面積 1990m^2

磯部塗装…。

さて、本体の鹿島橋。「かじまばし」と濁る。遠くから見ると、碇着桁のツノはそれほど大きく見えないのだけれど、路面から見ると、床版より下の部分が見えないので、ツノが大きく見える。
20110915-09.JPG左岸(西側)。目立つのは、交通標語…。

20110915-10.JPG左岸は、「安全は自らうち(家庭)から地域から」。この標語のせいで、ツノが見えない!

なお、右岸側は「パパやめて脇見携帯飛ばし過ぎ」だ。このエリアでは父親しかクルマを運転しないのか。右岸が亜も「家庭」とあるし、けっこうひどいな。

20110915-08.JPGこの位置の信号機、いい。

20110915-12.JPG上弦のピン結合部のピン。

20110915-05.JPG横から。

20110915-06.JPG裏側。

20110915-07.JPG下弦。

20110915-11.JPG右岸側・下流側にある塗装標記。

塗装記録表
塗装年月日 2010年1月
塗装会社名 下塗・中塗・上塗 株式会社 構造社
塗装材料名 下塗 エスコNBセーフティ(K)2回塗
 中塗 セラテクトマイルド中塗 N-6.5
 上塗 セラテクトUマイルドシルバー2回塗
塗料製造 下塗・中塗・上塗 関西ペイント株式会社
塗装面積 3,410m^2

20110915-13.JPGこちらは左岸・上流側にある銘板と塗装標記。なぜ塗装標記が下流側と異なるんだ…?


銘板。

昭和十一年
株式会社浅野造船所製作
材料 ICL 八幡製鉄所
 鈑 浅野造船所
 鋲 浅野小倉製鋼所

塗装標記。

塗装年月 2009年2月
塗料名 下塗2回 エポオールスマイル(赤錆色・グレー)
 中塗 VトップHスマイル中塗(DN-70)
 上塗2回 VトップHスマイル上塗(シルバー)
塗料会社名 大日本塗料株式会社
施工者 株式会社高岡塗装
施工面積 3450m^2

橋脚。
20110915-15.JPG水位が書いてある。…よくみると、なぜ桁が青い?

20110915-16.JPG桁裏は青!

冒頭の写真を見ていても、下弦以下が青いのだが、実際には全然気づかなかった。桁下に回って、「あれ? 銀色じゃなかったっけ?」と思った程度の観察力。ということは、あまり違和感なく銀色と青色がつながっているわけだ。でも、なぜ裏側だけ青なのだろう?
 
PR

ゼネラル石油の痕跡

ゼネラル石油の痕跡

Mobil/ESSO/ゼネラル

国道17号で三国峠を越え、新潟県に入ると、すぐに苗場プリンスホテルの門前町とでもいおうか(実際の成り立ちは違う)、三国や浅貝の集落がある。そこで、いつも得も言われぬ感情に襲われる。かつての清里の雰囲気とでもいおうか、ものすごい人数の行楽客を収容できるはずの場所なのに、そんな行楽客は皆無で、いるのは合宿の学生たちばかり。行楽客相手の店も、営業してるんだかしてないんだか、わからぬほどだ。ここで商売が成り立つとは、どうしても思えない。

そんな中に、コインパーキングがある。

20110913_002.JPG両サイドに防火壁。まごうことなきガソリンスタンド。

20110913_000.JPGこの壁の色はゼネラル石油。壁の文字は、上段は不明、二段目はNAEBA。

20110913_001.JPG張り紙が、貼られ、剥がされ。塗装はひび割れて落ちている。これが補修される日は、来るのだろうか。
 

三国峠の表情

三国峠の表情

地図・航空写真・分水嶺



関東と新潟をつなぐ国道17号が通過する三国峠。鉄道はその西北、茂倉岳直下をトンネルでパスしている。こうした「鉄道と道路が別のルートで峠越え」をするパターンは全国にいくつもある。新潟県人ならば、この三国峠に対する思い入れはそれぞれに深いものと思う。21年前、自転車で越えようと思ったのも、そうした思い入れのひとつである。
R17自転車行旅(1)
R17自転車行旅(2)
R17自転車行旅(3)

20110912-03.JPG(三国隧道群馬側坑口)

その後、バイクやクルマで何度となく通過している。つい先日もバイクで往復してきた。そのときに、改めてというか、やっとというか、気づいたことがある。群馬側を見ると、なんとスケールの大きな峠なのだろう、と。福島県・山形県境の大峠ほどではないが、「中峠」くらいではあると思う。群馬側を登り、新潟側に降りると気持ちいいのは、それが理由に違いない。

群馬側は、新三国大橋(国道17号 群馬県)の項でも書いたとおり、新三国大橋から峠が始まる。忠実に尾根と谷をトレースしながら標高を地道に稼ぐ峠越えで、いまとなっては狭苦しい印象も受ける。もし関越道がなければこれらの尾根と谷をトレースするルートはトンネルと橋でどんどんショートカットされるのだろうが、もうそれもないだろう。

20110912-06.jpg(カシミール3Dを使用)

ルート断面を見ると、その地道さがよくわかる。左が新三国大橋、右が三国隧道である。
20110912-05.jpg横軸は水平距離、縦軸は標高。その比率は1:5としてある。赤い線はGPS端末で取得したトラックデータ。カシミール3Dを使用したものだ。約10kmで400mほど標高を稼ぐのがわかる。

三国隧道の群馬側の坑口の標高は1084m。そこから新潟方面に向かってゆるい下り勾配となり、新潟側の坑口の標高は1076m。隧道内の照明は、私が21年前に自転車で通ったときよりもずいぶんと明るくなっている気がした。

20110912-02.JPG新潟側坑口。

新潟側に入ると、一気に下る。道がとてもよくなるのだ。

20110912-09.jpg基本的に、谷筋に沿ってまっすぐ走っている。面白いのは、その谷筋の選び方で、浅貝川(清津川の支流)→火打峠→二居川→二居峠→清津川→芝原峠→越後湯沢、というように、谷筋に沿うために、いくつかの小さの峠越えがある。これが、自転車でくると堪えるのだ…という話は余談か。

断面図を見てみよう。
20110912-07.jpg右が三国隧道、左が二居隧道。10km使って標高差250mほど。しかも途中に標高差70mほどの登り返しがあるのでそれを差し引くと、約6kmで250mほどの標高差となる。群馬側と高倍率はあまり変わらないのがわかるが、道が直線状であるため、そんな印象は受けない。

20110912-08.jpgその続き。右端は二居隧道、左端は柴原腹峠付近(トンネルのためGPS衛星を見失っているのでデータは参考値)。こちらも高倍率はそれほど変わらない。


これらをまとめると、
・群馬側は、峠区間は短いが、道はカーブだらけ
・新潟側は、峠区間が長いが、道は直線状
ということになる。

また、
・群馬側は、新三国大橋からカーブに番号がつけれていて、「55/55」になると「ついにトンネル!」
となるのに対し、
・新潟側は、浅貝の集落を過ぎ、ちょっと行くと「もう三国隧道かよ!」
となるので、峠越えの感動がない。

走る場合…違う、登る場合、どちらが楽しいか? 群馬から新潟に行くのが楽しい、というのは、バイク乗りならばわかってくれるだろう。クルマの場合は、逆のほうが遅いクルマに遮られることが少ないので、逆のほうが印象がいいかもしれない。

国道17号は、近年の渋川以北の付け替えもすごいので、今度は旧道を中心に原付でゆっくり行ってみようと思う。

 

新三国大橋(国道17号 群馬県)

新三国大橋(国道17号 群馬県)

ランガートラス橋



国道17号の三国峠越えは、群馬県側からはこの新三国大橋から始まる。この橋を渡ったところからカーブに番号が付され、「1/55」となっている。55個のカーブを通過すれば、三国トンネルだ。

その新三国大橋は、ランガートラス。トラスはプラット形式。
20110908_000.JPGここから、急に山深さを感じる風景となる。国道121号旧道の大峠ほどではないが、なかなかの山懐の深さを見せてくれる。

20110908_001.JPG新潟側。

写真のとおり、普通に走っていると、普通の人はアーチ橋にしか見えないだろう。しかし、先のように、月夜野から上がってくると、この桁がランガートラスだということがわかる。逆に、三国峠から下ってくると、この橋がランガートラスであることに気づかない可能性がある。

三国峠については書きたいことが山ほどあるが、今日は簡単にここまで。

富士川橋梁(クーパートラス)の撤去映像

富士川橋梁(クーパートラス)の撤去映像

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

@level_7gさんから教えていただいたこの動画。ひたすらすごい。



東海道本線富士川橋梁として架かっていた、クーパートラス。1908年アメリカン・ブリッジ製で、9連が下り線として使用されていたものだ。それが、使用停止され、2連が転用され、残りはそのまま放置されていた。その撤去の模様である。トラス桁が、橋脚に置いてあるだけ…というのがよくわかろうというものだ。

1975年の航空写真を示す。
20110908map.jpg国土画像情報より転載・トリミング)

3本の橋梁が並んでいる。上から、現在の上り線、現在の下り線、上記動画の廃橋だ。この時点では、まだ全9連が残っている。



富士川橋梁の経緯はこうだ。

・初代桁(単線→上り線)…200フィートダブルワーレントラス、9連
 (1888年9月完成・1889年2月1日開業~1915年)
・2代目桁(下り線)…上記動画の橋梁。200フィートプラットトラス、9連
 (1908年製作、1910年3月6日下り線として開通<=複線化完成>、1956年使用停止。
  1982年8月2日に2連が流失)
・3代目桁(上り線→下り線)…初代桁の架け替え。200フィートプラットトラス、9連、現在の下り線
 (1915年開通。架け替え時、単線運転していたのかどうかは不明)
・4代目桁(上り線)…現在の上り線、200フィート中路鈑桁(3径間連続が3連?)
 (1955年供用開始)

富士川の氾濫の被害にはたびたび遭っており、3台目桁は、1917年の洪水で第8連と第9連の間の橋脚が損傷したため、橋脚を別の場所に作り直し、そのために第8連が150フィート、第9連が250フィートの曲弦トラスになっている。さらに、第4連と第5連は1982年に2台目桁とともに流失している。そのときの写真がある。
20110908-1.jpg富士市のサイトより転載)

この部分は、その後、平行弦ワーレントラスが架けられている。


●参考文献
・『歴史的橋梁を訪ねて 富士川橋梁』(塚本雅啓、鉄道ジャーナル2009年8月号)
・『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として』(小西純一、西野保行、淵上龍雄)
・『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁その2』(小西純一、西野保行、淵上龍雄)

『鉄道公安官と呼ばれた男たち』(濱田研吾/交通新聞社)

『鉄道公安官と呼ばれた男たち』(濱田研吾/交通新聞社)

鉄道の本

20110907_001.JPG久しぶりに、ほんとうにいい本に出会った。感動的にいい本だ(内容に感動するのではなく、本の存在として)。その理由はふたつ。

一つは、いままでにこうしたテーマの書物がなかったジャンルに、いきなりアラのない、極めて完成度の高い本が出たこと。もうひとつは、それが、本来の意味の新書であること。ただし、本来の意味の新書であるならば、書店の鉄道書コーナーにしか置かれない交通新聞社新書ではなくて、ちくまや文春、新潮あたりの新書に入ったほうがよかったんじゃないかな、とも思う(しかしあとがきによれば企画は交通新聞社によるものとのことなので、それは無理)。


本書を書くに当たって著者が渉猟した膨大な資料と、関係者への取材で得た見聞に思いを馳せる。しかも著者は三十代後半、鉄道公安制度が消滅した時点では中学生だ。同時代に生き、当時から関心を寄せていたわけではない。あとがきによれば、どうやら、関心をもったのは、本書刊行の、ほんの1年ほど前だったようだ。それでいてこの内容には舌を巻く。

鉄道公安官と聞いて誰もがイメージするのは、「警察みたいな存在」というものだろう。子供の頃、鉄道公安し職員と接点のあった私もそうだった。また一般的に、こうした本は、刑事ドラマみたいなエピソード集になりがちだ。本書にも、「刑事とスリ常習者の間の情」みたいな話は散りばめられている。そういう場合、職業や職制についての解説は一切なく、たとえば刑事ドラマではなんの解説もなしに警察における階級が使われていて、視聴者はそんなことは気にも留めない。

しかし、本書はそうではない。その誕生のエピソードから鉄道公安制度というものを説き起こし、存在意義と、その狭間で揺れ動く職員たちを考察する。犯人と絡むエピソードで読者サービスをしつつ、職制や職業を解説していく。ここが、すばらしい。個人的にはエピソードは不要だし、やや過剰な気もするけれど、なじみやすくするためにはある程度は必要だろうから、マイナス評価にはつなげない。

おそらく、本書は関係者への深い取材をベースに、そこから資料にたどりつき、取材内容を補強し、客観性を持たせていったのではないかと思う。そして改めて記事内容が重複・前後しないように注意しながら時系列で構成しなおしたのではないか。構成も見事で、第1章は、ツカミ。第2章は、誕生。そこから時系列で、最終章は昭和62年3月31日、すなわち鉄道公安制度の終焉の日と後日談である。この構成が著者主導なのか、編集主導なのかはわからない。

著者の立ち位置を示す部分がある。関心のない人は読み流してしまうだろうが、私はここで止まった。182ページ。鉄道公安職員と労働運動に関する記述なのだが、そこに、こうある。
鉄道公安史における労組対策には、当局と組合側、それぞれに言い分があるはずだ。元労働組合員や動労運動経験者のなかには、鉄道公安職員を今なお批判する人がいるかもしれない。今後、国鉄史を調べる人がいれば、国鉄当局、鉄道公安制度、労働組合、その背後にある政治的組織、それぞれの功と罪への中立的視点が必要だと思う。(下線は磯部)
あらゆる人に聞かせたい。よく、「現代の感覚」で過去を語ることがある。労働運動は、その時代背景と空気を知らない限り理解できない。昭和50年代の、国鉄のシステム、職員などあらゆるものが置かれた状況を理解せずに物言う人がなんと多いことか。鉄道の記事を書く人にすら、こうした視点を持った人がどれほどいるだろうか。この一文で、本書への信頼感は確固たるものになった。

一点だけ、「?」と感じる部分があった。198ページ、成田空港へのタンカー列車の警備を行っていたヘリが墜落した記述である。これは「エンジントラブル」であるから、鉄道公安職員が、過激派に殺されたわけではない。いや、もちろん、この著者のことであるからそんなふうにも書いていないのだが、文章の流れは、成田空港開設に伴う過激派の活動にまつわる話につながっている。誤読を招く恐れがある。



本書の帯には、「軽~く読んで、長~く本棚へ」「鉄道犯罪を阻止するプロ対プロのドラマがあった!」とあるが、そんな安っぽいキャッチはまるで本書の内容を言い表していない。ひとつの取材を引き延ばして引き延ばして1冊にしてしまったようなもの(交通新聞社新書にある)と一緒にするな、と言いたい。「しっかり読めて、長く本棚へ」「国鉄は国家であるとともに、国民でもあった。両者の面を持つがゆえに時代に翻弄された鉄道公安制度のすべて」くらいでいい。「軽すぎる」交通新聞社新書の中の、珠玉。パーフェクト。

ひさびさにすばらしい本に出会って、気分がいい。著者の濱田研吾氏と交通新聞社に最大の賛辞をお贈りする。

 

天竜川橋梁(天竜浜名湖鉄道)

天竜川橋梁(天竜浜名湖鉄道)

ワーレントラス



20110904_004.JPG天竜浜名湖鉄道が、天竜川を渡る橋梁。上の写真は下流側・左岸から撮影。

溢流部(西鹿島寄り)は7連のプレートガーダー、本流部(掛川寄り)は3連のワーレントラス。冒頭の地図を「写真」に切り替えればわかるとおり、現在もその関係は変わっていない。架設時と現在とで、溢流部と本流部が逆転したり、流量が変化してまったく流路が変わることも珍しくないのだが、この天竜川橋梁は架設当時と同じ状況にある。

歴史的鋼橋集覧はこちら


第1連。
20110904_002.JPG民家すれすれというか、おそらく流路だったところにトラスが架けられ、その下に堤防が築かれ、その内側(堤防では「外」になる)は陸地化されてそこに道路や住宅が…という流れかな、と推測する。それにしても、この「頭上注意」の下の低さはどうだ。民家の近さはどうだ。列車が通ると、とてもうるさいに違いない。

20110904_001.JPG第1連~第3連は同型のトラス桁。写真は第3連。斜材は45度か。径間62.4vmなので、200フィート級だ。

20110904_000.JPG第3連(トラス)と第4連(プレートガーダー)の架け違い部。こういうものを見ると、枕木高さ等の調整がシビアなんだろうなあ…という思いがする。それと、自分の水平感のおかしさが…orz

20110904_006.JPG第1連を裏側から。

橋脚を見ると、トラス桁部分はπ型、その向こうのプレートガーダー部分は円形だ。

20110904_003.JPGこの角度のほうがわかりやすいかもしれない。

橋脚が華奢に見えるかもしれない。この天竜川橋梁の設計活荷重はKS12。上の写真の第2連のトラスの右側端柱右側に銘板があり、そこにも書かれている(銘板のアップはブレていたので割愛)。


この天竜川の上流側には、カンチレバートラスの鹿島橋が架かっている。私はその鹿島橋も記載したつもりだったが、まだ記事を書いていなかったようだ。後日、書く。
20110904_005.JPG



太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2

鈑桁(プレートガーダー)

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1の続き。第2連から第12連について。

20110902_007.JPGおそらく第3連。第2連と共に短い(第2連の支間は12.9m、第4連以降は19.2m)。

20110902_008.JPG第3連と第4連は長さが異なるので高さも異なるので、このようになっている(右が第3連)。気になるのは、第3連左端、ウエブの上に三つ、下に四つ、それぞれ縦に開いた孔だ。かつてここにリベットで何かの部材が取り付けられていたのだろうか?

20110902_009.jpgこちらは下流側。赤く囲った部分に、謎の物体やプーリーが存置されている。かつて電信線が通されていたものか。といっても、蒸気機関車の時代に撮影された写真にも、撤去されていたように見える。

20110902_012.jpgこれが謎の物体。碍子…ではないような。4枚の水平方向の板は放熱フィンにも見える。どういう用途の何だろう? 気長に気に留めておくことにする。

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1

鈑桁(プレートガーダー)



20110902_011.JPG(左岸南側より。画像右手=戸綿、左手=遠州森)

天竜浜名湖鉄道の、遠州森~戸綿間にかかる…というよりも、戸綿駅の、遠州森寄りにある橋梁である。橋梁192m、全12連。今年(2011年)1月に登録有形文化財(建造物)となっている。今回は戸綿から見ているので、そちらを基準に書く。

この太田川橋梁は12連で、戸綿駅側から1、2、…と番号が振られている。第1連のみ下路プレートガーダーで、下を県道58号が通り、第2連から第12連までは上路プレートガーダーである。径間はそれぞれ異なる。

戸綿駅のホームから見ると、こうだ。
20110902_006.JPG左下にガソリンスタンドが写っている。実は、そのスタンドを見に行ったので、この太田川橋梁は行きがけの駄賃だったりする。スタンドについてはいずれ書く。

まずは、第1連。
20110902_000.JPG桁下高さを稼ぐために下路となっている。しかし、橋梁ガードはない。もしここにハイキューブコンテナを積んだトレーラーが突っ込んできたら…。

(9/3追記:ここはガード下4.45m。ハイキューブコンテナ積んだトレーラーは約4.1mなので、大丈夫でした)

20110902_004.JPG橋台に乗る端部。塗装標記はこう。

橋りょう名 太田川橋りょう
位置 戸綿~遠州森間12K266M87
支間 12M90
塗装年月 2000年3月
塗装回数 3回塗
塗装種別 下塗 塩基性クロム酸鉛系サビ止ペイント
及塗料名 中塗 長油性フタル酸樹脂塗料
       上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料会社 大日本塗料株式会社
施工者 加藤塗装株式会社

20110902_005.JPG下路桁なので、横桁がかましてある。腹材との接合部は、上に赤く囲ったとおりの場所にある。リブひとつおきに配置され、リベット留めされている。

20110902_002.jpg銘板。

鉄道省
活荷重KS12 図すは212
川崎車輌株式会社製作
昭和八年(○○○○○○)
-----------
材料
I.○○○鉄○
C. 仝上
L. 仝上
  日本鋼管株式会社
鈑 川崎製鉄所
鋲 浅野○○製○所

隣接する第2連の桁から、上路になる。
20110902_003.JPGその架け違い部分。右が第1連、左が第2連。こちらも支間は12.9m。左下に見えている屋根は公衆トイレ。

第2連を下から。
20110902_001.JPG奥(画面下)が第1連だ。

この部分の橋脚は、下路鈑桁を受けるために幅広になっている。上路鈑桁の部分は、いささか持てあまし気味だ。

太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2へ続く


 

『Fの時代』と『Cの時代』

『Fの時代』と『Cの時代』

独言・日記

20110901_000.JPG一昨日、『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違いを書いたので、その続きとして、広田氏の2冊の写真集をもとに、もう少し書いてみたい。

広田尚敬氏の「鉄道写真60周年」企画として、6社から7冊(インプレスからは出たのかしら…)刊行するというものがあった。そのうち、所持しているのは表題の『Fの時代』(小学館)と『Cの時代』(JTBパブリッシング)だけである。そのほかの4冊(インプレスは見てない)は、手には取ったけれど、買ってはいない。本当は、あと1冊、『昭和三十四年二月北海道』(ネコパブリッシング)は欲しいのだけれど、いちまんえんにおののいて未入手である…。

『昭和三十四年二月北海道』は置いておいて、なぜ『Fの時代』と『Cの時代』を持っているのかというと、この2冊が突出して「写真集」として、優れているからだ。私の「写真集観」にあうのだ。広田氏の作品といえど、編集がダメなら写真集として鑑賞できなくなる。『Bの時代 鉄橋コレクション』(講談社)はその悪い例で、「過去に撮ったものから、鉄橋を撮影地にしたポジだけ集めました」というようにしか見えない。編集者は、広田氏が「なぜそこで鉄橋を構図に入れたか」などは考えていないのではないか。『Cの時代』の中にも、鉄橋(この言い方は好きではないが)を渡る作品はいくつもある。効果的に組み合わせてある「流れ」もある。それができていないのは、編集が悪い、のだ。

20110901_001.JPG

さて、『Fの時代』と『Cの時代』。この2冊は、判型も違うし、制作の方法論も違う。推測だが、『Fの時代』は、贅を尽くして「思う存分、作り上げた」もの。4935円という定価がそれを物語る。紙、印刷、装丁、すべてに手を抜いていない。横長の本を、書店の棚に並べやすくするために箱入りにするなど、それだけで単価で数百円はかかるはずである。でも、できた。思う存分できるのは、編集者としてこれ以上羨ましいことはない。一方、『Cの時代』は「キャンブックス」といA5判のシリーズに組み込まれている。装丁(いわゆるデザイン)も価格もシリーズの統一感や制約がある。なのに、この2冊の写真集の展開は、そっくりなのだ。

具体的に同じという意味ではない。読者が、「次の展開はこうかな…」と予測できるのだ。言い方を変えれば、読者が自然に「流れ」を感じることができ、引き込まれていく。どちらかといえば『Cの時代』よりも『Fの時代』のほうが、より強く「流れ」を意識できる。例えば、44ページから。

隧道から飛び出す、右向きのC59

右向きC62の後追い

右向きD52の真横

右向きD51と左向きC59のすれ違い(ここで向きが入れ替わる)

左向きC59

左向きC59

画面左端にC62正面がち

それが引く客車内からC62のテンダ
(この流れ終了)


任意のページで、こういう見方を試して欲しい。まず、任意のページで機関車の大きさと進行方向を見る。ページをめくり、次の「それ」を見る。どう違うか、その「差」を憶える。さらに次のページの「それ」を見る。きっと、「差」は同じか、等比数列のように、大きく上書きされて繰り返されていくはずだ。

膨大な数の作品を前に、それをどう並べればベストか…を考えることは、とても大変なことだ。1週間悩んでも答えがでないかもしれない。ただ、コツ はあって、鍵となる作品を軸に考えていく。上記の例でいえば、すれ違う作品が鍵である。また、最初と最後に位置する作品は、最初から「これ」と決まってい るだろう。その間をつなぐように、作品を構成していく。その作業は、「流れ」が見えてこないうちは辛くて辛くてしょうがないけれど、一度「流れ」が見えれ ば時間の経つのを忘れてしまうほど、楽しい。



最近の『レイルマガジン』のフォトギャラリーのページは、この「流れ」が見えないものばかりだ。『鉄道ファン』や『鉄道ピクトリアル』は、もともと見えなかった。要するに、拙い。『レイルマガジン』は、以前は、特集における読者投稿作品のギャラリーにしても、一人の作品によるRMギャラリーにしても、見せてくれたものだったが…。あまりにもダメ続きなので、買うのを止めてしまった。鉄道写真の「見せ方」ということについては、私の好みにとっては、あまりよくない方向に進んでいると思っている。
 

[PR]