ふと書名を目にした『横河橋梁八十年史』をポチリ。中身もなにもわからずに、送料込み4000えん以上の買い物をしてしまった。二居渓谷の境橋のことが載ってないかな…というのが動機で、もし想定外のものなら売ればいいや、と思って注文した。あとで古書店サイトで検索したら、もっと安いのがあって残念だったのは、まあ仕方がない。それが今日届いた。
銀箔の函の中に、紫色の布張りハードカバーの本書。ピカピカなので写真に撮れない。 タイトルロゴの「板」のデザインを見て思った。これって…? 装丁=杉浦康平! 装丁に関心を持つ人なら知らない人はないと思う。また、氏の名前を知らなくとも、角川文庫の本体表紙(カバーではない)や、講談社現代新書の以前のカバー、あるいは『噂の真相』の表紙、といえば、ああ、あのテイストか、とおわかりいただけるに違いない。太い明朝体と太いゴシック体を組み合わせ、図版をシンボリックに使用する。そのデザインのフォロワーは今も跡を絶たない大御所だ。 もちろん中身も氏のテイストが炸裂している。 境橋が建造された昭和27年の年表部分。残念ながら記述はない。それに、実は横河橋梁が製作した桁の図面でも載ってないかと期待していたが、そういったものは一切なかった。 しかし、ページを繰ると、ちょっとこれはものすごいものを手に入れたぞ…と感じた。目次をちょっとだけ。 . 記事の例も挙げる。下記は 東海道本線富士川橋梁の桁を貨車で運ぶ記事。使用したのはシキ60という大物車。2-2の複式ボギー台車2組を装備するこの形式は、ポールトレーラーのように、積荷を荷受け梁そのものとして設定ができる。写真をご覧いただければおわかりになると思う。上の写真で、一見プレートガーダーそのものに見えるのは専用に製作した荷受け梁で、その間に挟むように積荷(主桁)を積んでいる。『大物車のすべて(下)』(吉岡新平著、ネコ・パブリッシングン)にシキ60の解説があり、「橋梁などの輸送に活用された」とある。 また、こんなのもある。 「KKT(軽構桁鉄道橋)は日本最初の可搬橋」「異彩を放ったTG装置とJKT(重構桁鉄道橋)」。 本書にはこれらについて、非常に多くの記述がある。最大支間が32メートルであること、軍用桁は最初、石川島造船所がリベット構造のものを開発したが重かったので横河橋梁が溶接桁で製作して採用されたこと、これが日本最古の溶接橋といえること、戦争中(ママ)の横河橋梁で最も多くつくられ活躍したのはJKTであろうと推測されていること…。 また、戦時中、中国側は鉄道橋梁を多く爆破して退去した。それを修復するために鉄道省の技術者を中心に現地に派遣されたのだが、そのうちの一人が羽幌線の天塩川橋梁を架け、新幹線に反対し、のちに国鉄総裁になった藤井松太郎であり、さらにそのボスが足立貞嘉で、淮河の修復がその代表的なものであった。その作業員として大量に横河橋梁の社員が派遣されていたというのだ。作業内容、手がけた橋梁などが記載されている。 さりげなく、こんなことが書いてあった。 軽構桁道路橋(KKD)…陸軍一般車両用。KKTに準じ部材の一部を転換して編成する。 重構桁道路橋(JKD)…陸軍重車両用。JKTに準じ部材の一部を転換して編成する。 軍用桁に、道路用があった! これ以上は、私も興奮して読めない。 全692ページ。古書店で安価に買えるのは数冊のみ。早い者勝ちです。 PR |
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