現在、知床林道は一般車通行止めだが、かつては知床大橋までは行けた。その先は通行止めだったはずだが、もしずっと行けたら、この橋にいきあたっていたはずだ。この橋はテッパンベツ川にかかるもので、橋台は木材で枠を作って石を詰め、そこにH型鋼を渡している…ように見える。H型鋼の側面にはコンクリートがこびりついているようにも見え、どのような経緯でこうなったのだろうか。 この写真は知床岬へのクルーズ船から撮ったもので、手前にはヒグマが写っている。 そこからカメラを左に振ると、建物がいくつか見える。昆布漁の番屋だろうか。トラッククレーンやタンクローリーも見えるので、先の橋はかなりの重量車でも通行可能ということになる。この番屋の建設資材もあの橋経由だったのだろうか、それとも海上からクレーンで渡したのだろうか。 知床林道の近くまで何度も行きながら、知床大橋まではついに行かなかった。おかしなもので、1992年に岩尾別から羅臼岳に登り、羅臼平で1泊、そのまま硫黄山まで縦走してカムイワッカの湯滝に下山したことがあるので、「おれは知床半島の尾根を歩いたんだ、だからバイクで行けるような場所などわざわざ行かなくていい」などと思っていた。いやまったく、これは間違いだった。行っておけばよかったと大きく後悔している。 PR
子供の頃、実家の裏の松林に、バスの廃車体があった。なぜそんな場所にあったのかはわからない。いつまであったのかも定かでない。おそらく私が小学校に上がる前にはなくなってしまったのではなかろうか。その廃バスは子供たちの遊び場になっていて、運転席は取り合いだった。もちろん窓ガラスなんかはなかった。
廃バスはそこかしこで見かけるが、私はバスについての知識はない。たまたま、丸田祥三さんの撮影にお供した際にいくつか見かけたものを下記にアップする。珍しいものもあるようだ。 ●千曲自動車 いすゞBA741 『日本の廃道』の「ご巡幸道路」の記事でヨッキれんさんが触れていたもの。タモリ倶楽部でもヨッキさんが紹介していた。バス後部窓の右内側に、鉄道用ディーゼルカーの排気管のような筒状のものがあるのだけれど、これはなんだろう? ●日産5RA 長野原町の国道沿いに、廃バスがたくさんある地域がある。そこで見かけたもの。丸田さんがtwitterにアップしたら、すかさずCURIOUS編集部が下記のツイートを。
●日野RM100 「常盤館」とある。合宿所の送迎バスかなにかだろうか。 ●不詳 やはり「常盤館」とある。前面に簡易トイレがくくりつけられている。 ●いすゞBU10K 国鉄バス。私は国鉄バス不毛地帯の新潟で育ったため、まったく馴染みがないのだが、長野原線(吾妻線)沿線は国鉄バスは多数走っていたはずだ。その名残だろうか。 (型式は丸田祥三さんのご教示によります。ありがとうございました。)
丸田祥三さんの撮影にお誘いいただいたときに見つけた、群馬県長野原町の町道標識。「町道大屋原4号線」と書かれた簡素なものだ。
同種のものは、長野原町内でいくつも見かけた。 さて、冒頭の写真には廃バスが写っている。 これを丸田さんがtwitterにアップしたところ、CURIOUS編集室が、昭和63年に撮影したこれをアップしてくれた。
5気筒の2ストロークディーゼル。エンジン本体も見てみたいものだ。 |
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