忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


小舟渡橋 その1 (福井県)

小舟渡橋 その1 (福井県)

プラットトラス

20110626_000.JPGえちぜん鉄道に乗っていたら、ふと車窓に飛び込んできた美しいプラットトラス(写真は道路から)。

「歴史的鋼橋集覧」には収録されていない。なぜ小舟渡橋が「歴史的」収録されていないかは謎。しかし、絵葉書は「愛知県」と誤記された上で掲載されている。

また、「日本の近代土木遺産2800」にはCランクで記載されている。そして、福井県の「福井の歴史的建造物」にはきちんと解説がある。GJ! それによれば、この場所に初めて架橋されたのは明治15年(1882年)で、いわゆる「舟橋」であった。橋の名もそれに由来する。その後、大正3年(1914年)に越前電気鉄道が開通した際、小舟渡駅が設置されたが、九頭竜川を挟んでいたため、永久橋の架設が計画され、大正9年(1920年)工事が開始された。開通は大正10年(1921年)。下流に市荒川大橋が完成し、換線されたのが昭和44年(1969年)なので、主役として48年、脇役としても42年、合計90年が経過している。

当初の舟橋の写真が、福井駅西側の湊地区公民館のサイトやいち市民氏のサイト(1)「郷土の自然」に掲載されている。

場所はここ。小舟渡駅のすぐ近く。


左岸から、歩測200フィートの曲弦プラットトラス、歩測100フィートないくらいの平行弦プラットトラス。その下が流路。右岸にかけてはRC桁橋で、その下は河川敷となっている。1948年撮影の航空写真でも流路が同じなので、架けた当初から川の流れ方は変わってないのかもしれない。今回は曲弦プラットトラスのみを掲載する。

20110626_009.JPG左岸・下流側から。曲弦のほうは11パネルのプラットトラス。格点は剛結。

20110626_001.JPG上流側から。

20110626_002.JPG真正面から。幅は狭く、クルマの離合は不可能。車両重量制限は3tということで、おそらく大型車の進入を阻止するために道幅を狭くするブロックが置いてある。

20110626_003.JPG橋梁名が扁額となって掲げられている。それも、斜め下を向いている。橋梁に扁額を掲げるのは、あまり例がない。通常、親柱がその役割を果たすからだ。

20110626_004.JPGこのトラス桁、部材が細くて美しい。大正9年着工ということで、後年の(というか最晩年の)プラットトラスよりも部材が華奢な印象だ。もっとも、後年のプラットトラスは鉄道用であり、活荷重も大きく異なる。

20110626_005.JPG中央部の格間の斜材。交差する点で結合している。これ、結合している橋としていない橋がある。一長一短だったりするのだろうか。

20110626_006.JPGもう少し進むと、平行弦の桁が見えてくる。

20110626_008.JPG左岸に戻って端柱。銘板はここについていたはず…? 銘板類は見あたらなかった。

(続く)


(余談)
画像の右上に移っている黒い点は、撮像素子についたゴミです。


(続き)小舟渡橋 その2 (福井県)

PR

道路改良跡 静岡県道40号(静岡県磐田市)

道路改良跡 静岡県道40号(静岡県磐田市)

廃道

20110625-1.jpg幹線道路の脇には、こうした「道路改良跡」が無数にある。ここ、磐田市の改良跡も、クルマで走っていてふと目に付いたものだ。

以前は曲線で勾配を登っていたのだろう。それを、なるべく直線敵にして見通しをよくした結果、外側に膨らんでいた部分が廃道化した。新しい道路には新たにガードレールが設置されたため、一切、クルマは入れなくなった。

こうした空間は、天気がいい限り、とても心地よい。

20110625.jpg反対向きで。アスファルト路面にのたくる草。右上と左下には、レンズのフードカブリ(スミマセン)。右のガードレールの下は、天竜川。


場所はここ。


古い航空写真を見ても、これがわかるほどの解像度のものはない。このまま、この改良跡は草に埋もれていく。



東雲橋(岐阜県)

東雲橋(岐阜県)

ボーストリングトラス

20110622_000.JPG東雲橋。渡っているのは木曽川である。写真は左岸上流側から。さらに上流には、大井ダムが見えている。

歴史的鋼橋集覧はこちら

見ての通り、ボーストリングトラスである。驚いたことに、wikipediaに項目があった。場所はここ。



この地点で、南から阿木川が、北から和田川が木曽川と合流する。木曽川の川幅が広いのであまりわからないが、狭ければ十字峡のような光景を現出し、一大観光名所となっていたことだろう。上の地図を見ると、下流側に新道が予定されている。現地でも工事をしているが、それは後述する。

20110622_001.JPG中央径間がスパン45mのボーストリングトラス、側径間は2連(24mとあるが…?)と1連(13.5m)の鈑桁。

では、いざ橋へ。

20110622_003.JPGすれちがいできません!
橋の上は、道路が
狭くなっております

という表示がある。最大車両重量14トン。この橋の開通は昭和6年、銘板には三等橋とある。昭和6年当時の三等橋は、活荷重(総重量)6tなのだが、昭和14年には県道=二等橋(9t)とされ、昭和31年には二等橋は14tになったので、そうした変遷のしろものなのかもしれない。もっとも、こうした荷重は経験則によって決められることもあると現場の方から聞いているので、設計荷重は三等橋(6t)なのだが、どうしても14tのクルマを通す必要があって通して、かつチェックしてみたらなんともなかったから14tでいいや、になったのかもしれない。真相などわかるはずもない。

親柱は両側にある。どちらも銘板は路面を向いている。
20110622_004.JPG左。「東雲橋」。

20110622_005.JPG右。「木曽川」。右に見えるのが大井ダムである。欄干は後年、比較的最近のものか。

さて、ボーストリングトラスに近づく。

20110622_006.JPGいいね、この構え。

20110622_008.JPGどうしても弱い、上弦の端部は、下側に補強を入れているのがおわかりだろうか。

20110622_009.JPG別角度から。本来はリベットだが、この補強剤はボルト留めなので、後付けであることがよくわかる。


20110622_010.JPGここに銘板がある。

昭和五年製作
大阪
日本橋梁株式会社

20110622_016.JPG渡りながら振り向く。中に入ってしまうと、ボーストリングトラスである、とはあまり意識しないかもしれない。

20110622_017.JPGセンターの格点と大井ダム。

20110622_007.JPG上弦の端部には、なにやらケーブルでも通していたかのような穴がある。設置するときに必要だった部品か?

20110622_013.JPG鈑桁も渡り、対岸近くへ。右岸側も親柱はある。

左。『東雲橋』

20110622_011.JPG
右。『木曽川』。この組み合わせは左岸と同じである。通常、親柱は
・橋梁名
・河川名
・橋梁名(ひらがな)
・竣工年月
が書いてあるものなのだが。

20110622_015.JPG橋の上から下流を見ると、この東雲橋に替わる新橋とバイパス工事の様子がわかる。

20110622_014.JPG開通記念碑か、「紀功頌徳」と題された石碑がある。表面はそれなりに風化しているが、「東雲橋」という文字は読めるため、関わった人々を記念しているのか。とりあえず解読はパス。

20110622_002.JPGボーストリングトラス。ここは、その立地からして真横から撮れない。もし新橋が開通したら、この旧橋が撤去される前に訪れて、真横からの記録を残しておきたい。そして、解体されるときには、その作業を見守っていたい。新橋の工期は平成25年3月までである。




  英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(11) 油皆洞橋の幅

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(11) 油皆洞橋の幅

ポニーワーレントラス

20110612_001.JPG

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(10) 油皆洞橋について、後日、現地を訪れた@hetima01さんから、「トラス間は実測で3.8メートル」との情報をいただいた。はてさて、これは鉄道橋としてどうなのか。

英国系100フィートポニーワーレントラスの幅で、寸法が明確なのは次の2橋だけだ。

●2代目六郷川橋梁(複線)トラス間22フィート(6.706m)
出典:本邦鉄道橋の沿革に就て(久保田 敬一、PDF)

●初代武庫川橋梁(3主構複線)の、片側のトラス間15フィート(4.572m)

この英国系ポニーワーレントラスはすべて鉄道橋の転用と考えていいので、元が鉄道サイズだとしても、のちの車両限界は幅3mなので、トラス間3.8mでも成り立つように見えてしまう。

こうして考えると、伊達橋などを測ってくればよかったと後悔することしきりである。橋梁観察は、必ず一度目は見落としがある。困ったものだ。

藤波橋(飛騨市神岡町)

藤波橋(飛騨市神岡町)

ボーストリングトラス

20110621_000.JPG神岡の街中にあるボーストリングトラス、藤波橋。渡っているのは、神通川の支流である高原川。神岡の街中では、まだこれほどに細い。写真は下流(北)から。位置はここだ。



20110621_001.JPG構え。ボーストリングトラスらしい開放感。欄干がついているが、道幅が狭いので、歩行者は横の歩道橋を通る。

20110621_003.JPG左側のみ、親柱が残る。いったい何をモチーフにした親柱なのだろう。右側は、歩道橋を設置する際にでも撤去されたか。

銘板はなく、その前を電柱が塞いでいる。

20110621_002.JPG向かって左のトラス(上流側)には銘板がある。

株式会社
大阪鐵工所製作
昭和五年

(すべて右書き)

20110621_004.JPG車道を渡る。リズミカルで美しい。

20110621_006.JPG振り返って、左岸から、下流側のトラスを見ると、

平成5年度
水力発電施設周辺
地域交付金交付施設
神岡町

と書いてある。これは、歩道橋のことだろう。財源として、そんなものがあるのか。そして、この表記は18年も雨ざらしになっている割にはきれいだ。

20110621_007.JPG少し離れて、上流側。

20110621_008.JPG端部。支承等は、見ることができない。


日が沈みかけている中で慌てて撮ったので、暗い。でも、そんな空気が似合う橋だった。


大道泉橋 撤去中。

大道泉橋 撤去中。

ワーレントラス

20110619-10.JPG大道泉橋(だいどういずみはし)。栃木県真岡市、鬼怒川を渡る橋だ。架け替えにより、撤去作業中であるということを、@AGEAGE101さんから「早めに行ったほうがいいですよ」との言葉と共に教えていただいたので、5月上旬に行ってきた。上の写真は上流側から。桁が残っているのは右岸、西側である。

20110619-01.JPG下流にある新しい橋からは、こう見える。たぶん、普通の人は、これが変だとは気づかない。

20110619-02.JPG拡大。この「普通感」は、河川敷がきれいになっているからかもしれない。仮に、すでに撤去した桁部分に橋脚が残っていれば、「橋を撤去している」というように感じると思うのだ。

20110619-03.jpgこのように、工事している様子は一切なく、美しく放置されている。桁端部はさすがに閉鎖してあるが、それとて見える大きさではない。

20110619-04.JPG左岸、真正面に回り込む。

やはり、なんというか、「異常感」はない。

20110619-06.JPG一歩引いて、取り付け道路から。このように、本来なら直進していた道路が、左右に直角に折れるように変更されている。鋪装されたばかりだった。

20110619-08.JPG新橋を左に、旧橋を右に見る。撤去済の河川敷が、本当に何もなかったかのように整地されている。

20110619-09.JPG河原に降りて、橋台があったはずの場所を見る。やはり、単なる法面にしか見えない。これらの処理ゆえ、残されたトラス桁に「異常感」がないのだろう。

20110619-11.JPG桁の端部に近づく。けっこう高い。床版の下の断面など、なかなかお目にかかれるものではないが、かといってとりたててなにかすごいものが見えているわけでもない…。

反対側に回り込み、今度は上から。

20110619-12.JPG取り付け道路はこのような形でゲートが設置してあった。向かって左から手前(画像下)は現役の道路で、農作業の軽トラがときどき通る。

20110619-13.JPG通行止めの看板の向こうに、トラス桁が見える。通行止めは車輌のみ。

20110619-14.JPG看板越し。

20110619-21.JPG美しい青空に、通る人のいないトラス橋。橋を外から見ても異常な感じはしないのに、橋の上にいると、なんとも不気味な感じがする。

20110619-16.JPG青空と鉄骨だけになると、その異常さもより際立つ。川の音と、山鳩の鳴き声しかしない。

20110619-18.JPGふと上を見ると、鳩がとまっている。こいつらか。

20110619-17.JPG端部はこのように、当たり前だが唐突に終わっている。フェンスがちょっと撮る気持ちを削いだので、早々に立ち去る。

銘板を探す。
20110619-19.JPGない。右下にカケラが貼り付いている。こういうものは、自然に脱落してしまうのだろうか。それとも、だれかが剥がすのだろうか。

20110619-15.JPG剥がされている。

20110619-20.JPG…あった。
1959年12月
栃木県建造
建示(1955)二等橋
製作.架設.日本橋梁株式会社
材質.SS41

「製作」などの後の「.」が気になった。

1959年。まだ50年ちょっとしか経っていないのに架け替えられてしまうのは、この幅員ゆえだろう。大型車同士のすれ違いは無理だ。



この大道泉橋は、トラス桁を撤去した後の写真が、なぜか(?)写真素材サイトにある。売っているものなので転載は控えるが、ぜひご覧いただきたい。
http://pixta.jp/photo/2376073

こちらの方のブログには作業車が写っている。

どうやら、桁をクレーンで持ち上げて地上に降ろしたあと、解体したようだ。

また、こちらの方のブログを拝見すると、さらに先代の橋の記憶や、開通記念碑(現地では見あたらなかった)の写真がある。

作業日を問い合わせて、見に行ってみようかしら…。葬式厨?

落合恵さん・杉浦さやかさん トークイベント『山へ行くつもりじゃなかった』

落合恵さん・杉浦さやかさん トークイベント『山へ行くつもりじゃなかった』

山あるき

60c81d4d.JPGイラストレーターの落合恵さん(ブログはこちら)の『山へ行くつもりじゃなかった』出版記念トークイベントが、世田谷区等々力の「巣巣」で開催された。お相手はイラストレーターの杉浦さやかさん@saa_aya)。おふたりとも山友だちで、なれそめ(?)はこちらに。

20110616_002.JPG「巣巣」の2階にも原画の展示がある…ということで、階段を上ったら、そこにはおふたりが!(左:杉浦さん、右:落合さん)。おふたりのついているテーブルや椅子、よく見ると値札がついている。トークイベント会場の椅子にも値札があったのだが、これらはみな売り物。「巣巣」はすてきな家具屋さんである。

開始時刻の18時になると、予約満席だった会場は、雨だというのにぎっしり。前回よりも普通の人(?)が多いような印象。どんな印象かというと『天然生活』の読者のような。トーク開始直後に「この中で、山に登っている人?」という問いかけには、半分くらいが反応していた。前回はほぼ全員だったのに比べると、場所の違いなのか、お相手の違いなのか、興味深い。。。

8f60c107.JPGまずは、山の格好のお話から、ファッションについて。落合さんが初めて山に行ったときは、とりあえず靴は買い、あとはあるものから。杉浦さんも同じ。ところが、落合さんがその後、普通に(?)山の知識が増えると共に衣類もアウトドア用のものをセレクトショップなどでそろえていくのに対し、杉浦さんはあくまで無関心(?)。最近買ったという防水透湿素材の雨具、「これはモンベルです」と言いながら、実際はパタゴニアだったり。ブランドに頓着せず、しまむらからもすてきなものを見つけ出す杉浦さんならでは。

杉浦さんはこの日、モンベルのニッカボッカだったのだが、ファミリーセールで買ったものだそう。「安かったから、20年前のものですかね。形もそれっぽいし」。おそるべきセンス。とある女性登山のイメージリーダーになっている同世代の女性は、「以前はモンベルの中高年体型用のズボンしかなかったから、登山用のレディスウエアは買わなかった」と言っている。いまイメージする「山ガール」的なウエアが出そろったのは、意外なほど最近で、出そろったから女性が参入した、と言い換えてもいいのだ。モンベルの、「モノはいいけどおしゃれじゃない」という印象を図らずも見抜いてしまった杉浦さん。すごい。

ニッカボッカ。私が山を始めた1987年頃は、それが当然だった。山には、ニッカボッカ+カッターシャツ。高校の山岳部に入ったとき、揃えさせられた。それぞれ2回しか着なかったけれど。ニッカボッカは、うっかりサイズの大きいものを買ったために、履き心地がとても悪かった。また、速乾の衣類などない時代、カッターシャツだけは速乾性なので重宝するはずなのだが、ニッカボッカの代わりに買ったチノパンと合わないし、Tシャツで登るほうが涼しかったので、着なくなった。いま思えば、山に行くのに襟のついた服を着ていくのは、単なる伝統なのだろうと思う。

13279f4e.JPG休憩。今回も、お菓子とコーヒーつき。お菓子は、dans la nature 花鳥風月さん特製。落合さんのイメージする、山の行動食(のうち、お菓子的なもの)として、「ナッツのいっぱい入ったクッキー」と、「ココア味 山マフィン」。コーヒーは、徳島県のアアルトコーヒー特製「眉山ブレンド」。お菓子はかなりのボリューム、おいしかった!

休憩後、おふたりの山の思い出に。『山へ行くつもりじゃなかった』にも書いてある、誕生パーティーのこと。これは、杉浦さんの誕生日がたまたま登山の日だったので、落合さんは無言のプレッシャーを感じつつ、プレゼントやサプライズを企画。そのプレゼントとサプライズの楽しさは、会場の方々にもわかっていただけたようで、コーヒーをふるまうとうことでちょっとかんだ私としてもとても嬉しかった。

また、おふたりで行った「富士山6合目でご来光」のエピソード。山に登ったことがない人が半分を占める会場では、富士登山の話も相当に興味を持たれているようだった。


まだまだ、落合さんの本沢温泉とか、「ランドネごっこ」とか、杉浦さんの「川が流れている山が好き」とか、書ききれないくらいにいろいろな話があったのだが、あっという間に1時間半ほど過ぎて終了。前回と違い、会場内に残る方が多かった。おふたりのファンの方ばかりだったということなのだろう。「そろそろ閉めるので…」とやんわり追い出される20時ころまで店内でおしゃべりし、会場を後にした。



杉浦さんが尾瀬に興味を持っているようなので、ちょっと考えよう。また行きましょう!


ツーリングマップル北海道のひどさ

ツーリングマップル北海道のひどさ

地図・航空写真・分水嶺

初めて『二輪車ツーリングマップ』(マップ「ル」ではない)を買ったのは1993年頃だと思う。B6判で、ページ展開もメッシュではなく「ライダーが走るだろう方向」で組まれていた。ダート路面の情報は、九州など一部の地図に掲載されていたのみ。また、北海道の情報は、国道の鋪装化が進行していた時期でもあり、ちょっと古いなと思っていた。

 一新されてリングタイプのA5判で登場したのは1998年頃だ。それまでに全冊買っていたが、改めて全部買った。リングタイプの特徴は、全エリア、ダート情報が掲載されたことだ。この時代、まだ写植で製作していた地図だった。

2000年、リングタイプに難があったか、誌面はそのままに、折り返せるタイプの無線綴じになった。リングタイプは、本文ページが切れてしまい、返品が促進されるうリスクがあるのは容易に想像できる。そのころの誌面がこれだ。翌年だったか、GPSに「対応するために緯度経度線が描かれるようになった。なお、そこに描かれていたのは世界測地形の数値なので、当時の国土地理院が刊行していた地形図とは異なるのだが、注釈は一切ない。

20110617_000.jpgこれはこれで、地図として必要十分な情報が盛り込まれている。ピンクのマーカーは、私がバイクで走った道路である。おまでいうログ取りのようなことをやっていた。2001年ころから、仕事の忙しさなどの環境の変化もあり、バイクに乗る距離がぐっと減ってきた。ロングツーリングも行かなくなった。代わりに仕事でバイクをクルマに積んで北海道から九州まで行っていたので、最初はクルマで走った道を別の色のマーカーで塗ったりしていたが、めんどくさくなっていつしかやめてしまった。クルマで走ることは、バイクで走ることとは違う。そう思ったからだ。

2004年頃だったか、ちょっと時期は忘れたが、全面的にデジタル化された。等高線などが細く薄くなり、見づらくなった。それでも、地図としての使い勝手は「好みの範囲」での変化だった。

そして先日、2011年版のツーリングマップル北海道を買った。そして驚いた。こいつは地図じゃない!

20110617_001.jpg

ライダー向けの情報量は変わらない。しかし、文字が3割ほど大きくなって、地図である部分をスポイルし、字名や小学校などの表記も省略している。なんなんだこれは。こんなもの、地図じゃない、地図に名を借りた情報誌だ。レジャーガイドブックや自治体の刊行マップで、地図に関してなにも意識のない人が作った下手くそな地図を見てげんなりすることが多々あるが、それに近い。これが、長年信頼を勝ち得てきた昭文社の地図か!


もともと、他エリアも含めて、ライダー向け情報といってもひどいものも多かった。たとえば川の記述。山形県の最上川に対して「山形の母なる川」。最上川に対してのコメントがそれかよ!? 東北は、賀曽利隆氏の担当なので、氏の、「朝起きて歯を磨いてごはんをたべて『さあ、今日もいくぞー』と気合いを入れて出発した」みたいな文章のレベルで紹介されるし、氏がセレクトしたベスト10みたいなものもある。地図ではなくて、著書になってしまっている。これは、ツーリングマップルの元々の制作者が賀曽利信者だったために起こった悲劇である。

表紙も、リングの時代(小原氏の撮影)はしっかりしていたが、無線綴じになって以降の表紙はひどい。とくに昭文社の担当者が撮ったものはおそろしく質が低い。許せないレベル。

かといって、これに替わる、このサイズの地図はない。悩ましい。


巴橋(トレッスル橋脚/木曽川)

巴橋(トレッスル橋脚/木曽川)

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚



20110616_000.JPGこの橋の名前は「巴橋」。史実か伝承か、この橋がかかる付近を巴淵といい、木曾義仲の愛人、巴御前ゆかりの地ということになっている。

この写真でも、上の地図でも細く見える川だが、木曽川である。

20110616_001.JPGこの橋を撮ろうと準備していたら、普通の家族連れが
橋の下に降りていって記念撮影を始めた。そんなに有名スポットなのか(たぶん違う)。彼らがその場を去るのを待って、土手を降りていく。



20100816-3.jpgこの橋の特徴は、見ての通りのトレッスル橋脚。鉄道でよく見かけるタイプのものとは90度異なった位置にある。

例えば、既に撤去されてしまった余部橋梁は左の写真のように、トレッスルの長手方向が橋の軸方向に配置されているが、この巴橋は、長手方向は橋の軸と垂直に配置されている。

もっとも、鉄道用のそれは、長手方向の「長さ」の部分には単独の短い鈑桁が載せられているのであるから、桁を支持しているのは、軸方向と垂直な線(正確には点だけれど)である。

トレッスルをアップ。
20110616_002.jpg実に小さい。実に単純。

このトレッスル橋脚の上に、4主桁の上路鈑桁が架かっている。

20110616_003.JPG東側。いや、立派である。車両重量の制限は14t。見ていると、マイクロバスが走っていった。でも、幅は狭い。

親柱、左は「木曽川」、右は「巴橋」。

20110616_004.JPG対岸、西側。親柱は左が…ガードレールに隠れて読めない、右が「ともえはし」(たぶん濁点なし)。


この巴橋、トレッスル橋だという知名度は低い気がするのだけれど、どうだろう?


小和澤橋(岐阜県丸山ダムそば)

小和澤橋(岐阜県丸山ダムそば)

吊り橋



のぞみ橋 (岐阜県丸山ダムそば)の続きになる。

20110615_009.JPGのぞみ橋より上流側=丸山ダム側に、この小和澤橋はある。のぞみ橋が新丸山ダム建設用の仮橋だとしたら、こちらの小和澤橋は、立派な現役の道である。写真は南側。

20110615_008.JPG南側は、あまり饒舌ではない。制限重量6トンの標識があるのみ。

この角度だと、補剛桁の概要もわかる。

ふと思ったのだが、吊橋を撮るときは、アンカーも撮るようにしようそうしよう。

この手前には、ガードレールが設置されており、クルマは進入することができない。
20110615_010.jpg当初は、のぞみ橋はダム工事専用で、一般車は小和澤橋を通らされた。

20110615_006.JPG主塔左脚には「昭和二十七年八月架設」とある。「竣工」ではなく「架設」。

20110615_007.JPG右足には「こわざわばし」。

渡って反対側(北側)へ。

20110615_000.JPGどうだ、この饒舌具合。「通行不能」の赤い文字。そして簡単に移動できる単管パイプの車止め。


20110615_001.JPG主塔の左脚は南側と同じく「昭和二十七年八月架設」。

20110615_002.JPG右足は漢字で「小和澤橋」。

そして、根本には…
20110615_005.jpg昭和27年8月竣功
施工 株式会社間組
製作 高田橋梁株式会社

という銘板がある。

20110615_003.JPG補剛桁。床版は木製、クルマのタイヤが接する部分には鉄板が敷いてある。

20110615_004.JPG補剛桁を真横から見たもの。


コンクリート製の主塔のデザイン分類でも作ろうかな。


[PR]