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赤谷線付近の雑記。古レール使用の廃屋、土留め、新潟交通赤谷車庫

赤谷線付近の雑記。古レール使用の廃屋、土留め、新潟交通赤谷車庫

古レール・駅ホーム上屋・柱

[赤谷線廃線跡にある古レール支柱の水管橋]のほど近くで、古レールを使用した廃屋を見つけた。


●古レールを柱・梁とする廃屋

20120602_004.JPG農作業用の小屋だろうか?

20120602_002.JPG20120602_003.JPG
ふんだんにレールが使われている。一部には枕木も使用されている。測ってはいないのだが、ここで使っているレールは太い。50kgレールではないだろうか。


●土留め

さらに行くと、土留めの支柱が古レールだった。
20120602_005.JPG直線的な曲げ部部は、よく見ると溶接してあるようだ。つまり、レール側面から見てV字型に切れ込みを入れ、レールを縦方向に曲げ、溶接した、と推測する。


●新潟交通赤谷車庫

20120602_000.JPGシャッターが開いているところを見たい。


●東赤谷駅跡

20120602_006.JPGいまはバス停しかないが、1988年5月、付近の山に登ったときにはまだ東赤谷の駅舎はあった。その付近でテントを張った。新潟県高体連の行事なので、許可はとったあったのだろうな。



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赤谷線廃線跡にある古レール支柱の水管橋

赤谷線廃線跡にある古レール支柱の水管橋

古レール・駅ホーム上屋・柱

20120601_006.JPG赤谷線の廃線跡を原付で走っていたら、こんなすてきな水管橋に出会った。駅でいえば新山内と赤谷の間で、写真右が路盤跡、電柱より左の一段高いところが県道14号である。地名でいえば中々山。

20120601_007.JPGこのように県道をまたいでいる。おもしろいのは、鉄道を跨ぐ部分の橋脚が古レールなのに対し、道路をまたぐ部分は円柱のコンクリート橋脚である点だ。水管橋のような重いものを、こんな古レールで支えていることにいささか驚く。

20120601_001.JPG古レール橋脚は、このように、脚1本につきレール4本×2+斜材という組み合わせ。レールは底面同士をリベットでつなぎ、それを2組並行にして(間にウマをかませて)ボルト留めしている。

左右の脚をつなぐ斜材を裏から見るとこのように。

20120601_002.JPG反対側から見ると、片方が1本、他方はクロスする部分で分断されている。この部分だけ見ると、まるで1組の線路のようだ。…(A)

20120601_000.JPG桁のすぐ下。レールを縦方向に曲げ、桁の下部の出っ張った部分に入れ込んでいるのだろう。内側のレールは、縦方向にも横方向にも曲げられていることになる。なんとも見とれてしまう。

20120601_003.JPG古レールの陽刻もクッキリと見える。これは

UNION 07 工

とある。「工」は官設鉄道が発注した印。ほかには

CARNEGIE 1907 0 1 |||||||||||(0 1 は正確か不明)

くらいか。上記の写真(A)はASCEの陽刻が見えている。

20120601_005.JPGちょっと引くと(赤谷側に移動し、新発田側を見ると)地面に台座がいくつか見える。

20120601_004.JPGこのように、レール4本の支柱なので、今回紹介した水管橋の脚の片方のようなものだ。しかし、1975年前後の航空写真を見ても、そんな橋梁等の構造物は見あたらないので、それ以前に撤去されてしまったものか。ここにはなにがあったのだろう?




ENEOSへの華麗な変身(2)

ENEOSへの華麗な変身(2)

ENEOS/日本石油

20120530_001.JPGJR京ヶ瀬駅前にある、こぢんまりとした給油所。屋上のENEOSの看板が、そのすぐ下、屋根の側面(何というのだろう?)ととてもよく調和している。こうした小規模な給油所は、キャノピーなどないようがスタイルがいい。働く方にとってはあったほうがいいだろうけれど。

サービスルームの正面は大きな1枚ガラスの窓が連続し、まるでクルマのディーラーのようだ。

20120530_000.JPG少し引いて。画像左の防火壁には段がある。そして、その下にはドラム缶を縦に半分に切った、タイヤのパンク修理時につかう水槽。

このENEOSも、以前はJOMOだった店舗だ。それが、ENEOS化で塗装を一変され、美しくなった。


では、JOMO時代を。
(gogo.gsよりリンク)

これもまた「近隣の方々、落ち着いた色になってよかったですね」と申し上げたい事例だ。

【関連リンク】
ENEOSへの華麗な変身
 

郊外住宅街のワムハチ

郊外住宅街のワムハチ

鉄道車両廃車体

20120529_003.JPG新潟の郊外の県道2号、巻付近を走っていたら、こんなふうに茶色いワム80000が目に飛び込んできた。

20120529_000.JPG普通に街中。ワムハチを撮るためにカメラを出して周囲をうろうろするのにちょっと躊躇してしまう感じ。

20120529_001.JPGワム585○44。

20120529_002.JPG日本車輌/輸送機工業 昭和44年
日本国有鉄道 名古屋工場 昭和49年改造

場所はここ。




 

榛原川橋(静岡県)

榛原川橋(静岡県)

隧道・廃隧道

20120528_002.JPG来る6月9日(土)にカルカルで開催される『眠る鉄道ナイト』に向けて、出演者の丸田祥三さん(写真家、@malta_shozo)、江上英樹さん(小学館、@TETSUHEN)と、静岡県に出かけた。その道中に目にした道路付け替え跡の廃橋。

画像左が現道で、曲線鈑桁でなめらかに川を横切っているが、かつては画像右の旧橋のように、右岸の道路から直角に曲がる形で榛原川橋(旧橋)を渡り、こちら側に来ていた。

20120528_001.JPG新しい橋は、昭和61年9月竣功。

20120528_006.JPG旧橋へのアプローチを、右岸側から、しかも振り返って。

20120528_005.JPG旧橋を渡り、右岸側から。ほとんど現役のように見える。

20120528_004.JPG左岸側親柱「榛原川橋」。

20120528_003.JPG左岸側親柱「昭和33年8月竣功」。ということは、現道に写るまで、たった28年しか利用されなかった桁。

コンクリート製の橋脚に、コンクリート製の桁。まるで鉄建公団規格の鉄道用桁のようだった。


 

越後交通の廃線跡

越後交通の廃線跡

廃線跡

20120527_013.JPG新潟に育ちながら、ついに現役時代を見ることがなかった越後交通長岡線。小学生だからというわけでもなく、最末期はすでに働いていたが、鉄道趣味から相当に遠ざかっていたので、関心すらないまま、いつのまにかなくなっていた。

大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡)
越後交通与板駅跡の日通倉庫
の記事でも書いたが、4月末に付近を原付で訪問した際の写真を一部、アップする。もっと多くの写真をFlickrにアップしているので、ぜひそちらもご覧いただきたい。すべて、意図的にコントラストを高め、色調を触っている。

レポートなど、既にすばらしいものが山とあるので、私などが出る幕はない。

20120527_001.JPG20120527_002.JPG20120527_006.JPG

20120527_014.JPG20120527_016.JPG20120527_009.JPG20120527_011.JPG20120527_015.JPG20120527_008.JPG20120527_005.JPG
 

ENEOSへの華麗な変身

ENEOSへの華麗な変身

三菱石油/日石三菱

20120526.jpgなぜこんな場所にあるのだろう。新潟の平島あたりの大きな通りから、ほとんど見えない路地にひっそりとあった。見つけたのはまったくの偶然だ。

サービスルームの上部に品よく、ほどよい大きさのENEOSのロゴ。サインポールも2階建ての屋根くらいの高さしかなく、威圧感がない。正面窓は大きな一枚ガラス、側面は引き違い戸。

計量機はひとつ、ガソリンとハイオクのみに見えるが、見えない位置に灯油のそれがある。こんな規模でも、敷地内は整頓され、お約束として消化器が活躍する場もなく無聊を託っている。…託ったままでいるべきだが。サービルルームの後部、下部が斜めに切り取られた板があるのは防火壁兼用なのか。

まるで、ENEOSのカラーリングにあわせたかのような給油所。しかし。

スタンドラリーのサイトを見て驚いた。JOMOじゃないか。緑一色の防火壁も、緑の計量機も、まったく「ひどい」としか言いようがない。水道のホースが水色であることすら気に障る。コスモだってここまではひどくないのではないか。近隣住民は、ENEOSになってさぞ心安らぐ空間になったことと思う。

ここは、JOMOになる前は、どのブランドだったのだろうか。そのデザインも見てみたい。


 

まるで自家用給油所のような出光

まるで自家用給油所のような出光

出光

20120526_001.JPG新潟県の、とある県道を走っていると、計量機がひとつ、目に飛び込んできた。道路は写真で言うと右の画面外にあり、道路と並行して短い防火壁がひとつ。そして給油所の両側は道、ないし道のようなもの。防火壁の向こうには、平屋の民家。あまりじろじろみなかったのだが、工務店のような印象も持った。

20120526_000.JPGガソリンの計量器がひとつだけある。この給油所のある場所は水平ではないため、防火壁も斜めになっている。

20120526_002.JPG防火壁の、出光のロゴとアポロ。「出」の背後に、二回りくらい大きな文字が消えかけているが、これはなんだろう?

20120526_005.JPG防火壁側から道路を見る。

20120526_004.jpgトキコの計量器には、「修理年月日 昭和62年」という打刻があった。その銘板は、東京エンヂニヤー・サービスとトキコのコンビで、型式はSS23とある。

東京エンヂニヤー・サービスはタツノ系、トキコは日立系。このあたりの系譜もおもしろそうだ。


【2012/5/26追記】
@g_standさんより、出光ロゴの後ろに見えているのは出光灯油の炎のマークで、その下に「出光灯油」と書いてあった痕跡が見えるとのこと。さらに、防火壁の下部の薄い水色のラインは出光灯油の塗装パターンであるとも教えていただいた。ありがとうございました。


 

越後交通与板駅跡の日通倉庫

越後交通与板駅跡の日通倉庫

農業倉庫・日通倉庫

20120525_004.JPG与板の街中には、いまだ越後交通の廃線跡が堂々と残っている。ホーム跡も容易にわかる。関係建築物を解体したものと思しき残骸もある。更地化したところは、運送会社の駐車場になっている。

もっとも、駅(跡)は街の中心ではなく、住宅地が尽きてそろそろ他の用途、たとえば田畑や山になろうかというあたりにあるので、残っているのもむべなるかなと思う。西に向かう廃線跡は遊歩道になっている。

さて、上の写真の写っているのは、日通の倉庫である。

20120525_000.JPG倉庫内は無人のようだったので(撮影は祝日の土曜日)、前に停まっているクルマは近所の人のものだろうか。

この建物は、「鉄道の駅舎だ」と言っても信じてもらえそうな形をしている。

20120525_002.JPG角度を変えて。妻面に掲げられている「日本通運」。中央の円形はもう読めないが、「通」のロゴマークと推察できる。

サッシはすべてアルミ(?)化しているが、その外枠は木製のまま。そして、波板(トタン?)や細い凹型が入った板を巻いたこういう外装は、新潟ではよく見るのだけれど、他の地域ではどうなのだろう?

20120525_003.JPG反対側の妻面。道路に面しているためか、3枚の戸。この、おそらく木製フレームに金属板を打ち付けた戸も、新潟ではよく見る。冒頭の写真を見ると、その戸袋がおかしな形で飛び出している。そこに、興亜火災の行灯がある。

いま気づいたのだが、ここに見える鬼瓦の下の瓦は三つ巴だ(反対側は無地)。五十公野の農業倉庫も三つ巴だった。

20120525_001.JPG一周して正面。正面玄関…と思しきところは実は玄関ではなく、その左隣りが玄関なのだが、その「思しきところ」にはこんな標識があった。上から

「電話一一七番」(縦長。時報じゃないのか?)
「電話 44」(楕円/電電公社マーク)
「電話117」)楕円/電電公社マーク)
電話番号2桁ということは、相当に古い建物で、かつ公共性が高い建物だったということだろう。


この日通倉庫は現役で使われている。撮影した日はたまたま休業だったらしいので、近寄ったり撮影したりできたら、もし関係者が仕事中の場合はご配慮を。

大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡)

大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡)

農業倉庫・日通倉庫




1984年(昭和59年)夏、自転車で新潟から柏崎まで走った際、発見して驚いたのが越後交通の廃線跡。そんなものがあるとはまったく知らず、偶然出くわしたその驚きは、いまも記憶している。PCはおろか携帯電話で検索すればすぐに情報が得られる今日、そんな出会いはなかなかなくなった。その越後鉄道長岡線の廃線跡を、この4月の連休にきちんと訪ねた。部分部分はかつて訪ねたこともあるが、多くの区間をたどろうとしたのは初めてだ。

槙原駅跡。
20120524_001.JPG「駅だったもの」がひとまとめにされ、虚しく朽ちるのを待っていた。しばらく前までは、ここにホームやレールもあったらしいが、整地されて間もないような雰囲気の砂利敷きになっており、ほぼすべてこの一塊に集約されていた。

ところで、背景の倉庫。いかにも鉄道駅の裏手にあった倉庫だ。

20120524_000.JPG右書きで「(大津)大津農業倉庫」とある。最初の「大津」を左に移したのだろうか。ここは現在「JA越後さんとう大津」との表示がある。合従連衡でいまのJA大津ができあがったが、1978年(昭和53年)まで、ここだけでJA大津を名乗っていた。以後、三度の改組を経て、いまは「JA越後さんとう」である。

こうして見ているのは、裏口。鉄道貨車に積み込むほうだ。なぜか、この農業倉庫の正面(写真で言うと「向こう側」)の写真を撮っていない。なんと迂闊な。

* * *
 
冒頭の写真のガレキの中には。
20120524_002.jpg油入地絡過負荷しゃ断器。
形式 H6-AE7-T
定格電圧 7200V
定格電流 100A
変圧器 6600V/110V
定格しゃ断容量 50MVA
極数 3P
周波数 50.60~
ZCT.NO B2394
はずし電圧 AC110V
引はずし電流 1.0/0.8A
○量 74L
総重量 175kg
製作 昭和44年5月
製番 B108926
○○(たぶん日立)製作所


二枚目の写真、左に見えるのは、吉岡材木店という製材所である。その左、緑の部分が、かつての鉄道の敷地。
20120524_003.jpgそこは、このように木材の乾燥のための場所になっていた。ところどころ、枕木が見えている。

ここから振り返ると…
20120524_004.jpgこんな形で路盤が残っている。


20120524_005.jpg製材所前の地面に突き立てられたレール。まるで、墓碑銘のようだ。



 

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