オホーツク海に面する雄武から、中雄武、上雄武と山を越えて西にある、幌内川の支流が集まる少し開けた場所にある上幌内。人家も多かったのだろうが、いまは人の姿が見えない。とはいえ、周囲の畑は営まれているので、人の出入りはある。かつての北隆鉱山の近くと言えば近く。 上幌内という地名は、ここ雄武と、十勝の鹿追にある。 道道60号と道道49号の交差点近くに、上幌内郵便局だった建物がある。 道路とはこんな位置関係にある。道路が高くなっているのは、すぐ橋を渡るために嵩上げされたのだろう。 裏に回る。窓の面積が大きい。 自分が映り込んでいてまったくアレだが、公衆電話室。地域の個人宅に電話は引かれていたのか。映り込んでいてすみません…(加工して消そうとしたのですが、うまくいかないのでやめました…) 事務室はそのままに。カレンダーは「20日」で止まっている。何年何月か。サイト『学舎の風景』によれば、すぐ近くの上幌内小学校の閉校が平成2年3月末。それから間もない頃かと思ったら、こちらのサイトによれば、廃止は1982年7月1日(=6月末限り?)とのこと。ということは、それから別の施設に転用されるなどしたのだろうな。 ●同日追記
住み込みだったのか、通いなのか。業務量はどれだけあったのか。室内の様子は、数年前までは何かしらの出入りがあった感じだ。 向かいには、上幌内山の里PA。その奥に、上幌内小中学校の跡。校門と教員住宅が残っている。 北海道の豊富の東、台地の上の道道84号から道道121号へと曲がった時に、ふと郵便局舎のような建物が目に留まった。通り過ぎてしまったが、引き返してみると、看板の付け方からして郵便局舎だ。 出入り口はシャッターが下ろされ、窓も塞がれている。 「〒」マークが掲げられていた部分と、その下には文字を外した跡。現地では何郵便局か不明だったが、ポストマップによれば江辺頃別郵便局といい、廃止は1973年7月16日とのこと。この建物は当時としては比較的新しかったと思われ、以来45年も閉鎖されたままならばこの姿を維持しているとも思えないので、廃止してからなんらかに転用されていたのだろう。 そのときは「旧道かな」と思ったくらいできちんと写真を撮っていないのだが、郵便局からオフセットした位置にゲートがあった。ここを地理院地図で見ると、下記のようになる。 中央が郵便局跡。その右に、神社(現認せず)に向けて堀割がある。廃線跡かと思って空中写真を見て思い当たった。日曹炭鉱天塩だ。この付近で植民軌道の本流駅と平面交差していたと思われる。 国土地理院の空中写真HO641X-C4-12より。撮影は1964年10月15日。 サイト『1970年代 北海道鉄道写真』の「北海道の殖民軌道と森林鉄道」ページには、より古い地形図が掲載されている。そこには植民軌道はないが、日曹天塩がここで北に分岐している様子が見て取れる。郵便局のマークもある。 鉄道の廃止は1972年7月29日。郵便局は、それから1年、長らえた。 |
カレンダー
最新記事
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|