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山あるき

20091125-01.jpg2週間ちょっと前に、金時山にて。

再度行かねばならんかもしれん。

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橋趣味

橋趣味

橋梁一般

橋の形態だけに惹かれる。
これが、いいことなのかそうでないのか。

本当は、解析し、さまざまな角度から検証し、その橋の意味を見いだし、
ついでにドラマを見いだし、・・・なんてのが理想なんだと思うが、
自分としては、別にそれでいいんじゃないの、と思う。


例えば、蒸気機関車。
きっと、目撃すれば誰しも目を向けるし、見続けるだろう。
でも、石炭を燃料にし、煙を煙突から吐くことくらいしか知らない人がほとんどだろう。
それでもいいのだ。

別に、石炭の熱量や蒸気機関の弁装置の理論など知らずとも、誰も非難しないだろう。
同様に、橋の構造解析などせずとも、非難される筋合いはない。


ということで、ピントラスが最上位である。
文句なしにかっこいい。
以上。
20091125-0.jpg

ハンディサイド/岩田橋(新潟県)

ハンディサイド/岩田橋(新潟県)

橋梁(ハンディサイド)

旧・越路橋(1)
旧・越路橋(2)の続き。


20091124-7.jpg
前述の越路橋の兄弟橋である。
かつての信越本線信濃川橋梁の6連のうち、端部の1連が
この越後岩塚駅からほど近い場所に道路橋として転用された。
架けられているのは、渋海川という信濃川の支流である。

いかにも鉄道橋然とした細身。
前述の、拡幅された旧越路橋のトラスと比べてほしい。

20091124-2.jpg



































20091124-3.jpg縦桁には、なにかを鋲接していたような跡がある。

プラットトラスの斜材の実測寸は(括弧内インチは推測)、
第1パネル:圧縮材 幅304mm(12インチ) 厚さ40mm(1と9/16インチ)
第2パネル:圧縮材 幅256mm(10インチ) 厚さ40mm(1と9/16インチ)
第3パネル:圧縮材 幅232mm(9と1/8インチ) 厚さ30mm(1と3/16インチ)
引張材 幅103mm(4インチ) 厚さ18.5mm(11/16~3/4インチ)
第4パネル:圧縮材 幅205mm(8インチ) 厚さ25.4mm(1インチ)
引張材 幅154mm(6インチ) 厚さ18mm(11/16インチ)

そして、圧縮材(上写真)と引張材(下写真)の下弦との接合部分はこうであった。
20091124-6.jpg20091124-5.jpg








































(関連情報)ハンディサイド/不動沢橋(新潟県)


旧・越路橋(2)

旧・越路橋(2)

橋梁(ハンディサイド)

旧・越路橋(1)の続き)
20091123-1.jpg20091123-2.jpgさて、これが移設・保存された旧越路橋のトラスである。
8パネルであったものが3パネルに短縮されている。
注目していただきたのは中央パネルである。

この写真でいうと\の斜材の幅は304mm(1フィート)、厚さは40mm(1と9/16インチ)、
/の斜材の幅は153mm(6インチ)、厚さは18mm(11/16インチ)。

・・・というのはメモを見て書いているのだが、後日報告する
不動沢橋・岩田橋の部材の寸法や、写真(リベットの打ち方)から判断すると
\の斜材の幅は205mm(8インチ)でなければおかしい。
謎だ。

薄い斜材は軽く叩くとゴイーーーーーン・・・と振動する。
本来は、中央パネルの引張方向の荷重を受け持つ部材である。


なお、橋台・橋脚は、原型を望むべくもない。
なんでこんなに何カ所にも橋脚をかましてあるんだろう・・・。


20091123-3.jpg20091123-4.jpg20091123-5.jpg橋門部の延長改造を施した部分がよくわかる。
なんとも美しい。

ハンディサイドの銘板はレプリカだろうか。



(関連事項)
ハンディサイド/不動沢橋(新潟県)
ハンディサイド/岩田橋(新潟県)


旧・越路橋(1)

旧・越路橋(1)

橋梁(ハンディサイド)



越路橋。
こしじばし。
いい響きだ。

越後国を「越路」と呼ぶことがある。
越前、越中を前にして遠慮はないのか、と思わなくもない。
その「越路」を冠した町名が、ちょっと前まで存在していた。
これも新潟県全体を前にして・・・(ry
JR信越本線来迎寺駅や塚山駅付近を町域としており、いまは長岡市に編入されてしまった。

この越路町民が、国鉄が使わなくなった橋げたを利用して、自分たちのための橋梁とした。
1950年代のことである。

ココに、1947年の航空写真がある。
複線化工事中である。
ページのソースを見れば画像を抜き取ることができるが、
あえてせずにおくのでリンクをたどっていただきたい。

そして、ここに1975年度撮影の航空写真がある。
20091123ccb-75-11_c26_33.jpg

見事に旧線が道路橋となっているように見えるが、
ちょっとまった。
話はそう簡単ではない。


旧橋梁はハンディサイド製の1897年製200ftプラットトラス6連。
ここに見えているのは、そのうち4連である。
中央部4連がソレで、端部の各1連は新造の桁である。
これは、スパンが変わることかららしい。
画面左端は長く、右端は短い。

また、単線鉄道橋から道路橋への転用であるから、拡幅を必要とした。
253cmの拡幅がなされ、その痕跡は橋門に見ることができる。

1952年に鉄道橋としての使命を終えたこのトラス桁は、それらの改造を経て
1959年から越路橋として供用を開始した。

とはいえ、なんで半端に道路幅員6mでやめちまったのか、
この狭さがネックとなり、また老朽化も手伝って、
越路橋として生まれ変わってから約40年後の1998年には
新たな越路橋が架橋された。
そして、旧桁の一部は2002年に付近の河川公園に保存された。


(2011年4月17日追記)
越路橋は当初、有料道路として利用されていたが、工事開始時は「十日町来迎寺道路」だったらしい。
昭和32年11月28日の官報(9281号)に、こうある。

○十日町来迎寺道路工事開始公告
県道柏崎高浜(?)堀之内線(十日町来迎寺道路)の改築工事を本公団において下記の通り実施しますので、道路整備特別措置法第10条第1項の既定により公告します。
昭和32年11月28日
日本道路公団
総裁 岸 道三
路線名 県道柏崎高浜堀之内線
工事区間 新潟県三島郡越路町来迎寺から同県長岡市十日町まで
工事の種類 改築(道路改良及び橋梁架設)工事
工事開始の日 昭和32年11月30日

以上、革洋同さんの情報によった。

~~チラ裏~~
最初、誤って泰平橋の河川公園に行った。
そのため、いくら探してもトラスはない。
そこで管理事務所のおっさんに「越路橋のトラスが・・・」と訪ねてみたら、
「ハァ?」
「あんた、どこの人?」

「どこの人?」などという質問が飛んでくることに驚きだった。

説明しても無駄だと思って引き返し、地図を見たら
越路橋のたもとにも(地図上では)同じ名称の「河川公園」があった。
即、そちらへ向かった。




パテントシャフト/四ツ谷橋

パテントシャフト/四ツ谷橋

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)


20091120-3.jpg取手駅北方にあるこの橋が、まさか100年を越えてここにあるとは、この道を見る限り想像できない。

橋脚はRCだし、親柱と言っていいのかわからないが、その位置にはご丁寧にも「平成二十年七月竣工」などとも書いてある。


20091120-1.jpg20091120-2.jpg中写真手前側(西側)は29.027mの80ft桁改を、橋脚の向こう側(東側)は70ft桁を、それぞれ並列して計4本の桁を使用している。

80ft桁改は1897年製で製造所不明(イギリスではあるらしい)、70ft桁がパテントシャフト製である。

1897年製というのが正しければ、ポーナルが20ftから70ftの鋼鈑桁を制定したのが1893年(明治30年)である(作30年式。80ftは1894年)。このころの鋼はすべてイギリスかアメリカからの輸入である。

とはいえ、中・下の写真のとおり、ポーナル桁らしいJ型のスティッフナーは外観からは見えてこない。桁の下に潜れる場所があればいいのだが。

アメリカン・ブリッジの記憶/東武伊勢崎線利根川橋梁

アメリカン・ブリッジの記憶/東武伊勢崎線利根川橋梁

橋梁(アメリカン・ブリッジ)


1906年製の利根川橋梁。
この区間の開通は1907年8月27日。
複線化は、ずっと下って1992年9月21日である。
上記衛星写真に写っているのは、左が旧来の橋梁、右が増設部分である。

ここに、1974年度撮影の航空写真を持ってきてみる。
20091119ckt-74-18_c66_22.jpg(国土画像情報ckt-74-18_c66_22.jpgをトリミング)

なんと、複線化の18年も前に既に橋梁の工事は進められていた!

・・・などということはもちろんなく、右側の桁が
表題のアメリカン・ブリッジ製のプラットトラスの生き残りである。

開通時、ここには8連のプラットトラスが架けられた。
その後、1961年2月11日に200ft10連の現在線(画面左)が開通し、休橋はお役ご免となった。

いちいち見せないが、昭和55年度撮影のものにも、
昭和61年度撮影のものにもまだ写っている。
平成2年度撮影のものにて、ようやく姿を消している(橋の前後で複線化工事中)。



一番上の衛星写真でわかるとおり、現在線は連続トラスである。
本流部分でスパンを長くしており、常磐線利根川橋梁の緩行線複線ワーレンように、
スパンの変化する部分で橋高が拡大している。

撤去された橋の銘板等は、どうするのだろうか。
ただの鉄屑となり、再利用されるのだろうか。


横河橋梁/東武野田線庄内古川橋梁

横河橋梁/東武野田線庄内古川橋梁

プラットトラス

20091117-1.jpg20091117-2.jpgこぢんまりとした印象の、100ftプラットトラス。
東武野田線の庄内古川橋梁である。
100ftでわたれてしまう庄内古川とは、東京湾に注ぐ中川そのものである。

中川を北に遡るとしよう。
武蔵野線と交差するあたりでは水のある幅が80mほどある中川は、
すぐに西に元荒川を分け、新方川を分け、大落古利根川を分ける。
すると、中川はこれくらいに細くなる。


1929年横河橋梁製の、当年80歳の橋梁である。

20091117-4.jpg文字を読みやすくするためにアンダーにしてある。

昭和五年
株式会社横河橋梁製作所
製作


歴史的鋼橋一覧によれば昭和4年製となっているのは、側径間が昭和4年製であるためだろう。

さて、その側径間である。
20091117-3.jpg真横からではないが、明らかに桁が斜めになっている。
対して、レールは水平。
そのため、枕木にゲタを履かせている。
こちらの銘板はこう。
20091117-5.jpg
ちゃんと昭和4年製である。



アメリカン・ブリッジの記憶/鹿児島本線千歳川橋梁(2代)

アメリカン・ブリッジの記憶/鹿児島本線千歳川橋梁(2代)

橋梁(アメリカン・ブリッジ)


20091114cku-74-22_c2_67.jpg(国土画像情報よりcku-74-22_c2_67.jpgを転載・トリミング。1974年度撮影)

画面を上下に横切るのが鹿児島本線。
対角線を横切るのは筑後川(「ちっごがわ」と発音せよと佐賀人は言った)。
最下部が久留米駅の北端である。
ついでに、そっから画面右に向かって斜めに横切ってる線路はブリヂストンへの引き込み線。

主題はその橋。
4線並ぶうち、左から旧線上り・旧線下り・新線上り・新線下り。
新線は工事中である。画面左の道路橋(長門石橋)も工事中。

この旧線下り線の長さをよく見て欲しい。
画面上(北)から、短短短短長長長長短となっている。
短=100ftで汽車会社製、長=150ft桁で、この長いほうがアメリカン・ブリッジ製である。
また、下り線(右)はすべてトラス、上り線(左)は短がポニートラス、長がトラスである。


(1)1890年 九州鉄道として供用開始。
ウニオン製100ftポニープラット5+150ftプラット4。1914年撤去。
100ftポニープラットは4連が山鹿温泉鉄道に転用され、
そのうちの1連が水辺プラザかもとに保存されている。
(2)1913年 新橋梁(のちの下り線)供用開始。
汽車会社製100ftプラット5+150ftプラット4。1977年廃止。
(3)1942年 複線化、上り線を増設。

以下推測である。
(1)と(2)の間にタイムラグがあるので、(1)に並行して新線を架設。
新線開業後、旧線の桁を撤去。
(3)1942年の複線化の際には、旧線の位置に上り線を架設。
旧線と同じく100ftポニートラス5+150ftトラス4とした。
・・・という推測をしたが、どうだろうか。
1941年以前の航空写真など、ないだろうなあ。
『国鉄トラス橋総覧』を入手すれば解決する話かもしれん。

(3)の新線(上り線)は35年くらいしか
使われなかったということになる。
どこかに転用されたか?
今後の調査を待ちたい。つか調査しますがいつになるやら。


300フィートの記憶/大船渡線北上川橋梁

300フィートの記憶/大船渡線北上川橋梁

プラットトラス

本邦に5例しかないらしい、300フィートのペンシルバニアトラス。
そのひとつが、大船渡線の鍋鉉に左下、真滝-陸中門崎間の北上川に架かっていた。

20091112cto-76-16_c9_41.jpg(国土画像情報
cto-76-16_c9_41を転載、トリミング)

見よ、水面に映ったこの美しい影を。
うまい具合に上流川に影を落としているため、波が邪魔することもない。

この桁は1922年汽車会社製。1925年開通、1979年頃まで使用されていた。
長さ約93m、高さ約15m。
こちらのサイトの写真を見ると、蒸気機関車の3倍もの高さがよくわかる。


さて、本橋梁の建設中の写真が土木図書館に多く残る。
鉄道橋梁工事」内に「記載事項なし」とする写真の多くが、本橋梁である。
なんと美しい姿。
co0519.jpgco0474.jpg(土木図書館蔵)

興味を引くのは「墜落橋脚引上工事」と題する写真である。
co0432.jpg(土木図書館蔵)

一体何があったのだろう。


なお、土木建築工事画報の記念すべき第一号にも簡単な説明がある。



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