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関西国際空港連絡橋(鉄道部分)

関西国際空港連絡橋(鉄道部分)

連続ワーレントラス

関西空港連絡橋を、鉄道で渡る機会があったので撮った。

20111207_000.JPG曲面ガラスであるため、線路が歪んで見えるのはご愛敬。

この写真は関西国際空港島に向かっている。まだ橋を渡る前半である。橋は中央部分が盛り上がっているので、見通すとこのように「登り坂」に見える。頂点付近、対向の線路には南海のラピートが見える。

この橋は、下段を鉄道が、上段を道路が通る2層構造の連続トラス橋。とはいえ、上路たる道路面を支える桁の内側に鉄道が通っているため、対傾構などを通常通り配置できない。そのため、このような部材の組み方になっている。もし鉄道が単線だったら、もっと単純かされていたのだろうか。

20111207_001.JPG連続トラスの垂直材には記号がついている。おそらく「第○径間の○本目の垂直材」という意味なのだと思うが、まったくあてずっぽう。

20111207_002.JPG関西国際空港島に入り、道路が箱桁になったところ。箱桁の下部、製造時に使用する作業用のタブ(?)がずらりと並んでいる。こういうのって除去しないのかしら。いつも不思議。
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下北沢「テト家」と、下北沢の地形

下北沢「テト家」と、下北沢の地形

土木一般

20111204_001.JPG

「ニッチマニアの為に勝手に作り続ける」をスローガンに、極地的に興味を持ったモチーフを誰に頼まれたわけでもなくTシャツやてぬぐい等に商品化してくれるアパレルブランド(以上、exciteニュースより)、マニアパレルが下北沢に「テト家」をオープンした。3回の週末のみの期間限定だ。

詳細こちら

もちろん行ってきた。

マニアパレルのバドンさんと初めてお会いしたのは、2008年12月19日にジュンク堂書店新宿店で開催された『ワンダーJAPAN公開編集会議』。そのとき、そのイベントとは直接の関係はないのに「テトぐるみを作ったのですが売れなくて。ここジュンク堂さんで扱ってますので是非」みたいなことをおっしゃっていた気がする。そのときは、いいな、と思ったけれど、ちょっと値も張ったので見送った。でも、今回は買ったよ!

20111204_002.JPG.

東京に住んでる人にはテトラポッドといっても馴染みがないかもしれないけれど、私の新潟の実家からは海まで歩いて3分、そこに行けば必ずはテトラポッドが目に入る。そういうところで育った。もうずいぶん、子供の頃とは変わっちゃったけれど、いまはこう。「新潟島」の沖合に、ひたすらテトラポッドが並んでいる。


大きな地図で見る

私にとっての「冬の日本海」は、この、海面上3mくらい顔を出したテトラに波がぶつかり、その3倍くらいの高さにしぶきを上げる姿だ。もちろん空は鉛色。風は海から吹いてくる。

#イメージ画像(2000年代の新潟市。当時とはかなり異なる)
20111204-98.jpg.

また、母方の実家のすぐ近くには、デンカセメントのテトラポッド製造場があり、ズラリ並んだテトラにのぼったり、できたてのテトラのバリを取ったり、型枠に入ったりして遊んでいた。

#イメージ画像(これは2000年代の新潟市内)
20111204-99.jpg.

まあ、そんなこんなでテトラポッドは私の琴線に触れるものなのだ。

買っても、家にソファもないので持てあます(?)ことは容易に想像がつくけれど、意外にも家族に受けた。ホッとした。「ウイッグ受けに」という意見にはちょとアレだったが。



さて、「テト家」がある下北沢。@watanabejinさんが、「~沢だな」みたいなことを書いておられたので、カシミール3D+山旅倶楽部(10mメッシュ)で再現してみた。

20111204_000.jpg低い方から、白~29青30~35緑36~40黄41~赤(高)、となっている。下北沢駅周辺は、黄色い部分を見ればわかるとおり、それほどの起伏はない。

きょうみぶかいのは、南側である。緑の部分が急角度で落ち込んでおり、青~白へと低地につながっている。白い部分は、池尻大橋から西に遡る暗渠の先端である。ひとつ尾根を挟んで南にも暗渠があり、池尻大橋につながっている。

世田谷区は全体的に道が細く曲がっており、「道路地図」を把握するのが難しいのだが(これは『上品ドライバー』でも言っていた)、この下北沢の南側のような地形であれば、なるほど道路の直線化などは難しいだろう。練馬区の平べったいところとは違うのだ。

それにしても。
住居表示により、「○沢」が大地の上にあったりするのもよくわかる。「○沢」だからといって、谷底にあるというわけではないことが、この地図でもよくわかろう。




長野隧道(4) 新長野トンネルと路面改良跡(国道163号/三重県)

長野隧道(4) 新長野トンネルと路面改良跡(国道163号/三重県)

隧道・廃隧道

長野隧道(1) (国道163号/三重県)
長野隧道(2)昭和隧道東側坑口 (国道163号/三重県)
長野隧道(3)昭和隧道西側坑口 (国道163号/三重県)
のつづき。

ここで、現在のルート、新長野トンネルを見る。
20111127_002.JPG東側。左に行くと、(2)で見た東側坑口に至る…のだが、もともとの道は画像左に見えている道ではなく、新トンネルの坑口すぐ左に入っていく道が本来のルートであった。それが、いま画像左に見えるルートに付け替えられたのだ。それにともない、祠が移設されていた。

20111127_003.JPG.




20111127_000.JPG新長野トンネル。坑口周辺の、地山の押さえつけがすごい。山を切り刻み、そこに坑口を穿ったような印象を持つ。坑門の形状の落ち着かなさは異常。向かって左は上も下も斜めにカットされてるし、向かって右は下だけがカットされ、とってつけたような翼壁がある。そして、上部のワッフル。坑門の意匠としては、相当「ダメ」なんじゃないか?

扁額は、肉筆のように見えるけれども銘はなし。 

20111127_001.JPG銘板。

新長野トンネル
2008年3月
延長1966m 巾7.0m
高さ4.7m
施工 株式会社大林組
    清水建設株式会社
    日本土建株式会社


冒頭の画像の左の道に入り、振り返った図。
20111127_004.JPG画像中央に新長野トンネルの翼壁が見えている。

画像左の道が、本来のルート。これを、画像右のものにつけかえている。そして、このつけかえルートも、(旧)長野隧道廃止とともに主たる役割を追えた。いわば、仮設された国道。新長野トンネルが完成したら用済みとなる国道。とはいえ、橋がかけられ、画像右端のように山を切り崩した法面はコンクリート吹きつけで保護されている。



一足飛びに西口へ。
20111127_005.JPG(旧)長野隧道西口坑口付近、南側に駐車場がある。そこに石碑が建っている。

道路開鑿紀念碑

明治十三年十一月十二日 起工
明治十八年六月十五日 竣功

つまりこれは、石造りの長野隧道(1) (国道163号/三重県)の記念碑である。しかし、この碑の周辺には旧旧長野隧道の案内はない。実際には、碑から道路を渡り、北側の斜面を登り、道なりに行くと旧旧隧道の西側閘門が土砂に埋没している場所に至る。そのあたりの経緯は『廃道本』をご覧いただきたい。

















これは、さらに古い道。旧旧旧長野峠越え道とでも言うべき道。
20111127_006.JPG「従是 旧長野峠道 大山田村」という石柱がある。これは、明治の旧旧長野隧道より以前に使われていた長野峠越えの道だ。もちろん、これをたどれば東側に到達する(はずだ)。



さて、ちょっと外れてR163の道路改良跡。




こういう地図にも道路改良跡が反映されているのもすごい。

20111127_007.JPG路肩もない国道163号、それを直線的に改良し、余ってしまった(?)部分は歩道にもせず植栽部分と、意味不明な部分に分かれている。

旧ルート部分、ぶった切られた黄線が生々しい。そして、現道との段差部分の法面、これはきっと土を入れて斜めに突き固めてあるんだと思うのだが、そのまま草も生えずにあるのが、いかにも突き固めた跡に見える。

そして、オニギリは旧ルートにあるまま、移設していない。なぜだ。


なお、一連の記事のうち、2010年撮影のものは『廃道 棄てられし道』の撮影のために現地を訪れた丸田祥三氏に乗せていっていただいたものだ。深く感謝申し上げます。

長野隧道(3)昭和隧道西側坑口 (国道163号/三重県)

長野隧道(3)昭和隧道西側坑口 (国道163号/三重県)

隧道・廃隧道

長野隧道(1) (国道163号/三重県)
長野隧道(2)昭和隧道東側坑口 (国道163号/三重県)
の続き。

20111124_016.jpg「通行止め」の看板が出ている。この先に、昭和隧道がある。

20111124_013.JPG坑門右上に直方体の石が載っているのが西側。

こちらでは、シャッターに近づいて見る。

20111124_015.JPGもともとあった配管パイプが取り外され、新たに別のものが配管されている。

20111124_014.JPG路面を見ると、横に三分割されたシャッターの支柱を埋め込んでいるのがわかる。

最後に、2008年の現役当時の姿を。

20111125-998.jpg


長野隧道(2)昭和隧道東側坑口 (国道163号/三重県)

長野隧道(2)昭和隧道東側坑口 (国道163号/三重県)

隧道・廃隧道

長野隧道(1) (国道163号/三重県)の続き。

上記の明治隧道は東側であり、西側は強制的に埋没させられている。それはまた後日書くとして、東側の坑口のすぐ「左下」に、昭和の隧道があった。2008年に訪れたときには。そして、2010年に訪れたときも、当然、まだあると思っていた。

しかし。

20111124_008.JPG驚いた。

塞がれていた。

ちょっと手前から。
20111124_012.JPG
この「右上」に、明治隧道の坑門がある。そして右側に、なにかの事務所がある。

画面右端に見えている石碑は隧道改修記念碑である。その向こうには、明治隧道から取り外された扁額がある。

20111124_005.JPG隧道改修記念碑。「昭和十四年三月/膵臓が奇襲記念碑/衆議院議員 馬岡次郎書」と刻まれている。「改修」とはいうものの、昭和隧道すなわちここに掲載した閉鎖された隧道の工事を記念したものだろう。昭和隧道は、nagajis氏の記事によれば昭和16年の完成である。

20111124_002.JPG「其功以裕/従三位勲四等岩村定高」と刻まれた扁額。西側のものか東側のものかはわからない。

20111124_009.JPG「補造化/内海忠勝書」とある扁額。このふたつの扁額の解題は、やはりnagajis氏の考察に委ねたい。



2008年に訪ねた際、明治隧道へは、向かって右の斜面をむりやり進んでいった。明治隧道の坑門前に行ったらチェーンソーの音がすぐ近くで響いており、しばらくすると山仕事、というか周辺整備の仕事をしている方が歩いて行った。

しかし、2010年の再訪時には、左に通路ができていた。
20111124_000.JPG整備されるのは嬉しいような、そうでもないような。。。

ここで振り返ると、こう。
20111124_010.JPG路面の状態はこんなだった。これは、台風の後だったからということもあるが、もし昭和隧道が閉鎖されていなければ泥はすぐに撤去されたことだろう。



再度、「寄る」。
20111124_007.JPGこの昭和長野隧道の扁額は、なおもnagajis氏の記事に頼れば、当時の三重県知事・佐藤正俊の書である。この写真では、「道」の左に何かしら文字が刻まれているのがわかるが、かろうじて「事」は判別できるものの、ほかは苔が埋めており、判読不能だ。



20111125-999.jpg2008年の東口。左に落石注意の標識がある。拡大
してみる。

20111125-999-2.jpg▲の左側に落石がある。現実とは逆側に…。

そして、2010年のもの。
20111125-999-1.jpg標識が更新されている。支柱が新しくなり、▲の右側に石が落ちている。2008年7月の撮影後、12月に閉鎖されてしまうのに、なぜ標識を新しくしているのだろう? 

もしかしたら、隧道を塞ぐ際に更新したのかもしれない。その手前までは道路として管理しなければならないためだ。設置年月を確認していないのが悔やまれる。

長野隧道(1) (国道163号/三重県)

長野隧道(1) (国道163号/三重県)

隧道・廃隧道



20111121-1.jpgnagajisさんの『旧道倶楽部』で見て衝撃を受けた隧道。2008年までの詳細はすべてそちらで。

上の写真は2008年8月に撮影したものだ。現在の、長さ1966mの「新長野トンネル」が開業してすぐのもので、旧道も現役だった。この隧道は旧旧道にあたり、旧道の東側の坑門に向かって「右上」にある。

注目していただきたいのは、ピラスター(坑門両脇の柱)の下部、ちょっと装飾してある部分の「高さ」だ。

20111121-2.jpgこちらは2年強を経た、2010年10月の撮影。装飾の「高さ」を見比べればわかるとおり、右の装飾はほぼ埋まっている。全体的に土砂が多く流入している。

2008年の段階では、坑口に立っても要石に手が届かなかったが、2010年の段階では届いた。2008年に「でかい」と感じた坑口は、2010年には「小さい」と感じるようになった。

こうなった原因は、2008年秋頃にあった地震ではないかと推測している(たしかnagajisさん)記事があったが、真相は不明だ。


そして現在、2008年に訪ねたときは通行できた「旧道」は完全に閉鎖されている。後日、アップする。

No Image

11/20(日)『廃道 棄てられし道』トークイベント出演します

廃道

再度の、最後の告知です。

明日11月20日(日)13時から、新宿のNakedLOFTにて、丸田祥三さん・平沼義之さんの共著『廃道 棄てられし道』刊行記念トークイベントを開催します。

http://www.loft-prj.co.jp/naked/schedule/naked.cgi

出演は、丸田祥三さん、小学館の月刊IKKI編集長・江上英樹さん、私。

本書をきっかけに、「廃道」そのものから、さまざまな事象を考えるお話になると思います。もちろん、作品についてもたくさんお話いただく予定です。

写真や廃道に興味があろうがなかろうが、すべての方が、ものの考え方、というところに大きな観点を得られるものになるだろうと思っております。

ぜひ起こしくださいませ。

入場料1000円+飲食代です。
よろしくお願い申し上げます。

サイホン橋(長野県)

サイホン橋(長野県)

プラットトラス



20111113_002.JPG「道の駅木曽福島」から見える、ド太い水管橋。写真は木曽川の上流を向いている。写真右が左岸、写真左が右岸。右岸方向に木曽ダムがある。

長さ65mのトラスはプラットトラスに組まれている。写真左のプレートガーダーは20mの2連。歴史的鋼橋集覧によれば、面白いことに下流側から第1・2・3連と呼称されている。

水の流れに従ってサイホン橋の水管をたどると(写真左に向かうという意味)そこには昭和43年(1968年)竣功の木曽ダムがあるので、「昭和40年代にプラットトラスの水管橋かよ!」と思うかもしれないが、もちろんそんなことはない。このプラットトラスはその30年前、昭和13年(1938年)横河橋梁(大阪)製である。

なぜその橋が30年後に別の用途に転用されたかについては、こちらのサイトに詳しいので、ぜひご覧いただきたい。

木曽川に架かる橋(2) ~ 寝覚発電所サイホン橋 ~
深まりゆく木曽路の秋 ~寝覚発電所木曽川取水ダム~



この水管橋の役割は、上流の寝覚発電所取水口で取水した水を左岸の水路隧道でこの位置まで導き、このサイホン橋で右岸に渡し、木曽ダムからの水とあわせて右岸の水路隧道で寝覚発電所に送ることにある。位置関係はこうだ。

20111113_000.jpg(カシミール3Dを使用)

木曽福島駅の南にある取水口は、標高約740m(より低いはず)。サイホン橋のあたりでは、10mメッシュ標高データから読む限り、約730m程度か。木曽ダムの水面も約730mである。そして、サイホン橋からの水と木曽ダムからの水とが合わさる位置に池がある。この周辺は約740~750m。ここから下記の位置の寝覚発電所(標高約680m程度)の直上に水を送り、一気に落下させて発電している。その水は、また水路隧道に入って下流の上松発電所で使われている。



20111113_003.JPG左岸側。「太い」という感想しか出ない。水管の継手は橋台側にある。

20111113_004.JPG右岸。継手はトラス内にある。

水管の継手は、ちょっと首をつっこんっでみたい分野だが、どこかにいい資料はないだろうか。




実はこのとき、事前調査をしていかなかったので、このサイホン橋の上まで行けることを知らず、遠くから眺めることしかできないと思ってた。ところが、どうやらクルマでも走れるらしい。来年あたりにまた行かねばならぬ。無念。しかし、楽しみ。「鉄管橋」バス停もあるというので、それも見ておきたい。



























 

兵庫駅の駅ホーム上屋と柱

兵庫駅の駅ホーム上屋と柱

古レール・駅ホーム上屋・柱

20111109_001.JPG兵庫県の兵庫駅のホーム。このクラシックな感じはとても意外だった。いや、東京の都心でも時代を感じるホーム上屋なんていくらでもあるんだけれど。

面白いと思ったのは、上屋を支える鉄骨がアーチ状になっているということ。そして、古レールを使っていないということ。

すべての柱に排水管が添えられているので見えないのだが(現地ではそこに気がついていないので観察していない)、この柱はY字型に形成されたものを「YY」と並べて接合部をリベット留めし、アーチを形成している。柱と柱の間には横構が入り、縦桁等との間にできた四角形の対角線を結び、ターンバックルを配置している。

形状も美しいが、見た目もきれい。ここ、好き。

草津駅の跨線橋 古レール×プラットトラス

草津駅の跨線橋 古レール×プラットトラス

跨線橋

20111109-003.jpg乗り換えのために時間がなく、こんなものしかないけれど。

草津駅の跨線橋は古レールをプラットトラスに組んだもの。しかし、壁や屋根、サッシなど古レールによるフレーム以外はすべて今風のものとなっており、階段部分の「平行四辺形の窓」は鎧戸つきのサッシになっている。これは特注だろうか。

また、古レールによるフレームも、ガセット部分にボルトがない。レール底面とガセットを溶接しているのだろうか。

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