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品鶴線の新鶴見操車場ができたころからあった「江ヶ崎跨線橋」。ここには鹿島田、小倉、江ヶ崎の三つの跨線橋が架けられ、いずれも架け替えられたが、最後まで古い姿を留めていたのが江ヶ崎跨線橋だ。

189x年ハンディサイト製の複線200フィートプラットトラス2連と、1895年コクレーン製の複線100フィートポニーワーレントラスを使い、1929年に架けられた。このブログを始めたころに存在を知ったのだが、タイミング悪く撤去されたところだったので、現役時代は見に行けていない。

それでも、こうして一部が保管されているのは素晴らしいことだ。

 
コクレーンの銘板がつけられている。十条跨線橋とは位置が異なるので、付け替えられたのかもしれない。

 
貴重な断面を見ることができる。

 
素晴らしい解説板がある。古びた橋梁だったはずだが、3km以上もある広大な操車場の東西を結ぶ、この地域の象徴だったのだろう。

* * *

この100フィート桁の出自である荒川に架けられた橋梁を整理すると、こうだ。

1885年 単線100フィートポニーワーレン×4 1895年撤去
 →3連が1897年に磐城線(常磐線)久慈川に転用され、1917年に撤去された。
 →1連は不明
1895年 複線100フィートポニーワーレン×4 1928年撤去
 →1連がここ(保存)
 →1連が十条跨線橋(現用)
 →1連が群馬県水上町大鹿橋(撤去済み、時期不明)
 →1連は不明
 
* * *

保存されてはいないが、相方となっていたハンディサイド製の200フィート桁は、隅田川橋梁土浦線(常磐線)の隅田川橋梁用に複線型が2連、同じく磐城線(常磐線)の阿武隈川橋梁用に単線型が8連、そして北越鉄道(信越本線)の信濃川橋梁用が6連作られた。信濃川橋梁用のものは、道路橋の越路橋に転用され、さらに転用されて2連が現存、1連が短縮されて保存されている。

ハンディサイド/不動沢橋(新潟県)
ハンディサイド/岩田橋(新潟県)
旧・越路橋(2)


同型の200フィート桁を整理するとこうだ。

189x年製 複線200フィートプラットトラス 隅田川橋梁2連 1928年撤去
 →2連ともここ
1896年製 単線
200フィートプラットトラス 阿武隈川橋梁8連 1938年撤去
 →1連が大糸線穂高川橋梁(現用)
 →1連が東武砥川橋梁(現用)
 →2連が赤城登山鉄道第1利平橋梁(1957~1968)
 →2連が赤城登山鉄道第2利平橋梁(1957~1968)
 →2連は不明
189x年製 
単線200フィートプラットトラス 信濃川橋梁6連 1952年撤去
 →4連が越路橋(1957~1998?)
  →1連が短縮されて保存
 →1連が不動沢橋(現用)
 →1連が岩田橋(現用)

【参考】

明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として(西野保行・小西純一・渕上龍雄)

■関連項目
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ
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広島県の安芸太田町から広島市佐伯区に渡る、太田川にかかる橋。国道433号だ。

 
広島平野を造った太田川も、河口から直線距離で22kmほど遡れば、このくらいの水量だ。小さなポニーワーレントラスが2連で越す。

 
右岸側(広島市側)。40km/h制限がここまで、ということは、この橋は60km/h制限か。

 
 
親柱は左が「あんすいはし」、右が「安水橋」。左には「加計町」というサインがある。


左岸側には銘板がある。

昭和29年(1954)
広島県建造
内示(昭和14年)二等橋
製作 高田機工株式会社




 
兵庫県が管理する「かっこいい」石井ダムから神戸市が管理する古めかしくも美しい石積堰堤の立ヶ畑ダムに向かって歩いていたら、頭上に大きなトラス橋が表れた。中路トラス!…かと思いきや、その下に水管が通されているダブルデッキ! よく見ると端柱が垂直のポニーワーレントラス! いろいろ驚いた。ところが、樹木が邪魔して全然全貌が見えない。

 
通り抜けて振り返ると、この見え方。

通路となっている部分は、GoogleMapsによれば神戸市建設局中央水環境センター鈴蘭台処理場と、そこから対岸にある施設を結ぶ通路。開放されていない。この処理場は、引率していただいた方によれば、鈴蘭台に住宅地を造ったために整備された施設とのこと。下部デッキの水管も、それ関連のものだろう。

端柱が垂直なのは、中路となっている床版を端部でも受けるためと思われる。


とても珍しい中路トラス。といってもダブルデッキとなっていて、下路部分には水管。

 
桁裏から。太い管、ちょっと太い管、細い管3本。「ダブルデッキ」と書いたけれど、ここには縦桁はなく横桁のみ。ということは「構造としては中路トラスで、下弦部分についでに水管」?

 
 
製造銘板と塗装標記。銘板は

譲原橋
1979年11月
神戸市下水道局
道示(1971)二等橋
使用鋼材 SM50A、SM41A、SS41
製作 川崎重工業株式会社




GoogleEarthでは3D化されている。


 
なぜか、ポニーワーレントラスを見つけると嬉しい。荷重を負担する力が小さく、スパンも短いので、幹線道路にはあまり存在せず、山の中にひっそりとあるものだ。だから、これが街中にあると、とても奇異に見える。

 
うっすらと、かつて白線が引かれていたように見える。


規模が小さな橋は、構造が部材に現れやすい。写真左のガセットプレートを見て欲しい。右への斜材はリベット8本、左へのそれは6本。そして、ガセットプレートも右側の面積が大きい。つまり、右の斜材は、左の斜材よりも大きな力を負担している。

この橋は、王余魚谷橋の奥にある。本当は、この先の林道(未舗装路)に行くつもりだったのだが、この時はあいにくこの先で通行止めだったので、図らずもこの橋を往復することになった。






 
「酷道」らしい国道193号南部の霧越峠の南から海部川を徳島県道148号で遡ると轟神社と轟の滝がある。その途中で西に、県境を越える著名な大木屋小石川林道(2017年4月現在通行止め)へと分岐するところに、古びた曲弦のポニーワーレントラスがあった。

名を「王余魚谷橋」と書き、「かれいだにはし」という。

 
側面を見るアングルがないのが残念。まずは正面。

 
銘板が残っているのがうれしい。

王余魚谷橋
昭和三十年三月架設
徳島県
施工者
●原工業株式会社

「架設」「施工者」というのも珍しい。通常は「竣工」「製造」


 
外側から撮れないので、内側から。6パネル。

 
反対側は、親柱のようなものがあるが、とくに何も書いていなかったと記憶する。

この海部川(林道方面)およびここから分かれる王余魚川(かれいがわ;この橋が渡る川)沿いには、森林軌道が敷設されていたようだ。年代からしたら、この橋梁は森林軌道が道路と交代する頃のものなので(下記論文からの憶測)、その遺構ではないが、この道自体が、その軌道敷なのかもしれない。「王余魚」という文字列は、そういう界隈で時折見る気がするのだが、検索してもほとんどヒットしない。

ここに、テーマは異なれど、王余魚川周辺の森林軌道のデータやエピソードが載っている論文があるので、リンクする。

●観光鉄道における虚構性の研究(滋賀大学名誉教授/跡見学園大学教授 小川功)(PDF)

この論文内にリンクがあるが、犬がトロッコを引いている絵葉書がある。著作権は切れているので、貼り付ける。
 


* * *

トップの写真で見えている建物はバス待合所とトイレ。その壁についている。「轟の滝」の看板。このような略し方は初めて見たが、散見されるようだ。












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