中央本線の韮崎から小淵沢にかけての地形がおもしろい。電車に乗っていてもわからないし、単純な地形図を見ていても気づきづらい。しかし、標高データを与えて立体的に表現すると、この部分はおもしろい地形をしていることと、「中央本線は、こんな場所を通っていたのか!」ということにすぐ気づく。
(カシミール3D+DEM5m+数値地図50000。クリックで拡大) 少し右に回転させているので、北は1時の方向だ。真ん中の、舌のような形をした台地を「七里岩台地」という。細長い部分だけで、長さは約9kmある。中央本線は、甲府方向(画像のずっと下)から韮崎までは川沿いを走り、そこからこの七里岩台地を一気に駆け上がる。甲府駅の標高は274m、韮崎駅は354m、小淵沢駅は886m。 七里岩台地の西(左)に流れるのが釜無川(本流)、東(右)は塩川。その塩川を上流(上)にたどっていくと谷が深くなる。そこが、小海線のΩカーブである。 中央本線のルートを赤で示した。右へ左へとカーブで長さを稼ぎながら標高を稼いでいるのがよくわかる。韮崎までは緩急つけつつ最大21‰、韮崎からは延々25‰の連続勾配。韮崎、新府、穴山、長坂はスイッチバックがあった。中央本線に対して中央道は最初から東の山側を走り、徐々に徐々に高度を稼いでいる。 画像最上部は小淵沢、そこから時計回りで半回転した後で東(右)に行くのは小海線、その半回転も高度を稼ぐためだということも理解できよう。 このルート取りを見出した当時の人は、平面の地図から、どうやって頭の中でこの地形を立体に描いていたのだろうか。 PR
本書は小学館新書のひとつだ。新書というのは一般的に大きく分けて2タイプあり、一つは岩波や中公などの「教養新書」(時事的なテーマもこちらに含まれる)、もうひとつは私も携わるじっぴコンパクト新書などの「雑学新書」である。どちらも執筆者は読者になにがしかを「教える」ことが共通している。しかし、本書はそのどちらにも当てはまらない。
たぶん、著者も編集者もそれぞれ相当に悩んだのではないかと思う。なぜならば、普通の出版社・編集者ならば、「456回の記録を全部、羅列して下さい」というに違いないからだ。ところがそういう本ではない。悩んだ軌跡はタイトルが物語っている…と思う(この段落は私の妄想)。 僭越ながら、よくぞ著者はこの形で書き切った…とさえ感じる。旅と人生の吐露。決して「456回の記録」という書き方ではないのに、456回の思いは十分に感じ取ることができる。いや、乗車だけではない。その何倍もの「見送った」回数の思いも、さらに全ページの行間を厚くしている。私が大好きな「この著者でなければ書けない、著者の思い」がたっぷり詰まっている。これまた僭越ながら、見守った編集者にも賛辞を贈りたい。 読んだ人に気づいて欲しいので詳しく書かないが、帯のイラストは大変重要な意味を持っている。本書の緻密な設計が、当初からのものなのか徹底した話し合いの産物かはわからないのだけれど、「新書」のパッケージながら「新書」らしからぬ形で、とにかくすべて完璧な方向で仕上がっている。安価ということもあり、多くの旅好き、とりわけ北斗星に一度でも乗ったことがある人、北海道への思いを募らせている人たちに、読んでほしいと思う。 * * *
さて、そもそも鈴木周作さんが北斗星に乗るようになったのは、あまりに多忙な日常から突発的に抜け出すときに北斗星に乗ったことから始まる。そのくだりを電車の中で読んでいて、目頭が熱くなってしまった。なぜなら、同じようなときに、私も北斗星を含む「北海道」に助けられたことがあるからだ。以下はすべて私の話だ。 5年間ほど、休日などまったく取れない日々を送っていた時期があった。2002年1月は、20日頃までにしなければならないことが、10日木曜日になっても決まっていなかった。その週末の3連休は、気持ちばかりは焦るが、することがない。ならば…ということで、有楽町駅に向かい、ぐるり北海道フリーきっぷと、11日金曜日夕方発のやまびこ49号、はつかり25号、はまなすを予約した。娘はまだ小さかったので家を空けるのはためらわれたが、妻は出かけるのを薦めてくれた。 2002年1月11日金曜日の夕方、2、3泊分の簡単な着替えと、でかい三脚、カメラとレンズ2本をモンベルのダッフルバッグに入れて東北新幹線に乗った。まだ盛岡までの時代だ。はつかり、はまなすと乗り継いだ。深夜の函館駅での機関車交換作業は、見ている人などだれもいなかった。 札幌に着き、そのまま稚内へ向かった。ただ、果てに向かいたかった。音威子府で各停に乗り換えた。どうせ稚内からの折り返しまで間があるので、確か下沼と兜沼か、ふたつの無人駅に立ち寄った。 スーパー宗谷4号が発車する頃には夜のとばりが落ちていた。 まったくのノープラン。札幌で、帰り…13日日曜日発の北斗星4号のB個室寝台を確保する。15日月曜朝に帰ってもよかったのだが、もう満喫したのでちょっと早めに帰ることにした。その晩は札幌に泊まり、13日日曜は根室まで往復して南千歳から北斗星に乗った。個室の中で、空を仰ぎ見ながら、いろいろとしみじみしてしまったことははっきりと記憶している。スリーブが見つからないので、マウントしてあったED79への交換を貼る。電源車は50系改造のマニ24 500番台である。 * * *
北斗星に初めて乗ったのは1996年12月。それ以前に3回、鉄道で渡道しているが、はまなす/海峡、海峡/海峡、はまなす/はつかりで、北斗星に乗ろうとはたぶん思ったことがなかった。以降の乗車記録。基本的には、いい「移動手段」だった。思ったよりも乗っていないなと思った。・1996年12月 上野→札幌 B開放 ディナー利用(旅行) ・2002年1月 南千歳→上野 Bソロ(突発) ・2003年1月 札幌→上野 Bソロ(撮影) ・2004年12月?(撮影) ・2005年6月?(撮影) ・2005年10月 上野→南千歳 (家族旅行で一人先に) ・2007年8月 札幌→上野 B開放(家族旅行で一人帰京) ・2008年6月 上野→洞爺(撮影) ・2008年6月 洞爺→上野 B開放(撮影) こうして北斗星のことを思い返すと、もう一度乗っておきたくなる。それも「移動手段」として。5月か6月頃、なんとかやりくりして行ってきたいものだ。そして、乗るなら「下り」がいいと思っている。
北越急行にはいくつもの長大トンネルがあり、そのうち赤倉、薬師、儀明の三つのトンネル内に交換用の信号場がある。各停だけでなく「はくたか」もそこで停止し、「はくたか」や各停と行き違い、あるいは追い越される(以下、便宜的に「交換」とする)。その際、自車はトンネル内で停止しているが、交換する列車がトンネルに入ると風圧で車体が歪むのを感じ、自身の身体では耳ツンなどで気圧の変化を感じる。
今回、北越急行の上下列車に乗り、薬師峠信号場での気圧の変化を記録した。場所はここだ。 薬師峠トンネルは六日町起点18km937m04地点から始まり、延長は6199m17。薬師峠信号場はトンネルに入って4869m17の地点、西側出口近くの23km806m21にある。西側までは1330m00だ。 <関連記事> 北越急行十日町トンネルから信濃川橋梁へ 北越急行の地形的妙味(1)十日町 ●838M(越後湯沢→直江津)の記録(薬師峠) 4年ほど前に撮った動画がある。12秒後くらいに、対向するはくたかが薬師峠トンネルに入るとHK-100の車体が歪むのがわかる。 気圧高度計を内蔵したハンディGPS(DAKOTA20)で表示された気圧と標高を下記に列記する。気圧はリアルタイムで見ることも外部に取り出すこともできないようなので、標高を見ていただくほうがいいと思う。標高が上がる=気圧が下がる、標高が下がる=気圧が上がる、ということである。計測は2両目後部。なぜか、GPS端末によるログと、スマホの時計で見ていた時刻に2分の差がある。当日、気圧の校正は高崎付近でしかしていないので、表示される標高はあくまでも「気圧を別の形で置き換えたもの」として読んでいただきたい。 乗車したのは2両編成の最後部。当日は遅れが発生していたので、交換待ちが長時間となっている。 14:--:-- 薬師峠トンネルに進入。東側坑口の標高は150m(以下単位省略)のはず。進入後、指示標高値は213から233まであがり、ゆっくりと180まで下がる 14:14:00 薬師峠信号場に停止。以降、14:20:00まで、176~174の間をゆっくり上下する 14:20:10 170 対向の「はくたか」がトンネル進入 14:20:15 64 一気に標高が下がる(気圧が上がる) 14:20:20 -20 14:20:25 -50 14:20:30 -84 もっとも気圧が上がった 14:20:35 -75 14:20:40 -56 「はくたか」が近づくにつれ気圧が下がる 14:20:45 69 「はくたか」と交換。一気に下がる 14:20:50 281 急激な気圧変化で負圧に晒され、耳が痛い 14:20:58 306 もっとも気圧が下がった 14:20:55 273 「はくたか」が遠ざかるにつれて気圧は上がる 14:21:00 249 14:21:05 259 14:21:10 218 14:21:15 188 14:21:20 155 828M発車。停車時より気圧が高い 14:21:25 165 14:21:30 230 発車後、一気に車内の気圧が下がる。耳が痛い。 「はくたか」はまだトンネル内にいる。「はくたか」とともにトンネル内の空気を吸い出している形になるのだろう。 14:21:35 261 14:21:40 251 14:21:45 245 14:21:50 236 14:21:55 246 14:22:00 300 14:22:05 316 14:22:10 330 14:22:15 353 14:22:20 359 14:22:25 366 14:22:30 372 トンネル出口が見えている地点で、もっとも気圧が下がった 14:22:35 353 14:22:40 327 14:22:45 380 薬師峠トンネルから出る 14:22:50 172 ほぼ標高値は正確 14:22:55 166 実測してわかったのは、 ・対向列車が入るとトンネル内の空気は圧縮されるので、気圧は上がる ・対向列車とすれ違い、対向列車が遠ざかると気圧は下がる ・自列車が発車すると、さらに気圧は下がる ということだ。机上で考えればわかることでもあるが、実際に数字で見るのがおもしろい。 ●835M(直江津→越後湯沢)の記録(薬師峠) 12:00:00 薬師峠トンネルに西側からゆっくり進入。 12:02:00 223m。薬師峠信号場で停車。気圧表示は1017kPa。 停車中、標高は223→218と少しずつ下がり、上がり、下がった。 12:04:05 182 対向の「はくたか8号」進入。160→200→191と上下する 12:05:35 184 12:05:45 193 12:05:55 193 12:06:20 191 12:07:10 201 徐々に気圧が下がってきた 12:07:12 238 12:07:14 267 12:07:15 275 12:07:20 282 「はくたか8号」が対向で通過 12:07:25 257 一瞬、気圧が上がる 12:07:30 301 「はくたか8号」が遠ざかるにつれて気圧が下がる 12:07:35 374 12:07:40 390 12:07:45 ? 835M、発車。まだ気圧は戻っていない 12:07:50 399 もっとも気圧が下がった瞬間。約20kPa下がったか(単純計算はできないし私には難しい計算もできない)。トンネル内で2列車がお互いに出口に向かっている状態 12:07:55 395 12:08:00 301 12:08:05 166 気圧が一気に上がる。「はくたか8号」がトンネルから出た? 12:08:15 183 こちらはまだトンネル内。再び気圧低下 12:08:20 216 12:08:25 243 12:08:30 291 12:08:35 323 もっとも気圧が下がった 12:08:40 301 徐々に気圧上昇 12:08:45 250 12:08:50 235 気圧低下に反転 12:08:55 244 12:09:00 285 12:09:05 310 12:09:10 327 三度、気圧低下 12:09:15 325 12:09:20 302 12:09:25 280 気圧の上下を繰り返す 12:09:30 260 12:09:35 257 12:09:40 260 12:09:45 276 12:09:50 290 12:09:55 291 12:10:00 284 12:10:30 270 12:11:00 223 耳ツンになる 12:11:15 218 12:11:18 193 薬師峠トンネルを東側に出る …といった経緯を辿った。最後、12:11:00で耳ツンになったのがよくわからないのだが、出口が近くなってトンネル内の気圧の前線のようなものがあるのだろうか。 * * *
この三つの信号場で「はくたか」と対向できるのは2015年3月まで。体験するならいまのうちだ。 『鉄道ファン』2015年2月号に、「北越急行『はくたか』の時代」が掲載されている。元国鉄で、北越急行立ち上げ時に移り、のちに社長となった大熊孝夫氏による24ページにも及ぶ記事が掲載されている。北越急行は、首都圏対北陸のバイパス路線として収益をしっかり確保しているため、当初から国などが主導して成功が約束されていたように考えてしまうが、そんな簡単にできたわけではないことがよくわかる。 来たる3月で北越急行はこれまでの役割を終える。それでも、この鉄道の面白さは変わらないし、沿線の風景も大きくは変わらないだろう。これからも毎年、沿線を楽しもうと思う。 ほくほく大島駅付近。この青空、緑、グレーが大好きだ。 |
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