JR越後線の妙法寺駅のすぐ近くにある農協倉庫。2階相当部分の上部に窓があるあたり、まるで体育館のようだ。水垢でいい感じに煤けており、農協マークもある。手前の空き地には瓦が積まれている。
妻面には「島田農業倉庫」。ここは「長岡市村田」という町名だが、近くには「越後島田郵便局」がある。これはいまの地名ではなく古い村名。島田村+桐島村→和島村→平成の大合併で長岡市、という流れだ。和島村に「島田」という字名があったのかどうかはわからない。
反対側は、長手方向が同じ長さで高さの低い、片流れ屋根の建屋がついている。ここにシャッターがあるので、現在はここから搬出入をしているのだろう。
トヤ沢川 鋼製セル式堰堤の向かいに、こんなかっこいいコンクリート構造物があった。水圧管路に見えるがコンクリート製のようだ。これは金網の隙間から撮っているが、見えている部分は立ち入り禁止、近寄って確認することはできない。
そぼ降る雨の夕暮れ時、新潟県の国道353号をバイクで走っていたら、巨大な円筒型原油タンクのようなものに出くわした。こんな山の中に原油タンクがあるわけもなく、また、外板は耐候鋼板の色をしている。ただ、暗かったこと、雨だったことでその日はスルーしたのだが、その数分後にhachimさんが下記のようにツイート(hachimさんがこの日この時刻に撮影したという意味ではない)。
国道353号から現在整備中の鋼製セル式砂防堰堤を至近で拝むことができて、大興奮。越後妻有アートトリエンナーレの作品たちを超えるよねと思うほど。新潟のチェックポイントがまたひとつ増えたよ。 pic.twitter.com/XZi33LrCcF
— hachim (@hachim088) 2014, 5月 3
写真の右側には「谷」がある(右の仮設車道の下は棚田で、その下が船繫(ふねつなぎ)川)ので、一目で砂防えん堤だとわかる光景ではないが、現地に建てられた説明看板を見るとよく理解できる。どちらもクリック後、拡大してご覧いただきたい。
左の説明文を書き起こす。
おそらくこちらは直後に建てられた説明板。まだ鋼製セル式えん堤が写っていないし説明もない。
円筒形なので、なかなか大きさを実感できないが、左下の小屋の大きさをみたらわかろう。これらは原油タンクのような表面ではなく、鋼矢板を組み合わせているので、近づくと、モザイク状になっている。近づくことはできず、また望遠レンズも持っていなかったので、上写真からトリミングを。

美しい。
バイクは船尾まで走ってそこで固定された。タイダウンの油染みが年期を感じさせる。甲板はそれほど傷んでいない。
振り返れば車輌甲板。まだクルマは乗ってきていない。
新潟港着。船尾から出る。
でかい。総トン数5300トンなので、北海道航路などよりは小柄ではある。このクラスだと、かつて乗った東京~那覇航路がこれくらいか。(この写真は両津港にて)
新潟港では、船尾から乗る。
航走の醍醐味は車輌甲板。まだ塗料の臭いがすごい。
ちゃんとバイク置き場もあるのが嬉しい。
タイダウンもチョック(輪留め)も新しい。たぶん未使用。
船尾のゲートは閉じるとこうなる。
この甲板が、これから10年、20年と使われていく。おそらく20年以上後、60を過ぎたぼくが、またこの甲板に入るはずだ。
これはなんだろう?
両津港では船首から降りる。
越後線の小木ノ城駅。延長されたような待合室と、とってつけたような風よけつきのホーム上屋。JR東日本にはあまり見ないタイプだと思う。長電ならこういうのがありそうな感じ。
建物財産標があった。
ホームへの出入りは、その外側の通路周辺の雰囲気は、まるで道路のスノーシェッド周辺。突き当たりに見えるのが駅便。
このヒビの入り方は、コンクリートブロック積みだろうか。冒頭の待合室も「CB造」である。汲み取り式で、なぜか臭気抜きの配管が真上ではなく屋根下を這ってオフセットされている。
さて、内部。入口から向かって右手に男子小用が3、左手に個室。男子小用は1980年代頃まではよく見かけた便器のないタイプで、立ち位置下部に舌状の彫り込みがある。女性はこうしたトイレを見慣れないかもしれないが、いまでも、男子小用便器の下のこの位置だけ金網になっているトイレもある高速道路の小さなPAなどでも見る。
そして個室。個室の柱も水色に塗られている。扉は、まるで当時の家庭用の扉のような薄い合板製で、木目の壁紙が貼られている。把手は回転式のノブではなく「把手」である。内側には凸があり、それがバネでひらく二つのローラーの間に挟まるタイプ。それが二組ついている。戸棚などではよく見るので写真を撮らなかったが、部品の名前を知らないので写真を撮っておくべきだった。
個室内部。清潔に保たれている。便器の汚れはホコリである。右隅に物置がある。木枠の窓の鍵はねじ式だ。
たぶん木骨モルタルだと思うのだけれど、外側を板で覆っている。屋根の裏側まで。
反対側に付随する部分は、おそらく木造建築。こちらは下見板張り。どちらも基礎は切石だ。
これは大きい。周辺は醸造の街で、たしかここも味噌か醤油か…だった名残がある。googlemapsで見ると建設業者の名称が書いてあるが。この妻面では、屋根の妻にまで板が張ってある。
側面を見ると、屋根の下はトタンだ。そして、側張りの板が新調されている! 写真のほぼ中央、白い木材の部分がそれだ。屋根の妻面も、屋根はそれを踏襲しつつ、妻面はトタン張り。
この蔵がユニークなのは、反対側が車庫になっていることだ。屋根はこちら側が大きく張り出している。そして瓦屋根の一部にヒビが入っているように見える。瓦がズレてきている。
すべてがトタンで覆われている。蔵だとは一目見てわからない。カモフラージュ…などではなく、単に更新しただけだろう。
下見板張りなのか、コンクリート造りなのか。屋根の下には隙間がある。窓には鉄格子があり、さらに鉄の扉がついている(それは開いている)。
土台はコンクリート。下見板張りというと古い建物だと思うかもしれないが、新潟では、いまでも下見板張りの建物を新築することがある。
通風倉庫なのだろうか。この部分まで律儀に下見板張り。
横から。シャッターがつけられたりして、ハイブリッド感がさらに増す。
ホームと駅舎の位置関係。改札をするようにはできていない、つまり無人駅の駅舎として建てられている。『国鉄駅名全百科』(昭和55年刊)でも無人駅のマーク。『国鉄全線各駅停車 中央・上信越440駅』では、改築前の木造駅舎の写真が小さく掲載されている。『日本の駅』(鉄道ジャーナル社)には「被管理駅・委託駅・無人駅」に分類されているので、昭和47年の時点で無人駅だったのかもしれない。
ホーム側に張り出している部分は待合室。向かって左側は事務室だが、事務室からホームに直接出る扉がない。また、駅舎妻面(といえるのだろうか)にあるドアは物置だろうか。事務室内部に階段が会ったら興味深い。
建物財産標がある。
待合室内。最初から無人駅として建てられたはずなのに。臨時窓口を設けたときのためだろうか。
ホームはかなり嵩上げしてある。現在は棒線だが、かつては写真左側にも線路があった。
現在の駅名標。