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コキフの車掌室の駅舎化 御庄駅

コキフの車掌室の駅舎化 御庄駅

鉄道車両廃車体

20121204_100.jpg車内から撮った写真。2013年3月には「清流新岩国駅」に改称されることが決まっている、錦川鉄道の御庄駅だ。駅舎というか待合室は、ヨ8000がベースだ…と思いきや、違う。

これは妻面扉の形状から、コキフ10000の車掌室部分を2組用意し、トイレの部分で切断し、突き合わせたものと思う。しかし、車票差しの部分や、そもそも妻面扉など交換したりしている可能性もあるので、ちょっと不安要素が大きいと言うことで「コキフの車掌室部分」としかしないのがよさそうだ。

面白いのは銘板がついていることだ。

20121204_101.jpg日本国有鉄道
広島車両所
昭和62年改造

通常は台枠に貼られるべき銘板。車掌室本体はすでに台枠から分離されているため、屋根の側面につけた…のだろうか。

「改造」というのもおもしろい。建築物ではなく、車両を改造しているという気持ちだったのだろうな。


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森ヶ原信号場 岩徳線と錦川鉄道の分岐点

森ヶ原信号場 岩徳線と錦川鉄道の分岐点

鉄道

20121204_002.jpg鉄道路線の分岐にはいろいろな形がある。多くの場合は駅のホームからして違っていて、たいていは分岐先のほうが本線に支障しないように配されている。しかし、山口県の錦川鉄道は、JR岩徳線の川西駅が営業上分岐駅ではあるが、そこからしばらくは岩徳線の上を走り、分岐型信号場である森ヶ原信号場でようやく分岐する。

写真は、岩国行きの列車の後部窓から撮影。時系列を遡る形になる。

























a8843175.jpegここが森ヶ原信号場。直進している(ように見える)のが錦川鉄道、左へカーブしているのが岩徳線。

8838d3c5.jpeg錦川鉄道に入っている。岩徳線の左にあるのは監視小屋だろうか。その奥には赤を現示している信号機が見えるが、錦川鉄道のほうには信号機はない。


 

山口県の沈下橋 長走橋と守内橋

山口県の沈下橋 長走橋と守内橋

コンクリート桁

20121204_000.JPG山口県。錦帯橋がかかる錦川には、それに沿って錦川鉄道が走っている。その車窓から沈下橋が見えた。

沈下橋といえば四国と連想するが、ここにあるということは錦川も相当に水量が増加することがあるのか。これは長走橋(ながばしりはし)。上り列車なら左車窓がこの橋、右車窓は錦川第二発電所である。

20121204_001.JPGこちらは守内橋(しゅないはし)。長走橋よりも長い。多径間…という言い方が適切かわからないが、そうである。堤防から水面に向かってけっこうな下り勾配になっている。とっとと越流させて、流木等がひっかからないようにしているのだろうか。

橋の手前右側の看板には「増水時通行止」、左の標識は14トン制限。両端に金網の扉があり、交通を遮断できるようになっている。

●参考 錦川の沈下橋 錦川の沈下橋



 

木曽森林鉄道 十王沢橋梁の鈑桁とコンクリート桁

木曽森林鉄道 十王沢橋梁の鈑桁とコンクリート桁

鈑桁(プレートガーダー)

20121203_001.JPG長野県の上松駅のほど近くに、単線のプレートガーダーとコンクリートガーダーが並行して残っている。ご覧のようにカーブしていた。

20121203_000.JPG反対から見ると、こう。コンクリート桁の上には枕木の跡が見える。

20121203_002.JPGコンクリート桁の中間部がおかしなことになっている。橋脚に段差があり、その上に同じ厚みの桁が載っている。そのため、桁の上面の高さが合っていない。

20121203_003.JPG橋台部分、コンクリート桁の橋台は埋め込まれてしまっている。

20121203_004.JPG鈑桁の方は、どちらにも横河橋梁大阪工場の銘板がついている。


道路を挟んで反対側にも同名の「十王沢橋梁」があったはず。そちらは単線鈑桁で、銘板はローマ字表記のようだ。



 

日立電鉄モハ11

日立電鉄モハ11

鉄道車両廃車体

20121202_000.JPGまるで1980年代のどこか郊外にあったような光景が、そこにあった。16m級のコンパクトな車体が、道路脇の木の下に静かに眠っている。多少の錆は浮き出ているけれど、いまだ静かに眠っているかのような光景。

周辺には、この車両を含めて3両の車体がある。別のところで撮影していたら、畑のオーナーさんが声を掛けてくださった。写真を撮りにくる人は少し入るのだろう。大変ご親切に、いろいろなお話を聞かせてくださった。

いわく、まとめて4両引き取った。
トレーラーで持ってきた。
車体は格安でもトレーラーの運送賃がすごく高いのではないか…というような質問をしたら、とくに記憶にないような感じだった。
倉庫を買うよりも安かった。
1両は車体の痛みがひどく、解体した。

オーナーさんからは驚くべき提案をいただいたのだが、まあ、ここでは書かずにおく。現地でオーナーさんに会えば、きっと同じことを言ってくださるに違いない。



車体は倉庫として使われている。ドアも小さなこの車体がまともな農業資材の倉庫として機能するわけがないような気もするが、きちんと使われている。社内を覗くと、いろいろと興味深い。


20121202_001.JPGモハ11の標記と日立電鉄の社紋。「日」「立」を図案化したもので、「日」を横倒しにしているセンスがすばらしい。



関連項目:日立電鉄クモハ352



長野電鉄雨宮駅の駅便

長野電鉄雨宮駅の駅便

駅のトイレ

20121201_001.JPG2012年3月末で廃止になった長野電鉄屋代線の雨宮駅。ホームの端部は延長のためか、スロープを方形に整形している。架線柱の間隔と架線を吊る碍子が、かつては2面2線の相対式ホームだったことを偲ばせる。

20121201_000.JPGこんな無人駅にもトイレがある。駅前広場(?)は地元の方がクルマを置く場所になっている。

20121201_002.JPG
こういう、小屋の外板の貼り方はなんというのだろう? 通風のため、横の桟の表裏に竪板を貼っている。屋根は塗炭、継ぎ目は水平方向。

20121201_006.JPGこんな具合に、男子小用1、個室1。その間の仕切り壁の上部を切り欠き、笠つきの白熱灯。

内部はとても清潔。外板が通風仕様になっていることもあり、臭気はない。とてもすがすがしい。
























20121201_004.JPG男子小用。目の高さの窓は、ガラスがあったかなかったか記憶にない。冒頭の写真を拡大すると、アクリル板のような乳白色の板が貼ってあるようだ。

こういう野ざらしの汲み取り式男子小用便器はえてして変色し、尿石(尿の成文が固着したもの)がこびりついているものだが、ここはそんなことはない。日頃から水で清掃されていたことの証だ。

























20121201_005.JPG個室。こちらも清潔。

便器は前後方向が短い。体が硬い私などは、後ろが足りないかもしれない。いや、それにしても狭いな。

この手の便所の個室はきっと標準的な寸法があるのだろうけれど、最近の体格向上に合わせて一般的には個室は拡大されている。しかし、こういう古いところはそのままだ。

かつて入った熱塩温泉の個室は洋式に改装してあり、そのため座るとドアが閉まらないくらいなのだ。あれはつらかった。



おまけ。きっと、上からなぞって描き直したのだろう。
20121201_007.JPG



 

硬券入場券

硬券入場券

鉄道

20121125_006.JPG「硬券」「入場券」というものに憧れがあった。実家の最寄り駅、という言い方が正しいかどうかわからないが、バスで20分ほどで着くのが新潟駅だった。直線距離では2kmくらいだ。新潟駅では、昭和55年の段階で、すでに硬券は全廃されていたと思う。何度か窓口で買ったり、あるいは尋ねたりしたが、「ない」と言われた。

おそらく、初めて買ったのは昭和56年5月の越後線巻駅ではないかと思う。しかし、いま手元にそれはない。もっとも古いものは、昭和56年8月3日の坂町駅だ。当時「鉄道少年団」というものに入っていて、その合宿で中条初年自然の家に行き、その帰りに買ったものだ。「乙まんじゅう」もそのときに初めて知った。

あまりあちこちへ出かけることができたわけではないが、それから、出先で入場券を買うようになった。「通販で買える」と知って、廃止対象路線の駅に手紙を送って買ったものもいくつかある。

20121125_003.JPGきっぷの日付は、メモ代わりになる。この新潟駅の入場券は、新幹線開通を記念して特別に硬券を発売したもの。以後、そうした目的用に常備するようになったと記憶している。

日付は昭和57年11月17日。この日に新潟駅に行っていたことは、記憶にない。14日にいたのは11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~などに書いた通り。翌週、11月21日には鉄道少年団の企画で上越新幹線で高崎まで往復した。その合間、17日、計算すれば水曜日だ、この日に新潟駅に行っていたとは。おそらく新幹線を見に行ったのだろう。

20121125_002.JPG昭和59年8月20日。これは、自転車で新潟から柏崎の親戚宅まで行ったときだ。日付は憶えていなかったが、こんな、お盆の後だったのか。お盆までは部活部活で、8月後半はオフだったのかもしれない。

新潟から柏崎までは約90km、国道116号の、雑草の生えた歩道はいまでも憶えている。国道8号に入ると妙に嬉しくて、♪8号線~、8号線~、などとヨッキさんの「三島通庸の歌」みたいなオリジナルソングを歌っていたのも憶えている。順調に6時間くらいで到着し、あっけなかった。昼過ぎに親戚宅に着いてしまい、時間を持て余したのも憶えている。

あれ? このとき、吉田周辺のどこかのカメラ屋で、見たこともないモノクロフィルムを買った記憶があるのだが、このときの写真なんてあったっけ…?

20121125_005.JPG翌日はなにをしていたのだろう? 翌々日の8月22日は、青海川~笠島あたりの信越本線の廃線跡に行った。何度かクルマで通ったことがある米山大橋も自転車で渡り、「走って揺れるんだな」と思った。直江津側のどこまで行ったか忘れていたが、潟町まで往復したのだな。


20121125_004.JPGその帰り。8月24日。そうか、親戚宅に4泊もしたのか。柏崎から長岡まで、自転車とともにクルマで送ってもらい、長岡から各駅に立ち寄りながら走った。

そんなことも思い出させてくれる。旅の記念品というものを買わないので、きっぷだけをとっているけれど、こうしてみると記念のものって大切だなと感じる。

いろいろと、記憶がなくなる前に記しておきたい。
 

国道257号のボーストリングトラス 出合橋

国道257号のボーストリングトラス 出合橋

ボーストリングトラス

20121127_000.JPG岐阜県にはいくつかのボーストリングトラスがある。これは旧馬瀬村、現下呂市にある、国道257号が馬瀬川を渡る橋だ。2010年秋、丸田祥三さんの『廃道 棄てられし道』の取材に同乗させていただき、立ち寄ったときのものだ。

馬瀬川は飛騨川の支流である。「出合」というのは、この場所で、馬瀬川の支流・一之谷からの川(名称不明)を合わせるからであろう。こちらは北側、右岸。

20121127_002.JPG左の親柱「馬瀬川」。

20121127_001.JPG右の親柱「であいはし」。

反対側(南側、左岸)は、左が「松瀬川」、右が「出合橋」である。

20121127_003.JPG反対側。

20121127_004.JPGちょっと手前から見ると、けっこうな川幅があるのに、この部分では橋台を両岸からせり出し、このボーストリングトラスで一跨ぎしているのがわかる。

9t以上は通行禁止。地名標記は「馬瀬■奥川上」とあり、■はかつての「村」を消した後と思う。「奥川上」は、地形図によれば「おくがおれ」と読む。

20121127_005.jpg南側に銘板がある。

昭和28年(1953)
岐阜縣建造
内示(昭和14年)一等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所

20121127_006.JPGトラスの組み方はプラットトラスである。


 

筑波山麓に消えた川と橋と道

筑波山麓に消えた川と橋と道

廃道

閉鎖給油所交差点 三井石油でとりあげたルートは、@roadjapan ことのがなさんによれば、旧道だったそうだ。そこで、カシミール3D+電子国土で古い空中写真を閲覧した。なるほど。

●現在(右上の赤い丸が、三井石油の場所)
35c25ad1.jpeg.

●1974~1978年頃
20121127-m2.jpgなるほど、いまのバイパス的な道がない。いや、それどころか川の形が全然違う。また、右上を\型に筑波鉄道の線路が見える。

GIFアニメにしてみた。

20121127-mm99.gif河川改修で直線化され、三日月湖との間に挟まれた分度器みたいな形の土地は、どう利用しようもないのか。

旧道の延長たる筑波神社への道に「40高中」がたくさんあるのは先のエントリに書いたとおりだが、のがなさんによれば、それを南西に延長した、いまは橋が消えて分断された旧道にも「40高中」があるという。

消えた橋はどこへ行ったのだろう?


 
 

閉鎖給油所交差点 三井石油

閉鎖給油所交差点 三井石油

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

20121126_000.JPG筑波山神社への上り口の交差点に、閉鎖された給油所が向かい合っているところがある。そのひとつが、この三井石油だ。

20121126_002.JPG向かって左の防火壁には落書きがあるとはいえ、クッキリと三井石油のロゴ。その左、褪色はしているが、菱形に「三」のロゴも見える。これは東面。

20121126_003.JPGその裏、民家の畑越しになるが、西面は青文字もきれいに残っている。

20121126_004.JPGしかし、赤は褪色が激しい。



20121126_001.JPGサービスルーム。閉められてずいぶんとたつようだ。とはいえ、駐車場としては利用されているようだ。


20121126_005.JPG向かって右の面の防火壁は、ほぼ見えないくらいに青文字も褪色していた。道路を挟んだ斜向かいには、古い日石カラーの給油所がある。

20121126_006.JPG計量器こそ使っていないようだが、敷地内にはローリーが停まり、サービスルーム内には電灯がついていた(無人)。GoogleMapには石油店と表示されるので、現役の商店である。

このすぐ近くには、筑波鉄道のターミナルがあり、自転車道路となった廃線跡もある。県道が廃線跡をオーバークロスする部分をはじめ、県道42号は「40高中」の路面標示がたくさん残っている。クルマでは観察しづらいので、そのあたりは徒歩か原付でぜひ。

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