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都市計画の狭間で

廃道

大阪の美章園から北に向かおうとしたところ、道路拡幅工事中のところがあった。府道26号大阪狭山線、大阪市のサイトによれば「都市計画道路 豊里矢田線(北田辺)」だ。以前からある道路の両側をセットバックしたようで、以前の道路は中央分離帯のようになっていた。

上町筋と今里筋の中間を南北に走るこの道路、完成したら「○○筋」という呼称が誕生するのだろうか。
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山城大原郵便局

郵便局舎

京都の大原への入口は旧道にあたる場所にある。そこにある郵便局。一見、民家のような外見。入口も、これがガラス戸ではなく木製の扉であれば、さらに民家のように見えよう。

屋根は瓦葺きで寄棟造り。ふと、自分の実家の建て替える前の姿を思い出した。

郵政書体とは少し異なるが、切り文字が外壁に貼り付けられている。ここだけ窓のようになっているのは、外壁を補修した際に文字の移設等をなぜかせず、ここだけは以前の外壁をそのまま再利用しているのだろう。

【2014/10/5追記】
京都在住の谷口幸治さんから「京都市内で山城表記は珍しい」とのコメントをいただいた。「山城」が冠されたのは「大原郵便局」という名称が他で使われていたからだろう。とはいえwikipediaによれば「大原郵便局」は全国に5局ある。

現在、「山城」をわざわざ冠するのは、一般的には宇治以南が多いそう。確かに山城町(現木津川市)も南部だ。大原は古くは山城国愛宕郡なのでここが山城を名乗るのは間違いではないのだが、この郵便局が設けられた頃はこのあたりでも「山城」を冠することがあったということだろう。


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消えゆく京橋のビル 東京搬送機KK

ビル

東京都中央区京橋の一角の再開発が進行中だ。角地の4階建てのビルの1階には喫茶店「森屋」と、2階から上は東京搬送機が入っていた。

界隈の喫茶店がコーヒーチェーンに押されて軒並みなくなる中で「森屋」は孤塁を守っていた。女主人はひょんなことからこの店を任されることになったそうで、かつては文壇の人たちが利用したというような話をしてくれたことがある。装テンは、まったくいままで意識したことがなかったが、グレーと白の縦縞だ。

その向こうの2.5倍くらいの高さのビルにはコルクの会社、ロビンソンが入っていた。角地の左の黒いビルは、行ったことはないが焼肉屋だったか。それらもまとめて取り壊される。

アップしてから気づいたが、「黒いビル」じゃない。この角のビルの一部を黒く塗っているだけだ。




この、窓に書かれた「東京搬送機KK」の文字が好きだった。特に「機」が。

「KK」は、よく見ると「K・K・」と、省略を意味するピリオドが高い位置にあった。

階段部の1階に掲げられていた社名。アクリルだが彫り文字なのかどうかは近づけなかったために確認できていない。



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案内看板を持つ、かつてのモービル石油

Mobil/ESSO/ゼネラル

士別市内の国道沿いに、立派なキャノピーを持つ廃止給油所があった。この手の分厚いキャノピーは好みではない。2本足で厚板を支えるというような不安定さを感じるのだ。なのに立ち止まったのは、「白看」のような案内標識があったから。

そのローマ字が「SHIBETU」「JINJYA」という表記なのはご愛敬。

モービル石油だった店。士別石油販売KK、とある。

モービルの円筒形の計量器が錆を帯びてそこに鎮座している。給油のホースはいたずらされたか。




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C56の逆転機周り

鉄道車両の台車

嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵐山駅に隣接して「19世紀ホール」がある。そこに展示してあるC56 98。


D51をはじめ、大型蒸機では加減リンク受け(モーションプレート)は左側面では「┌ー」型をしていて、加減リンクと逆転軸を一体で支持しているが、C56ではその寸法ゆえか、こんな形をしている。逆転軸を支持する部分が奥まっている、省スペース型だ。釣りリンクは、心向棒(ラジアスロッド、上写真の左右を貫く銀色の棒)後端につながる大型蒸気とは異なり、心向棒の中間につながっている。

近代制式機で加減リンク受けがこの形をしているのは、同系統のC12はもちろん、C10、C11。8620や9600もそうだ。おそらくなんらかの寸法や角度が関係しているのだろうと思い、片野正巳氏氏の『細密イラストで綴る日本の蒸気機関車史 1号機関車からC63まで』でシリンダ後端から加減リンク滑り子までの距離に注目すると、C10、C11、C12、C56は1.6mほど(目分量、以下同じ)。対して大型蒸機は1.8m以上ある。これが理由か、とも思ったが、8620や9600は1.8mほどあるので、これは理由にはならない。

となると、運転台からの逆転棒の角度だろうか。いや、それとてリンクを介せば解決できるはずだ。加減リンク受けの形状および釣りリンクと心向棒のリンク点の関係をご存じの方のご教示を待ちたい。

C56は、ボイラが小さいからか、逆転軸は直線だ。




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D51の逆転機周り

鉄道車両の台車

嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵐山駅に隣接して「19世紀ホール」があり、その中に蒸気機関車が何両か保存展示されている。

異色展示はこのD51 603だ。なにしろ、頭だけ。夕張線最後の6両のうちの1両で、蒸気機関車全廃直後の昭和51年春、保管していた追分の機関庫ごと火災に遭い、車体後部を損傷したためにこの形となったようだ。現地掲示によれば、いまだ廃車ではなく保留車扱いとのこと。資産として計上されているのだろうか?

この存在はFBで教えていただいた。見所は、逆転機周りである。


 
加減リンク受けは、機関車の左右からは目立つ存在だが、左右一体の(たぶん)鋳物のソレの全貌を見ることは通常は不可能だ。それが、上に載るボイラーと第3動輪以降が失われているため、さらけ出されている。

もちろん、その上には逆転機と逆転軸。逆転軸とは、左右の逆転機腕・釣リンク腕(銀色でL字型の部品)のピボットを結ぶ棒で、ボイラーの下部に干渉しないように線路方向で見るとΩを逆さまにした形をしている。本来、左の逆転機腕に逆転棒(作用棒とも。運転室内の逆転機につながる)がつながっている。

  加減リンク受けの後部を。加減リンク受けは棒台枠に乗っかっているのがよくわかる。また、その下、棒台枠をやはりピボットとしてブレーキ一式がついている。ただし、D51のブレーキは車輪の前方下側にあるので、ここに写っているのは失われた第3動輪用のブレーキだ。

ブレーキは失われている。それだけじゃない、クロスヘッドこそ残るものの、結びリンクも主連棒も偏心棒も失われている。

それでも、この、あまりに機械的な構造はぜひじっくりと観察して欲しい。




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『空白の五分間 三河島事故 ある運転士の受難』(三輪和雄)

鉄道の本


『空白の五分間』を読んで三河島事故を思う
というブログを読み、この本を知った。三河島事故は
(1)下り貨物列車の信号冒進、下り電車線支障
(2)併走していた下り電車がそれに衝突、上り電車線支障
(3)その5~6分後(何分後かは正確には測れていない)、上り電車が現場に突っ込む
という三つの列車が絡んだ事故で、本書は(2)の運転士の記録である。三河島事故の客観的事実(とされているもの)と結果についてはwikipediaはじめ多くの資料があるのでここでは述べない。

本書は、どうやって調べたのかはわからないが、証言集である。多くの乗客および(2)の運転士、その周辺の証言。ただし、これは強く言いたいのだが、おそらくは多くが脚色してあるだろうし、著者は「ドキュメント小説」のつもりで書いている可能性が高い。そのあたりを含んで読む必要があるだろう。

著者がなにか主張したいことがあって(例えば運転士を応援したくて)書いている…というのではなく、中立の視点のつもりになってドラマ仕立にして悦に入っている、散漫で何を言いたいのかがわからない、という印象を持った。「運転士が悪い」と決めつけている人に「そうじゃないかも…?」と思わせるほどの切り込みほしかった。

* * *

例を出すまでもなく、現代に至っても大きな事故が時々起こる。そうしたとき、当事者だけを罰する風潮はどうかということがよく話題になるが、それはこの50年前の事故の時にすらあった論調だと知る。労働科学研究所の狩野広之が「たとえ乗務員が居眠りをしようと、ミスの起こらぬ手をうつべきだ」と注文をつける一方で、当時らしいというか、こんな記述もある。
評論家小汀利得(磯部注:おばまとしえ)は、また別な批判を下した。一番の原因は人間が無責任で、でたらめになったことだ。昔は先輩がきびしく後輩をしかりつけたものだが、今は年上の者が若い者をしつけられない(磯部注:「しかりつけ」ではない。誤記?)。警報設備の不足も考えられるが、何よりも大事なのは人間の正心だ。

恐ろしい記述である。現代においてこんな発言が許容されなくなったことは喜ばしいことだ。

* * *

本としての仕上がりの質は、非常に低い。一番の原因は、著者の悪文である。言葉の使い方もおかしなものが多い。校閲が入ったら、全文書き換えられるだろう。こんな本を平野甲賀装丁で文藝春秋が出していることが信じられない。本書の1ページ目6行目からしてこうである。
 鉄の動輪をまわす烈しい運動エネルギーは、シリンダー内部で蒸気のふきだし力から転換される。火室で帰化された蒸気は、パイプを通じてシリンダーへ送られる。パイプを流れる蒸気の量は、レギュレーターで調節される。蒸気はいわば荒くれ男のようなもので、絶えず精力を発散して水に変化しようとする。だからレギュレーターの役目はかなり重要で、一定の蒸気を列車の速度に応じてシリンダーに運ぶのだ。ただしレギュレーターにすべてをまかせることはできず、もちろんおとずから限度がある。火室の石炭を無制限に燃やし続ければ、水は大量の蒸気を発生し、レギュレーターやバイパス弁の限度を越えて、シリンダーに連打をあびせるだろう。または石炭の不完全燃焼で、短い煙突からふきあげる黒煙の量を増すばかりである。いまでは原始的に近い蒸気機関の構造が、そのときまだデゴイチの鈍重な鉄の塊のなかに、影をひそめていた。
ぜひ読んでみて欲しい。質と無関係なはずの乗客や周辺住民の証言についても、万事この調子である。あなたは読み終えることができるだろうか。




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タワラ印の共同灯油

JOMO/共同石油

大阪圏の有名なスーパー玉出の向かいに、この色褪せたGマークはある。角地で、その路地は商店街…ではないけれど、そんな雰囲気だ。

筆の跡がたどれる、色がなんとなく本来のものと異なる上にいささか形が拙いのは灯油のみをうる店だったのか。

「ファミリーショップ」「共同灯油 ハイカロリー」「タワラ印」「大阪第一食糧」。この「タワラ印」はいまも大阪第一食糧が使っているロゴマークであり、登録商標だ。大阪第一食糧のウエブサイトURLは「http://www.tawara.co.jp/」である。


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自衛隊の仮設橋

プラットトラス

富士総合火力演習、通称「総火演」に行ってきた。駐車場と桟敷の間には自衛隊用の道路があり、それを乗り越す橋を渡らねばならない。この橋は、毎年、演習として架けているようだ。

9パネルの上路プラットトラス、それも上弦に支承が来るタイプ。3パネルずつ分割できるようになっており、それぞれはピンで接合されている。


当日、@roadexplorerさんより下記の情報をいただいた。過去のものとは形態が異なるようだ。







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高萩駅付近の跨線橋(歩道橋)その2

鈑桁(プレートガーダー)

高萩駅付近の跨線橋(歩道橋)その1の続き。

高萩駅のホームからも、跨線橋(歩道橋)が見える。写真はホームの東側。けっこうなスパンをとばしているプレートガーダーだ。左側の桁、よく見ると扉のようなものがある。

ここに階段をつけようとしたのだろうか? 開口部は桁の上3分の2くらいで、下3分の1は構造として生きているように見える。いや、それよりも桁の下部にある補強が気になる。ここを開口部としたことで大きく損なわれる強度を補っているのだろう。

写真左端、橋脚は「その1」のフィーレンデールトラスト同じくラーメン構造だ。

ホームを挟んで西側。橋脚の上には「その1」の東側と同じように小さなコンクリート床版が載っている。

そしt、こちらも開口部と、その下部の補強がある。ただし、補強の形は前述のものと異なり、細い。これは、開口部より外側(橋脚側)が短いからだろう。





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