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新潟市内に残る壁 日石カルテックス

ENEOS/日本石油

twitterで秋山辰夫さんに教えていただいた、新潟市東区の日石CALTEXの残る壁。中木戸のあたりの街中にある。近くには新潟県道3号(旧国道7号)や県道4号(赤道)が通っており、それらは古くからの幹線道であるのでなぜわざわざちょっと入ったここに給油所を設けたのだろうか。

1975年の航空写真を見ても、いまと同じようにキャノピーもサービスルームもないようだ。どこが、なんのために設けたのだろう?

新潟駅近くに隠れていた三菱石油といい、街中にも残っているものだなあ。




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残り続ける「日本石油」

ENEOS/日本石油

JR越後線小島谷駅付近の道路は、鉤型のようになっている。駅を出て左に行くと、道路は左に直角に曲がり、踏切で越後線を越えていく。そのインサイドに、いくつか商店がある。写真に写る2軒ももちろん現役だ。

地図を見る限り「金物店」と書いてあるこの商店、左のガラス戸の向こうには花の種などが見える。この商店は新しい建物だが、しかし、なぜか「日本石油」と書かれた、給油所のピットのような建物がある。「計量器販売店」の看板は、本来の「金物店」由来だろうか。

構えはこうだが、シャッターもきれいなことから、いまも車庫または物置として使われているのだろう。しばらくはこのまま在り続けるに違いない。





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五色架道橋(東京モノレール)のラーメン橋脚と曲線鈑桁

鈑桁(プレートガーダー)

東京モノレールが、海岸通りと首都高を斜めに一跨ぎする部分に架かる架道橋。しかも路線はカーブしているので、普通鉄道であれば斜橋かつ曲線鈑桁になるのかもしれないが、ここでは端部は通常の形状だ。支承は見えないが、下記ラーメン橋脚部分はピンなので、こちらが可動部になっていると推測する。

スパンが長いので中央に橋脚を設けている。そのラーメン橋脚、規模の大きさの割にはスレンダー。構造・経費の産物と思うが、首都高を走るクルマから見ても圧迫感がない仕上がりとなった、というところだろう。

支承。鈑桁は連続桁。いつも広角ズームしか持ち歩かないので、こういうときだけは望遠が欲しくなる。

脚元は港区の清掃施設の敷地内に入っている。立ち入れる部分があるので、なかなかいい視点になる。

橋脚にある塗装表記。これによると、この4本脚のラーメン橋脚は「五色架道橋NO.10点支柱」というようだ。




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筋肉質の橋脚

橋梁一般

東京モノレールの複線用橋脚。写真右手は道路で、それを一跨ぎするために、ハンチのように張り出している。支持点は4カ所、しかし脚は1本。モノレールらしい、美しくも筋肉質な橋脚だ。下部がグレーなのは耐震補強だろうか。

重くなるので地図の貼り込みはしないが、港区港南四丁目付近に連続している。


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標識のスケール感

道路全般

新潟市内で見かけた道路標識。スケール感をもってよく見て欲しい。


路地なのに、この大きさ。天地・左右とも80cmくらいだろうか。


道路のはるか頭上、横断歩道などに掲げてあるならこの大きさもわかるのだが、この路地にこの大きさであると、とてもファニイ。




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石打駅

駅舎

上越線の石打駅。ホームは2階に相当する高さの築堤上にある。駅舎の規模としては、乗降客に見合わないくらい大きい。旧六日町駅舎よりも立派だ。これは、運転関係の要員スペースがあるためだ。

きちんと活用されているのは、エアコンの室外機の数でもわかる。2階は五つの区画があるようだが、右端を除いた4区画には室外機が付いている。1階の庇上に八つ並ぶのは1階用だろう。

昭和43年築の駅舎は、学校のようにも見える。どこ…とはすぐに思いつかないが、その時代の鉄筋コンクリート駅舎の典型にも見える。もっともっと類型を集めたい。

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ワムハチ廃車体に見る鉄道用塗料の強さ

鉄道車両廃車体

新井で見かけたワム80000の廃車体。塗装のせいか、外板にあるリブ(ここでは凹み)が見えず、「ワラ1がとび色2号に!?」などと早合点してしまった。れっきとしたワム80000そのままである。

おそらく、運び込まれたときはワム80000本来の塗色であるとび色2号、つまり茶色だったのだろう。それを美観かなにかの点で水色に塗り直した。ところが、塗料の耐候性などの問題で水色は褪色し、塗り込めたはずのとび色2号が出てきてしまった、ということだろう。

国鉄が貨車を大量に販売したのは昭和50年代終盤であり、それから30年近く経っている。それでも全国各地で倉庫として利用されているワム80000は、とび色2号をきちんと保っているものが多い。塗装の劣化よりも、構体の鋼板が腐食するほうが早いようだ。



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新潟駅高架化の記録

土木一般

いつの間にか、新潟駅高架化工事がかなり進んでいた。すでに、かつての6・7番線ホームは線路もろとも消えている。写真は東跨線橋から新潟駅方向を見たもの。


2011年のGoogleストリートビュー(リンクでストリートビューへ。以下同)。向かって左手の3線(左から白新線下り・信越線下り・信越線上り)が撤去され、右手1線(白新線上り)のさらに右に2線、仮線が設置されている。ちょっと記憶にないのだが、右手のマンションと線路の間の道路用地を転用したのだろうか。

これは同じ東跨線橋から越後石山方を見たもの。左から、仮線、仮線、元の白新線下り。右に空いた3線分のスペースに高架橋が来る。高架橋の下にも留置線があり、かつてはSLばんえつ物語が新潟に到着後に引き上げるためのDE10が待機していた。

2011年のストリートビューより。過渡期で、すべての線路が写っている。



駅の西側(越後線側)へ。天神尾踏切。

写っている線路は単線の越後線で、写真は内野方。すでに単線高架橋はかなりできていた。

 これが2011年の姿。撤去された電留線2本は、高架上に設定されるようだ。

こちらは新潟方。

2011年のストリートビュー。

これは越後線の仮線工事。いま地上を走っている線路は、こちらに切り替えられる予定。

高架橋が3本ある。手前から、新幹線高架橋へのアプローチ、新幹線、越後線。

今回は「ついで」で回っただけだが、きちんと記録しておきたい。

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古信濃川の名残 その2

水路隧道・水管等

古信濃川の名残 その1
に続いては古信濃川の東の端、栗の木川の河口付近に平行してあった部分の名残。

  古信濃川の東端部を南から北に向かって歩くと、国道113号(東港線)にぶつかる。その手前、最上部のように空き地の向こうに水管橋が見える。国道川からは、上野ように見える。金網に囲まれているので近づけない。

この水管橋の下が、かつての古信濃川だ。周辺の状況から、暗渠化しているように見えるが、埋立かもしれない。わからない。

 対岸…というとなくなった川の話だから混乱するな、国道を挟んだ向こう側には、橋の欄干が残る。親柱の銘板などない(ように見えた)ので、名称は不明。欄干の向こうには使われていない水管橋があったような…まずい、覚えていない。

この欄干より向こう(信濃川側)は、地理院地図では古信濃川が掘り込みのように残っていると描かれているが、実際には埋められている。googlemapsでも埋められている。




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古信濃川の名残 その1

土木一般

新潟市 古信濃川と栗の木川の続き。

新潟市内には、かつて「古信濃川」という流れがあった。そのすべては埋め立てまたは暗渠化(どちらか未詳)されてはいるが、ところどころに痕跡がある。そこを、2014年6月1日、路地連新潟主催のイベント信濃川右岸『つなぐ町 流作場@新潟市・沼垂町合併百周年』に参加してたどった。そこで見つけたのが、この水管橋だ。

古信濃川はすでに暗渠化し、その上に家屋まで建っている。川を跨いでいた水管橋は地中化されることもなく、そのまま地上に顔を出しているのは、埋立ではなく暗渠化の証なのだろうか。しかも、道路にでっぱるかのような位置であり、うっかりするとゴミのポイ捨てされたり子供が遊び場にしやすいような感じでもあり、だからだろうか、金網で囲われている。

位置はバツ印をしたところ。赤いラインが古信濃川で、黄色い道路は県道1号線。新潟駅南から西→北西へと流れた古信濃川は現在道路となっているが、現・県道1号線を越えたところですこしオフセットされる。このオフセットされた道は当時の川岸の道で、川跡そのものは埋め立てないし暗渠化されたのだろう。その延長上のバツ印のところに前述の水管橋があり、その先には消防水利と下所島排水機場がある。

小学生の頃、郷土の学習で「排水機場」というものを習ったが、まったく意味がわからなかった。わかるようになったのは、微地形に興味を持ち始めてからである。


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