
与板の街中には、いまだ越後交通の廃線跡が堂々と残っている。ホーム跡も容易にわかる。関係建築物を解体したものと思しき残骸もある。更地化したところは、運送会社の駐車場になっている。
もっとも、駅(跡)は街の中心ではなく、住宅地が尽きてそろそろ他の用途、たとえば田畑や山になろうかというあたりにあるので、残っているのもむべなるかなと思う。西に向かう廃線跡は遊歩道になっている。
さて、上の写真の写っているのは、日通の倉庫である。

倉庫内は無人のようだったので(撮影は祝日の土曜日)、前に停まっているクルマは近所の人のものだろうか。
この建物は、「鉄道の駅舎だ」と言っても信じてもらえそうな形をしている。

角度を変えて。妻面に掲げられている「日本通運」。中央の円形はもう読めないが、「通」のロゴマークと推察できる。
サッシはすべてアルミ(?)化しているが、その外枠は木製のまま。そして、波板(トタン?)や細い凹型が入った板を巻いたこういう外装は、新潟ではよく見るのだけれど、他の地域ではどうなのだろう?

反対側の妻面。道路に面しているためか、3枚の戸。この、おそらく木製フレームに金属板を打ち付けた戸も、新潟ではよく見る。冒頭の写真を見ると、その戸袋がおかしな形で飛び出している。そこに、興亜火災の行灯がある。
いま気づいたのだが、ここに見える鬼瓦の下の瓦は三つ巴だ(反対側は無地)。
五十公野の農業倉庫も三つ巴だった。

一周して正面。正面玄関…と思しきところは実は玄関ではなく、その左隣りが玄関なのだが、その「思しきところ」にはこんな標識があった。上から
「電話一一七番」(縦長。時報じゃないのか?)
「電話 44」(楕円/電電公社マーク)
「電話117」)楕円/電電公社マーク)
電話番号2桁ということは、相当に古い建物で、かつ公共性が高い建物だったということだろう。
この日通倉庫は現役で使われている。撮影した日はたまたま休業だったらしいので、近寄ったり撮影したりできたら、もし関係者が仕事中の場合はご配慮を。