忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




これはいい影。

肥薩線を旧鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)がまたぐのは、肥薩線が先に敷設されたからだろう。

PR
atok2009にて、「接岨峡」(せっそきょう)と変換しようとすると「接阻峡」と変換されることに気づいた。辞書登録に誤りがあるのだろう。ことえりではそうしたご登録(←自分で誤字を書いてどうする)誤登録がたくさんあった気がする。

最近また駅名や路線名、鉄道事業者名を打ち込む機会が多い。辞書には駅名や路線名は登録されている。しかし、廃止になったものは登録されていない。もしかしたら、atok誕生以後に廃止されたものは残っているかもしれないが、古いものはない。現存する弘南(こうなん)鉄道はatokの辞書登録がないのが不思議である。

私のパソコンは必要に応じて変換履歴があったり登録したりしているので、もう記憶の彼方ではあるが、こんなものだけ覚えている。

小松島線は、コマツしません。
天北線は、店舗苦戦。「てんぽく」が名詞と認識されない。
妻線は、積ません。

(追記)
志布志線は、支部支線。





20100210-1.jpg
芽吹大橋。江戸川にかかる玉葉橋の一本上流、野田橋からつながる利根川の橋。埼玉・茨城県境の橋。道路橋と、その横に歩行者用の橋がある。

20100210-2.jpg
連続トラスに見えるけれど、カンチレバー。でも、あまり近寄れなかったからよく観察できず。3径間連続トラスが2連あるのだが、3径間のうち、橋台側を、第1~第3橋脚で支える桁が橋台側に張り出し、橋台との間で吊っている……ように見える。ピンは、橋台と第1橋脚の間にしかないように見える。

橋台付近を望遠で撮ると、こう。
20100210-4.jpg第1橋脚から手前(画像でいえば右)1パネル分のところの下弦材に、ピンが見える。しかし、橋脚を挟んで対象の位置には見えない。

20100210-5.jpg銘板ふたつ。


20100210-6.jpg














 











歩行者用。
20100210-3.jpg






やたら詰まっていて、ゆっくり見たり書いたり考察する時間がない。仕事で考察したいネタがあっても時間がない。この状況は、絵に描いた餅スケジュールならば2週間前で終了しているはずだったのだが・・・。


20100206.jpg屋根がこんなカマボコ形しているとは知らなかった。で、なぜ横方向にいたが並んでるんだ? 板を矯めてまでして。梁たるレールもきれいに弧を描いているなーーーー


ふと大分県の久住と新潟市との距離を測ってみた。
c9aeb9d7.jpg直線距離で885kmしかないのは意外だった。観念的に、新潟から大阪まで500km、大阪から福岡まで500kmなんだから、1000kmは軽く超えるものだと考えていた。そうでないのは、大分と中国地方の意外な近さがミソなんだろう。そういえばずいぶん昔に、徳山から国東までスオーナダフェリーに乗ったことがある。

地図を見るとき、無意識に「中国地方」「四国」「九州」といった見方をする。また、兵庫以西の中国地方が東西に延びるのではなく30度ほどの傾きを持って北東から南西に延びていることも見落としている。四国だってバットマンみたいな形をしているようなイメージで見ているが、実際にはシアーがかかっている。

これらはみな、私の脳内地図が、鉄道路線図を基準に覚えてしまっているからだと思う。新潟は東京の西か東か。真ん中通る中央線は南北か東西か。考えなければわからないほど、しかも時には間違うほど染みついている。これではエケナイ。


さて、上の画像に戻る。九重山頂と新潟との直線で結ぶと、地球を12kmの深さまでもぐらなければならないらしい。南備讃瀬戸大橋の2基の主塔の頂点同士だって、地球の丸味のせいで基部より数センチだったか広がっているんだから、これくらいあると言われればそうなのかという気もする。地下3000mの温度が摂氏100度というし、そのまま地下10000mまではその勾配が続くらしいから、そうなると300度以上の熱の中を通らねばならない。


それでは、東京の地下鉄も、実は両端を直線で結ぶと「地表下○m」ではなくもっと低くなるのではないかと思って両端が地下駅である都営新宿線の笹塚と本八幡で計測したが、報告できるような結果にはならなかった。残念。
またしてもプラットトラスが出ているよ。まあ、それだけの重要な意義のある橋なのだが。

「写旬」公式ブログにはまだアップされていない。つか、更新してなさそうにも見えるな・・・。


関連記事:中国・北朝鮮国境の廃橋(曲弦プラットトラス)


20100204-1.jpg小貝川橋梁と出自が同じと土木学会が推測している、五行川橋梁である。五行川は勤行川とも標記し、下館の南で先の小貝川に合流する。やがて利根川となる、一筋の河川だ。そこにかかるか細い橋が、この五行川橋梁である。

西側(下館側)に42フィートの鈑桁、益子側に100フィートの構桁がかかる。鈑桁はポーナルガーダー、構桁はイギリス式のポニーワーレントラスである。まずは鈑桁から。

20100204-6.jpgさても奇っ怪なことに、スティッフナーの形状に2種類ある。J字形のものと、直線状のものだ。特に後者のものは、山形に沿って微妙に張り出しており、このような形式は1919年(大正8年)の「達五四〇号式」として制定された設計からである。

小貝川橋梁とは、スティッフナーの位置もリブの位置も数も、添接板も異なる。長さは20cmしか違わない、見るからに兄弟桁なのに、これはどういうことだろうか。これらの鈑桁の正体が、皆目見当がつかない。これらの桁制定時の図面を見比べれば、なにか思いつくことができるかもしれない。

20100204-2.jpg対傾構はなく、「口」の字形のブラケットである。こういう部材の位置、数を調べておかないと、机上調査もできない。反省すべし>自分。

20100204-3.jpgさて、構桁である。このように幅広い。そして、左右の主桁がずれている斜橋なのだが、横桁は主桁に対して垂直である。すなわち、上から見ると、主桁の片側だけがずれているように見える。橋台と主桁だけがずれている。

20100204-5.jpgこんなならば、橋台も主桁も通常の形式にすればいいじゃないか、と思うが、これもねじりまんぽ同様、荷重のかかり方等の配慮のためなのだろうか。

20100204-4.jpg横桁は魚腹状。これは小貝川と変わらない。


いまにして後悔しているが、両者を同じ角度で同じ部材で撮影してくればよかったと思う。そうすれば比較検討ができるのに。


これも、小貝川橋梁と同じく総武鉄道からの転用桁だと推測しておく。
飛騨川と木曽川の合流点を地図で調べていて、笑ってしまった。



その地点が「川合」とは・・・。よくあることではある。山間部の場合は「落合」であることが多い印象を持っている。

「落合」だったら笑わなかったに違いない。彼我の間にある差がなんだか説明できず、もどかしい。「川合」は、女性らしいというか柔らかいイメージがあるのはなぜだ。「かわいい」に通じるからか。河合奈保子とか河井伊奈子とか小学校の同級生の河合さんとか、小学生のころまでに知った「かわい」姓がすべて女だからか。それに対して「落合」は野球の人とかラジオマガジンの人で、男性ばかりだからか。あいかわらず全然説明できていない。


上の地図を「写真」に切り替え、右(東、木曽川)の川合大橋を見ると、その下流(画面左)に謎の糸くず状のものが見える。なんだろこれ?


昨年急逝した真島満秀氏の追悼写真集が刊行された。書店店頭でページをめくって驚いた。最初の見開きが、見慣れた構図なのだ。廃隧道の中から外を見た構図なのだ。題材は親不知。

残念ながら、ネット上にはその写真はないと思われる。尼の中味検索もないし、版元のJTBパブリッシングのサイトにでも誌面見本がないか見てみたが、商品紹介にすら載っていなかった。一般的にはありえないことだが、この会社ではよくあることだ。学研のサイトでも同じことが起こる。


『廃道本』には、それと同じような構図が無数に出てくる。端的に表しているからだ。真島氏もそう思って、親不知トンネルをそのような撮り方をしたのだろう。その一致が嬉しい。


真島氏の作品は、本当にみとれてしまうものだった。『鉄道記』という大作がある。『駅の記憶』という小品がある。どれも、次のページをめくるのが楽しみなようなもったいないような、読み終わるのが惜しくてページをめくるのがためらわれるような、そんな作品集であった。

バイク雑誌の編集をしていた時代、氏にバイク旅写真を撮っていただいたらさぞかしすごいものになるのではないかと妄想したことがある。いまならそうした依頼に飛び込めるが、当時はできなかった。氏の構図をまねて同じ場所で別のカメラマンにそのためのレンズを持参していただいてまで撮影を依頼したことがあったが、それは私のロケハンの未熟さで成し遂げられなかった。なんと、北海道の音別まで行きながら、見本となる写真を忘れてきてしまったのである。後日、今度は自分が同等のレンズを購入し、同じ構図を探し当て、撮影した。行けばどうということはない。その場所で、そのレンズで、その構図を思いつくことが、すごいことだと思った。自分が撮った写真は、凡百のつまらないものにしかならなかった。焦点距離700mm。あまりに広大で、そこまでの圧縮感を感じない。

20100203-0.jpg

物事の上達のためには、まず一番のものの模写から入る必要があると思う。しかし、模写したというのもおこがましいようなものしか作れない自分は、もうどうしようもない。模写を、もっともっと一所懸命しなければならないのだろう。それこそ、まったく同一(に見える)ものが撮れるようになるまで。
昨日の『廃道ナイト』でnagajis氏(だったと記憶)がおっしゃっていた『土木人物事典』を買っておこうかと思ってみたら、その価格や5200円、しかも版元たるアテネ書房は廃業していた。気長に探そうと思う。ラインナップを見ると、どうも山海堂とかぶる。山海堂は、2年前に倒産している。

先日入手してまだ読んでいない『土木のこころ』田村喜子著。土木技術者に関する著書の多い田村氏のアンソロジーかなと思って買ってある。初っぱなが田辺朔郎であるところが、田辺に関する伝記をいくつもものしている田村氏らしい。

惜しむらくは書名。田村氏の著書は、内容はいいのにタイトルから類推しづらい。田辺朔郎が北海道の上川線(現・函館本線空知太~旭川間)や狩勝峠の計画に携わった話は『北海道浪漫鉄道』。なにやら、素人による鉄道旅行記のようだ。本書も『土木のこころ』ではなく『鉄道・道路・河川 相互に絡み合う土木技術者たちの明治から現代への系譜』みたいなタイトルであってほしい。

前述のとおり、残念ながら本書の版元は倒産している。

20100131.jpg
≪ 前のページ      次のページ ≫
カレンダー
09 2026/10 11
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
Copyright ©   轍のあった道   All Rights Reserved
Design by MMIT / SimpleTemplateB1 Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]