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新津出身のマンガ家・高野文子の『黄色い本』の主人公の名前は「田家実地子(たいみちこ)」。「田家(たや)」だと思ってた、そういえば新発田に「上羽津田家」っていうバス亭があってそこから二王子岳に登ったな…と思って見たら、それは記憶の混同で、実は「田屋(たや)」だったし、そもそも「田家」は新津だった。


その「上羽津田屋」は、高校生当時に2万5000図で見た記憶があり、また、バス停もあってそこで降りていた。確か「上板山行き」だったと思う。当時は普通の路線バスが走っていたが、いまは「川東コミュニティバス」になっている。高校山岳部みたいな集団が来たら迷惑この上ないというか、乗れないだろう。

「上羽津田屋」はいまも地理院地図に載っていて、南には「中田屋」「下田屋」がある。そこで、『角川日本地名大辞典 新潟県』を見てみたら…ない。「田屋」がない。いや、あるが、板倉町、糸魚川市、柏崎市、五泉市、長岡市(いずれも当時)しかない。

ということは、字名か。

国土地理院の地形図に掲載されている地名は、基準がよくわからない。有名なのは、函南の「新幹線」だ。大字ではないけれど掲載されている。それにしては、「田屋」は「中田屋」「下田屋」があるくらいなので、そこそこの範囲はある。『角川日本地名大辞典 新潟県』は字名も対象としているが、全てではないだろうから、落とされたか。



『黄色い本』には「川の土手と、その外側の水路」など、新潟っぽい場面がいくつもある。あ、わかる、となる。出てくる方言は新潟弁だ。





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新潟の西の郊外にある、新川と西川の立体交差。2014年の記事では、水路橋の実像がよくわからないが、空撮することで、よく理解できると思う。

動画を。


●関連項目
西川水路橋(新潟県) 水の立体交差
北越急行の十日町駅付近はとてもおもしろい。六日町方面から魚沼丘陵を突き抜けてきた列車は、住宅街を右に左にくねりながら高架の十日町駅まで上り詰め、十日町駅を出ると、今度は一気に地面に突き刺さるように下って地面に潜る。そして、信濃川の河岸段丘の壁に飛び出し、連続ワーレントラスで信濃川を渡って対岸の河岸段丘に突っ込むのだ。

十日町駅まで駆け上がる前面展望動画


十日町駅を出て33‰で地面に潜っていく前面展望動画


この先、信濃川を渡る部分の河岸段丘感は、空撮だとわかりやすいだろう…と思って撮ったが、標高を5倍くらいに強調しないとちょっとわかりづらいかもしれない。
 

どこがどうかを記した。
 

ここは、凸凹地図で示すとこうなる。
(Kashmir3D+5mメッシュ標高データ+数値地図25000にて描いた十日町駅の西)

対岸のほうが、「河岸段丘に突っ込む」ということがわかりやすかもしれない。
 

空撮動画。



●関連項目(重複多数あり)
北越急行の地形的妙味(1)十日町
北越急行の地形的妙味(2)犀潟
北越急行の高架橋
北越急行(下り)十日町駅進入と発車/くびき発車
北越急行 蜘ヶ池(くもがいけ)高架橋の桁
北越急行十日町トンネルから信濃川橋梁へ
北越急行 薬師峠での列車交換時の気圧変化









JR東日本 小千谷第二発電所 山本第二調整池の「皇紀」古レールの続き。

  
小千谷発電所と小千谷第二発電所、山本調整池と山本第二調整池が隣接し、ちょっとわかりにくいので写真に示すとこうなる。

千手発電所(第1期・第2期)で使われた水は、そのまま第3期・第4期真人沢水路橋(小千谷発電所用)を通って、青い矢印のように写真右上のゲートから山本調整池に流れ込む。そこから4本の水圧管路で小千谷発電所に送水する。

調整池内には弧を描くのは越流堤で、余水を写真右下に落とす(黄色い矢印)。右下の黄緑のマルは、写真の枠外にある取水塔で、そこから余水を信濃川に流すと同時に、U字型に囲われた連絡水槽にも送水している(黄緑の矢印)。そして、そこからも1本、水圧管路が小千谷発電所に伸びている。

 
(地理院地図に加筆)
地図に示すとこうなる。地図に描いた青線が第3期・第4期、ピンクの線が第5期だ。

 
上空でカメラを右に振る。写真上にわずかに見えているのが第二調整池。(撮ったときは気づいていなかったので、こんなカットに…)

 
5本の水圧管路をアーチ橋で越える。


JR小千谷発電所と山本調整池の空撮動画。



<信濃川発電所関連項目>
第3期・第4期真人沢水路橋(小千谷発電所用)
第3期・第4期真人沢水路橋(小千谷発電所用)空撮
第5期真人沢水路橋(小千谷第二発電所用)
第5期真人沢水路橋(小千谷第二発電所用)空撮
第5期源藤山沢水路橋(小千谷第二発電所用)
小千谷発電所と山本調整池 空撮
JR東日本 小千谷第二発電所 山本第二調整池の「皇紀」古レール
21年ぶりの清水峠

【参考】
にいがた土木構造物めぐり
変電・饋電(き電)・通信のもろもろ   446. JR東日本 小千谷第二(新小千谷)発電所

【概要】
総称:信濃川発電所
(第1・2期)宮中取水口→浅河原調整池→千手発電所→清水峠(154kV)
(第3・4期)千手発電所→山本調整池→小千谷発電所→千手発電所
(第5期)新宮中取水口→山本第二調整池→小千谷第二発電所→小千谷発電所(たぶん)


地図式の車補(特殊区間用特別補充券地図式)の路線図の続き。


一般用特別車内補充券(長岡車掌区)。

1981年だろうか。「年」が書いていないので困る。1322レは、新潟~直江津~長野~高崎~上野を1日かけて走っていた客車列車の新潟~直江津部分。といっても列車番号は4分割されていた。おそらく2回乗っている。これはそのときにコレクション用に作ってもらったもの。「往復」で100円になっているのは、手間をかけさせるわりに50円だというのもなあ…という、子どものくせに配慮したもの。

 
年不明。同じく長岡車掌区。313Mは「とがくし3号」と思われる。1980年10月の時刻表では「313M」がなく、「とがくし1号」が315M、「とがくし3号」が317M」。おそらく1981年10月か1982年11月改正あたりで列車番号が変わったと思われる。柏崎の親戚宅から新潟に帰るとき、いつもは自由席だが、このときは座れなくて指定席に移動したのだろう。

 
年不明。新潟車掌区。4003Mは「雷鳥3号」で、ぼくは柏崎から新潟に行くのに特急に乗ったのは1回だけ、と記憶していたのだけれど、この補充券があるということは、乗っているのだ。しかも車内で買っている。こんな真っ昼間の時間帯というのも妙だ。まったく記憶がない。

 
これも年不明。1982年か。新潟車掌区。1229レ。手元の1980年10月の時刻表では「229レ」はあるが「1229レ」はない。コレクション用に作ってもらったものと思われる。

 
1981年か。1337M、直江津車掌区。これは実際に使ったものだ。叔母と従兄弟(当時未就学児)とぼくとで、大久保隧道付近から鯨波駅まで歩いて、電車で柏崎駅に帰ってきたのだ。そのときの写真も残っている。しかし、日付を見て驚いた。なぜ6月13日なのだろうか。親戚宅に行くのは、春、夏、冬休みだったのだ。6月に行った記憶はない…。

 
1982年8月28日、金沢車掌区。501Dは「しらゆき」だ。この日、母と、初めて魚沼線・赤谷線に乗りに行った。基本的に普通列車での移動だったのだけれど、長岡~新津間は急行に乗らざるを得なかった。「記事」欄にはなんと書いてあるのだろう、読めない。

 
1984年7月30日、福井車掌区。224レ。鉄道少年団全国大会で武生に行ったときだ。なぜ鯖江~武生なのか思い出せない。鯖江に泊まったのだろうか。






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