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廃止になった長野電鉄屋代線井上駅跡近くにあった農業倉庫。駅とは無関係の位置。

この重厚な扉。階段がこの位置にあるのも、時代ならではだろう。

隣接して、瀟洒な建物がある。最初は外観だけこういう意匠の近年のものかと思ったが、さにあらず。古い建物を化粧直しして、現役の事務所として使っていた。窓枠はサッシに更新されている。

この建物についてはブログ『東日本建築万華鏡』に、概要があったのでぜひ。

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廃止になった長野電鉄屋代線の信濃川田駅前にある郵便局。妻面を通りに向けたオーソドックスなスタイル。笹団子はここ長野でも名物なのか。

右側の入口、この狭い玄関によくぞこれだけ押し込めるものだ、といつも感心する。そして、明かり取り以外の役割が皆無の窓。

郵政書体が残っている。



長野電鉄屋代線の松代駅から出ている道が突き当たるところに、この大きな家がある。一隅が商店になっているのだが、軒下の看板がすてきだ。

  カモ井食品。千代田のソーセーヂ。カゴメケチヤップ、カゴメソース。キリンラーメン。

この商店は、左の戸側と右の戸側で、店内の雰囲気が全然違うのだろうな。

いまのJR吾妻線は戦時中に群馬鉄山からの鉄鉱石輸送のために敷設された路線だ。長野原から北へ6km弱、太子(おおし)駅まで専用線が伸びていた。戦後、旅客輸送もなされたが、1970年には休止。以後45年経ち、かつてのホームととともに「駅便」が残っている。この駅便は公衆トイレとしていまも使われている。

男子用の朝顔が三つ。しかし、旅客営業していた当時でさえ三つも必要だったのかどうか。

個室には小振りな便器。清掃が行き届いているということは、放置でもなく、誰も使っていないわけではないということ。木桟の窓が少し開いていた。


天井の電球は取り外されていた。配線は剥き出しの銅線か。


 太子駅全景。左が道路で、そのさらに左の山越しに、鉄鉱石がこのホッパーまで来ていたようだ。連れて行ってくださった丸田祥三さんによれば、このホッパーはつい去年まで半分以上は土に埋もれて木が生い茂っていたそう。それが、きれいさっぱり土砂が取り除かれている。「数十年かけて積み重ねてきたもの」を除去してしまったということだ。

いままでの「時間の積み重ね」に思いを馳せるためにここに来ていた人たちは、おそらくもう来なくなるのではないか。もっとも、土砂の除去は小ぎれいにするためなのか、あるいは別の理由…たとえば危険性の除去なのか、私には分からない。



現在、知床林道は一般車通行止めだが、かつては知床大橋までは行けた。その先は通行止めだったはずだが、もしずっと行けたら、この橋にいきあたっていたはずだ。この橋はテッパンベツ川にかかるもので、橋台は木材で枠を作って石を詰め、そこにH型鋼を渡している…ように見える。H型鋼の側面にはコンクリートがこびりついているようにも見え、どのような経緯でこうなったのだろうか。

この写真は知床岬へのクルーズ船から撮ったもので、手前にはヒグマが写っている。

 


そこからカメラを左に振ると、建物がいくつか見える。昆布漁の番屋だろうか。トラッククレーンやタンクローリーも見えるので、先の橋はかなりの重量車でも通行可能ということになる。この番屋の建設資材もあの橋経由だったのだろうか、それとも海上からクレーンで渡したのだろうか。


知床林道の近くまで何度も行きながら、知床大橋まではついに行かなかった。おかしなもので、1992年に岩尾別から羅臼岳に登り、羅臼平で1泊、そのまま硫黄山まで縦走してカムイワッカの湯滝に下山したことがあるので、「おれは知床半島の尾根を歩いたんだ、だからバイクで行けるような場所などわざわざ行かなくていい」などと思っていた。いやまったく、これは間違いだった。行っておけばよかったと大きく後悔している。




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