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2015年8月23日朝の上野着で、寝台特急『北斗星』の運行が終了した。いわゆる「ブルートレイン」は、これで終わった。

子供のころがブルートレインブームのまっただ中だった。南正時さんの本で、憧れた。同級生のH君が、毎年、新潟から山口県まで帰省していて、そのたびにいろいろなルートで、例えば「つるぎ」から新幹線とか、「とき」から九州ブルトレだとかに乗っていて、本当に羨ましかった。

のちに鉄道趣味から離れても、学生時代に「一度、寝台特急に乗ってみたい」と思って乗ったのが『富士』だった。B個室寝台。九州ワイド周遊券を使い、帰りは『みずほ』のB寝台に乗った。寝台券は残っているが、写真はない。



『北斗星』に初めて乗ったのは、1996年12月、B寝台。この時は旅行だったので、最初で最後のレストランディナーを食べた。車内販売が、東海道新幹線の車販時代の同僚だったのには驚いた(会社はまったく異なる)。

 (写真は落部→野田生の北斗星1号、2003年10月5日)

次に乗ったのは2002年1月。『「北斗星」乗車456回の記録』(鈴木周作著)でも書いたが、このときは煮詰まった日常から抜け出すべく乗ったのだ。それから何度か乗り、何度か写真も撮った。たいていは3連休の直前でもB個室が取れるくらいの空き方だった。ラウンジもガラガラだった。函館駅での解放・連結作業も、写真を撮る人などおらず、私も、見てるだけで撮らないことも何度もあった。

 
(函館駅 列車番号不明 2005年10月13日)

北斗星は、乗っても、撮っても楽しい列車だった。もう一度乗りたかったが、狂騒じみた雰囲気になってしまっているようで、とても落ち着かない。なにより、寝台券が取れない。残念だが、遠くから思いだけを馳せている。


●関連リンク
北斗星ニセコスキー



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かつての国鉄相生線北見滝ノ上駅近くの国道沿いに、丸善石油が残っていた。

壁のツバメマークが二重に見える。

計量器にもツバメマーク。計量器の一つは使用期限が昭和59年8月となっていた。北見滝ノ上駅の廃止は昭和60年3月末限り、それより先に給油所が閉店してしまっていた。



 
名寄本線の上興部駅の駅舎が保存されている。

 
中は資料館となっている。待合室側には窓口も美しく残っている。

周辺はそこそこ人も住んでいるが、かつてはもっともっと人がたくさんいた集落だったことがわかる。ここには上興部石灰砿業所の専用線も描かれている。

 
 
展示資料の中でも興味深いのがこれ。気動車とDE10の操作シミュレーションパネルだ。正しい順番でスイッチを操作していくと、パネル上で動輪が回ったりメーターが動いたりするのだろう。

 
ホーム側にはキハ27と、DD14のロータリー前頭部が保存されている。キハ27は連結器とスノープラウが失われているために、人間でいえば頭蓋骨の下顎骨がないような、おかしな印象を受ける。また、DD14の前頭部は、逆に下顎骨しかないような印象。

wikipediaにアップされている現役当時の駅舎の写真と見比べると、信号テコ小屋がなくなり、テコ類は移設されているように見える。




名寄本線の中名寄駅の駅舎が残っている。かつてはバスの待合所に使われていたが、国道239号から微妙に引っ込んでいてバスから見えづらいためか、いつしか使われなくなり、国道沿いに新たにバス待合所が建てられた。いまは施錠されている。この建物は名寄市の所有だが、周辺は農地として払い下げられている。


ガラス越しに中を見ると、国鉄時代のポスターが貼ってあったり、名寄本線関係のものが保管されている。

建物としてはまだまだしっかりしているし、きれいだ。

近くには「国有鉄道」の用地杭があったが、もちろん無効である。



すぐ近くで草刈りをしていた男性にお話をいろいろとうかがった。気候が厳しいこと。かつて旅人を家に泊めてあげたことがあること。その人とはいまも交流があること。農業は三代目の自分で終わりになるということ。私の目から見たら、なぜそこの草刈りをしなければならないのかわからないようなところの草刈りをしていたが、その理由はなんとなく聞けなかった。




宮脇俊三の文章で「北海道らしい光景」としてよく描かれていたサイロ。まだ北海道など夢のまた夢だった子供のころには憧れの光景の一つだった。

ここでいうサイロは酪農のためのもので、牧草を貯蔵・醗酵させるための設備。塔型である。しかし、現代の酪農においては、牧草はロール状にパッケージして(「ロールベール」)倉庫に保管しながら醗酵させるようだ。そのため、こうした塔型サイロはほぼ使われていないと考えていいだろう。

塔型サイロは石積みや煉瓦積、コンクリートブロック積み、コンクリート製等いろいろある。屋根は金属の帽子のようなものがかぶせられていることが多い。近年、解体が進んでいる気がする。

写真は、北海道の国道沿いで見た、もう使われていないサイロ。写真左のものは、屋根の金属板が取り外され、木製の骨組み…までは見えないが、それを覆っている板が見えている。そうか、板は、螺旋状に曲げながら張るのか。しかし、円錐の下部をぶったぎった形をしているのだから、そのまま曲げても上部で破綻するはずだ。そのあたりは木材の気楽さか、適宜処理してあるようだ。

このサイロに気づいた後は、ときどき、こうした骨組みを露出しているサイロが目に入ってくるようになった。そのすべての骨組みは、このように板を螺旋状に貼っていた。もしかしたら例外もあるのかもしれないが、来年また行くことができたら、もう少し積極的に見てみようと思う。







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