「道の駅木曽福島」から見える、ド太い水管橋。写真は木曽川の上流を向いている。写真右が左岸、写真左が右岸。右岸方向に木曽ダムがある。 長さ65mのトラスはプラットトラスに組まれている。写真左のプレートガーダーは20mの2連。歴史的鋼橋集覧によれば、面白いことに下流側から第1・2・3連と呼称されている。 水の流れに従ってサイホン橋の水管をたどると(写真左に向かうという意味)そこには昭和43年(1968年)竣功の木曽ダムがあるので、「昭和40年代にプラットトラスの水管橋かよ!」と思うかもしれないが、もちろんそんなことはない。このプラットトラスはその30年前、昭和13年(1938年)横河橋梁(大阪)製である。 なぜその橋が30年後に別の用途に転用されたかについては、こちらのサイトに詳しいので、ぜひご覧いただきたい。 ・木曽川に架かる橋(2) ~ 寝覚発電所サイホン橋 ~ ・深まりゆく木曽路の秋 ~寝覚発電所木曽川取水ダム~ この水管橋の役割は、上流の寝覚発電所取水口で取水した水を左岸の水路隧道でこの位置まで導き、このサイホン橋で右岸に渡し、木曽ダムからの水とあわせて右岸の水路隧道で寝覚発電所に送ることにある。位置関係はこうだ。 (カシミール3Dを使用) 木曽福島駅の南にある取水口は、標高約740m(より低いはず)。サイホン橋のあたりでは、10mメッシュ標高データから読む限り、約730m程度か。木曽ダムの水面も約730mである。そして、サイホン橋からの水と木曽ダムからの水とが合わさる位置に池がある。この周辺は約740~750m。ここから下記の位置の寝覚発電所(標高約680m程度)の直上に水を送り、一気に落下させて発電している。その水は、また水路隧道に入って下流の上松発電所で使われている。 左岸側。「太い」という感想しか出ない。水管の継手は橋台側にある。 右岸。継手はトラス内にある。 水管の継手は、ちょっと首をつっこんっでみたい分野だが、どこかにいい資料はないだろうか。 実はこのとき、事前調査をしていかなかったので、このサイホン橋の上まで行けることを知らず、遠くから眺めることしかできないと思ってた。ところが、どうやらクルマでも走れるらしい。来年あたりにまた行かねばならぬ。無念。しかし、楽しみ。「鉄管橋」バス停もあるというので、それも見ておきたい。 PR 福島県の南郷と只見を結ぶ国道289号は伊南川(只見川の支流)の南側を走るが、北側に県道360号がある。一部に1.5車線部分があるが、そこを走っていたら、プラットトラスが目に飛び込んできた。 東京電力伊南川発電所取水口にかかっている。非常に小振りな橋である。しかし、近寄ることができないため、正確な高さはわからない。 右側端柱には「東京田原製作所製造」、左側には昭和十二年十一月竣功」とある。 この田原製作所、検索すると、『山さ行がねが』の「橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋」に掲載されている水管橋がまっさきに引っかかる。さすがだ。 付属する建物の標記。 プラットトラスの床版は板張り。グレーチングなどに張り替えられててもよさそうなものだが、板張りが残っていて好もしい。 ここから南東に数百メートル行くと、国道289号に出会う。そこにあるのが、明和橋である。 上越線 第一利根川橋梁(群馬県)の続き。 夏場だと、全然見えない。右が上り線で開通当時からの橋梁、左が下り線で複線化時の増設橋梁。 まずは上り線から。 近づいてもこんな感じになってしまう。これは冬に撮り直さねばなるまい。 右端手前方向が高崎方、左オクが水上方。高崎方の第1連が19.2m(63フィート)のプレートガーダー、第2連・第3連が47m(154フィート)のプラットトラス、第4連・第5連が19.2mのプレートガーダー。桁の長さは第一利根川橋梁と同じだ。橋脚は石積であるのがかろうじてわかる程度。 第1連の銘板と、第2連(トラス)の縦桁にある塗装標記。そうか、上路トラスはここに塗装標記があることもあるのか。 銘板は280mmでもこのくらい。「鉄道省」という文字はわかる。製作者は読めず。こういうときのために、KDX4でも買っておくべきか…。 下り線。この区間が開業したのは、1963年(昭和38年)12月20日だ。 第一利根川橋梁と同じように、上り線ではトラスを架けるようなスパンをプレートガーダーで処理している。橋脚はもちろん鉄筋(鉄骨?)コンクリート製。 短い鈑桁。第1連。 長い第2連についている銘板。こちらはなんとか読める。 日本国有鉄道 1963(38-24) KS-18DG895(2)-1 ○○229.0T 2725m^2 ○○9.4T 360m^2 東京鉄骨橋梁製作所 銘板の手前にある円筒状の枠は、橋梁点検用のハシゴである。 橋台の銘板。 第2利根川橋梁 設計 日本国有鉄道○○工事局 施工 株式会社間組 設計荷重 KS18 基礎工 鉄筋コンクリート ○○根入 天端から12M50 着手 昭和36年12月28日 しゅん工 昭和38年3月31日 いやほんと、冬にクル! 上越線は、新前橋付近から利根川の右岸(西側)を遡行する。そして、上越国境を越えるまでに8回、利根川を渡る。湯檜曽以北で渡るのは、支流の湯檜曽川だ。その八つの橋梁のうち、七つまでが歴史的鋼橋集覧に掲載さsれている。なぜ「第五」がそうでないのかは不明。 この第一利根川橋梁は鉄道写真の撮影地としても有名で、多くの画像がweb上に出回っている。 手前側が上り線、その奥が下り線。現・上り線が最初に建設され、複線化時に下り線が建設された。 まず上り線。第1~4連と第8連は支間19.2m(63フィート)のプレートガーダー、中央の3径間が47m(154フィート)の上路プラットトラスとなっている。上路プラットトラスは、桁下高さが十分な場合に採用されるのだが、ここでは上路プラットトラスの下端が堤防の上端とほぼ同じ高さとなっている。どちらが先かはわからないが、堤防の形状を見ると、どうもトラス桁の下端に合わせているように見える。 プラットトラス部分。今後紹介していく第○利根川橋梁の上り線に154フィート上路トラスがある場合、すべてこの形状である。 こちらは鈑桁。 鈑桁とトラス桁の接続部分がおもしろい。 写真右のように、トラス桁の高さに合わせるように、鳥居型(なんと言えばいいのだろう)の鋼製橋脚が、鈑桁の下部まで延びている。 この橋脚は、橋脚との間と、桁との間双方に支承を持っている。どちらもピン支承で、おそらくスライドするのは他端だろうと思うが、そこまで見えない。 右写真、鈑桁のこちら側に、通路を保持するフ型の支柱がある。 (角度は違うけれど) 古レール! よく見るとUNIONと見える。ドイツ製の古レールがこんなところに。 別角度と、架線柱の入り込み具合。 以上、上り線。以下、下り線。 こちらの複線化開業は1964年(昭和39年)3月18日。その間に、154フィート程度なら鈑桁で可能となっており、同じ支間でトラス橋から鈑桁への転換が図られている。鈑桁のほうが、桁も、橋脚も安価になるのだろう。 銘板。 日本国有鉄道 1962(36-79) KS-18 DG819-1 DG 21.3T 335○ ○(852)19 2(.?)1T 72○ ○○鉄○株式会社 下り線(左)と上り線(右) 画像右上、短い鈑桁と長い鈑桁が組み合わされている部分の橋脚も興味深い。
留萌本線の下り列車が留萌駅を出るとすぐに、車窓右に使われていないトラス橋がある。それが副港橋梁だ。
こんな感じで、本線(向こうが増毛側)に隣接して架けられている。写真は手前が留萌方、向こうが増毛方。右の副港橋梁は、このまま朽ちていくのだろうか。 「歴史的鋼橋集覧」によれば、1929年櫻田機械製。銘板類は見えない。 副港橋梁の端部は藪で覆われているので、近寄れない。そのため、これくらいしか撮れない。桁下にも潜れない。いや、どちらも、前身を藪に預ける覚悟があればいけないことはないだろうが。 スタイルは昭和初期によく見るパターンで、とりたてて部材の美しさなどは感じられない。 興味深いのは、枕木が残っていることだ。隣の留萌本線の車窓に見えてあわてて撮ったのだが、枕木がわりときれいにあるのがわかろう。 留萌駅の周辺は、貨物輸送がなくなったことで、大きく変化している。たとえば、国土変遷アーカイブより。 画像ほぼ中央が、この副港橋梁と留萌本線。単線並列だ。その右のヤード風が留萌駅、左が石炭桟橋。留萌港の石炭桟橋は、かつてはこんなだったようだ。(函館の絵葉書より) 鉄筋コンクリート製である。そもそも留萌駅(当時は留萠)まで鉄道が通ったのが明治43年(1910年)であるから、まさに鉄筋コンクリートの時代が始まろうというときである。これがそのまま昭和50年代まで使われていたのかどうかは知らない。 留萌駅に、昭和28年(だったと思う)の市街地図が貼ってあった。 いろいろ描き込まれていることだけでなく、「留萠」の「留」の省略形も興味深い。 == == 2012.9.4追記 副港橋梁(留萌)脇にかつてあったアラントラス? 留萌本線の脇にかつてあったアラントラス?のつづき。 |
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