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廃道




20110831_008.JPG上遠別。北海道の日本海側、遠別町から南東方向に天塩山地に30km以上分け入ったところにある。道路は道道688号遠別名寄線。

20110831_006.JPG37kmほどさかのぼったところで通行止めである。ここは正修地区。

ここまで、すれ違うクルマはゼロ。路面にはバッタが大量に発生しており、バイクで行ったのだが、靴やズボンにバチバチ当たる。バイクやズボンに、バッタの死骸がついてしまったのはかなり辛かった。現地に到着したときには、もちろん誰もいない。私ひとりだけの空間だった。(撮影の時系列が前後しているので、上の画像には他人のクルマが写っている)。

このまま直進方向が、道道741号上遠別霧立線。ここ正修から南下し、R239霧立国道の霧立とを結ぶ予定だったが、ここからちょっと行ったところで工事は中止されている。分岐を左折すると、道道688号遠別名寄線。こちらは現在も工事中だ。

20110831_005.JPG前身して、振り返る。遠別側に架かる、「遠名橋」。なんという切ない名称なのだろう。

向き直ると、こんなゲートがある。
20110831_004.JPG簡易なものだが、ずいぶんと年月が経っているようだ。少し、先まで歩いてみた。

20110831_000.JPGなかなかいい感じだが、行き止まりなのはわかっているので引き返す。

20110831_001.JPG「一の沢橋」。渡る川は、アイヤムナイ川だ。なお、かつての5万分の1地形図にはイヤムナイ川と記載されていた。

遠別名寄線のゲート。
20110831_002.JPGこちらはとても立派。

と、突然、乗用車とタンクローリーが現れた。
20110831_003.JPG乗用車の方に「ここの工事は凍結されたのではないですか」と聞いたら「復活した」との返事。この向こうでは工事をしているということだろう。

ちょっとすると、初老の夫婦がクルマでやってきた。ご主人がここで釣りをするそうで、アイヤムナイ川に降りていった。

20110831_007.JPG小一時間もここにいたろうか。帰り道、バス転回所とバス停を見つけた。1日3本バスが走る? こんな無人の地に?


帰宅後、沿岸バスのサイトを見たら、たしかに走っている。ここ「32号」が終端なのは、転回場所がほかにないからか、それともここまで乗客が乗って来るという需要があるのか。


行き止まりだとわかっていて突っ込んできた道。片道37km。「なにもない」ことを、たしかに見た。
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『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違い

『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違い

独言・日記

20110830_000.jpg20110830_004.jpg
EIZOガレリア銀座で本日から開催されている、『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』に行ってきた。

写真展…なのだが、一風変わっていて、17人の作品は会場には1枚ずつパネルで展示されてそこにコメントがあるだけで、メインの作品はそれぞれ写真集になっている。その写真集は「マイブック」というサイトを通じて作成したもののようで、体裁はさまざま。多かったのは、25cm四方くらいの正方形に近いハードカバーのものだ。


ところが、率直な感想として、その写真集を「作品」と呼べるのかどうか…。そう感じたものが多かった。掲載されている一点一点は、それは美しいものだ。しかし、それが写真集という形にひとまとめになると、とたんに褪せてきて、「作品」とは呼べないしろものになってしまう。

これは定義の問題かもしれないので、反論はあるだろう。だから、ここで私の「写真集(以下、写真展も含む)という作品」の定義をしておく。

明確なテーマのもと、読者が「読む」体験ができるように編集されたもの。
有無を言わせぬ写真が文脈を持って展開し、
自然に読者がテーマを自分と絡めて考えはじめてしまうようなもの。



会場にあった多くの写真集は、「編集」がなされていなかった。テーマを設定しても、編集されていないから、文脈がすごく弱い。写真集や写真展というのは、「美しくうまく撮れた写真」をただ並べればいいというものではない。どんなに素晴らしい写真でも、どんなに思い入れがある写真でも、文脈からはずれるものは、落とす。逆に、通常なら没にするような写真、例えばブレてたりピントが甘かったり、フィルムの時代なら誤って半分感光してしまったようなポジだったりしても、文脈に沿うなら使う。それが「編集」というものだ。こんなことは写真集や写真展に限らない。音楽のアルバム収録曲の選曲でも、短編小説をまとめた本でも同じ作業がなされているはずだ。

また、その(弱い)文脈の作り方にも、疑問を感じるものが多かった。「過去に撮影したもの」から適当にピックアップしただけ、としか見えないものもあった。ひとつのテーマを決めて、たとえば「人」なら「人が写っているもの」を集めるのではなく、「どんな人を集めるのか」を決め、「そんな人」をテーマに撮り下ろせ。そういうものだろう。なにも、全部を撮り下ろせと言っているのではない。欠けているピースだけでいい。

先にテーマを設定し、そこから撮影するという「組み写真」の正統な作り方をしたものは、中井精也さんの作品集が唯一だった。中井さんは「DREAM TRAIN」のように、ふだんからこうした作品作りをしておられるが、そういうことをしている鉄道写真家は、どれだけいるのだろう?

また、梅木隆秀さんの「屋久島 安房林用軌道」は、林用軌道の姿をひたすらに記録するという視点で作られており、すばらしいものだった。


20110830_002.JPG広田尚敬氏が、いまでも超一流なのは、その作品が「昭和30年代にこんなことをやっていたのか!」と思うような圧倒的な力量の作品ばかり、ということだけでなく、その著書が「編集」されているから、という点も非常に大きいのではないかと思う。いや、著書に限らず、RailMagazineに掲載される場合も、かならず素晴らしい編集がなされていた。

いま、「60周年記念出版」のうち、『Fの時代』と『永遠の蒸気機関車 Cの時代』が手元にある。どちらも同じセンスで編集されている。撮影された時期、地点は北海道から九州までバラバラなのに、それを編集することで、ここまで流れのある作品集に仕上がるのか! と感じる、すばらしいものだ。

もし、『Fの時代』に掲載されている作品が、ブレてたりボケてたり色がおかしくなっていたとしても、作品集の価値はいささかも減じることはない。それほど「編集」がきいている。

『Fの時代』については、広田氏と、編集担当の江上英樹氏、装丁家の祖父江慎氏でその流れを考えたと聞く。写真集というのは、この作業がいちばん大切なのだが、そこを、超一流の編集の目が作り上げた。そして、ページをめくるのに、読者が真剣勝負を挑まれているような、「次のページをめくるのが怖い」と感じるような、ものすごい写真集が完成した。


残念ながら、今回展示されていた半分以上は、そこには遠く及ばない。作るべきは図鑑じゃない。写真集だ。ふだんから私が「鉄道写真」全般に感じている「練れてなさ」がそのまま具現化してしまったような展示会だった。
 

あるプレートガーダーの末期

あるプレートガーダーの末期

鈑桁(プレートガーダー)

20110829-01.JPG道道94号を西へ走っていた。とある場所で、橋梁の架け替え工事のため、仮橋を通らされた。その少し先の右側に、プレートガーダーの残骸が置いてあったのでバイクを止めた。

場所はここ。



橋の名称は不明。どこの工事をしていたかも不明。戻れば、先の工事中の橋があるのだが、それをしなかったので、わからないままだ。

このプレートガーダーの厚みは10mm以上は余裕であるが、体重70kg代前半の私が乗るだけで「曲がっている」という感触を得る。

20110829-04.JPG解体は無造作だ。とにかくバーナーで切る! おそらく上路プレートガーダーだが、路床も引っぱがす! そして、それらの断面は(おそらく架設時を最後に)防錆塗装をしていないため、既に錆が浮いてきている。

20110829-02.JPG3枚(?)のうち、上と下の2枚が床版が据え付けられていた面。

20110829-06.JPG木材の上に載せてあるが、プレートガーダーの重みには耐えきれなかったようだ。

20110829-05.JPG裏側をのぞき込んだら、銘板があった!

1973年12月
北海道建造
○○○○○○○○
製作 東京鉄骨橋梁製作所
○○○○○○○○

この銘板、本体と同じくスクラップにされてしまうのだろうか。ちょっとっほしい…。

20110829-07.JPG継ぎ目板。これも大量にあった。

20110829-03.JPGふと目を上げると、標識。どうしてこんなに傷がついているのだろう? 再利用などは考えないのだろうか。また、標識の左に見える黒い「棒」はレールのようにも見える。


図らずも見ることができた、鈑桁の末期。大きさからして、このままトラックに積まれ、搬出されるのだろう。

筑紫橋(北海道北竜町・秩父別町)

筑紫橋(北海道北竜町・秩父別町)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)



20110828_000.JPG(写真は右岸、下流川から。画面右が碧水、左が秩父別)

北海道の深川付近を走っているとよく「青看」に出てくる(ような気がする)割には大きな地名ではない「碧水」。R233とR275の交差点で、行ってみると、「なぜここが青看地名に?」と思ってしまうようなところ。その碧水交差点の東、R233が雨竜川を渡るところに架かるのが、この筑紫橋である。

サイト『北海道鋼道路橋写真集』は相変わらず閲覧できないが、筑紫橋の項目は閲覧できる。それによれば、諸元はこうだ。

・単純合成桁
・橋長:201.900m
・支間:50.000+70.000+50.000+30.000(単)m
・幅員:6.500m
・橋格:昭和14年示1等橋(T-13)
・鋼重:512.1t
・完成:昭和31年

支間は、ちょっと疑問。カンチレバートラス部分は50m+70m+50mとして、「30m」とはなんだろう? その両側は2径間連続PC桁にしか見えない。

この筑紫橋は、見た感じ、かなり巨大。カンチレバートラスは、吊桁ポニートラスになるような、それほど大きくないものが多い印象だが、これは大きい。周囲が平たい農地であるため、遠くから、碇着桁の三角がよく目立つ。一般的に、アーチ橋のアーチはランドマークになるが、この筑紫橋も十分にランドマークたりえる。

20110828_001.JPG上の写真を、もっと寄って撮ったもの。碇着桁のツノが巨大なのかおわかりいただけると思う。

20110828_002.JPG反対側(右岸、上流川から撮影)。上流川に歩道橋が添接されている。この歩道部分は、トラス桁とは構造上、無関係である。

碇着桁と吊桁の結合部。

20110828_004.JPG歩道から撮影しているので、手前が上流川の外側、奥が下流川の内側である。桁の接合部、上部はリベット留め。

20110828_005.JPG上部はこのような感じ。左が碇着桁、右が吊桁。その接合部はピンではなく、リベットとタイプレートによる剛結である。



20110828_006.JPG対して、下部は碇着桁から飛び出した部分にピンで結合する形式となっている。このピンの位置に、いささかとまどいを覚えるが、それは単なる見た目の印象でしかないだろう。

20110828_003.JPG下流側右岸側銘板。

昭和30年(1955)
北海道開発局建造
内示(昭和14年)一等橋
製作株式会社宮地鉄工所

上流側左岸側にも同じ銘板がついている。




20110828_007.JPG撮影していたら、太陽がすごい勢いで沈んでいった。冒頭の写真は17時54分、そしてこの写真は18時12分。わずか18分の間に、太陽がこの角度になり、光線が赤くなってきた。

20110828_008.JPG目を上流側に転じれば、太陽が部材に反射し、それが背景の山並みと山の端のように見えた。

日が完全に没するまで見守り、すぐ近くの道の駅秩父別に向かった。

日高大橋 上路三弦橋

日高大橋 上路三弦橋

三弦橋



日高大橋。それが径間72.8mの上路三弦橋である、と知ったのは、なにをググっていてたどり着いたのかは忘れたが、『北海道鋼道路橋写真集』というサイトからであった。いま、親ページ(?)はサーバエラーで表示されないが、該当ページは見ることができる。→日高大橋

すでにLEVEL_7Gさんが現地に行き、写真集まで出してしまったのだが、自分の目で見に行った。

20110827_000.JPG事前にLEVEL_7Gさんから「ぜんぜん見えませんよ」と聞いていたとおり、ぜんぜん見えない。ここは、左岸・南側で、足下にはエロ本が落ちていた。

川岸は断崖で、河床に降りることはできない。先のサイトでは、冬に河床から撮っているようだが…。そのため、せっかくの三弦橋なのに、横からの干渉が不可能だ。唯一近づけるのはこの左岸・南側で、それも、このとおり樹木にさえぎられている。橋台を地盤に固定するためのアンカーが目立つ。そういう地質なのか。

20110827_001.JPGこんな角度でしか見ることができない。とても残念だ。

これを見ていると、支承付近の構造が興味深い。

上路三弦橋だから、下弦材は1本、つまり三角錐の、カドが下面に来る。橋脚の軸方向の断面はV字型になり、下弦をひとつの支承でささえるのか、と思いきや、通常(?)の形状をしている。それにあわせるために、トラスの端部は、上から見ると三角形になっている。言葉だとわかりづらいので、ちょろっと描いてみた。

20110827tri.jpg左が橋脚(イメージ、実際の形とは異なる)。いろいろ不具合があるので、パスを連結できておらず、カドがお見苦しい点はご容赦いただきたい。

このような治具とでもいおうか、部材を設置して、橋脚に据えている。

各地にある、▽形の水管橋の端部はどうなっているのだろうか。上弦2本から、断面がΠ字になるような脚が出て橋脚に据えてあるのは見たことがある。ちょっとここに興味をもってみよう。

20110827_002.JPG道路を走っていると、これがそんな特殊な橋であるなどとはまったくわからない。それがいいのか悪いのか。利用者にとってはそれでいいに違いない。ガードレールと同じような高さの欄干と親柱。それで、「ここは橋ですよ」ということがわかれば十分なのだろうな。


この日高大橋が、なぜこんな上路三弦橋という形式を取ったのか。工事誌等を見れたらいいのだが。

国道274号 清見橋(廃) 北海道日高町

国道274号 清見橋(廃) 北海道日高町

コンクリート桁



北海道の日高町を日勝峠に向かって登る途中に新清見トンネルがある。長さ910メートル。その手前右側に、旧道が見える。

20110826_000.JPG左に見えるのが新清見トンネル。手前の橋(新清見橋)を渡っていると、車窓右に「旧道だろうな」と思える橋がある。その向こうには隧道も見えている。

右側の橋は幅も狭いし、これは旧道に間違いなしだろう…?

20110826_001.JPGなんかおかしくないか。幅、ではなく、その処理というか…。

だってほら、センターラインが…。

20110826_007.jpg登り側の写真がごっそり切り取られている。

断面を見てみると、非常にきれいだ。まるで最初から「いまの形」に作られているかのようにすべすべしている。

ノーファインダーで撮ってみた。

20110826_003.JPG鉄筋の断面から錆が垂れている。酷材たる石まで断面を見せているので、工事にあたり、橋の5分の2ほどをカットしてしまったのだ。

川の高さに降りてみる。

20110826_006.JPGPC桁がスッパリと切断されているだけでなく、前後の橋台は崩されている。

20110826_005.JPG西側の橋台部分。右側(北側)がごっそりと欠き取られている。コンクリートの切断面、「刃」が回転した痕跡がある。

画像右の欠き取られた部分を見るに、本来はこれだけの幅があったのだ。橋台を崩した跡には新橋の橋台が設置されている。崩された橋台の「中身」は土砂だろうから、切断面が崩れてこないように矢板がカマしてある。

20110826_004.JPG桁の裏側。左側がカットされたているのだが、これだけ見ても、カットされたようには見えない。

上にあがって対岸へ。
20110826_002.JPG

新清見橋(現道)の工事は、清見橋を欠き取らないと進行できないはずだ。では、通行量の多いこの日勝峠ルート、どうやって1車線分になった橋の交通を確保していたのだろうか?

現状から推察するに、清見橋を半分欠き取ったあと、反対側(上記画像の左側)に仮橋を設置し、2車線を確保していたのではなかろうか。



(8月28日追記)

8月28日、@Einshaltさんから上記架設を裏付ける、工事中の画像をいただいた。
20110827_999.jpgこの画像右側、トラックが載っているのが仮橋だ。

これを見て思うのは、PC桁を縦に割っても、通常の道路として使用できるほどのきちんとした強度が確保されているのか、ということだ。まさかそんな使用法は想定していないのだろうが、当然、その点は確認した上でこの形態になっているのだと思う。

そして、新たな謎を@LEVEL_7Gさんが提起した。PC桁を半裁にする工事は、供用中にしたのか否か?

一般的な道路工事を見ていると、カッターで切断するのは、その外側に少しの余裕があればできそうだ。この橋でいえば、センターラインにカラーコーンを置き、それより内側で作業をするならば、片側車線だけを不通にすることで作業は継続できるのではないか、ということだ。じっさい、センターラインから切断面までは
1mはないけれど…というくらいの余裕がある。一時的に仮橋を2車線分作ったのでは…という可能性もなくはないが、現地では、「仮橋の跡」は明確に1車線分しかないこと、また、この規模の国道でも数時間の片側交互通行で対処できるものと考えるので、それはないだろうと思う。

貴重な画像をありがとうございました>Einshaltさん


(8月29日追記)

@3710dc205さんから、

「カットされた側の主桁を挟んで横梁の構造が変わっているようなので、残った5主桁でもともと構造として完結している気もします。旧橋を拡幅したときに2連目の桁をかけて目地でつないでいた可能性もあると思います。6主桁以上のPC桁を切って5主桁にするのはできそうですが、主桁同士がPC鋼材で横方向に連結されているのを一度解除して連結し直す必要があると思います。そうなるとそこそこ大変な工事になりそうな。もともと5主桁のPC桁だとすれば主桁に支持されて側方に張出したRCの梁・スラブを切り落とすだけなので、供用しながらでも施工できると思います 。」

というご指摘をいただいた。たしかにおっしゃるとおり。上の、桁裏の画像を見ても、橋脚はPC桁の縦桁5本の幅しかなく、その左側=カットされた部分との境は、橋脚とは別の種類・仕上がりのコンクリートになっている。

ということは、ご指摘の中でも相当譲歩のある「6主桁を5主桁に」ということは考えづらく、分離しやすい部分が(たまたま?)センターライン付近であった、と考える方が自然であろう。

貴重なご指摘をありがとうございました>3710dc205さん



この橋がある場所は冒頭のとおり。現在の地形図には、この旧道は、このとおり抹消されている。
20110826map2.jpg(カシミール3D+電子国土)

旧道を掲載しておく。
20110826map1.jpg(カシミール3D+山旅倶楽部)






新清見トンネルはちゃんと見ていないが、どうやらちゃんとした銘板があるどころか、関係者の氏名を記した銘板まである。詳細は「旅鴉 北海道179市町村をゆくというサイトに掲載されていた。ぜひ。

夕張の三弦橋

夕張の三弦橋

三弦橋

20110823_000.JPGかの、大夕張森林鉄道夕張岳線1号橋梁、通称「三弦橋」を改めて見てきた。本当は至近距離まで逝きたかったので、午前4時に現地に着くように行ったにも関わらず、私の位置と三弦橋の位置との中間地点を、ライトを持った人たちがうろうろしていた。まさか同業者ではあるまい。なな爺さんと同じようなアングルで撮ることは諦めることには、少し時間が必要だった。

同じアングルとは、『廃線跡の記録2』の表紙のようなアングルである。

この三弦橋は、過去、何度も見ていた。そして、目の前も何度も通っていたし、俯瞰したこともある。以前使っていた地図を見ると、楓駅(当時)から北、シューパロ湖に向かうルベシップ林道と、道道ニニウ夕張線(夕張新得線、道道136号)をバイクを積んだハイエースで走りつなぎ、上記の撮影位置まで来ている。その当時はとくに感慨もなく、「ああ、三弦橋だ」と思っただけで、写真など撮ってもいない。それを後悔する日が来ようとは。

20110823_001.JPGどうしても、真横から撮影することができない。



この三弦橋については、さまざまなところで書かれているので私が書くことなどひとつもない。ただ、興味を持った方のために。

『三弦橋マニアクス』(写真集) 特殊同人電幻開発
『シューパロ湖三弦トラス橋の評価と保存に関する研究』(今尚之、中岡良司、佐藤 馨一)土木学会北海道支部論文報告集
 

ニンニク隧道

ニンニク隧道

隧道・廃隧道

『廃道ナイト4!』のラスト、クイズに出たニンニク隧道の写真があるのでアップする。

これは、有峰林道小見線のある隧道で、全線にわたって改良が進められている有峰林道の隧道群のうち、比較的最後まで残っているグループだ。現在は新道が開通しており、この坑門がどうなったのかはわからない。

有峰林道小見線は、地形図を見ればわかるとおり、とても興味深い道である。ニンニク隧道を含めて『日本の廃道』43号(2009年11月号)にレポートしたので、ぜひご覧いただきたい。→購入(私にお金が入るわけではありません^^)


20110816-2.JPG20110816-3.JPGまだ現役だった頃のニンニク隧道。脇に見えるのは旧道か。

私が訪れたのは2009年7月。幅員の狭さゆえに片側交互通行であるこの狭小の隧道区間を改善すべく、新隧道の工事中だった。別に旧道に入ることにためらいを感じるような状況でもないのだが、監視員がいるために控えておいた。その秋、この近くで大規模な崩壊が起き、翌2010年は通行止めが続いていたような気がする(←まったくのうろおぼえ)。

新隧道はこんな状態だった。
20110816-1.JPG坑口を空けるスペースを確保するために、現道を桟橋で逃がしている。訪問日は3連休だったが、こうして工事をしていた。

新隧道の開通は、今年(2011年)の6月1日。富山県のサイトに開通式についてのPDFが残っている。


ついでに、ニンニク雪害ガード。
20110816-4.JPGいまはどうなっているのか、とても気になるところだ。

廃道ナイト4(よん)!

廃道ナイト4(よん)!

廃道

20110814-05.JPG8月13日(土)、待望の『廃道ナイト4(よん)!』がが東京カルチャーカルチャーで開催された。出演はヨッキれんさんと石井あつこさん(トリさん)。

過去のイベントレポートはこちらに。
廃道ナイト!(メインはORJにて<PDF>
廃道ナイト2
廃道ナイト3!!!

今回は、チケット発売が確か7月15日。しかし、18日にはチケットが完売していたと思う。カルカルで開催された過去3回はすべてチケット完売だったが、この早さは過去最速。異常。早すぎてチケット取れなかった方が、私の友人たちにも何人もいた。ざんねん! ざんねんさん!(後述)

20110814-03.JPG17時開場。私は物販ブースで『廃道本』ほかトリさんが作成したグッズ(後述)などの販売を担当。一緒にバドンさんが、このイベントでのコラボTシャツを販売(後述)。私もTシャツを購入し、着用して販売した。

18時、まだ外が明るいうちに、スタート! まずはヨッキさん入場、第1回と同様、自転車にて!
20110814-06.JPG(一眼レフを持って行かなかったのでシャッタータイミングが…)

本当は、横山店長から「客席を突き抜けて厨房(舞台に向かって左端)に突っ込んで折り返してこようか」という提案があったらしい。

続いて、トリさんの入場。
20110814-07.JPGこちらはおしとやかに、着物でしずしずと。いい対比だ!

20110814-08.JPGステージでのふたり。前回までは、ステージ上には出演者のほか、シンスケ横山さん(店長)が司会として上がり、進行していたけれど、今回は完全にふたりで進行する。会場内は熱気に包まれているなか、簡単に自己紹介。今回は、トリさんと「落とす」形で紹介。トリさんのキャラが確立していく…(笑)。

20110814-09.JPG第1幕『廃隧道で涼みたい』。

クルマでしか隧道に入ったことがない人は、ピンとこないかもしれない。隧道は、寒いのだ。とくに峠を抜ける隧道は、あちらとこちらで気温差も標高差もあるために風の通路になっており、気温が低いだけでなく風により体感温度も下がる。

今回、ミリンダ細田氏と、まずは現役の国道隧道で調査し、廃線跡の廃隧道で調査し、道路の閉塞廃隧道にたまった水の温度を調査し、最後に仙岩トンネルを調査した。その驚くべき考察。
20110814-13.JPG土被りの大きさが洞内気温を左右する。

普通に考えると、隧道の中央部がもっとも気温が低くなりそうな気がする。しかし、そうではなく、偏りがある。また、坑口近くでは、気温の下がり方が急激である。こうしてグラフだけを見るとなんてことないけれど、なんという「疑問力」と「考察力」だろう。これこそヨッキれんさんの真骨頂。


続いて好例の『道路ファンが選ぶ残念&粋な風景』。「ふれあい橋」やら道路にある看板やらの「残念」なものに注目していくもので、事前に募集がかけられていた。いくつか発表された中から、かいわれ氏のものを。
20110814-16.JPGざんねんさん橋」。由来は検索してのお楽しみ。いや、人が死んでる(たぶん)のにお楽しみ、というのはよろしくないか。

なお、帰宅後検索すると、「残念さん」は、幕末には一般名詞化していたようだ。参考→残念さん

続いて。
20110814-17.JPGこれはヨッキれんさんによるものだと思うが、どうしてこうなった。

20110814-19.JPG新潟県の中山隧道。最長の手掘り隧道として知られている。私は1997年頃、バイクで通ったことがあるが、その坑門がこんなふうに擬木で装飾されているのだ!

ところがトリさんが地元の人に話を聞くと「坑門が延長されて落雪の被害もなくなってよかった」というような反応が来たそうだ。鑑賞者と実用者(ただし、この発言は地元の人ではあるが、ぺらぺら話したがりの人らしい)との意識の差が出た一瞬。

第3幕は、noganaさんによる発表。
20110814-20.JPG四国で見つけた旧道にある背向クランクの話。この警戒標識の大きさが異常で、しかも三つ見えてる。いわゆる「饒舌な道」でもる。

次は「粋な動画」。20110814-21.JPG

バアアーーーン!

なんかすごいの来たよ! 栗子隧道が現役だ!
20110814-22.JPG前面展望もあるのだが、運転士がハンドルを右へ左へひたすら回転させている。当時は「思ステ」、さぞかし大変だったろう。

当然、路面はダート。いまでもダートだしな。この程度の旧曲線でもバスやトラックをフレームに収め切れていない。これが撮影された昭和30年代前半(たぶん)の機材の事情もわかろうというもの。

20110814-23.JPG山形側坑口の前に、オニギリがあったという事実。いまも残っていれば…。

この動画で現役当時の姿を店ながら、その合間に現在の姿の画像を挟
む。とてもわかりやすい、興味深い動画だった。なお、このフィルムでも、すでに山形側坑口は改修されて直線状になっており、初代坑口は「廃」として採り上げられていた。


次は「夏のオブローダー自由発表」と題して「連番名称の愉しみ」。
20110814-24.JPG鉄道では「第三十四閉伊川橋梁」「第四松川隧道」みたいに、「第○」という名称が使われる。対して、道路ではその例は多くない。ヨッキれんさんが見た中で、いままで一番多かったのは、JR北上線沿いの国道105号、黒沢1号橋~9号橋だ。なお、道路では、橋梁は「第○橋梁」、隧道では「○号隧道」となることが実感として多いそうだ。

なお、鉄道では、おそらく山田線の閉伊川橋梁が「第三十四」まであり、最多ではなかろうか。そして、その第三十四閉伊川橋梁は、東日本大震災による津波で流失している。


いくつか例が出たのだが、これはちょっと残念な例。
20110814-26.JPG片倉森であいトンネル、片倉木もれび橋、片倉紅葉橋…。ざんねん名前がたくさん。ほかにも、林業関係をイメージさせる名前、全12本の構造物にそれぞれ睦月、如月…と名付けた例などを紹介。そして、ちょっと不思議なのがこれだ。

20110814-27.JPGこれは、開通記念碑に刻まれた碑文の文字を抜き出したもの。なかなか凝っている。ヨッキれんさんは、これは好きだ、と感動していた。

20110814-28.JPG考察。この関連名称は、道路の個性ではないか。たしかにそうだ。鉄道の橋梁に、どう考えても個人の人名の名称を人為的につけることは考えられない。


ここで第一部終了。の前に、トリさんが作ったグッズの紹介。これでまた、物販コーナーもおおいそがしに。



第2部は、『熱中スタジアム』に出演したトリさんに聞く裏話。15分ほどの番組だったが、5日もロケをしたとか。トリさんは身軽にひょいひょいと廃道をあるき、道がない場所にも踏み込もうとすると、スタッフから「カメラがあるから無理…」(もしかしたら、安全への配慮かも)と言われて行けなかった場所がある等、こうした場ならではの裏話。

続いてあづさ2号さんのレポ。
20110814-29.JPG私も似たようなことをやっているだけに、恐ろしく楽しかった。

そして、いよいよ廃道ナイトのメインイベント、後述レポート。だ。
20110814-30.JPG正月からこんな恐ろしいことをしていたのか…と誰もが思ったレポ。なにしろ、岩場に刻まれた道が凍結しているのだ。

20110814-31.JPG場所は山梨県早川町。旧版地形図に隧道まで描かれた道が、まるまる現在では消えている場所。

20110814-32.JPG地図には隧道はひとつだったが、いくつも出てくる。

20110814-33.JPGこの道に関する調査はまだ完璧ではないらしい。しかし、かつてはこの道を浴衣姿の人が温泉に入るために使っていたとか、そんな驚く話が次々に出てくる。この、ライブならではのテンポがたまらない。おそらく、調査終了後、『日本の廃道』でレポートされるに違いない。


いつも通り(?)時間もオーバーし、なごやかにラスト。『トリの隧道連想クイズ』

20110814-34.JPG全10問。成績上位者にはトリさんお手製の商品がもらえる。

第1問は、とても簡単。三島通庸の写真や地図が3つ表示され、答えも三択。ところが第10問、ヒントは1枚の写真、回答は10択!

結果、全問正解者はなし。9問正解者が5名となった。

ここで、おひらき…から、二次会のスタート!
20110814-35.JPG乾杯!

20110814-36.JPG本編でやるはずだったけれど時間の都合でカットした、細田氏の「渡橋術四十八手入門」。なんだこの爆笑ビデオは!

細田氏が眺めて育ったとある廃橋で、さまざまな渡橋方法を披露する!

「梁渡り」「抱き渡り」「尻渡り」「ハイハイ渡り」「竹竿渡り」など、名称からその内容がわかろうと言うものだ。竹竿渡りは、植村直己が単独で南極に向かったとき、クレパスに落ちてもひっかかるように、自分の身体に竹竿を横にくくりつけて歩いたという話を思い出した。ビデオでは、林鉄規格の細いレールを手に持って歩いていた。なお、細田氏はいつも「スタスタ歩き」。

そしてこれ。机上の空論。
20110814-37.JPGベニヤ渡り。

2枚のコンパネを交互に敷きながら歩いて行く。無限軌道のようだ。もちろん、廃橋と出会うシチュエーションにベニヤ板など持ち込めないだろ!というツッコミが入る。なにより、重労働だ(笑)。

重労働すぎて、細田氏と、撮影役のヨッキれんさんはコンパネの上で横になる。そして、起きようとしたとき! プレートガーダーからはみ出ている部分には足か頭があるのだが、うっかり上半身を起こすと、コンパネごと落下する危険が! みなさん! 廃橋の上にコンパネ敷いて寝転がるのはとても危険です!

20110814-38.JPG本当のラスト。「竹竿歩き」で持っていたレールを、この廃橋に敷いてみた。これがやりたかったのだそうだ。

かつて、鉄道として機能していた橋。そこに、フェイクとはいえ、一瞬でもレールが載った。この感動を胸に、第4回廃道ナイト、終了!


物販について。

●廃道マグカップ(1000円)…トリさんのお手元に、まだいくつか在庫があります。お問い合わせを。→トリさんのブログまたはツイッター

●やまいが携帯ストラップ(500円)…黒と白があります。こちらもトリさんまで。

●「危険」Tシャツ/トートバッグ…ヨッキさんが来ていたTシャツと、同じデザインのトート。会場でもバカ売れ。各2280円+送料で通販開始! →マニアパレル

●『日本の廃道』(通常号)…「日本の廃道」まで。
●『日本の廃道』(バックナンバー/バックナンバCD#2)「日本の廃道」まで。

『日本の廃道』は、ヨッキれんさんとnagajisさんで編集しているPDF形式の同人誌。PC回線とクレジットカードがあえば、即、購入できます。これを読めば、ますます「廃道ナイト」が楽しくなる。直接のエールにもなりますので、ぜひ購入を。
 

『東京の微地形模型』展

『東京の微地形模型』展

地図・航空写真・分水嶺

東京・神保町の南洋堂書店で開催されている東京の微地形模型』展に行ってきた。

20110811_001.JPGどういうものかというと、東京の新宿以西くらいの範囲の地形データ(国土地理院が提供している5mメッシュ標高データ)をカシミール3Dで読み出し、7500分の1にして立体的に起こしたもの。実際のサイズは1500mm四方、厚さは最大で60mm。高さは8倍強調としている。上の写真は、北を右として写している。わたしの東京の認識はこうなのだ。

地形はおわかりだろうか? 右上から手前に縦に流れる谷は、目白通りと神田川。上のほうが高田馬場。右下の盛り上がった台地は、JR山手線が上野を出て日暮里に向かう途中で車窓左に見える断崖、その上にある三つの四角形が不忍池。山手線の地形も浮かび上がるので、私は同定するのに皇居と高田馬場を用いた。

いままで、国土地理院が提供する5mメッシュや10mメッシュの標高データとカシミール3Dを用いて東京の地形を立体化して眺めては喜んでいたが、このように立体的になると、これはまた違った面白さや発見がある。主催者・制作者の店主・荒田氏がおっしゃっていたのだが、谷の両側の角度が異なるなど、一枚の静止画像であるカシミール3Dで描いたものからは気づかないことに気づくことに、驚いた。

20110811_000.JPG駿河台を真っ二つにする神田川。



この展示、お盆シーズンは終了が早めだが、27日まで長期間、展示されているので、ぜひご覧いただきたい。

なお、現地には、高額な『五千分一東京図測量原図』などが閲覧できるようになっている。

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