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小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)

小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)

跨線橋

小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋の続き。再訪した。

20120712_000.JPGどうですか、この3・4番線の跨線橋の脚。

ここ東上線小川町駅の跨線橋は、1・2番線から3・4番線に渡るものが古レールで組まれたプラットトラスで、なんと3主桁なのである。3・4番線から5・6番線への跨線橋はまた別の機会に紹介する。

さて、その3主桁。今回はたくさん写真を撮ってきた。

20120712_001.JPG1・2番線から裏側を見る。トラスの下弦にあたる古レールは横倒しに使われている。即ち底面と頭頂部がレール方向、側面が天地方向になっている。見た目だけで書くと、割と適当にガセット当ててリベット留めしてあるように見える…。床版はコンクリート。

3主桁になった理由は現時点ではまったく不明だが、おそらく右側(東=池袋方)の幅で造られた跨線橋に、左側(西=寄居方)を添接したのだと推測する。よく見ると、横桁(画像で横方向=線路方向の部材)と下弦(写真で手前→奥行き方向=枕木方向の部材)の付け方が、明らかに右と左と出異なっているからだ。

下記に掲載するが、当初の姿をそのように推測すると、「1・2番線ホームから5・6番線ホームまでの跨線橋が一直線になる。脚も、中央右のもののほうがより古く見える。また、中央の下弦のレールと右の下弦のレールが底面同士で向き合っている。なお、右の箱状の脚はエレベーターである。

20120712_002.JPG角度を変えて。ホームの屋根を切り欠いている。3・4番線のホーム上屋(向こう側)は古レール支柱だが、こちら1・2番線のものは鉄骨を使った新しいもの。

20120712_003.JPG中。1・2番線側から3・4番線側を見る。画像右側の通路が「最初に造られた跨線橋」、左側は添接されたものと推測する。屋根を後から掛けたものとすると、頭上の横桁は、右側の通路の上で基本的に完結していて、トラス桁との接合部も対照的になっている。左側の頭上の横桁は、いかにも継ぎましたという感じで、事実、中央のトラス桁の上ですべて継ぎ目板を当てて接合されている。当初から3主桁で造られたのであれば、頭上の横桁は1本のレールにしたほうが手間が少なく強度としてもあるはずだ。

20120712_004.JPG添接されたと推測する側。中央のトラス桁の上弦と頭上の横桁との関係が、おかしい。

20120712_007.JPG3・4番線に降りる階段。こちらは鉄骨で組まれている。

20120712_009.JPG3・4番線の脚。東から西を見る。なんというバラバラ加減。

20120712_013.JPG西から東を見る。

奥の脚、対角線を結ぶ部材は…
20120712_010.JPGなんだか不安定だなあ…。
いや、曲がらなければ理にかなってはいるとおもう。

20120712_011.JPG横から見るとこんな。奥が4・5・6番線。脚は3本のレールから成っているが、1本、太さが異なるレールが使われている。

説明しづらいが、線路方向の面の上部の「□の中に×」と下部のソレ、部材が異なる。上は前日したとおり、一つの対角線を1本のレールが、もう一つの対角線は中央で切断された2本のレールが使われている。一方、下部の「□の中に×」の部材は、I型鋼やL字アングルである。下部のほうはあとから補強したのだろう。


ながくなるので続く。
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日鉄赤谷鉱業所専用軌道跡に残るプレートガーダー

日鉄赤谷鉱業所専用軌道跡に残るプレートガーダー

鈑桁(プレートガーダー)

昭和59年(1984年)3月末に廃止された国鉄赤谷線の、東赤谷駅の先に日鉄赤谷鉱業所の専用軌道があったのは広く知られている。平成10年(1998年)に廃止になった…はず。いま思えば、クルマやバイクなら自宅から1時間ちょっとで行ける場所にこんな鉄道があったなんてにわかには信じ難いが、自転車で30分の距離にあった専用線すら行ってないのだから灯台もと暗しというかなんというか。

周辺にはひとつ有名なプラットトラスがあるのだが、今回はこちらの鈑桁。

20120711_003.JPGけっこうな高さがある。スパンは十数メートル程度か。このプレートガーダーは、まるでターンテーブルの桁のような魚腹型をしている。この手の桁は、ターンテーブルとかクレーンのビームでしか見ない気がする。桁の中央部がもっとも力がかかるので理にかなってはいるのだけれど、不自然さは残る。

桁の向こう側には旧橋の橋台が残る。

20120711_001.JPG向かって右の柵ごしに。

20120711_000.JPGその柵の手前には駒止つきの路盤跡。画面左下方向には比較的新しいコンクリート製の隧道があり、数メートル奥でコンクリートで封鎖されている。

20120711_002.JPG対岸から桁の上面。こうしてみると、軌道幅610mmというものの「狭さ」がよくわかる。同時に、ここまで幅広いフランジ(桁上面。I型の桁の上面)が必要なのかとも思ってしまう。もっとフランジ幅を狭くしてもいいのでは?



なかなか厳しい場所にあり、桁を接近しづらい。この桁の出自がわかると面白いのだけれど。


三菱灯油の太陽のマーク(三菱石油)

三菱灯油の太陽のマーク(三菱石油)

三菱石油/日石三菱

20120709_000.JPGハイキングというか、そういう感じの人たちがたくさんくつろいでいる聖湖のすぐ近くに、三菱石油がある。勾配の途中にあるので、真正面から撮ろうとすると、迷う。偶然、ネットでこの給油所を見つけて行ってみたのだけれど、そこに掲載されていた状態からずいぶんと劣化してしまったようだ。数年前まではきれいだったようだ。

20120709_005.JPGサービスルームの真正面にはガソリンの計量器。右のメーターの上には「ダイヤモンド」。メーターの下には、ほとんど読めないけれど「有鉛」。左のメータの下には「無鉛」。この計量器は昭和47年10月タツノ製、型式はSW-722、使用期限は昭和52年10月。

ということは、閉鎖されてから25年以上たっているというのか。

サービスルームの庇に書かれた「三菱石油聖高原給油所」、こういう直線的な字体は大好きだ。1990年代後半からずっと人気が高い、なんというのだろう、カタカナにマッチするフォントに通じるものがある。右の破れた窓に描かれた文字は「マスヤ石油」と読める。計量器の左に転がっているのは、タイヤ保管庫だろうか。

20120709_001.JPG北側の防火壁。南に面している。

20120709_004.JPG南側の防火壁。北に面しているからか、こちらは色が残っている。オレンジの上に小豆色、そのさらに上にスリーダイヤを貼り付けたように見える。

20120709_003.JPGVeedol MOTOR OIL。Hi DIAMOND HI-DELUXE。これは正面奥、東を向いている。

20120709_009.JPGNO SMOKING。

20120709_008.JPGサービスルームに向かって右にあるこの計量器は、ガソリン? 銘板から文字は消えているが、刻印が「SPM-605」「43年10月」とある。

そして。
20120709_002.JPG三菱灯油。子どもの頃、空き地によく一斗缶が転がっていた。そこにはたいてい、この太陽のマークが描かれていた。この計量器のものは手書き。ここで働いていた人の動きが見えるようだ。

太陽マークに出会えないかちょっと気にかけていたのだけれど、やっと出会えた。…どこかに一斗缶が転がっていないだろうか?

 

『夢より短い旅の果て』(柴田よしき/角川書店)

『夢より短い旅の果て』(柴田よしき/角川書店)

鉄道の本

IMG_201207062014.jpgふだん、小説はほとんど読まない。嫌いなわけではまったくなくて、興味を持った分野の解説書を読む以上の時間がないからだ。書店に行けば、なんと魅力的な装丁とストーリーを盛った文芸書がたくさんあることか。私はそれらには目をつぶっている。
 
柴田よしきさんの『夢より短い旅の果て』を手に取ったのは、カバー写真を丸田祥三さんが手がけたこと、柴田さんが鉄道がお好きな作家さんだとうかがっていること、角川書店の『本の旅人』で本書の書評を友人のオオゼキタクさんが書いていること、などで興味を持ったためだ。
 
とにかく面白かった。どう面白いとか書くとネタバレになるので書かない。鉄道が好きだろうとそうでなかろうと、自分が学生時代に戻ったような気持ちになって、かつ「いまの」学生の立ち位置を想像しながら、吸い込まれるように一気に読んだ。丸田さんのカバー写真が内容に即しているかどうかといえば、それはとてもあっていると思った。少女が、年齢がよくわからないくらい小さく写っていることが、いろいろと想像させてくれる。



* * *

ネタバレはしないけれど、もっとも印象に残ったフレーズだけ、書きたい。
 
(一ヶ月間で全路線を乗り尽くす旅を終えたことを思い出しながら)「帰ってきて自分のアパートに入り、すわりこんだ時にね、じわっと思った。ああ、自分は日本中を、日本全土を旅して来たんだ、って。自分が生まれたこの国を、自分の目で見て来たんだ、って。」
 
これは、旅好きな人ならみんなじんわり感じることなんじゃないかな。その手段を問わず。私がそれを感じたのは残念ながら鉄道ではなくて、登山だったり自転車だったりバイクだったり。柴田さんは、旅をわかってる方だ。このフレーズに出会って、私はこの物語により吸い込まれた。柴田さんが好きになった。
 
* * *
 
本書をきっかけに、思ったことがある。ここから先は、本書と直接の関係はない。
 
なぜ、こうした小説に登場する人物は、みな身軽に旅行できる身分ばかりなのだろう?(決して、本書にケチをつけるわけではない) 

読者のどれくらいが、同じ境遇、つまり独身で、時間もお金も自分だけのために使えるのだろうか。世の中の鉄道ファンの何割が結婚して家庭を持っているのかはわからないけれど、そちら側の感覚が、世の中、あまりにほっとかれすぎてないか。それとも、後者はみな前者に憧れてなきゃいけないのか?
 
宮脇俊三氏は、あえてそのあたりをすべて捨象して作品を描いていた。それは、氏以前にそのジャンルがなかったから、一番の王道を考えてそのようにしたものだ。以後、旅行記の類は、ほとんどが「自分が旅で感じたこと」ばかりを描いていて、会社員と家庭内での立場というようなことに触れたものは見たことがない。そこをうまく汲んだのが、『週末夜汽車紀行』(西村健太郎/アルファポリス)だと思う。ごくふつうのサラリーマンの家庭の感覚、金銭感覚、会社の感覚。
 
これを汲んだ小説を待っている。それも、志賀直哉のように、何事も起こらないのにきちんとした物語になっている作品を。


 
もう一つ、舞台が実在か架空か、ということを語りたいのだけれども、うまくまだ本書と関連づけられないので後日。
 

「モービロイル」という表記(2)

「モービロイル」という表記(2)

Mobil/ESSO/ゼネラル

「モービロイル」という表記(1)の続き。

20120707_001.JPGこの壁の向こうはプロパンガスのボンベ置き場というか捨て場というか、向かって右側の清潔さとは対照的に、雑草に覆われていた。給油所側と同じく「宮下燃料」という名前が掲げられていたので、関連施設なのだろう。

その前が空き地になっていたのでそこにクルマを停めて写真を撮っていたこともあり、こちら側はあまり撮っていない。いま、猛烈に後悔しているが、少しだけ。

20120708_001.JPG「モービル」

20120708_000.JPG「ガス」。

右には赤いペガサス。


ここにクルマを停めていたのだが、帰り際にふと見ると、そこにエロ本の自動販売機があった。道行くクルマは「練馬ナンバーのクルマが国道沿いの自販機でエロ本を買ってるな…」と思って見ていたに違いない。

* * *

前回の記事に対してg_stand さんか らいくつか貴重なご指摘をいただいた。「モービロイル」の壁は、よく見ると「ル」のあたりに「es(so)」と見えている。つまり、防火壁は短縮されているうえいに、モービルからessoへ、またはその逆のブランド替えがあったことになる。これに私は気づかなかった。なんというザル。

また、この「ル」から直角に、つまり道路と並行にコンクリートブロックが積まれている。私はそれを「エロ本の自販機隠し」だと思ったのだが(当日にそう思ったことを、いま思い出した)、それはおそらく道路拡幅の際に防火壁にさわったためと思われる。……

いつもながらの貴重なご指摘に感謝いたします。
 

「モービロイル」という表記(1)

「モービロイル」という表記(1)

Mobil/ESSO/ゼネラル

20120707_001.JPG内村川の谷間の国道を東に向かって走っていると、畑の中に「モービロイル」と書かれたブロック塀が現れる。ほとんどは空色(が褪色した色)、下部は小豆色(が褪色した色)で塗られた防火壁。

その向かい、つまり右には本殿がある。

20120707_000.JPG広大な敷地に、荒らされもせずに残るモービル石油の給油所。

20120707_002.JPG防火壁には「軽油89円」とある。いつの水準だろう、2006年には軽油は100円こなっていた気がする。

20120707_003.JPGガソリンスタンド然としたたたずまいのサービスルーム。かつてはこの大きなガラス窓の向こうにドライバーが休むソファがあり、事務机の付近は書類で溢れており…。いまも室内には当時販売されていたままの商品が未開封(多分)のまま残されている。

いわゆる「廃墟趣味」はないので、侵入などはしない。あくまでも「自由に勝手に歩いても(たぶん)怒られない対称」として閉鎖された給油所で観察しているの。

外にはほとんど遺留品はないのだが、ここに目が行った。

20120707_004.JPG20120707_999.jpg(上)
「使后は元の所え
 空気圧力計掛ケ」

(下)
「空気バルプは
 使用后はしめる事」

そして。

20120707_006.JPG20120707_007.JPG「モービロイル」という、Mobil Oilを英語で読むと続いて聞こえてしまうという表記をそのまま採用したこと。そこにあったエアゲージは、イギリスのPCL製だったこと。モービルはアメリカの企業であるし、この二つはまったく関係ないのだけれど、なにか嬉しい気がした。

なお、PCLはいまも存在する。

http://www.pclairtechnology.com/

(続き)


大井川鐵道E103の台車

大井川鐵道E103の台車

鉄道車両の台車

20120706_001.JPG大井川鐵道E10形E103。日立製の自社発注機で、一時的に三岐鉄道に行っていたことがある。いまは、左に見える元西武鉄道のE31に代替されるのを待つばかりで、千頭に留置されてからすくなくとも数年が経過し、雨だれによる汚れも目立つ。検査期限は平成22年4月で切れている。

20120706_002.JPGE103の台車。『電気機関車展望』を手放してしまったため、形式がわからない。wikipediaにも形式名がないので、もしかしたら調べづらいのかもしれない。

台車枠を形鋼で組んだもので、もっとも特徴的なのは、軸箱上部に飛び出た板バネの軸バネだろう。板バネを固定するための棒(なんと言えばいいのだろう)は、両端の2本は台車枠から、内側の2本は台車の中央、台車枠の中に収まっているイコライザー(横長の部品)に結ばれている。

特徴的…と書いたものの、それは2軸台車だからなんとなく違和感を持つだけで、いわゆる旧型電機の棒台枠の台車ではごく普通の構造だ。EF58などの台車を見るとよくわかる。これは、横から見ただけでは理解しづらいが、すてきなサイトがあった。

3DCGの世界

すばらしいね。


20120706_000.JPGこの日もすべて17mmで撮ったのだけれど、記録用にもっと普通に撮ればよかったと後悔している。








日本車輌D-18台車(名鉄3800系→大井川鐵道モハ310?)

日本車輌D-18台車(名鉄3800系→大井川鐵道モハ310?)

鉄道車両の台車

鉄道車両の台車の構造はとても興味深い。狭いスペースを立体的に使いつつ、絶対に壊れてはいけない構造物を作り上げている。眺めていて飽きることがない。新たに台車のカテゴリを作った。

●(推定)大井川鐵道モハ310の、日車D-18台車

20120705_000.JPG現在、千頭駅構内に置いてある台車。もはや使う見込みはないだろうに、こうして赤錆びている。見下ろす形でしか撮影できないが、それゆえ、真横からでは見えない部分が手に取るようにわかる。

枕バネは、()という向きに組み合わされた板バネが枕木方向に3列並列2組ある。奥の1組はこちら側に傾いており、手前側の1組は1列のみ残っている。それも()という組み合わせが開放され、(の形となって下に落ちている。

この枕バネ、画像検索するとやはり3列2組なのだが、鉄道模型ではGMとトミーテックから出ているにもかかわらず、板バネが2列2組でモールドされている。なんということだ。
(参考リンク)リトルジャパン 名鉄3800型を組み立て加工する2

この部分以外はほぼ欠品もないように見える。ブレーキのリンクもまだ動きそうだし、それを台車を真上から見ると平行四辺形になっているのもよくわかる。

20120705_001.JPG斜め上から見ると、ブレーキシューを車輪踏面に押しつけるコの字型の部品が見える。

また、写真右端の車輪の左側、小さなコイルバネが4組並んでいるところは、モーターを台車枠に引っかける部分である。これゆえの「釣り掛け式」の名称だ。



イコライザー式台車(釣り合い梁式台車)は、車体の荷重を枕バネを介して台車枠上面に伝え、上面からコイルバネ→イコライザー→車軸端、という方向で荷重が伝わる。こうして上から見ると、イコライザーのコイルバネの位置、イコライザーが軸受けに乗っかっている位置などもわかる。


冒頭に「(推定)大井川鐵道モハ310の、日車D-18台車」と書いたが、元々は名鉄の3800系である。3800系のうち2両1編成が大井川に入り、さらに4両2編成分の「車体」も大井川に入った。後者は大井川にストックのあった下回りと交換したというし、最初の2両のうちの1両はのちにオープンカーとなって、いまも新金谷の側線にある(名鉄ク2805→大井川クハ510→クハ861)。となると、この台車の持ち主は、モ3805→モハ310だろうと推測される。さて、モーターはどこに消えた?






赤谷線 不動橋梁

赤谷線 不動橋梁

鈑桁(プレートガーダー)

20120704_001.JPG赤谷線の廃線跡を訪ね、並行する道路を走っていると、それまでほとんど廃線跡らしいものがなかったところに突然でてくるこのコンクリートの塊に驚くはずだ。この橋を不動橋梁だ。

上の写真では、コンクリートの「こちら側」は築堤だったはずだ。これだけ切り下げられたのだ。

20120704_000.JPG向こう側の橋台に、プレートガーダーから垂れた錆びの色がついている。

20120704_002.JPG反対側。こちらはなんとか登れそうだ。

20120704_004.JPG上部に出た。蔓状の植物がのたくってて、一見、ゴザが敷いてあるかのようにも見える。

20120704_003.jpgそこに銘板があった。

運輸省
昭和22年 ては512-11
汽車製造株式会社製作
----
材料
L. 日本鋼管八幡製鉄所
●川崎重工業八幡製鉄所
●●●●●●(不明)



東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その4(了)

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その4(了)

鈑桁(プレートガーダー)

東新潟港駅付近の廃線跡(夜)
東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2
東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その3の続き。

20120703_000.JPG東新潟港から南下した線路はやがて通船川を渡る。通船川は、その名の通り、阿賀野川と信濃川(現在は栗の木川)をバイパススル運河で、西側に「山の下閘門」がある。阿賀野川側(東側、下流)は貯木場になっているが、上流側にも貯木されている。

20120703_002.JPGスパンの小さな鈑桁3連である。塗装標記に「通船川橋梁」、塗装年月は「199●年5月」と読める。最末期に塗装したのか。

20120703_005.JPGリベット留めであるし、どこかからの転用桁だろうな。

2d03f764.jpeg橋台にある銘板には、こうある。

通船川橋りょう
設計 新潟支社
施工 株式会社加賀田組
設計荷重 K.S-16
基礎工 井筒工 鉄筋コンクリート造 圣=6m3 根入=3m7
 基礎杭 鋼管杭 圣=318.5mm 厚=6.9mm 長=13m0 20●(←不明)
基礎根入 天端から7m1
着手 昭和42年2月17日
しゅん功 昭和42年12月

20120703_001.JPG上に上がると、現役の線路のようだ。

20120703_006.JPG線路沿いにさらに南下すると、ザイエンスへの踏切があり、踏切を渡ったところで工場の敷地となる。この踏切は警報機も遮断機もある。現役かどうかはわからない。

(了)

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